第15話「寂しい」

 毎日の日課である咲との小説タイム。いつも通りに彼女がやってきたかと思えば、今日は何か変だ。特に顔。いわゆる鼻眼鏡を付けている。妙に強調されている鼻とひげ、眼鏡属性などといってよくラノベオタクは騒いでいるが、どんな美人が付けようとも鼻眼鏡では噴き出すだろう。案の定俺も例にたがわず笑ってしまった。

「あハハハハハ!なんだそれ!」

 普段あまり笑わない分ツボに入ったら止まらない。収まるまでの数分、まともに顔を見れなかった。


 数分後やっと落ち着いてきた。咲はすまし顔でベットに腰かけ小説を読むわけでもなく座っていた。

「今日はどうしたんだよ眼鏡なんてつけて。」

 気をつかってか、鼻眼鏡をはずしてこちらを向いた。

「鶴田さんにもらったから。」

 いやなんでだよ。なぜ渡した、なぜ付けた?平然としているところを見るに全く恥ずかしくないようだが。

「そうか。」

 結構突っ込みづらいので放置した。だってやっぱり鼻眼鏡って女性がつけるものじゃないじゃん。なんか陽キャとか言われる変態たちがパーティーとかでつけて場を盛り上げるものじゃん(たぶん)。俺はまあ笑ったわけだけど、普通の人なら引かれる可能性もある。きっと笑うけど。

「…。」

「どうした?俺の顔に何かついているか?」

 なぜかじっとこちらを見てくるので典型的な質問をしてみる。

「変なメガネと変な顔。」

「おい全否定じゃねえか。」

 ここは別に…とかなんか少しデレてるヒロイン的なことしてくれよ。なんであって数分で罵倒されねばならんのだ。まったく失礼な奴だ。少し泣きたくなっていると、咲は両手で俺の体を押してきた。

「ん?」

「もうちょっとそっち行って。」

 いわれるがままにべっての隅へ移動すると、咲も布団に入ってきた。

「…。」

 顔に出さないようにしているが、こちらとしては心臓バクバクである。前に鶴田さんと三人で食事をした時もこんな感じで近かったし、相手はガキンチョではあるのだが、それでも状況は違うしもう年ごろといっていい美少女である。緊張するのは仕方ない。さらに咲はぎゅっと抱きしめるようにこちらの腕を引き寄せ組んできた。ボッチなら一瞬でアウトだろう。中学生くらいの自分ならばこれはもしかしてもしかするのかと思うだろうが、数週過ごした俺には彼女がどこかおびえているように見えた。

「なんかあったのか?」

 されるがまま、やっぱり恥ずかしいので顔を合わせようとせずに聞いてみた。彼女は数秒たってから重苦しい声を発した。

「千明って昔陸上やってたんでしょ?」

 そういえば、そんな話もしたっけ?確かに俺は昔短距離走者で県でも上位に入ったこともある。さすがに一位とかにはなれなかったけど。

「まな。」

「…。」

 咲はまた黙ってしまい重い口を頑張って開けるかのように言う。

「千明のお母さんと先生が話しているの、聞いたの。」

「ふむ。」

 俺が旭のところに行っているときにでも話したのだろうか?まあいつものことなので気にはしてないが。

「それでね…それで先生が、千明はもう走れないだろうって…。」

「ああなるほど。」

 走れないだろう、というのは恐らく一生ということらしい。前に先生が自分の回復力に驚いていたが、あくまで肉体の話。一度バラバラになった骨と関節は完全には治らないとか、杖なしに歩ける保証もないとか、先生言ってたな。母にも話したのか。

「ま、仕方ないだろ。」

「…。」

 実をいうと祖父も事故で足を負傷し、父も昔足にはさみを落として大けがしたりと、もしかしたら何か因果でもあるのかもしれない。考えても仕方ないけれど。

「…学校には、いつから行くの?」

 また脈絡のない話だ。

「もうちょい後かな。でもさすがに勉強もやばいし。」

 後一週間か二週間くらいだろうな。

「…行かなくていいでしょ…。」

 咲の組んできた腕に力がこもる。反比例してか細い声だが、強く怒りのにじむようなものであった。

「あんなところに、そんな体で行くなんて…行かないで、ここにずっといる方がいい。」

「ふむ。」

 体を震わせて咲は言った。つまり彼女の理論はこういうことだ。千明の体はもう走れもしないくらいにボロボロだ。だから学校なんてつらいに決まっている、だから行かないでここにいたほうがいいのだと。まるで悪魔の誘惑だ。大分居心地のいいこの病院にずっといて欲しいなんてそりゃいい提案だ、思わず飛びつきたいくらいに。

