第21話 2011年1月1日 新年祝賀の儀、二十歳の集い

 2011年1月1日の初日の出とともに起きた鮎美は入浴して身体と髪を洗い、真新しい下着を身につけると、ほぼ新品といっていい冬制服を着た。

「メイクは、どうしよ……」

「軽く私がしてあげます」

 詩織が乳液とファンデーションを塗ってくれた。

「顔OK、制服よし、議員バッチよし」

 鏡の前で身支度をチェックして頷いた。

「うちの番は午前11時やから、しっかり余裕あるね」

「「はい」」

 準備が整ったので落ち着いた気持ちで朝食を摂る。鮎美は皇居で行われる新年祝賀の儀の次第書を見なおした。

「午前10時から皇太子、皇太子妃、親王、親王妃及び女王さんらが、まず両陛下に新年のご挨拶。その一時間後に、うちを含め内閣総理大臣、国務大臣、内閣官房副長官、副大臣、内閣法制局長官、内閣法制次長、両院の議長、副議長、議員、事務総長、事務次長、法制局長、法制次長、衆議院調査局長、国立国会図書館館長、副館長、最高裁判所長官、最高裁判所判事、最高裁判所事務総長、最高裁判所事務次長、高等裁判所長官、そして、それらの者の配偶者が参列して、ご挨拶か………、秘書は配偶者にならんかな?」

「「なりません」」

 鷹姫と詩織は皇居の駐車場までついていく予定ではあるけれど、いよいよ皇居に入るのは鮎美だけになる。余裕を持って一時間前には着く予定なので出発は9時過ぎのつもりだった。

「両陛下、大変やな。日の出前から儀式もあるのに、さらに11時半からは他の認証官、各省庁の事務次官、都道府県知事……ってことは夏子、…加賀田はんも来るんや。あの人も結婚してなかったかな……配偶者なしで出席かな。あとは議会議長か……単なる地方議員は呼ばれんわけか……都議も東京にいても呼ばれんわけなんや」

 鮎美は同性愛者であることをカミングアウトしている朝槍のことを思い出した。

「…………」

 もし同性婚が認められることになったら、この宮中行事にも配偶者を連れてくるってことになって、それに賛否が出そうやな、神道精神で同性愛って、どうなんやろ、キリスト教はガチ否定やったけど、一部では認めてるし、古事記と日本書紀を全部読んだら、どっかに書いてあるのかな、平安文学なんかやと、とりかえばや物語くらいしか知らんけど、あれもガチに同性愛の話やなくて、どっちかというと、性同一性障碍の話やったし、ラストはご都合主義やったもんな、と鮎美が考えていると、詩織がコーヒーを淹れてくれながら問う。

「朝槍先生のことをお考えですか?」

「………別に。天皇さんも忙しいぃて大変やなって。午後2時半から、また各国の外交使節団の長と、その配偶者と会うわけやし……あ」

「はい?」

「世界には同性婚を認めてる国があるやん?」

「はい、主に欧州で、いくつか」

「そういう国の外交使節の長が同性愛者で配偶者が同性やったら、この宮中行事に参加させるんやろか?」

「……どうでしょう……そういう前例があるのか……」

「もし、連れてきはったら、宮内庁の職員は、どうするんやろ?」

「………事前の段階で論争になるか、それとも日本人らしく、とりあえず外国のすることには何も言わず、通すかもしれませんね。事なかれ主義でいくか、それとも故意的な現場の英断で通すか、ユダヤ人にだってビザを出した国ですから」

「………」

 同性婚と伝統について考えながら鮎美は朝食を終えて、再び服装をチェックした。髪型も普段以上に整える。

「皇族の女性らは白系のロングドレスで、うちら参列する女性もロングドレスか、白襟紋付き、やむ得ない場合はデイドレス、ワンピース、アンサンブル………皇居に相応しい服って庶民レベルを百貨店で買っても、めちゃ高いやろな。うちの制服ってある意味で最強に便利やわ。普段によし、葬儀でよし、パーティーでも宮中行事でも」

「その姿も、あと三ヶ月なんですね。可愛いのに。いっそ任期中ずっと制服で通したら、どうですか?」

「それめちゃ痛い女やん、24歳になってもナンチャッテやで」

 まだ時間に余裕があったけれど、鮎美たちはマンションを出てタクシーを拾った。鮎美がタクシーに乗ると、運転手は議員バッチに気づいたけれど、田舎の運転手と違い、何も言わず目的地が皇居と聞いてもマニュアル通りの反応だった。皇居に近づくと、車窓から堀を見た鮎美が言う。

