第36話 1月28日 朝ナマ、地元の反応

 翌1月28日の金曜日、鷹姫は百色(ひゃくしき)とビジネスホテルで食べ放題の朝食を摂っていた。約束して二人で食べているわけではなく、ただ時間帯が重なることと、有名すぎる女子高生議員の秘書と、有名すぎる元海上保安官のそばで食べようという者がいない上、朝のビジネスホテルはテーブルに空きが少ないので、鷹姫も百色も連泊している流れで、いつの間にか、朝食だけはともにしている。そして鮎美が都知事選を応援する予定なので、同じく畑母神(はたもがみ)を応援している百色とは朝食会議のような会話になる。

「閣下の不倫騒動は、お嬢さんのボスが派手な記者会見やってくれたおかげで下火になったぜ」

「ボス?」

「組長の方がいいか?」

「芹沢先生のことですか?」

「おうよ。芹沢組の組長さんのことさ」

「組長……」

 鷹姫は反社会勢力よりも、幕末の剣客集団を思い出しているようで、いつもは乏しい表情を嬉しそうにしたけれど、それほど笑顔になるわけでもない。

「……あれは局長だったはず……けれど、偶然にも初代局長は芹沢鴨……同じ芹沢姓…」

 鷹姫はデザートのプリンとフルーツを食べ、満足して鮎美がいる議員宿舎へ顔を出した。秘書としてスケジュールを告げる。

「本日の芹沢先生のご予定ですが、午前10時より国会、予定通りであれば午後5時に終了。すぐに宿舎へ戻っていただき、お弁当を用意しておきますので召し上がっていただき、できるだけ早く仮眠してください。午後11時30分には起床していただき、テレビ局へ向かいます」

「朝ナマか……ぼんやり見てる側やと夜更かしのついでやけど、出演する方は気合い入れて仮眠せなあかんのやなぁ」

 つぶやきながら鮎美は習慣的に鷹姫のポニーテールを撫でようとしたけれど、その手を途中で止めた。もうセクハラはしない、鷹姫とは議員と秘書、そして友人という関係に留めると自戒したので、撫でたり頬擦りしたりするのは我慢した。もしも男性議員と女性秘書で同じことをやっていれば、すぐに性的関係があると周りに思われるし、もう鮎美はカミングアウトしたので人目のあるところで同性に触れるのも慎重にならなければいけないと考えている。

「私自身の行動は、どちらを優先すべきでしょうか?」

「鷹姫の? どっちって何を?」

「芹沢先生のそばで付き添うことを優先すべきか、いまだ忙しい東京事務所の電話応対を手伝うべきか、です」

「そうやね………。うちが国会に出たら、議場外にいてもらっても、……介式はんは当番なん? 非番なん?」

「当番です。すでに部屋前で待機しておられます」

「ほな、二人で稽古もできんし、事務所を手伝ってやって」

「はい」

「………」

 また鷹姫に触れたくなった。物足りない。いつもなら、胸やお尻に触ったり、うなじを舐めたりするのに、髪に触れることさえ自戒すると、物足りなくて淋しい。

「議場までお伴します」

「……うん……その前に、うちの髪の毛、ちゃんとなってる? 櫛でといてくれる?」

「はい、美しく整っていますが、ときなおした方が良いですか?」

「お願いするわ」

「わかりました」

 鷹姫が髪に触れてくれるのを、せめてもの悦びとして桧田川と三人で廊下へ出ると、介式もついてくる。国会議事堂に着くと鮎美は議場へ、介式と桧田川は議場外で待機し、鷹姫は事務所へ向かった。鮎美は隣席の翔子と私語して、昨日は思いつきにすぎなかったセクハラへ行政罰をかす法整備と、その運用に電子システムをもちいる案を話し合った。昼食時も翔子と音羽も交えて話し合ったけれど、夏子から顔を見て話したいとメールが入っていたので急いで食べ終え、国会の廊下でタブレットを持ってネット回線で県知事と対面会話する。

「いよいよ今夜だね、鮎美ちゃんの朝ナマ出演」

「あっという間でしたわ。いろいろあって」

「まだまだあるよ。アメリカのテレビ局NBCCが取材させてほしいって言ってきたらしいね?」

「らしいですね。牧田はんから報告がありましたわ、今朝」

「牧田さんが条件付きでOKして、その条件が私も同席すること、だってさ」

「加賀田知事を?」

「どのみち話はセクハラ問題とかより、経済学的な連合インフレ税のことがメインになりそうだから、鮎美ちゃんじゃ知識面で不安なとこあるでしょ?」

「ありまくりですよ。うちはサラッと半年勉強しただけの小娘ですもん」

「そこで私の出番、数理経済学が専門だった私を同席させれば、なんとかなる、みたいな発想」

「さすが牧田はん、手抜かり無いわ」

「うん、実際、彼女はすごいよね。鮎美ちゃんの連合インフレ税の発想が海外に素早く伝わるように、きっちり英訳やドイツ語訳したホームページまで用意してくれてるし、昨日には仏語とロシア語、仲国語でまで更新されてたよ。さすが元ジェトロ勤務、コミュニケーション能力も高いし、どんどん海外に発信してくれてる」

「ありがたいことやわ」

「忙しい中スケジュールを空けた私にも感謝してよね。アメリカのテレビに出ても、地元には何もアピールにもならないんだから」

「おおきに、ありがとうございます」

「じゃ、土曜の朝10時からある県の消防団イベントに顔を出して。私と仲良く地元愛アピールに」

「ちょっ、うち今夜、朝ナマですよ?」

「始発の新幹線で十分に間に合うよ。地元愛をアピールしておくのは大切だよ。天下国家、国際社会のことばっかり語っても、民衆はついてこない。何より、朝ナマで早朝まで東京にいたはずの鮎美ちゃんが朝10時には阪本市でのイベントに参加してくれた。これは小さなレジェンドになる。新幹線でぐっすり眠れば若いから大丈夫だよ、頑張って」

「鬼や……あんたのせいで近場に駅がのうて、京都まで乗るのに」

「その分、長く寝れると思って、京都駅から会場まではタクシーの中で寝ればいいよ。政治資金の正しい使い方」

「それは、そうかもしれんけど…」

「連合インフレ税に、どうせ国内の老人議員たちは、すぐには、のってこない。小娘の発想に、生意気な女経済学者が机上の空論をオマケしただけ、そんな風に見てる。だから海外から外堀を埋める。それと同じように私の県政も、まだまだ県議会で自眠が多いから眠主会派との協調と妥協が必要、そこでパフォーマンスでも、自眠の鮎美ちゃんが私とのイベント参加に徹夜明けでまで駆けつけてくれる、っていうのは、とっても大切。ね、お願い」

「わかりましたよ、努力します。……けど、徹夜明けで……新幹線移動……」

「月曜に1ドル82.69円だったドル円相場が、この一週間でジワジワ2円も円高になってるの、知ってる?」

「一応は」

「日経平均は1260円も下がったよね」

「……うちらの記者会見のせいなんですか?」

「金1グラムの価格が4000円を突破したよ」

「各国の紙幣価値の下落を見越して?」

「そう。でも、これは私たちのせいだけじゃない。10年前に1グラム1105円だった金は着実にあがってきていた。有事の円買いと言われるほど、安定してると思われてる円に対して、金は4倍も価値をあげた。有史以来、経済的価値の象徴は金。紙幣や株は紙切れになるけど、金は永遠に金、利息も配当もつかないけど、超安定、絶対的に価値が保たれる。ある意味で連合インフレ税を脱税するなら、金だね。素早いね、超お金持ちたちはさ」

「……」

「この一週間で世界は反応した。鮎美ちゃんが開けたのはパンドラの箱かもしれないよ?」

「……。うちは、まともなこと言うたつもりです」

「そうだよ。でも、まともだからこそ、反応する。タックスヘブンの問題は世界の首脳たちにとっても悩みだった。けど、一方で首脳たちの一部や周辺もタックスヘブンを利用する側の人間だったりする。鮎美ちゃんが言ったのは、そういうこと」

「………」

「ま、これからも、お互い、協力していきましょ。じゃあね」

「はい、また」

 通信を終えた鮎美は午後の国会が終わると、議員宿舎へ戻り早々に桧田川と眠った。夕方から夜中まで眠り、テレビ局に移動する。この時点で本来なら介式は非番になるはずだったけれど、鮎美と同じタイミングで仮眠してテレビ局での警護についてくれる。どうしても男性SPではトイレや更衣室、楽屋などに出入りしにくい場面が出てくるので連続勤務してくれる。鷹姫はテレビ局への同伴よりも事務所での仕事を優先し、今はビジネスホテルで眠っていて、始発新幹線での移動から合流する予定だった。