「咲は学校が嫌いか?」

「嫌い。大人も子供もクズばっか。」

 言い切りおった。咲には何やら学校に苦い思い出があるらしい。みんながとは言わないが彼女の気持ちはわからなくもない。

「咲。俺はさ、昔いじめられてたんだよ。」

 咲は驚いたようにこちらを向く。いい反応ありがとうだが、大したことじゃないんだどね。

「小学校の時は変な奴も多くてさ、男子が数人がかりで殴りかかってきたり、女子から陰で悪口言われたりと色々な。」

「…。」

 毎日のことではなかったと思う。けれどその記憶はどの思い出よりも鮮明で、それがすべてだったようにも思える。

「喧嘩がまあまあ強かったから、数人がかりでも大したことはなかったし、勉強もそこそこできたから馬鹿にされても負け犬の遠吠えって割り切ったけど、内心つらかった。夜は眠れないし、学校なんぞ行きたくなかった。」

 正直暴力より悪口の方が答えるんですよね。喧嘩ならこっちもストレス発散できるけど、陰口は言い返してもストレス発散できないし。正面から喧嘩しに来るやつらの方が堂々としていた、いつの間にかそいつらも陰湿になってったけど。

「そうなんだ。」

「けど俺は高校に進学した。自分の意志でな。理由は俺は女の弱さを肯定できても男の弱さは肯定できないから。」

「…意味わかんない。」

「簡単に言えば負けるのが癪だったんだよ。小中のいやな奴らごときに人生ルート邪魔されるのがさ。」

「…。」

「ので、俺は学校に行かねばならない。ここで行かなくなったら逃げたみたいでかっこ悪いだろう?」

 残念ながら現代社会で高い給与の職に就くにはやはり高校、大学への進学は大切だ。寿司とかが食べられないくらい貧しい生活はつらい。あのうまさを知ってしまったからには。マグロ、サーモン、ブリ、アジ、うまうま。

「いいでしょ…かっこ悪くても。ここにいてよ…。」

 ふざけたことを考えていると彼女は必死に腕にしがみついて涙をこらえるように唇をかみしめていた。

「…どうした?寂しくなっちゃった?」

 俺には年下の兄弟姉妹はいないので、こういう時どうすればいいのかはよくわからない。本当はよくないとは思いつつおちゃらけたことを言ってしまった。それに咲は何度もうなづいた。何この子可愛い。…ずいぶんとなつかれたものだ。鶴田さんや工藤先生たちがいるとはいえ、病室で一人でいる生活はつらいものだったおかもしれない。

「っ…。」

 咲の頭を左手でなでる。何とかしたいと思う。こんな小さな子が自分を頼ってくれるのだ、そう思わない方がおかしい。けれど、やはりここにずっといるというのは無理な話だ。自分の甲斐性のなさが嫌になる。だから

「わかったこうしよう。」

 ぷにゅっと咲の頬を指で触る。普通なら家族にさえしないであろう親愛のあかし。咲は驚いてこちらに目を向ける。

「咲、携帯を買ってもらえ。」

「へ?」

 いきなりこんな話に代わるのだから咲の反応も無理はない。けれどこちらには相応の理由があったりする。

「携帯があっれば何処にいても連絡が取れるからな。授業中以外なら返信もできるし、ゲームで暇もつぶせる。」

 目を丸くする咲。俺は妖怪ではないのでその心まではわからないが。

「毎日とはいかないが、休みの日はここに来れるしな。それじゃだめか?」

 今のところ俺にできる最高限度はこのくらいだ。県外の進学校に行っていることもあってやはり病院に毎日通うのは難しい。

「うん…分かった。」

 咲も納得してくれた。そういえば、咲の両親が来ているところを俺は一度も見たことがない。あまり来れない仕事とかかもしれない。まあ俺は咲の病室にさえ行かないので仕方ないかもしれないが、もし彼女の両親がnoと言ったら頑張って説得しよう。なんせ俺ほどふてぶてしい男と一緒にいたいと思ってしまうほど彼女は寂しいのだ。そのくらいのわがまま別によかろう。

 咲を笑顔にさせるという初期の目標はすでに達成された。けれど彼女の物語性は消える気配もない。自分にとっては好都合なのかもしれない。空虚とも思える日常から抜け出した気がするのだ。まるで彼女のすべてを利用しているかのような自分が嫌になる。けれどその性はそう簡単に変えられそうにはない。だけどそうしてかかわった彼女が少しでも楽しそうなら、それも悪くはないのだろう。

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