「しっかり城みたいな構えやな」

「芹沢先生、皇居は江戸城跡に建っています」

 鷹姫が言ってくれた。

「あ、そっか。そうやった。それで京都御所と違って防御的要素が強いんか。徳川はんも大阪城を超えたろ思て頑張ったやろなぁ」

「皇居内は城塞の名残もあって道に迷いやすいですから、お気をつけください」

「安土城はまっすぐな道が多かったらしいのにね。安土、大阪、江戸と、あの三人の性格が出たんかな。安土は大きな堀があった話もきかんし」

「安土城建立当時は後背は琵琶湖でした。今のように埋め立てられておらず、鬼々島と陸も遠かったようです。江戸城も当初は海が近く、堀の水も海水混じりだったようで現在でも多様な生態系が残っているそうです」

「ってことは、このあたりの海抜は低いんや。大阪城も似たようなもんやろな。……琵琶湖って海面よりは当然、高いやろな。どんなもんやろ?」

「たしか海抜85メートルだと小学校の遠足か何かで学んだ気がします」

「へぇ、そういえば、あの信長と鬼々島の人らって、どんな関係やったん? 争ったん? それとも味方したん?」

「織田信長がいたのはわずかな期間で記録も見つかっておらず、豊臣政権となってからは漁業権を認められる形で何らかの役目を負っていたようです。あの通り米作には向かない土地柄ですから」

「そっか」

 堀を渡る途中で、また鮎美は歴史を思い出した。

「徳川が造った、この立派な堀で籠城されたら新政府軍も困ったやろな」

「そうですね、江戸城無血開城がなければ、籠城戦は長引いたでしょう。新政府軍に近代兵器ありといっても、大阪城の頃から銃撃戦砲撃戦を前提とした設計にはなっていますから」

「東北の会津戦争みたいに首都が悲惨なことになったら、フランスイギリスにつけ込まれたやろなぁ」

「アロー号事件の二の舞を避けたという意味では井伊直弼の深慮遠謀かもしれません」

「どっちにせよ、あの時期から英米仏め、調子にのりおって」

「いずれ歴史の天秤は勝者を永遠に勝者とはたらしめないでしょう、源氏平氏しかり徳川しかりです」

 二人の会話を聞いていた詩織があきれたように言う。

「あの……二人は女子高生で、これから王様がいるお城へ新年のお祝いに行くんですよ? 素敵な王子様に会ったら、どうしようとか、そういう会話にならないものですか?」

「うちは王子様に興味ないし」

「それはわかっていますけど、だからって城塞とか源氏平氏とかではなくて、やっぱりドレスで来ればよかったとか、そういうのが普通ですよ」

「ドレスか……ドレスは着てみたいかな」

 駐車場を歩く鮎美が遠目に見えるドレス姿の女性を見つめた。オレンジ色の華やかなドレスを着ていて、若い女性に見える。

「あの人、若いなぁ……」

「そうですね。他の参列者の配偶者に比べると、かなり…」

 鮎美と詩織が見ていると、女性もこちらに気づいて手を振ってきた。

「……あ、もしかして、知事の…」

 オレンジ色のドレスを着ていたのは夏子で鮎美たちに早歩きで近づいてくる。

「あけましておめでとう、鮎美ちゃん!」

「おめでとうございます、加賀田はん…いえ、加賀田知事」

 挨拶して、ほぼ政治家の習慣として握手もした。

「ずいぶん早くに来はるんですね。うちらの30分後やのに」

「絶対に遅刻はできないからね」

「ドレス、よう似合てますやん。一瞬、誰かわからんかった」

 鮎美は世辞でなく心底誉めた。それだけ夏子は美しかったし、女らしくて好ましく感じる。髪も完全にアップしていて、パンツスーツ姿の選挙戦や公務時とは大きく違った。

「ありがとう。鮎美ちゃんは制服が一番だね」

「来年はドレスで来ますよ」

「元旦から来年のことを言うと鬼が笑うかもね」

「鬼々島の人らは、いつも笑てますから」

「言うねぇ」

 正月気分だからなのか、何度目かの出会いだからなのか、それとも田舎を遠く離れた東京で出会ったからなのか、鮎美と夏子は自眠と眠主という所属を忘れたように仲良く談笑を始めた。それで時間が経過し、いよいよ国会議員たちが皇居内の松の間へ招集されているので、鮎美も静かに向かった。

「………」

 松の間か……ちゃんと他にも、竹の間、梅の間と松竹梅がそろってるんやなぁ、と鮎美は真顔ではいたけれど、今上天皇に謁見する直前にしては、ほとんど緊張していなかった。むしろ、他の一期目の衆議院議員などの方が緊張しているくらいで、燕尾服を着てカチコチと歩き、ペンギンのように見えた。

「入場された順番から、奥へつめて参列ください」

 宮内庁の職員が案内してくれ、松の間に入ると報道カメラもあって鮎美が入場する姿をアップで撮られている気がしたものの、カメラを向けられるのは、もう慣れたことなので道場へ入るときと同じように頭をたれて入場し、他の参列者の流れにのって奥へ進んだ。かなり広い松の間は参列者でいっぱいになり、前方には総理大臣の鳩山直人もいたけれど、鮎美の位置からは見えなかった。

