空と月を知らない蕾

藤城 透歌

第1話 彼は名を知り、名を知らず


 少しでも善き処へと。

 より暖かくて、光がある場所へと。

――そう願うのは、現実を見ていないと貴方は笑うのでしょうね。

 永遠を求めた方向性でしかないというのに。



 それは心の問題。

 今もなお繰り返す、つまらない男の器を満たすリフレイン。

 所詮、男は何処までいっても俗なのだ。

 言われた時に気づけない。失った時に初めて理解してしまう。

 その証拠は幾らでも後悔の記憶として並びたち、今もなお色褪せない。その感情の鮮やさが、過去に拘る自分の本質なのだと自嘲する。

 結局、リアリストを気取ったロマンチスト。

 何も見えていないし、自分の見たい自分しか見ていない。

 白も黒もはっきりと応えと本心を出すことのできない、灰色でしかない男。

 そう主に微笑まれて、今なお抜け出せない現実こそ、男を包む夜の正体だ。その主たる娘が、鈴を鳴らすような声で囁く。 

「セラフィ、私は少し、少しだけお話をしてきますので。どうか、退屈と後悔をしていて下さいな」

「御意に、ユメお嬢様。……所詮、後悔するしか出来ない身ですので」

 セラフィ、と言われた男の声に、けれど後悔どころか感情もない。

 それも何時ものことと、ユメと呼ばれた少女はくすくすと音と言葉を残す。

「後悔、後悔。本当にあなたはしているのでしょうか。いいえ、後悔を出来ないことを懺悔しているだけ。贖罪をしながら、新しく罪を犯している。まったく、面白いひとですね?」

「……それしか出来ない身ですので。石を拾って詰み、同じ罪を抱くものにその石を投げ、また贖罪に石を拾って背負う」

「と、思いたいだけ」

 言われて、灰色の男。セラフィは瞼を落とす。

 嗜虐的ではなく、主が真に優しい思いで紡いでいるのだからタチが悪い。

 だからこそ主と認めている。かつての、善き処をといた女性とは別に、畏敬を抱かずにはいられないのだ。

 気品ある花の香りを残して部屋の中へといく主の少女を見送る。摩天楼とも、城とでも言える連結した高層ビルの一棟の屋上。天井まで覆う硝子張りは虚栄の証のようだ。

 ましてや、美しく見せる為だけに光を投げかけるなど。それこそ、今いる自分の世界とその位置が素晴らしいものだと誇示するだけだ。

「……と、考える俺も大抵、ということでしょう」

 この世界は窒息している。と、仰ぎ見る空は遙かなる黒。

 浮かぶ星は天蓋にと投げられた幻影。生きるが為に作られた地下大都市にとっての理想によって紡ぎ出された夜天だ。

 各所やビルの屋上から投影される過去の記録の焼き廻しと、資金を出すものが望む夜空の姿を作っている。星に月だけではなく、雲の一筋さえも。資金と力さえあれば、自分の世界さえ変えてみせたのだから。

 そう、寿命さえも。存在も。自分達がヒトであったことを投げ捨て、己が変わることで世界すら変えてしまった者達の末裔。

「まったく、笑うに笑えません」

 幻が覆って夜空に見せているのは地盤と、支える鉄骨たち。それらをオーロラのように包んで隠すのは優しさだろうか。それとも、ただの欺瞞でしかないだろうか。

 星座を成すひとつひとつの名も覚えていないのに。

 誰しも、この閉じられた地下都市で、本当の星も月も知らずに。

 美しくとも、空虚で。

 物静かながら、傲慢さを匂わせる。

 果てがないのではない。

 果てにきてしまったのだ。

 此処はどうしようもない場所。行き着く場所のない巨大都市。ヒトが潜り、探し、行き着いてしまった地獄というには、何と現実的なものか。

「――ええ、ええ」

 セラフィは灰色の瞳を揺らしながら、男はゆっくりと視線を戻す。

 街には無数にライトアップされて煌びやかなまでに美しい。科学の技術を極めて、突き詰めて、築き上げられたのだから。

 そして、数百年、千年に近い時を経ても、未だにゆっくりとでも成長し、拡大されていく。

 逆に言えば、地下深くにまで求めることなった生活の場所。地上は始祖達の衝突での汚染されきって、自分達でも生き残る事は出来ないという。

 出来ない。出来なかった。だから、夜を探すように、また大地を削って、掘り下げていく。宝石などもうないのに。

 こんな有様を、あのヒトは嫌ったのだろうか。

 などと思い返すのは、セラフィのつまらなさの現れだ。

 退屈と、後悔と。それを飴玉を舌先で転がすように、胸で溢れさせている。それを指摘するものさえついぞいなかったというのが、更にそれを加速させる。

 自閉して自嘲して、加速していく。

 ああ、こんな在り方を嫌ったのだと判るから。


「どうしようもない」


 吸血鬼――血を啜る鬼になったセラフィは嘆息する。

「ここは世の果て」

 壊れてしまった地上の、更に続いた下。

 もう陽の光など遠く、幻影のそれしかない。

「あなたは、さて。どう私を叱ってくれるのでしょうか」

 いなくなってどれぐらいたっただろう。

 その女性の悲しそうに笑う姿は、血よりもなお鮮明に。

 罪たるこの命に、刻まれているのだと、セラフィは感情を締め切る。



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