「牧田はん、お疲れさん。少しは眠ってくれた?」

「2時間ほど」

 ずっと国際電話などの応対をしてくれている詩織は時差のおかげで24時間体制で働いてくれている。そして、今は春風会の代表として鮎美と同じく番組初出演のメンバーとしてテレビ局に来たのだった。控え室に入ると、本日の出演者たちと顔を合わせたものの、ゆっくりと挨拶している時間は、すでに無い。国際経済学者や供産党議員、漫画家、眼科医などで直接の面識はない人たちばかりだった。わずかに畑母神が党代表である日本一心党の元衆議院議員がつながりがないわけではないという程度だったし、その落選中の女性元議員が声をかけてくる。

「おはよう、芹沢先生」

「おはようございます。水田先生」

 事前に鮎美は水田脈実(みずたみみ)のことを詩織から聞いていた。保守的な政党である日本一心党に所属しているだけあって同性愛者に対しては寛容でないらしい。とはいえ、畑母神と鮎美が協調路線を取っているので挨拶は穏やかなものだった。鮎美と水田が何か言葉を交わす前に漫画家が話しかけてくるので応対し、挨拶を交わして一番に訊いてきたのは自分の漫画についてだった。

「鮎美ちゃんさ。ワシの漫画、読んでくれてる?」

「夕方30分ほど予習してきましたよ」

 挨拶を交わしたときに、鮎美ちゃんと呼んでいいと許可したので笑顔で答えた。漫画家として中林よしのぶはガックリと肩を落とした。

「そっか。もう漫画とか読まない世代になってきてるよね。君の歳だと」

「そう気を落とさんといてください。うちが漫画を読まんのは、自分が同性愛者やいうことが大きいですから」

「ほォ? なぜ?」

「だいたいの漫画は男女の恋愛を描きますやん。読んでもつまらんのです。中林先生も男と男の恋愛漫画を読みたいとか、描きたい思いますか?」

「そ、それは勘弁してくれ」

「ということですよ」

 定刻となったので全員がスタジオに入り着席した。スタジオ中央にテーブルがあり、それを囲んでの討論となる番組で、放送が始まり司会者が名乗る。

「司会の畑原壮一郎(はたはらそういちろう)です」

 次に出演者の紹介となる。

「国際経済学が専門の桝添直樹(ますぞえなおき)氏です」

「桝添です。よろしく」

「供産党衆議院議員で弁護士の辻本瑞穂(つじもとみずほ)さんです」

「辻本です」

「漫画家、中林よしのぶ氏です」

「中林です」

「日本一心党の元衆議院議員の水田脈実さんです」

「水田です」

「番組後半のテーマである売春の合法化と風俗産業の適正化について活動されている春風会代表の牧田詩織さんです」

「牧田詩織です。よろしくお願いします」

「眼科医の可山ミカ(かやまみか)さんです」

「可山ミカです」

「史上最年少の自眠党参議院議員の芹沢鮎美さんです」

「芹沢鮎美です。よろしゅうお願いします」

 本日のメインゲストに位置づけられている鮎美へ、いきなり司会者の畑原が質問してくる。

「番組前半のテーマは新しい参議院制度についてですが、今現在ちまたで、もっとも総理大臣にしたい人ナンバーワンと言われている芹沢さんは、どうですか? 総理大臣にならないか、と、もし言われたら? なりますか?」

「国会議員は衆参合わせて1403名ですが、この一人一人が、いつかは自分が総理大臣になるつもりで勉強していくのが本道やと思います」

 鮎美は予想していた質問だったので落ち着いて答えたけれど、さらに追求してくる。

「今ずいぶん言葉を選んだ答えを用意されていましたが、つまり否定しない? 自分が総理になる可能性を」

「…。否定しません」

 ざわつきがスタジオに拡がった。出演者の周囲には一般視聴者が応募で50名ばかり着席している。ざわつきは好感と失笑が混じっていた。畑原は嬉しそうに笑って言う。

「芹沢さん、度胸がありますね」

「いっぺん刺されましたし」

「あの事件、あれも難しいテーマを多く含んでいて触れたいけれど、今は参議院制度に絞りますね。どうですか? 一週間、国会議員として登院した感想は?」

「すでに三年間、クジ引きで当選した先輩方が体験され、一部で正直に述べてはりますし、従来の選挙で選ばれる衆議院の先生方も本音では思てはるでしょうけど、座ってるだけというのは大いに無駄ですね。うちやったら少し制度を変えたいですわ」

「ほォ、どう変える?」

「現状は、代表質問に立つ議員と内閣のやり取りを、ただ座ってみているだけ。ひどいと野次を飛ばしますよね。むしろ、野次は議場の花とか意味不明なこと言うて。あんな風に野次を飛ばしてるくらいなら、いっそ各議員に発言の機会を1会期あたり30分までは与えると制度を変え、ただ聴いているだけでなく、どうにも言いたいことがあるなら、挙手して議長に許しを得て、言いたいことを言うべきです。そうすれば、どうせ座っているだけ、という気持ちから、何か指摘すべきことは指摘せねば、と気持ちが変わり眠気も飛ぶでしょう」

「新しい発想ですね。若干、学級会という気もしますが」

 畑原が言い、桝添が付け足す。

「時間が足りないよ。国会が終わらなくなる」

「誰もが目一杯30分を使うとは限りませんし、そこは議長の差配もあるんちゃいますか。あと、制度を始めるときは一人10分で試験運用してもええやろし。一日あたり60分もしくは120分を限度としてみる手もあります」

 鮎美の意見に辻本が頷いてくれた。

「賛成ですね。開かれた国会には、発言の機会があるべきです」

 その後も議論は鮎美を中心に展開し、前半が終わってCMを流しながらの休憩中に鮎美はトイレに立った。介式と桧田川、詩織もついてくる。

「はぁ…疲れた。後半は牧田はん中心になってくれるとええなぁ…」

「私はディレクターとの人間関係で無理に割り込んだ雑魚ですから。というか、鮎美先生を出演させるのと引き替えに出演してるくらいに番組制作側から思われてますよ」

「せやとしても、後半のテーマは売春合法化やん、頑張って発言してな」

「それも半分は連合インフレ税や赤ちゃん手当の話になるでしょうね」

 女子トイレに入ると介式が個室をチェックしてくれ、そこに鮎美が入って小便だけ済ませて出たのに、詩織が鮎美の手首を握って再び個室へ連れ込み、二人きりになろうとするので介式がドアを押さえて制止した。

「何をしている?」

「鮎美先生とキスしたいなって想っているだけです。個室内で殺したりしませんよ。ご安心ください」

「……」

 介式が詩織から鮎美へ視線を移す。キスと言われて鮎美は赤面していた。

「い、今なん? こんなせわしないトイレ休憩中に?」

「してくれないなら、私はもう仕事を投げ出しますよ。連合インフレ税について海外から賛同者を集めていくための国際的な連絡、私がいなくなったら、とても困るはずです」

「……」

 鮎美が応じる目になったので詩織は介式へ涼やかに言う。

「ということです。二人きりにしてください」

「いや、私も立ち会う」

「……。いいご趣味ですこと、どうぞ中へ」

 三人で女子トイレの個室に入ると、かなり狭い。詩織はキスと言ったのに無線リモコン式のピンクローターをポケットから出した。

「鮎美先生、ショーツを膝までおろしてください」

「キスなんちゃうの?」

「今までの人生に無いほど、頑張って働いてる私にご褒美があってもいいと思いませんか?」

「……。それを……うちの中に入れる気なん?」

 去年まで電マの使い方も知らなかったけれど、スマートフォンを持つようになって大人のオモチャに対する知識も自学自習で少しは得ている鮎美は、詩織が楽しそうに指先で摘んでいるピンクローターが振動して快感を与えてくるものだとは、なんとなく知っていた。

「安心してください。今はクリだけです。ロストバージンは、もっと素敵な夜にしますから」

「……」

「お願いします」

「……ちょっとだけやよ」

 鮎美は諦めて制服スカートの中へ両手を入れると膝まで下着をおろした。介式もいるのでトイレ個室内とはいえ恥ずかしくて顔が真っ赤になる。

「クスっ…、可愛いお顔」

 詩織がピンクローターを鮎美の股間へテーピングテープで固定する。

「これはリモコンで動かせます」

 そう言って詩織はリモコンを操作して微弱で振動させた。

「んっ…」

「いいところに当たっているようですね。背中を向けてください」

「…何をする気なんよ…?」

 時間が無いのはわかっているので鮎美は言われる通りにしつつも不安になる。

「可愛いお尻にキスさせてください」

「……」

 鮎美は詩織へ背中を向けているので介式とは向かい合ってしまい、恥ずかしそうに目を伏せた。詩織はしゃがむと鮎美のスカートをめくり、お尻へキスしてくる。したい気持ちは、よくわかるし、鮎美も似たようなことは何度も鷹姫にしたけれど、するのと、されるのでは感覚が大きく違う。温かい詩織の唇が何度もお尻へ押しあてられる。くすぐったいのと気持ちがいいの、そして何より恥ずかしいので顔が火照って目が潤む。こんなときでも介式は詩織が不審なことをしないか、しっかりと見張っているようで視線を感じる。