「………」

 天皇陛下のお顔も見えへんかも、と鮎美は落ち着いた気持ちで思った。新年の挨拶を陛下へ奏上する総理や議長などと違い、鮎美は参列するだけが役割なので立っていればいい、礼をするときに礼をすればいい、という気楽さもあった。そのうちに今上天皇をはじめとした皇后、皇太子、皇族らの入場が始まり、壇上へ陛下が立った。

「………」

 あの人が天皇陛下なんや……テレビで見たのと同じや……当たり前やけど……、と鮎美は平凡なことを感じた。それでも、さきほどより緊張感を覚えている。今までにも議長や党首に会うことは多く、圧倒されることもあったけれど、それにさえ慣れてきたのに、今上天皇という存在感は、また別格だった。広い松の間で、かなりの距離があって、他の参列者の背中に隠れて、わずかしか見えないのに背筋が伸びるような緊張がある。鳩山総理も緊張している様子で、新年の挨拶を述べていて、それに対して陛下が言葉を返している。長くも感じたのに、終わると短かった儀式が終わり、松の間を出ると、次に入る夏子たち都道府県の知事とすれちがった。

「…」

「…」

 夏子とは目線だけ合わせて別れる。

「……………」

 これで、終わりか、あっけないもんやね、と鮎美は年末から準備してきた予定が終わったことを感じていると、トイレに行きたくなったので女子トイレに入り用を済ませて個室を出ると、洗面台の前で他の女性参議院議員に声をかけられた。

「芹沢さんって運がいいわね」

「はい? …はあ…」

 返事をしたものの、意味がわからなかった。

「西村先生が亡くなって、ここに来てるけど、ホントなら他の去年の当選者と同じに、新年祝賀への参加は来年からなのよ。最年少と合わせて運がいいわね」

「ああ、その話ですか…」

 いやいや運がいいってことなん? このオバハン何が言いたいねん、と鮎美が不快に思っているうちに、その女性議員はトイレを出て行った。

「……まったく、人が亡くなったちゅーのに…」

 最期に咳き込んで苦しんでいた西村の姿を思い出して鮎美は気分が重くなった。気分を変えるために、いっそ顔を洗いたくなったけれど、メイクしているのでタメ息だけにして廊下に出た。

「芹沢鮎美参議院議員、こちらへ来ていただけますか」

 鮎美を捜していた様子の女性職員が声をかけてきた。

「はい。……」

 何やろ、もうお土産もらって帰るだけのはずやのに、と鮎美が予定外に呼ばれたことを不思議に思っていると、波の間という小さめの部屋へ案内された。

「ここでお待ちください」

「はい。……あの、ここで何が?」

 呼ばれたのは鮎美一人で他の議員はいない。聞いていない予定でもあったなら一大事なので問うと、女性職員が答えてくれる。北房嘉子(きたふさよしこ)という名札をつけた宮内庁の職員で40歳過ぎくらいに見える温和そうなのに、しっかりとした気配もある人だった。

「義仁親王、由伊内親王が芹沢議員にお会いしたいとのことです。しばらくお待ちください」

「っ、よしひと…しんのう……ゆい、ないしんのう……」

 えっと確か、皇太子様の長男と娘さんで、15歳くらいと7歳くらいやった気が、さっきも松の間に居はったやろけど、見えんかった……その親王はんと内親王はんが、うちに会いたいって、なんよそれ、どういうことなん、と鮎美が緊張した顔で混乱していると、二人の皇族が入室してきた。

「はじめまして、芹沢さん」

「はじめまして、芹沢さん」

 テレビで見たことのある15歳の親王と、7歳の内親王に挨拶され、鮎美は頭を下げる。一瞬、鷹姫がたまに鮎美に対してするように片膝をついて臣下のように礼する方がよいかと迷うくらい焦ったけれど、それも大袈裟かと判断し、頭をさげるだけにしている。