「…んっ……く、くすぐったいって…」

「大好きですよ、鮎美先生」

「お尻に話しかけんといてよ。…ひゃうっ?!」

 鮎美はお尻を舐められて身もだえした。唇より温かい舌がお尻を舐め回してくる感触は何倍も艶めかしくて性感を刺激されたくないのに高まってしまう。さらに詩織の舌が割れ目の奥まで入ってくる。

「…ハァ…い、嫌よ、そんな奥まで舐めんといて…」

「芹沢議員は行為を嫌がっている。やめなければ強制わいせつとみなす」

「鮎美先生、ご褒美ください」

「…ぅ~…」

 鮎美は強くは拒否しない。それで詩織は調子に乗る。

「もっと脚を開いて、お尻を突き出してください」

「……そんなカッコ嫌よ…」

「ご褒美をくれないご主人様へお仕えするのは辞めますよ? 私がジェトロへ勤めていたときの同僚が今はIMFにいるのです。明日にも連絡が入ります。私は仕事を辞めるとき、引き継ぎなんて一切しませんから」

「「………」」

 海外経験のある詩織の人脈は大きく鮎美の計画に役立っていて、もともと野党の一年生議員にすぎない鮎美が何を言い出しても絵空事にしかならないはずが、外圧に弱いという日本の特徴を利用して外から変えようとしているので、もはや詩織は欠かせない存在になりつつある。鮎美がクリストファー・コロンブスなら、理論を補完してくれる夏子が羅針盤、そして詩織は帆船だった。船を失って、泳いで新大陸へ渡れるとは思えない。しかも詩織は国際通貨基金にさえ人脈があると言っている。

「私にご褒美をくださるなら、お尻を突き出して、ご自分の両手で広げてください」

「………丁寧に言うてくれてるけど、それ、ほぼ命令やん…」

「芹沢議員、ご命令いただければ、今すぐ、この女を逮捕する」

「鮎美先生、どうします?」

「芹沢議員、どうする?」

「……うちは…」

 二人に迫られて鮎美は恥ずかしさで涙を流しながら、お尻を突き出して自分で広げた。

「フフ、素直なご主人様でよろしいです」

「ううっ…」

「どうですか? 私たちは、まだ肉体関係が無いのに、鮎美先生だけが身体の中で一番恥ずかしい部分を私へ晒している気分は? とっても恥ずかしいでしょう。可愛いお尻の穴、ヒクヒクしてますよ」

「…う~っ…ぐすっ…」

「愛撫してあげますね」

 すぐに詩織が触れてくる。桧田川がゴム手袋で触れてくるのとは、まったく違う感覚だった。優しくても医療処置でしかない桧田川の触れ方と、優しくても性的欲望に溢れた詩織の触れ方では、受け取る側の感触も恥ずかしさも別格だった。そして、詩織の舌が鮎美の中に入ってきた。

「っ?! そ、そんな中に……汚いって…」

「フフ、毎日、桧田川先生から調教されてるだけあって敏感になってますね」

 詩織は舌先を鮎美へ出入りさせつつ妖しく言った。

「ちょ、調教なんか、されてへんし…」

「私の舌を吸ってきますよ。鮎美先生のお尻の穴がキュキュゥって」

 詩織がリモコンのスイッチを入れた。それで前後から刺激され、鮎美は意に反して高まる。どうしようもなく感じてしまい、上半身がふらつくと介式の胸へ倒れ込んでしまった。

「っ…す、すんません。わざとやなくて…」

「……」

 介式は無表情のまま、鮎美の両肩を握って支えてくれた。おかげで、まるで介式まで協力して鮎美を攻めているような体勢になる。介式の力強い手のひらで両肩を握ってもらっていると、脳が蕩けそうな倒錯的気分になってしまう。

「…ハァ……ぅ…ハァ……んっ……も、もう立ってられへんのよ…ハァ…詩織はん、かんにんして…」

「フフフ、では仕上げに入ります」

 詩織はポケットから二つめのピンクローターを出すと、鮎美のお尻へ入れ込んだ。

「んぅ……何を入れたのん?」

「前に貼りつけたものと同じですよ」

「ハァ…ハァ…これ以上、うちに何を…」

 個室の外から桧田川の声が響いてくる。

「いつまでキスしてるの? もうCMが終わったって、スタッフの人が焦ってるよ!」

「すみません! 鮎美先生の具合が悪いみたいで、あと少しかかります!」

 平然と詩織は嘘を叫んだ。

「私が診た方がいい?!」

「いえ! あと少し休めば大丈夫そうです!」

「じゃあ、そう言ってくるね!」

 桧田川が遠ざかっていく。

「鮎美先生、この前、ジェンダーがどうのと変なことを言って腋を処理していませんでしたよね。退院して、ちゃんとキレイにしましたか?」

「……まだよ。……このままにしてみよ、思てるし」

「はぁぁ……」

 詩織が大袈裟にタメ息をついた。

「失望します。がっかりです。残念です。悲しいです。上半身を脱がせたくなくなります」

「……毛が生えるのは自然なことやん」

「もし、宮本さんがヒゲを伸ばしたら、どう感じますか?」

「「………」」

 鮎美と介式が立派なヒゲをたくわえた鷹姫の顔を想像した。もともとポニーテールが髷のようなので、ヒゲが加わると、いよいよ武士に見えてくる。日本刀がよく似合う美青年が想像された。

「……それは、見とうないかも」

 鮎美は同性愛者なので、やはり男性化されると萎える。一部の同性愛者には異性装した同性が好きだ、という性癖があるのは知っているけれど、やっぱり鮎美は女子としての鷹姫が好きだった。詩織もバイセクシャルではあっても、何でもいいわけでもなかった。

「そういうことなんですよ。性的指向、以後の問題です」

「…以後の……う~ん……」

「あんな腋を堂々と見せられると、すごく引くんです。女の子って感じがしないじゃないですか」

「………」

「羞恥心を無くした女の子なんて、知性を無くした人間、鼻を無くしたゾウ、首が短いキリンです」

「「………」」

「鮎美先生には、しっかり羞恥心を思い出してもらいます。さ、ショーツをあげてください」

「……」

 言われるとおりに鮎美は下着を直した。

「では、スタジオに戻ります」

「っ、なっ? まさか、このまま?!」

 思わず大きな声をあげてしまい鮎美は口を押さえた。女子トイレには鮎美たちしかいない気配だったけれど、聴かれたら議員として困るので小声になる。

「まさか、このまま生放送に出演しろなんて言わんよね?」

「言います」

「……」

「さあ、行きますよ」

「……嫌よ」

 無線リモコンで操作されるピンクローターを前に貼りつけられ、後ろに挿入された状態で全国に流れる生放送に出演するなど、とてもできない。トイレの個室内で詩織に舐められるくらいなら、嫌と言いつつも許容範囲だったけれど、今度こそ本当に嫌だった。