「は、はじめまして! せ、芹沢鮎美です!」

「そう緊張しないでください。急に呼び立てたりして、ごめんなさい。妹が、どうしても会ってみたいと。それにボクも君に会ってみたかった」

 そう言った男子は黒髪の日本男子で燕尾服で正装している。妹の方も幼い身体に似合うドレスを着ていた。由伊が7歳らしい幼さと、皇族らしい穏やかさで言ってくる。

「お姉さんが17歳で議員になるのですよね?」

「由伊、18歳だよ」

「あ、そうでした。18歳で議員になられるのですよね?」

「は、はい。そうです」

「大変そうですね」

「い、いえ、それほどでも」

「気苦労はありますか?」

「…」

 な…7歳の子が気苦労って言葉を使うんや、と鮎美が驚き、その感覚は兄の義仁には伝わった。

「クスっ…気苦労ばかりでしょうね。急にクジ引きで当てられたのだから」

「は……はい……まあ…」

「当たらなければ、なりたい仕事はありましたか?」

「い……いえ……これといって…」

「議員の仕事は、どうですか?」

「や……やりがいを……感じたいとは……思ってますけど、……まだまだ…」

「これからも頑張ってください」

「これからも頑張ってください。会えて嬉しかったです」

 たった、それだけの短い会談で二人とも秒刻みで行動しているらしく残念そうに去ってしまった。

「………はぁぁ…」

 二人の姿が見えなくなると、鮎美は職員たちがいるのに大きく息を吐いて、膝が崩れそうになりヨロめいた。そばにいた北房が支えようと手を出してくれたので、ある程度は予想された反応だったのかもしれない。

「す、すんません、おおきに。……」

 とっさに地の関西弁を出してしまい、下品だったかと後悔するものの、よく考えれば皇族も京都から東京へ移ってきたので、おおきに、は問題ないのでは、といった場にそぐわない思考が渦巻き、しばらく落ち着くまで時間がかかった。その時間を北房たち職員は静かに待っていてくれて、鮎美の様子を見計らって紙袋を渡してくれる。

「本日はご苦労様でした。こちらをお持ちください」

「は…はい…どうも…」

 渡されたのは聞いていたお土産だったので遠慮無く受け取った。中身は鯛や蒲鉾、数の子などの縁起物の料理のはずで、すべての参列者に渡されている。やっと足取りが確かになった鮎美は皇居を去ると東京駅で待っていた鷹姫と合流し、そのまま新幹線で地元へ帰る。早朝から起きていたので座席で仮眠をとっていたのに、石永から電話が入り、地元の支持者が自宅で開催している新年会に鮎美を呼んで欲しいと言っているらしかった。元日なので鮎美も鷹姫も自宅に帰るつもりだったけれど、石永が頼み込むので渋々承知する。

「ほな、うちだけ行きますし、誰か迎えにきてもらってください。せめて鷹姫には休みをとってもらいたいですし」

「わかった。静江に行かせる」

「支持者って、どういう人なん? 社長とか、金持ちとか?」

「地元では顔の広い人だよ。オレの家とも近所だし、自動車教習所などを経営している」

「ふ~ん……」

「年末に東京へ来ていて、会ってもらう予定だったのに、君が風邪を引いてキャンセルした人の一人でもある」

「うっ……そのせつは、どうもご迷惑を……」

「こちらこそ、元旦から呼び出して、すまない。陳情や政治的要求があるわけじゃなく、ただ参議院議員の芹沢鮎美と会ったことがある、という満足感をえてもらうためだけだが、オレの後援会では重要な人なんだ。頼む」

「はいはい」

 電話を終えた鮎美はタメ息をつく。

「はぁぁ……地元の小金持ちが見栄を張りたいために参議院議員を呼んで、それが国政のために、なるんかいな……国会議員って休み無さすぎやわ。落選してまで元旦から挨拶回りか……盆正月、無しやなぁ……お盆は終戦記念日の追悼行事があるし……きっとゴールデンウィークも、いろんな地域の行事に顔を出すんやろなぁ……マジで休み無いやん。めちゃブラック労働や………ゆっくり政策を考える間もない………」

 ぼやきながら座席に戻り、鷹姫にも説明し、ついでに皇居でもらったお土産を鷹姫の家に渡すことにした。鮎美としては単純に持っていても食べる機会が無く、今夜も外泊になりそうなので、帰宅する鷹姫なら家族と食べられるだろうと思っただけなのに、過剰な反応をされる。

「皇家より芹沢先生へ下賜されましたものを、私などの家がいただくわけにはまいりません。どうぞ、お父様、お母様に持ち帰って差し上げてください」

「そんな大袈裟な……これ国会議員、みんながもらったもんやで」

 鮎美にとっては、天皇家からのいただきものといっても、どうせ宮内庁が入札か随意契約で選んだ料亭へ大量発注し、今日のために量産体制で作られたおせち料理の一種でしかないのに、鷹姫はまるで家宝のように言ってくる。

「う~ん……うちの父さん、母さんも、別に、こういうのありがたいとは思わんタイプやろし。うち、今夜も外泊になるやろしなぁ」

「では、私が芹沢家にお届けします」

「いやぁ……わざわざ、それも……。ええよ、鷹姫の家で食べておき。むしろ、鷹姫らの方が値打ち、わかるやろ」

「ですが…」

「去年半年、うちの秘書として頑張ってくれたし、もらいもんで悪いけど、ご褒美の一つとしてもらってや」

「………おそれ多いことです……もったいなくて、いただけません」

「めちゃ大袈裟やな………えっと、ほな、信長の家臣で、滝川なんとかって人、いたやん。前に鷹姫が話してくれた」

「はい、滝川一益ですか?」

「そう、その人。その滝川はんが対武田戦の恩賞に、新たな領地と関東管領の役職をもらったけど、本当は茶器の、なんとかナス……」

「珠光小茄子(じゅこうこなす)ですか?」

「うん、たぶん、それ。とにかく領地と役職より、茶器が本当は欲しかったって話あったやん?」

「はい」

「ほな、うちは去年頑張ってくれた秘書に、お礼がしたくて、うちのポケットマネーから3万円のお年玉を贈るのと、おさがりやけど天皇家からのおせち料理を贈るの、どちらか鷹姫が本当に有り難く感じる方がしたいねん。どっちがええ? どっちが名誉に感じる?」