「絶対、嫌やし」

「ご褒美をくれないなら何もかも投げ出します」

「……」

 鮎美が困っていると、介式が黙っていられず口を開いた。

「これではセクハラではないか?」

「いいえ、これはセクトレです」

「「セクトレ?」」

「取引ですよ。セクシャルトレード。世界を救う大事業には犠牲がつきもの、それにバレなきゃ鮎美先生もハラハラドキドキで気持ちいい、私も楽しい、いいことだらけです」

「………うちが嫌がってるのに無理強いすんの? うちのこと愛してくれてるんちゃうの?」

「愛していますよ、とっても」

「けど、これやと、ただ欲望の対象にしてるだけやん。そんなん愛ちゃうよ」

「哲学的なことを言いますね。鮎美先生は聖書を読んだことがありますか?」

「一応、そういう学校に行ってるから、パラパラっと全体の100分の1ほど」

「私は一度だけすべて読みました。そして、あの本のどこかにあります。神は愛」

「……そやから?」

「神はいると思いますか?」

「………どちらかといえば、おらんと思うよ」

「ではイコールで結ばれる存在も不存在なのでしょう」

「「……………」」

 鮎美と介式は底知れない詩織の無神論に何も言えない。詩織は続ける。

「男女の夫婦にしても同じです。お互いの欲望にとって望ましい関係であるうちは、いっしょにいますが、そうでなくなれば彼らも離婚しています」

「……そうかもしれんけど……」

「欧州で暮らして感じましたが、私には仏教の説く愛別離苦や諦観の方が説得力を感じますね。ハルマゲドン後の復活と楽園など、ただの願望にすぎません。執着きわまれりですよ、無いものネダりの煩悩まみれ、乳と蜜の流れる約束の地なんて、どれだけ煩悩に溺れる気ですか、ナザレのイエスは無明(むみょう)の亡者もいいところです。生の実相は一度限り、来世も極楽もありはしません。一度限りの命だから一生懸命に生きるんですよ。ヒトラーと同じ学校に通っていた哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは言いました、世界は起こっている事の総体である、それを思考するのが哲学にすぎない、そして、語り得ないことについては人は沈黙しなければならない、と。同性愛者だったかもしれない彼は20世紀の偉大な哲学者に列せられていますが、キリスト教から脱しつつあった西洋思想が至ったのは、怪力乱神を語らず、という孔子の論語程度のことです。つまり2500年遅れなのです、欧米人は、いまだに進化論に抵抗があり否定しようとする人たちです。ありもしない楽園を語り、復活を信じるおバカさん。本当は命は一回限りなのに」

「「………」」

「そして、私は願望に忠実です。鮎美先生の可愛く悶える姿が見たいです」

「………嫌よ……ミュンヘン大学で、いろいろ勉強したんかもしれんけど、めちゃ高度なこと語っておいて、結局は女子高生にエッチなイタズラして楽しんでるだけやん。ウィトゲンシュタインはんもブチギレるわ」

「お仕事、辞めさせてもらいますよ?」

「……ううっ……そうやって、自分の欲望を押し通すんや……うち、本気で嫌やし、怖いわ。こんなん着けられてテレビに出るの、嫌よ。かんにんしてよ」

 鮎美は悲しくなって涙を零した。もう鷹姫へ性的な接触はしないと自戒していくなら、これからは詩織との性的関係も年齢差はあっても悪くないと想っていたのに、穏やかに求められるのでなく、こんな風に迫られるのは悲しい。なのに詩織は自分が不可欠な存在となっていることを最大限に利用してくる。

「そろそろ戻らないと本当に、みなさんが困りますから、覚悟を決めてください」

「……うち、もしバレたら自殺するしな。生きていけへんから、ホンマに死ぬし」

 日本でも世界でも、もっとも注目されている女子高生の鮎美が生放送に性的な玩具をつけて出演し、あまつさえ喘いだりしてバレた日には、もう死ぬしかないと感じる。そこまで鮎美を追いつめている詩織は、とても楽しそうだった。

「バレないように楽しみましょう。二人で」

 そう言った詩織は介式が不快極まりない顔をしているのを流し目で見た。警護対象が目前で性的虐待を受けているのに何もできない。単純な襲撃者なら撃退するのに、介式には立ち入れない鮎美たちの事情があり、どうにも口出しできない。そして詩織は警察組織の一つの先鋭であるSPを無力化していることにも悦びを感じているような顔をしている。介式と目を合わせながら、妖艶な手つきで鮎美の乳房を揉み、首筋から耳まで舐めてみせた。見せつける行為自体も介式へのセクハラでもあるのに、介式がSPとして鮎美に張り付いてトイレ個室まで入っている以上、介式も耐えるしかない。警察の無力さを嘲弄した詩織が涼やかに言う。

「そろそろ戻りますよ」

「「………」」

 詩織に続いて鮎美と介式も女子トイレを出るとスタジオに戻った。すでにCMは終わっていて、かなり迷惑なほど離席していたので畑原が言ってくる。

「ああ、やっと戻ってきてくれましたか。具合でも良くないですか?」

「はい…ちょっと…」

 鮎美は顔を伏せて言う。トイレの個室内にいるときとはローターをつけられている羞恥心がまるで違う。明るいスタジオで大勢に囲まれ、全国へ生放送されているカメラを向けられると、羞恥心が枯れ野へ火を放ったように燃え上がってくる。なのに詩織はリモコンを操作して気の休まる間もないほど頻繁に刺激してくる。介式は心配そうについてきたけれど、テレビカメラの被写界に入る前には足を止め、他のスタッフたちと同じ位置で待つ。後半の議題は売春合法化だったけれど、不確定拠出年金を導入することで合法化を曖昧なまま救済するという解をすでに提出しているので、詩織の読み通り連合インフレ税や赤ちゃん手当など、どうしても話題の中心は鮎美になる。

「…ハァぁ…」

 つらそうに鮎美が熱い吐息を漏らす向かいで水田が発言している。

「赤ちゃん手当、ベビーインカムというのは一見素晴らしいと思いますよ、私も。けれど、やっぱり無責任なセックスを助長すると考えるのです。そのあたり芹沢さんは、どう考えておられます?」

「…ハァ…んっ…」

 鮎美が言い返そうとするタイミングで詩織が振動を強めてくるので思考力が無くなる。詩織はリモコンでは攻めておいて、議論ではフォローに回る。

「その点、私も秘書という立場でよく鮎美先生のお考えを聴いているのですが、若年層の雇用が安定しない中、責任が取れる世帯収入がある世帯がどれだけあるのか。大企業の利益を増大する中、被用者の所得は減り続けている。ここを是正すると同時に、より動物的な観点から助けが必要だと考えるわけです」

「動物的というと?」

 畑原が鋭く問うてくれるので詩織は話を進めやすい。

「動物、とくに哺乳類、その一生を観察しているとき、どこで一番助けてあげたくなるか、どこで助けが必要か、これは妊娠中と子育て期なのです。妊娠中、メスはエサも取りに行けません。ここのフォローをオスが行う場合と、そうでない場合があります。この部分のフォローを公、種集団全体でやってしまおうというわけです」

 詩織の発言へ中林が口を挟んでくる。

「待って待って。動物論よしとしよう。人と動物の違い、そこに人情がある。けど、一方でヒトも動物だ。進化とか、弱肉強食、優勝劣敗ということを考えたとき、マルクス主義のような極度な平等化は、どうなんだろうな? と立ち止まって考えることも必要じゃないか?」

「いいえ、むしろ立ち止まるべきは資本主義社会、偏った極度な競争社会です」

「ハァ…っ…」

 せめて鮎美は賛同を示すように頷いておくけれど、前後のピンクローターが攻め続けてくるので、今にも喘ぎそうで額に浮いた汗をハンカチで拭った。詩織はリモコンを操作しながら真面目な顔で語り続ける。

「今の日本社会で子供を産み育てられる世帯というのは非常に限られてきます。これだけでも集団としての総数が減るという問題があることは、すでに認識されていますが、再生産を行う世帯の性質が非常に一様になってくるというのも問題です」

「っ…ハァ…」

「一様というと? …芹沢さん、大丈夫? やっぱり具合悪いかな。ドクターいたよね。診てあげて。で、一様というと?」

 畑原は番組に影響がでないよう議論を進めながら桧田川へ手招きした。それで桧田川はテレビカメラの被写界に入って鮎美へ近づいて診るけれど、トイレの個室内では詩織と鮎美がキスしたくらいとしか認識していない桧田川の問診へ鮎美が、大丈夫です、と答えると聴診器をあてるわけにもいかないので、それで番組スタッフたちと同じところへ戻る。詩織はリモコンを操作しながら議論を続ける。

「食える職業に就いている人だけ、あと、ごく一部の才能があって運もあった成功者だけが子供を産み育てられる経済力をえるわけです。これが繰り返されると、クジャクの尾羽が美しくなるように、この能力が秀でていくという進化圧をかけることができますし、それは一つ肯定されることです。けれど、この一つの肯定のために他はほぼすべて否定されてしまいます。一つと言いましたが、才能があって運もあった成功者の子が、また成功するということは今の社会、ほぼ無いですよね。漫画家の子が、また漫画家になって成功している例、私は知りません。ありますか、中林先生?」

「いやぁ、ワシらは他の先生方には、あんまり干渉せんし付き合いも薄いから。それにアニメ化されたヒット作を出したような漫画家でもね、ずっと食えてるかというと、食えてないというのが実体だよ。漫画家なんてのはヤクザな仕事で、使い捨ての消耗品みたいなもんだよ。漫画家で安定して子育てしたなんてのは、ほんの一握り。あとは転職して、たぶん、まあ、それほど望むような仕事には就けてないだろう」

「歌手の子が歌手、ダンサーの子がダンサーというのも、成功例は希有です。けれど、この二代目が保護されていれば、三代目で、また面白い作品なり素晴らしい歌声などを発揮するかもしれない。なのに、安定して再生産できるのはコツコツ働く正社員型の人間ばかり。このタイプの人間ばかりになったとき、その社会は多様性を失い、とてもモロくなります。大きな変化が外部環境にあったとき、それについていけず、受け止める幅としての多様性がなく、ポキッと折れてしまいます。それこそ巨大化しすぎた恐竜のように」

 詩織へ畑原が突っ込む。

「ってことは、つまり役に立たないことをしてる人間にも子供を産ませようと? その性質を残してもらおうと?」

「そうです。今は役に立たなくても、何か変化があったとき、それは役立つかもしれません。もっと単純に早く走る能力というのは動物の中では、それなりに役立つ大切な能力ですが、この能力で今の社会で食べていける人はオリンピックに出られるような、ごく一部の層ですよね。この層が王族のように一夫多妻でドンドン子供を産めば、それは一つの進化の方向性になりえますが、実際には一夫一婦の国が多く、また多子であっても、せいぜい10人を超えません。なのに、オリンピックに出られなかった層、各国の候補選手レベルの層は、かなり脚が早いのに十分な経済力をえられず再生産できないなら、そもそも種全体の中で脚が早いという層は消失していくでしょう。これでいいのか? というわけです」

 中林が言ってくる。

「牧田さんは売春合法化が持論らしいけど、一夫多妻制も否定しない?」

「むしろ肯定します」

「おお! 珍しいね、女性なのに。けど、一夫多妻制は実は男性に不利なんだ。これ、あんまり知られてないけどね。力のあるオスが複数のメスをえるとさ、あぶれるオスが絶対いるんだ。女だってさ年収3000万円の旦那の第二婦人か、年収200万の男を独占するか、と問われたとき恋も愛も無(ね)ぇ! お金だ! となるわけだ」

「男性の魅力はお金だけではありませんよね。ハンサムな顔立ち、素敵な仕草、不思議とときめく匂い、足の速さでもいいですし、ダンスの巧さ、私を軽々と持ち上げてくれる筋力というのも魅力です。でも、これらの魅力は現代社会では評価されにくいものです。そこに赤ちゃん手当があれば、女性は魅力的と感じる男性と子供をつくることができます」

「…んぅ…」

 とうとう鮎美が絶頂してしまい、身震いしつつヨロめく。

「…ハァ…ぐすっ…」

 全国に放送されている番組中に性的な絶頂を迎えてしまい、泣きそうになった。少し詩織がリモコンで攻めるのを止めてくれる。水田が挙手して発言した。

「芹沢さんがいる前で言うのは気が引けますが、ちょうど赤ちゃん手当の話になったので言いますけれど、LGBTの方々というのは、やはり生産性に欠けると思うわけですよ」

「……」

 鮎美はぼんやりと聞き流したけれど、畑原が意見を求めてくる。

「今、水田さんが言ったこと、芹沢さんは当事者の立場で、どう思います?」

「…ハァ…ただの役割の違いやと思います。…すべての男女が結婚すべき、と考えるのも間違っているように。また、望んでも子供ができない不妊症の夫婦がいるように、社会の中で、すべての個体が子育てを行わなくても、それぞれに分業して何らか社会に寄与できればよいし、まったく寄与できない障碍者も、その存在を否定されるべきでないと考えます。っ…、それゆえ合計特殊出生率を維持しようと思えば、健康に出産できる夫婦は4人、5人と産んでいただくのが望ましいですし、それをサポートしようと思ったら産まない層の人間が別の働きをして社会を維持し、赤ちゃん手当の財源になればよいかと思います」

 ずっと思い悩んできたことへの答えの一つなので鮎美は一息に話したし、途中で詩織に攻められても耐えた。

「芹沢さん、そう言ってるけど、水田さん、どう?」

「けれどね、トランスジェンダーなんかも、いろいろあって、トイレの問題もあるじゃないですか。学校に男子トイレ、女子トイレだけじゃなくて、そういう子たちのトイレも作ろう、それを無駄とは言わないけれど、生産性が落ちることにつながるわけですよ。男は男に産まれたら、ずっと男でいればいいわけで、女は女、そう割り切っていくべきというのが道徳だと考えますよ」

「芹沢さん、どう?」

「うちが東北新幹線や水俣病のことを、よく勉強せんと勝手なイメージでしゃべったら見当違いのことを言うかもしれんように、よく知らんことをテキトーに言うたら、こんなもんかと思います」

「っ、それは私が不勉強ってこと?!」

 水田が怒ったので鮎美は、うっかり思ったまま言ってしまったことに気づいた。注意力が散漫になっているのは詩織のせいなので一睨みしてから、水田に謝る。

「すいません。……言い過ぎました。ただ、トイレの問題、多目的トイレや、誰でもトイレ、身障者トイレなんかは、きわめて必要度の高いものです。たまたま自分が健康やからといって、いつか世話になるかもしれん…ハァっ…。うち自身も刺されて、やや不自由があって、初めて思い知るわけですよ。多目的トイレが一つでは長く塞がってるとき、とても困る。トイレを失敗するとね、ものすごく悲しいんですよ。これ、体験したもんでないとわからん思います。まして中学生、小学生やったらクラスでからかわれるし、不登校になると思いますよ」

 中林が言ってくる。

「ウンコ、シッコってのはギャグマンガの基本ネタだからな。どんな美少女でも漏らしたらクラス内でのポジション激変して失脚するから。がははは! ワシもよく漫画のネタにしたよ、クラスのアイドルだろうが、超お金持ちのお嬢様だろうが、クラスメートの前で小便漏らしたら、ただのシー子、汚ジョー様に成り下がるからな」

「……」

 鮎美が冷たく睨むと、中林は目をそらして口を慎んだ。

「別にトランスジェンダーに限らず多目的トイレは、もっと多く作られるべきです。今は健康な人も病気や事故で不自由になるかもしれんでしょ。いっそ、トイレを男女別に作るのはやめて全部個室にしたらええとも思います。小さいコンビニなんかやと、そうですやん。覗きなんかの問題は実は同性愛者の痴漢が存在することを思ったら、個室の上下をしっかり封鎖することで解決しますし」

「ごめん、睨まれたばっかで悪いけど、もう一回。男はさ、小便は立ってしたい生き物なんだ。全部、個室になったら悲しいぜ」

「立って…ですか……」

 鮎美には兄弟もいないので感覚がわからない。思い出す姿といえば、父の玄次郎が釣りの途中で琵琶湖に立ちションしている背中だった。そして、夏子は知事選中にパフォーマンスとしてなのか、地元愛をアピールするために鬼々島からみて下流である阪本市の湖岸で琵琶湖の水を汲んで飲んでいた。とても父の所業は夏子に言えないけれど、100万県民と観光客の中には、玄次郎のようなことをする男性はそこそこにいる気がする。いくら水質検査の上で人体に有害でないからといって、鮎美には真似できないアピールの方法だった。鮎美が中林に問う。

「それって重要なことなんですか? 男の人にとって」

「かなりね。ああ、男だ、ワシは男なんだ、と思うから。とくに外ですると、たまらんな」

「外で…」

 鮎美は山頂で我慢できずに排泄したことを思い出した。たまらなく恥ずかしい思い出でしかないけれど、おそらく陽湖と自分の胸の内だけで外部に漏れることはないと考えている。中林が真面目な顔で続ける。

「あと個室の上下を完全に封鎖するというのも覗き対策にはいいけど、安全な日本だから言えることで海外なんかだと、テロの関係もあって扉は、かなり小さい。足元と立てば顔も見えるくらいの扉なんだ。男のワシで男子トイレでも、ちょっと最初は抵抗あるくらい外から丸見えだから、海外旅行だと、なるべくホテルの部屋で済ませてたよ、大は」

「男の人って小は平気で外でするのに、大は見られるの嫌なんですか?」

「あれはカッコ悪いからな」

「小はカッコいいつもりなんですか?」

「うむ、堂々たるものだ」

 桝添が鮎美へ言う。

「男全部がそうじゃないよ。都会育ちだと立ちションに躊躇いあるから」

「男性の羞恥心も多様なんですね。…ぅっ?!」

 しばらく攻めてこなかった詩織が、いきなりリモコンを前後とも最大にしたので鮎美は座ったまま前屈みになり身もだえした。

「っ…ハァぁ…っ…ぁぁ…」

 喘いでしまうと畑原と中林が心配する。

「芹沢さん、大丈夫? 痛みますか?」

「刺されても出演してくれるなんて、いい度胸してるけど、無理はしないでくれよ」

「は…はい…平気です…」

 そこから15分間、番組が終了するまで、ずっと最大のまま刺激された。万が一にもモーター音をマイクに拾われると死ぬしかないので鮎美は両膝をピッタリとつけて前に貼りつけられたピンクローターを押さえつけて防音したけれど、そのために振動はモロに感じることになる。前後のローターによる同時攻撃で何度も絶頂してしまい、それを表情にも出さないことに全力で努力し、放送終了と同時に詩織がオフにしてくれたので、テーブルに突っ伏した。