「…………………。おそれながら、後者にございます」

「ほな、決まり。お土産、持って帰ってな」

「……この上なき御高配を賜り、まことに、ありがとうございます」

「うんうん♪ ………」

 って鷹姫、これ心底感動してんのかなぁ、そういえば他の国会議員でも年配の人は、めちゃ大事そうに持って帰ってたし、人によって受け止め方、変わるもんやねぇ、と鮎美は思い返し、まだ話していなかったことを鷹姫に言ってみる。

「うちなぁ、新年祝賀の儀の直後に呼ばれて、ちょっとだけ義仁親王はんと由伊内親王はんと会談する機会があったんよ」

「っ、それはまた……」

「まあ会談っていうても非公式というか、ちょっと最年少の議員と話してみたい、そんな感じやったわ。どう思う?」

「こ、光栄なことだと思います。……どのようなお話をされたのですか?」

「いきなり議員になって気苦労はありますか、頑張ってください、ってくらいの短い会話よ。うち、めちゃ緊張したわ。それに7歳の妹はんが気苦労とか言うんやもん、あの人らの感覚はちゃうわぁ」

「…………目も眩むようなことです………義仁親王といえば、皇太孫………次の次に天皇となられるお方です」

「らしいね」

「そのような方に芹沢先生が覚えられているということは、これからますます身を引き締めて役務にあたらねばなりません。私も日々精進いたします。どうぞ、本年もよろしくお願い申し上げます」

「はは……うん、頑張るわ。こちらこそ、よろしゅうね」

 二人が新年の挨拶を交わした頃に井伊駅へ新幹線が到着し、鮎美は迎えに来てくれていた静江の車へ乗り、鷹姫は在来線で六角駅に移動し、さらに路線バスに乗って港に向かい、港で1時間ばかり連絡船を待ち、冬の早い日暮れと同時に帰宅した。

「ただいま、もどりました。あけまして、おめでとうございます」

「わー♪ お姉ちゃん、おめでとう!」

「おかえり、お姉ちゃん!」

 妹で5歳の姫花(ひめか)と3歳の姫湖(ひめこ)が出迎えてくれるし、父と継母も笑顔で迎えてくれた。そして、鷹姫が持ち帰ってきた土産のことを話すと、黙って聴いていた父、衛(まもる)は真顔のまま感動の涙を流した。

「そうか。よく頑張ったな、鷹姫」

「いえ、私はまだ何も。日々、学ぶこと多きのみです」

 鷹姫は正座して衛に頭をさげる。よくわからないけれど、妹たち二人も真似をする。衛は胡座から正座へ変わると、島の集合墓地がある方向へ頭をさげてから語る。

「我が宮本家は千年前、源氏として戦に敗れ、平氏に追われて、この島に辿り着き、ここで雌伏のときを過ごしてきたが、それぞれの時代で島を出て活躍した者もいたはず、そうして今、鷹姫にも、その機会がきたのだ。その早々に、このような過分な馳走、皇家からの賜り物をいただくとは、身の震える想いであることよ。これからも心して励め」

「はい!」

 答える鷹姫も改めて感動し、涙を流した。

「お母さん……、お姉ちゃんとお父さんが泣いてる……うちは大丈夫なの?」

「やっぱり10万円も、もらえなくなるの? ……また、ご飯……お魚だけに……」

「大丈夫よ。鷹姫さんが立派になったから、喜んでるだけ」

「そうなんだ。おめでとう、お姉ちゃん!」

「よかったァ♪」

 腹違い妹が喜んでくれるのは嬉しいし、心配はかけたくないので鷹姫は言っておく。

「姫花、姫湖、私は3年生なので今月から学校への出席も減りますし、その分だけ奉公に励みます。給与も芹沢先生が満額の50万円をもらえるようにしてくださいましたから、ご安心なさい」

「「はい! ヤッター!!」」

 新しい服や靴を買ってもらえるのは、とても嬉しい。遠慮無く喜ぶ二人を鷹姫は微笑ましく見たけれど、継母の郁子は言葉を選んでから言う。

「鷹姫さん、お給料の具体的な額は、あまり他言するものではありませんよ」

「……50万円は秘書給与として規定の額で、なんの違法性もありませんが……その他の経費も適正に扱っておりますから、ご安心ください」

「いえね、そういうことではなく、気を悪くしたら、ごめんなさいね。あなたは給与の額を、まるで大名や旗本が何万石、何千石であった、みたいな感覚で口にしているようですけれど、現代では言わないものなのです。聴く人によっては自慢とも取られますし、この子たちも考え無しに、島で言い回ってしまいます。姫花、姫湖、鷹姫さんの給料のことを他人に言ってはいけませんよ」

「「……はーい」」

 残念そうにする妹たちへ、鷹姫は用意していたお年玉を渡すことにした。もらった二人は一万円札を初めて手にして大喜びしたけれど、郁子は近いうちに色々と教育しなければ、と考えた。

「やったー! お姉ちゃん、ありがとう!」

「お菓子、いっぱい買える! ジュースも!」

 喜ぶ次女と三女へ衛が言う。

「姫花、姫湖、明日からより稽古に励みなさい。鷹姫は島の外での役目が長くなるかもしれない。そのときは二人のうち、どちらかが道場を継げるように」

「「………は~い…」」

 二人とも鷹姫ほど剣道は好きではなかったので仕方なく返事だけはした。けれど、幼児ながらに一流の料亭で作られたおせち料理の美味しさには深く感動した。

 

 

 

 翌々日の1月3日、月曜日、鮎美は地元の六角市で開催される二十歳の集いへ来賓として出席していた。大きな六角市文化会館には晴れ着姿の20歳を迎えた女性たちと、主にスーツ姿の20歳の男性、そして、ごく一部に紋付き袴を着た頭の悪そうな男性たちが座っている。

「ひっこめぇ!」

 市長の田井中が祝辞を送っているのに、頭の悪そうな袴の男が野次を飛ばしていた。次の次は鮎美が話す番なので気が重い。

「………」

 成人年齢が18歳まで引き下がったちゅーのに、20歳になっても幼稚園児レベルなんやね、男って意味わからん生き物やな、女子やとヤンキー化しても、あそこまで凶暴にならんのに、ホルモンの違いなんかな、と鮎美は壇上から二つ年上の先輩たちを見下ろし生物としての男女の違いを考えていた。鮎美が通っている高校も大阪で通っていた高校もレベルは高い方なので、ヤンキーを身近に見るのは中学以来でもあった。

「……」

 けど、ヤンキーも同性愛者と同じで一定割合は生じてくるよね、ヒトの生態系的に意味のある存在なんかも、現代のヤンキーって戦国時代やったら、きっとカブキ者になったやろし、逆に小利口に勉強して保身のために、ええ大学、ええ会社と進む人間は、いざ戦争となったら保身のために逃げ出すかもしれんし、とび職なんかの高所作業は度胸があるヤンキーみたいな人種でないと無理かもしれん、元ヤンで建設会社の社長にまでなる人間は、それなりに人を率いる才能あるし、女の生き方としても、ヤンギャルが早々に出産するのは種の保存にかなった行為やし、逆に東大卒で女性官僚として事務次官まで出世しても、未婚で子無しやったら、社会の役には立ったけど、個体に注目したら生殖行為には失敗してるし、それにしても野次飛ばしまくって、うるさいな、コイツら、少しは黙って人の話を聴けちゅーねん、と鮎美が見下ろす視線と、派手な赤と金色の紋付き袴を着ている男の目線が合い、鮎美は自然に目をそらしたけれど、男は席から立ち上がると壇上へ登ってきた。

「なんだ、君はっ?!」

「オッサンは、ひっこめ言とるやろが!」

 男は鮎美へではなく市長に向かっていき、すぐに舞台袖から市の職員が出てきて、男が乱暴なことをしないように取り囲む。取り囲まれると、男は威勢を放ちながらも、席に戻っていく。その途中で、鮎美の方をチラリと見た。

「……」

 え、なんなん、そのドヤ顔、今の行為がカッコいいとでも思ってるん? うちへのアピールなん? 何を考えてるんやろ、ホンマに意味不明やわ、と鮎美は無表情を保つのに苦労しながら座り続けた。市長は気を取り直して話を続ける。

「これから社会で活躍していく皆さん。六角市と日本の…」

 眠主党所属の田井中市長はありきたりな話をしている。続く自眠党の大寺県議の話も無難で平凡なものだった。

「……」

 たしかに叫びたい気持ちもわからんでもないわな、話してる方も聴衆が興味をもちそうな話題にすればええもんを、ありきたりに、しかも微妙に自分の政党へ少しだけ誘導しとるもん、けど、この程度の誘導やったら、普通の人にはわからんやろな、公約に近い話をしてるけど総選挙での公約なんか高速道路無料と沖縄基地移転以外は、普通の人は忘れてるし、もっと面白い話なら黙って聴くかもしれんけど……かといって、うちもウケ狙いで笑い取るわけにもいかんし、無難に原稿通りにしよかな、と鮎美も人前で話すことに慣れてきたとはいえ、それは多くの場合で自眠党支持層だったり、駅前を通りかかった人だったりして、ぴったりと20歳のみで構成された人たちではなかった。自分より二つ年上ということは一年生が三年生に話すようなものなので、軽い緊張もある。