「…ハァ……ハァ……」

「お疲れ様です」

 白々しく詩織が言ってくる。介式と桧田川も近づいてきて介抱してくれた。あまり他の出演者と会話して気づかれたくないので、すぐにテレビ局を出る。地元へ戻るために東京駅に行く鮎美と介式、桧田川たちと、東京に残る詩織は別々のタクシーに乗るけれど、別れる前に詩織がリモコンを渡してくれる。

「ご褒美をくださったお礼に、これは差し上げますね。ご愛用ください」

「……」

 鮎美が黙り、桧田川が驚く。

「あ! 様子がおかしいと思ったら、こんなイタズラしてたの?!」

「私がプレゼントした物を宮本さんと使われるのは悲しいですけれど、向こうで淋しいとき、私を想ってお一人で使ってください。もしくは、何も知らない月谷さんにでも頼んでスイッチを操作してもらえば、とても楽しめますよ。あの誰よりも敬虔な信徒さんに、それと知らせず刺激してもらうのは背徳の極み、神への挑戦だと想いませんか?」

「……ろくなこと考えんなぁ……あんたサタンの化身やわ」

「フフ、仕事は真面目にしますよ。IMFが反応してくれれば、いよいよ日本政府も芹沢鮎美を無視できない。今週、10兆円の女と言われた芹沢鮎美は来月には100兆ドルの女、そして、すぐ世界のアユミです」

「…そんなお笑い芸人みたいな…」

 鮎美がリモコンを受け取らずにいると、詩織はスカートのポケットに押し込んできた。

「では、また来週」

「…仕事の方、しっかり頼むよ…」

 詩織と別れて東京駅に着いた鮎美は桧田川と多目的トイレに入る。介式もいっしょに入ってきたし、長距離移動なので連絡を受けた男性SPも2名、トイレ外で合流し待機している。鮎美は鷹姫と合流する前にピンクローターを身から外しておきたかった。

「…う~……このテープ、なかなか剥がれへん。桧田川先生、悪いけど剥がしてもらえますか?」

「あらあら、こんなテープで貼られて」

「これ、どういうテープなんです?」

「捻挫とかしたときテーピングするテープだから粘着力は強いし、汗にも強いよ。粘液にも強かったみたいだね」

「………」

 鮎美は恥ずかしくて、また赤くなる。

「人体に使用する物としてはナイスチョイスだから、肌にも優しいし固定力も高くて牧田さん、よく考えてくれてるね。毛も剃ってあるから剥がすとき、抜けて痛くないし」

 桧田川は丁寧な手つきでテープを剥がしてくれた。そして珍しそうにピンクローターを見つめる。

「ネットで見たことはあるけど、こういう物なんだ。これってリモコンで動くの?」

「はい」

「ちょっと貸して」

「どうぞ」

 鮎美はポケットにあったリモコン2つを桧田川へ渡した。

「これがスイッチかな」

 桧田川が操作すると摘んでいるピンクローターが振動した。

「うわぁぁ……ブルブルする……初めて見た。この振動が気持ちいいんだ?」

「……」

 鮎美がノーコメントでいると、つい好奇心で桧田川は、もう一つのリモコンも操作した。

「っ…ちょ、やめてくださいよ! それ、まだ、うちの中に入ってるんやから!」

「クスっ、今、ビクってなった。可愛い。面白い!」

 同性愛指向はないのに、つい楽しくて桧田川は何度か遊んでからゴム手袋をつけた。

「名残惜しいけど、取り出してあげるよ」

「すんません」

 鮎美は恥ずかしそうに前屈みになる。今までの医療行為と違い、大人のオモチャを体内から出されるのは、とても恥ずかしかった。いっそ捨てようかと思うものの、駅のトイレに捨てるのは憚られ、ビニール袋に入れてからカバンに収めた。多目的トイレを出ると、始発時刻も近づき、鷹姫も制服姿で現れる。

「おはようございます」

「おはようさん」

「「おはよう」」

 桧田川だけでなく介式も今はトイレ内以外は非番となり緊張が解けているので挨拶してくれる。警護は男性SP2名が行ってくれている。人の少ない早朝の東京駅だったけれど、始発に乗る乗客はそれなりにいて新幹線ホームには列もできている。鮎美たちは指定席なので、ゆっくりと乗車した。鮎美は鷹姫に隣りへ座って欲しかったけれど、警護のしやすさから男性SPが隣りへ座ったし、前後も介式と男性SPだった。行きが6名のSPに囲まれていたことを思うと、ものものしさは減った。

「……はぁ……やっと一週間が終わるって気分やわ……。地元か……カムアウトして一週間……東京では思ったより反応なかったけど……田舎では、どうかな……」

「「「「「……………」」」」」

 男性SPはもちろんのこと、介式や桧田川、鷹姫も、どう言っていいか、わからない。

「まあ、悩んだって仕方ない。出たとこ勝負や。寝て体力温存しとこ。どうせショック受けるようなこと、なんべんか誰か言いよるやろ。いちいち気せんと忘れたるわ」

 そう言いながら目を閉じて、京都駅まで眠った。京都駅からは夏子に招待されている県の消防団が主催するイベントに参加するため、タクシーで県境を越える。タクシーの後部席中央に鮎美が座り、警護のため左右に男性SPが座り、介式は休息も兼ねて助手席にいて、鷹姫と桧田川は別のタクシーに分乗している。

「……す~………」

 新幹線でも熟睡していた鮎美はタクシーに乗ってからも深く眠っている。介式も連続勤務による注意力低下を避けるため、今は部下に警護を任せて目を閉じていた。

「「………」」

 とくに大きな危険は想定されていないけれど、二人の男性SPは鮎美が無防備なので、やや緊張している。男性を意識しないからなのか、それとも習慣なのか、眠っている鮎美は鷹姫へもたれかかるときと同じように男性SPの肩を無意識に枕としていて、若い女性独特の香りが立ち上っているし、じわじわと姿勢が崩れてきたためにスカートの裾も乱れてきている。桧田川や鷹姫であれば黙って直してあげたかもしれないけれど、やはり男性として勝手にスカートの裾へ触れるのは怖いので、鮎美の太腿は見ないようにして、あるはずが無いとは思っていても狙撃の可能性などを想定してみて気を紛らわせていた。

「芹沢議員、そろそろ到着します」

 男性SPが嬉しかったような緊張して苦痛だったような時間を終え、イベント会場である琵琶湖に面した広い公園が見えてきたので、もたれかかってくれている鮎美を揺り起こした。

「ん~………あ、すんません」

 起きた鮎美はもたれかかっていたことを謝り、めくれあがっていたスカートを座り直しつつ整えた。それから手鏡で寝癖や着乱れがないか自己チェックした。タクシーがイベント会場に到着すると、まずはSPたちが降りて安全確認し、ゆっくりと鮎美も車外へ出る。

「……」

「あ、鮎美ちゃんよ!」

「鮎美が来たぞ!」

 やや離れていても人々の声は聞こえる。大勢が集まっている。主に県内の消防団員と、その家族で千人はいる。今までなら群がってきてサインや記念撮影を求められたのに、SPがついているからなのか、それとも鮎美が同性愛者だと世間に公言したからなのか、誰も近づいてはこない。

「歩いてるぞ」

「歩けるのか」

「夕べ朝ナマで、お腹、痛そうだったのに」

「朝ナマって東京で撮ってるんだろ? よく来れたな」

 夏子の狙い通り、未明まで東京にいて登場したのは受けが良いようで色々言われているけれど、おおむね好意的で同性愛者を嫌うような発言は聞こえてこない。鮎美は県民たちに手を振った。

「おおきに、おはようございます」

「退院おめでとう!」

「頑張ってくれや!」

「おおきに、頑張ります!」

 晴々とした笑顔で返答して用意されたステージへ登り、来賓の列につく。来賓は県知事たる夏子や参議院議員としては昨夜のうちに帰県していた直樹、そして数名の衆議院議員と県会議員、阪本市の市長で、だんだん見慣れた顔という気がしてくる。夏子が明るく駆け寄ってくれる。