「続いて、参議院議員、芹沢鮎美さんより、お祝いの言葉をいただきます」

 紹介されたので鮎美はパイプ椅子から立ち上がり、一礼して演壇へ向かう。

「アユミちゃーん! パンツ見せてくれ!」

「…」

 下品な野次が飛んできたのに対しては、心の中だけで舌打ちして、鮎美はマイクを少し下に向けて設定し直す。どうしても市長や県議たちとは身長が違うので必要な処置だった。

「パンツ見せろぉ!」

「…」

 しつこいねん、ボケが、と言いたいのを我慢して、笑いを取って場の空気を変えることにした。

「えーっ、ずいぶんと酔いの回った人もおられるようで、宴もたけなわといったところでしょうか」

「「「クスっ」」」

「「「「「……………」」」」」

 笑ってくれたのは市長や県議など年配の人たちだけで、20歳の若者たちには鮎美が言ったことの可笑しさが伝わっていない。野次を飛ばしている連中は、すでに酒を飲んでいて赤い顔をしているし、今は宴会ではなく式であり、これから各自で宴会になるにせよ、気の早いことを注意するのではなく、ボケで指摘するというネタだったけれど、それは宴会慣れしている年配の人たちにしか通じず、大きく滑っていた。

「お酒の飲める年齢になられたこと、お祝い申し上げます」

 それでも凹むことなく話は続ける。

「先輩方に壇上より、お話しさせていただくのは少し気の引けるところもありますが、どうか、最後までご静聴ください」

「アユミちゃーん、何か歌えぇ!」

「踊れぇ! ダンスしろ!」

「スカートめくってくれ!」

「…」

 たぶん、こいつら、静聴っていう言葉の意味、マジで知らんし、漢字で書けへんかも、そういう人らに、どう話すか、困りもんやな、と鮎美は高速で思考し決めた。

「前列のあたりで野次を飛ばしておられる先輩方」

 あえて鮎美が無視せず、男たちのことを口にすると、場の空気が緊張した。ここから鮎美が叱咤したり注意したりすると、当然に男たちは暴れ出すし、場合によっては鮎美に危害を加えるかもしれないので舞台袖の職員たちは、いつでも飛び出せる体勢になっていく。男たちの方も、ヤンキーらしい鋭い目つきで鮎美を見上げてきた。

「ご安心ください。実は、えらそうにしている議員も野次を飛ばします。しかも議場で」

「「「「「……………」」」」」

「本来、話し合うべき、自眠と眠主も、野次の飛ばし合い。品位あるべき議場でそうなのですから、二十歳の集いで遊び気分になるのを注意するのは、野暮かもしれません。案外、うまい野次を飛ばせる先輩は、議員としても立派になるかもしれませんよ。ただ、女の子に向かって、言わないでほしいことはあるので考えてください。さて、お正月の三日から…」

 そこから鮎美は原稿通りに話したけれど、もう野次は飛んでこなくなった。鮎美が言及したことで自分たちの存在が認められたと無意識に満足したのか、それとも、うまい野次を思いつけなかったので黙っていただけなのかは不明だったけれど、式典は無事に終わった。

「「お疲れ様です」」

 鷹姫と静江が労ってくれる。

「次の予定は?」

「六角市商工会青年部の新年会へ招かれています」

「ほな、行こか」

 昨日に引き続き、新年会のハシゴをして遅くなり、また島には戻れずビジネスホテルに鷹姫と泊まった。二人部屋だったけれど、別々にシャワーを浴びて、テレビを見ながら、やっと寛いだ。

「今日も疲れたわぁ……」

「本当にお疲れ様です」

「お腹も空いてるのか、ふくれてるのか、わからんし」

 参加した新年会で、まったく飲食しないのも非礼なので少しは食べたり飲んだりもする。主にウーロン茶ばかりを口にして、ときどき何かを勧められて食べたけれど、相手の話を聞いたり相槌を打ったり、サインや記念撮影に応えたりと、忙しいので味など感じていないし、どれだけ食べたのかも覚えていない。おかげで今になっても空腹なのか、それなりに満足しているのか、わからない。

「いただいた膳があります。召し上がられますか?」

「鷹姫、二人っきりなんやし、そんな言葉遣いでなくてええよ」

「そうでしたね。鮎美、食べますか?」

「う~ん……」

「四人分もあります」

 気の利いた主催者だと会費を払った鮎美と秘書の分を膳として使い捨ての容器で渡してくれたりする。今日も一人あたり2膳ばかり頂戴し、静江は持って帰ったし、鮎美と鷹姫は素泊まりにしたビジネスホテルに持ち込んでいる。