「来てくれて、ありがとう! 夕べ、かなり痛そうだったけど、ホント大丈夫?」

「ご心配をおかけしました。もう大丈夫です」

 苦痛に喘いでいたのではなく、快感と羞恥心に喘いでいたとは、絶対に言えないので曖昧に答えつつ、二人でステージ上から開会の挨拶をすると、音だけの花火があがり、公園から見える湖上に停泊していた消防船が大きく放水して水流のアーチをつくった。真冬の陽光を反射して虹ができると観衆から拍手が起こる。イベントは無事に始まり、長年の消防団活動を勤めた人を表彰したり、放水演習を披露したりと、例年通りの流れで進んでいく。今までならステージ上でパイプ椅子に座っている鮎美へカメラを向ける者は多かったけれど、下手にパンチラを撮ってしまい怒られると怖いので撮影も控え目だった。

「………」

 うちが同性愛者やってカムアウトしても、ぜんぜん以前と変わらんにゃね、覚悟してたのに拍子抜けやわ、と鮎美は安堵していたけれど、お昼過ぎになってブラックバスの天丼を食べた後、便意を感じて桧田川の白衣の袖を黙って恥ずかしそうに引いた。それで桧田川も気づいてくれる。

「あ、お尻の穴を気持ちよくしてほしくなった?」

「ぅ~……そういう言い方、せんといてください。ドクハラですよ」

 小声とはいえ言われたくないので鮎美は主治医を睨んだ。

「ごめん、ごめん。介式警部、トイレに行きます」

「了解した」

 三人で公園の多目的トイレに入る。

「……寒っ……」

 下着をおろしてスカートを完全にあげて処置を受けていると、寒くてお尻が凍りそうだった。

「もっと力を抜いて。掻き出しにくいから」

「そんなこと言われても寒くて。これ高齢の身体障碍者やったら命にかかわるかも。けど、予算には限りがあるし、屋外トイレまで暖房しとったら予算にもエコにも問題あるなぁ」

 いつもより時間がかかっていると、となりの男子トイレから天井に反射した声が響いてくる。公園のトイレは多目的トイレが中央にあり、その左右に男女のトイレがあって高い壁はあるものの、天井付近は共通の吹き抜け空間になっているので声が響きやすかった。

「あの鮎美ってレズなんだろ?」

「「「……」」」

 鮎美と桧田川、介式は簡単に声が響く構造なのだと天井を見上げた。また男の声が響いてくる。

「らしいな。可愛い顔してんのに、もったいないよな」

「ヤらしてくれねぇかな」

「チンポ突っ込んだらレズ卒業するかもよ」

「お前のチンポじゃ物足りないだろ」

「うっせー! オレの舌技は神の領域だ。豊郷小のペロリストと呼ばれた妙技、鮎美マンコに決めてやるぜ」

「お前それ給食を食べるのが早かっただけじゃん。しかも早食いしすぎて、一回死にかけたよな。食パンを一気食いして喉に詰めてさ」

「何度でも蘇るさ!」

「蘇らせてくれたのは教師のおかげだろ。あのババァ、お前の喉に手ぇ突っ込んでパンの固まり掻き出してさ。ブチューって人工呼吸して、お前の顔、あのババァの口紅まみれになって。ククク、今思うと笑えるな。あれファーストキスだろ」

「くっ……オレの黒歴史だ。どうせなら、鮎美にキスされたかった」

 聴いていた鮎美が顔を伏せて右手で唇を押さえ肩を震わせたので、桧田川と介式は泣いているのかと心配したけれど、鮎美は笑いを我慢しているだけだった。

「……プフ、…アホや…クク…」

「救命処置が、とっさにできる人と、できない人の差は大きいよ。笑い事で済んでよかったよ」

 小声で言いつつ桧田川は処置を再開する。男子トイレにいた男たちは小便だけのようで、女性ではありえない速さで、すぐに立ち去り静かになったけれど、今度は女子トイレから声が反射してくる。

「鮎美ちゃんってさ、高校生のくせに言うこと難しくない? セクハラ写真で訴えるのはいいとして、連邦インフル税って何あれ?」

「連合インフレ税よ。あなたインフレの意味知ってる? インフレーションの」

「知らない」

「それ知らない人に、あの仕組みを語るのは二時間かかるよ」

「ふ~ん、あれってレズと関係あるの?」

「ない!」

「赤ちゃん手当とか言ってるけど、自分がレズじゃ無意味なのにね」

「男が嫌いなのかもね。赤ちゃん手当があったら、ムカつく彼氏と暮らさなくても、自分だけでギリギリ子育てできそうだし」

「けど、保育園に入れたらもらえないんでしょ?」

「もう一人産めばいいじゃない。3年ごとに産めば9年くらい税金で暮らせるよ」

「それ国が破産しない?」

「だから連合インフレ税なの」

「イミフゥ~。それよりさ、鮎美ちゃんの恋人っているかな。今日も3人も連れてたよね。女医さんと同級生秘書と、キツイ感じのスーツの人。あの中で、どれが本命だと思う?」

「どうかな。好みもあるけど、確率的には同級生じゃない? でも、私がレズだったら、あのキツイ感じの強そうな人かな、守ってくれそうだし。けど、女医さんもいいよね。養ってくれそう」

 桧田川は処置を終えゴム手袋を外しながら小声で言う。

「自分で働け」

「「………」」

 鮎美と介式は黙って多目的トイレを出て、桧田川も続いた。屋外トイレから十分に離れてから鮎美が言う。

「トイレって人の本音が聴けてオモロいわ」

「人間はトイレで物理的な排泄だけじゃなくて心からも排泄するのかもしれないね」

「ですね。さて、そろそろ、このイベントは終わりにして、次は…」

 鮎美は目で鷹姫を探した。近くの屋台でタコ焼きを買っている。地域のイベントではなるべく買い食いして、とくに手作り屋台のお店にはお金を落とし、愛想良く美味しかったと言っておくよう静江から教育されているので、遊んでいるわけではなく勤めを果たしている。近づいた鮎美が入院中のように口を開ける。

「あーん」

「どうぞ」

 鷹姫が爪楊枝でタコ焼きを食べさせてくれた。

「うん、美味しい! おっちゃん、めちゃ美味しいよ!」

「そうかい。ありがとうよ」

 感じ良く屋台の店主と別れて、タクシーを2台呼んだ。

「鷹姫、次の予定は?」

「はい、三上市で開かれている道の駅オープン3周年記念イベントへの顔出しです。すでにオープニングセレモニーは終わっており、挨拶などはありませんが、なるべく買い食いして顔を売っておくようにとのことです。すでに石永さんたちは参加されているようです」

「政治家ってダイエット難しそうやなぁ」

「タコ焼き、まだありますよ」

「……。鷹姫が無理ないなら、食べておいて」

「はい、では、いただきます」

 タクシーが来るまでに匂いの強いタコ焼きは食べ切り、三上市の道の駅に移動した。ごく普通の道の駅で、大きな駐車場とトイレ、お土産物店、レストラン、芝生広場があり、駐車場と芝生広場の一部に屋台が出ていて、地元の市議や市長も顔を出している。県のイベントよりは小ぶりなので優先順位は低く、国会議員は誰も来ておらず、落選中の石永は気さくに屋台の手伝いをしていた。

「お、芹沢先生、やっと来てくれたな」

「タオルハチマキ似合てますよ」

 石永が焼いているヤキソバは美味しそうだったけれど、安価で順番待ちが出るほど人気なので、あえて売れて無さそうな屋台へ脚を運ぶ。やや高価な川魚の丸焼き屋台の売り子が頑張って声を出して集客していた。

「アユの塩焼き、いかがですか?」

「…。そっちのイワナの塩焼き、もらえますか?」

「こちらは、あと3分かかりますが、よろしいですか?」

「うん、ええよ」

 鮎美がアユを避けたので桧田川が問う。

「芹沢さん、アユが嫌いなの?」

「嫌いやないけど、自分の名前が因んでるもんを食べるのは、なんか縁起が微妙ですやん。串刺しにされて丸焼きやし。料理で出たときは残さず食べますけど、あえて選ぶのはやめてます」

「ふーん、あ、私はアユの塩焼き、一つちょうだい」

「介式師範、今は非番ですか?」

「ああ、芹沢議員のトイレ以外はな」

「では、いっしょに食べませんか?」

「そうだな。芹沢議員、私が30分ほど、離れてもトイレは大丈夫だろうか?」

「はい。おおきに。けど、あんまり大きい声で言わんといてください。みんな食べ物を売ってはるんやし、なにより、うちもレディーですから」

 あまり大人数で移動しているとSPのものものしさがイベントの雰囲気を壊すので別行動を取り、鮎美には桧田川と男性SP2名がついてくる。魚を食べてから会場を巡ると、静江と陽湖も来ていた。

「芹沢先生、…歩けるようになったのですね」

「シスター鮎美、元気になってくれて、本当に良かった」

 静江が女性同性愛者を嫌っていることは忘れていないけれど、わずかに会話の間があったくらいで、再会に大きなぎこちなさは無かった。陽湖の方には、ずいぶん以前から告白していたので、とくに変化はなく、回復を喜んでくれている。

「うん、おおきに。この通りよ。飛んだり跳ねたりはできんけどね」

 また大人数で移動することになったけれど、陽湖と静江は物腰が柔らかいので、人が寄ってくる。鮎美へ次々と市民が声をかけてきた。

「芹沢さん、サインください」

「いっしょに写真を撮ってもいいですか?」

「夕べ、テレビに出てましたよね」

 一人一人へ丁寧に対応しているうちに日が傾き、タクシーに乗ると疲労感を覚えて、すぐに眠った。

「芹沢議員、港に到着しました」

「あ……また、すんません」

 鮎美は再びもたれかかっていた男性SPに謝り、連絡船で自宅へ19日ぶりに帰る。連絡船で同乗した島民や、島の港ですれ違った島民たちは、みな一様に鮎美の回復を祝ってくれたし、表面的には政治活動の内容や鮎美の性的指向については何も触れてこなかった。介式たちSPは自宅前まで警護して言う。

「私たちは近くの宿泊施設を探す。この島の状況からして夜間警備の必要度は低いと判断されるが、芹沢議員が望まれるのであれば、玄関前へ一人、歩哨に立つ」

「この寒いのに、そんな気の毒なことさせられませんよ。どの道、犯人も捕まってますし、もう連絡船が無いんで、この島に出入りできるのは漁船をもってるもんだけです」

「そうか。では、明日朝9時をもって警護を終了する予定であったが、現時刻をもって終了する」

「え……終わりなんですか?」

「終わりだ」

「そうですか。長いこと、ありがとうございました」

 自然と鮎美は握手するために右手を出したけれど、介式は一瞬迷い、鮎美が手を引こうとしたものの、その前に握手してくれた。介式と握手を終えると、鮎美は2名の男性SPとも握手を交わした。そして、気づく。

「あ、宿泊施設って……もう予約されてます?」

「いや、これから探す」

「………。鷹姫、あるの? この島にホテルとか」

「ホテルはありませんが、民宿なら2件あります。ですが、予約は食料品仕入れの関係で1週間前までの受付と聞いたことがあります。素泊まりでも当日夜で受けてくれるか、どうか……民宿といっても、本当に普通の民家ですから」

「「「………」」」

 東京とは宿泊施設の整備が、まるで違う離島の状況にSPたちは、やや困惑した。いろいろな地域の要人を警護した経験はあるけれど、ここまで特殊な環境は無かった。直線距離なら、ほんの数キロ先にビジネスホテルはあるのに、そこへは船でないと行けない。その困惑は大阪で育った鮎美も理解できるので介式たちのために考える。

「うちの家は桧田川先生に泊まってもらうし……」

「剣道場でよければ、私のところへ泊まってください。何人でも大丈夫です」

「すまない。お願いする」

「介式師範、今から非番になるのでしたら、稽古をつけていただけませんか?」

「ああ、いいぞ。望むところだ」

「道具はすべてそろっています」

 かなり合宿気分で鷹姫たちが立ち去り、鮎美と陽湖、桧田川が芹沢家に入る。

「ただいまー」

「ただいま帰りました」

「お邪魔しまーす」

「やっと帰ってきたな」

 玄次郎が嬉しそうに居間から言い、美恋がエプロン姿で台所から出てくる。

「おかえりなさい。鮎美」

「母さん、父さん、心配かけて、ごめんな。まだ飛んだり跳ねたりはできんけど、元気になったよ」

「ああ、よかった。本当によかった。……抱きしめてあげたいけど、……」

 美恋は自分の下腹部を撫でた。それで鮎美も思い出す。

「妊娠、どうなん?」

「昨日、確定されたの。まだ小さい小さい影だけど、超音波検査にも映ってくれて」

「よかったやん! おめでとう!」

「おめでとうございます」

 初診した門外の医師として桧田川も祝った。五人でのめでたい夕食となり、政治や宗教、性的指向の話は一切せずに、産まれてくる弟か、妹の名前や鮎美と何歳違いになるのか、といった話題で穏やかに時間が流れ、入浴後に鮎美が一人で自室にいるとき、玄次郎がノックして入ってきた。

「まだ起きてるか?」

「まあね。何?」

「いきなり兄弟ができること、本音では、どう思っている?」

「率直な質問やね」

 鮎美は、よく国会周辺で自分が言われることを父へ返した。

「ええことやと思うよ。めでたいやん。うちが抱っこしてたら、うちの子供に見えるかもしれんくらい歳が離れてそうやけど」

「あきれていないか? 年甲斐もないと」

「別に。……経済的には大丈夫なん?」

「ああ、鮎美が大学に行かないことが確定したから、問題ない」

「それならええやん」

「さらに、あと一人、二人、産ませようと考えていると言ったら?」

「え……? 今から三人目とか考えてんの? ………父さん、赤ちゃん手当て狙い? あれ、すぐには実現せんよ。月曜には今年度予算案が衆議院の予算委員会で審議入りするし、そんな一朝一夕に変わるもんやないから、あんまり期待されても……」

「そうじゃないさ。オレの狙いはな、子育ての忙しさだ」

「忙しさ?」

「母さんはヒマになりすぎた。島にはパート先もないし、鮎美も親離れして、やることが本当になくなってしまった。おかげで誘われて教会に行くようになって影響を受けたけど、子供が産まれてみろ、おっぱいだ夜泣きだと、忙しくて礼拝どころじゃない。で、3歳くらいになった頃、また妊娠させれば大忙しで宗教参加は育休が続く。そのうち忘れるだろう、という作戦だ」

「………」

 鮎美が親指を立てて、にっこりと笑顔になった。

「父さん、ナイス。その作戦イケてる!」

「だろ。明日の日曜礼拝だって、この寒いのに船で出かけるのは胎児に悪いと言ったら、自宅礼拝で済ませるそうだし」

「ええね。ええ作戦やわ」

「それに鮎美が結婚するつもりがないことを気にすることは無くなる」

「あ……そっか……そういうことも……。おおきに、父さん」

「あとは一応、鮎美に断っておくが、鮎美が大学に行くことにそなえて学資保険や貯金を500万ほどしていた。他に結婚するときの応援資金として200万くらい用意していたが、これを下の子に使っていってもいいか?」

「うん、ええよ。うちは、もう大丈夫やし。気にせんと、しっかり育ててやって」

「そうか。鯉次郎も喜ぶぞ」

「その名はやめてやり。湖恋(ここ)なら、ええけど」

「そっちはキラキラネームっぽくないか。まあ、いい。おやすみ」

「おやすみ」

 鮎美は長かった土曜日が終わると思い、布団へ入って目を閉じた。心配していたカムアウトによる地元の反応も想定内だったし、芹沢家に二人目が産まれることは喜ばしい。いろいろと順調に動いてくれていると、安心した心地で眠りに落ちかけたのに、スマートフォンが鳴ってメールが届いたので読む。鐘留からだった。

 

 今まで、さんざんアタシのおっぱいもお尻も触ったよね。

 ずっと同性愛だってこと隠して。

 体育の後に、アタシの汗を舐めたこともあるよね、ヘンタイ!

 で、東京から帰ってきたくせに一言もなし?

 駄犬警部のことも調べてあげたのにお礼も無いし!

 アタシを手下とか思ってる?

 アタシは人にナメられるの超嫌い!

 アタシを軽く見たこと後悔させてやる。

 今すぐお金いっぱい持って謝りに来たら許してあげるけど、じゃなきゃ週刊紙に何もかも喋ってやる。

 

 読み終わった鮎美は、すぐに電話をかけた。

「…………出てくれへんの……」

 電源は入っているようだけれど、受話してくれない。

「……カネちゃん…………今すぐって……無理なん、わかってるやろ……」

 鮎美は時刻を見た。あと数分で日付が変わる。

「………けど、カネちゃん、言い出したら……ホンマにやるかも……うちが悪いし……忙しくて、忘れて、一言もなし……お礼も……忘れて……怒るの当たり前やん……」

 鮎美は布団の中で頭を抱えて悩んだ。そして結論は60秒で出した。

 

 ごめんなさい。今すぐ行くし、待っててください。

 

 そうメールを送信して制服に着替えて、両親や陽湖、桧田川たちに気づかれないよう書き置きだけして家を出た。

 

 

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