「どうしよかな…」

 鮎美は女子らしくウエストを気にして、お腹を撫でた。鷹姫はすでに1膳に手をつけ半分まで食べている。

「食べないと無駄になりますし、私一人で4人分は苦しいです。手伝ってください」

「そやね。ほな、一ついただくわ」

 生温かくなった刺身と、冷たくなって湿った天ぷらなどを食べて夕食にする。テレビが鮎美の顔を映した。

「前列のあたりで野次を飛ばしておられる先輩方」

「あ、うちや」

 本日のニュースとして二十歳の集いの模様を流している。

「ご安心ください。実は、えらそうにしている議員も野次を飛ばします。しかも議場で」

 鮎美の映像を見ながらニュースキャスターが隣りにいるコメンテーターに意見を求める。

「毎年各地で荒れる成人式…、いえ、間違いました。二十歳の集いですが、この六角市で行われた式典会場には参議院議員として最年少の18歳で就任した芹沢氏が壇上に立ったようですが、どう思われますか?」

「面白い子…、と言うと失礼かもしれませんが、魅力的な人ですね。彼女から見ると二十歳は先輩なのに、うまく受け流していて。しかも、彼女なりの政治批判もある。これは国会が始まるのが楽しみになりますね」

「一部情報では24日から始まる第177通常国会の開会式で総理の施政方針演説などに続き、彼女が登壇して弔辞を述べるそうですが、ありえるでしょうか?」

「彼女は癌で亡くなった西村議員の後釜という形で少し早めに議員擬制されましたからね。現職の国会議員が亡くなった場合、通例では選挙区のライバルなどが弔辞を述べるものですが、現状の参議院選出制度ではライバルは存在しないので、同時期に議員である雄琴議員か、後釜となる彼女かの、どちらかとなるでしょう」

「次のニュースをお伝えします」

 ニュースが変わったので鮎美が問う。

「うちが登壇するなんて話あるんや。けど、うちか、雄琴はんが登壇するのって、全国ニュースのコメントで触れるようなことなん?」

「……どうでしょう……わかりません。弔辞があるのは当然ですが…」

「西村先生、在任中の死亡やもんなぁ…」

 鮎美と鷹姫が故人を思い出しながら食事を終えると、鮎美のスマートフォンが鳴った。着信表示は静江になっている。

「もしもし、うちよ」

「緊急で伝えたいことがあると、眠主党の細野議員が連絡してきました」

「細野先生が? うちに……何を?」

「芹沢先生へ直接にお話したいとのことです。先生の番号を教えてほしいと言われ、躊躇していると細野先生の番号をこちらに教えてくださいました。至急、連絡がほしいそうです。芹沢先生の番号を知られたくなければ、ホテルからかけるか、宮本さんに持たせている携帯からかけてみてください」

「わかりました。電話してみますわ」

「結果と内容は伝えてください。お兄ちゃんと寝ないで待っていますから」

「……心配せんでも、眠主に移籍したりしませんから。たとえ10億円つまれても」

「そのウワサご存じだったのですか……」

「ちょっと小耳に挟んだだけよ。とりあえず細野先生にかけてみるわ」

 至急と言われているので、鮎美は迷わず自分のスマートフォンで静江から聞いた番号へかけた。

「もしもし、細野です」

「こんばんわ。芹沢鮎美です」

「ああ、ありがとう! 伝えたいことがあるんだ!」

「はい、何でしょう」

「明日、発売される週刊紙に、芹沢さんと私のツーショット写真が載るらしい」

「……あの新幹線で撮られたやつですか?」

「おそらくそうだ。それ以外にない」

「そ……それで、どうすれば、いいんですか?」

「動揺せず、落ち着いて、何もなかった、男女の関係ではない、ただ自眠から眠主へ移籍しないかと、持ちかけられた。そう平然と答えてほしい。それが真実だし、私も、そう答える」

「わかりました」

「頼むよ。お互い、痛くもない腹を探られたくないだろう」

「はい。……どんな記事が書かれるんですか? うちと細野先生が不倫したとか?」

「わからない。かろうじで知人から伝わってきた情報なんだ。どうせ、写真は加工しないまでも、うまく編集して何かあった風な記事に仕上げて曖昧に名誉毀損にならない程度にあることないこと書くだろう。ヤツらは、そういう人種だ。場合によっては名誉毀損の裁判覚悟で、でっちあげた話でも書く。とくに芹沢さんは注目されてるから売れるだろう」

「………」

「私も前科があるから……、細野また不倫か?!と疑問符で終わるくらいは書かれるかもしれない」

「………」

「どうか、動揺しないで、しっかり答えてほしい。お互いの名誉のために」

「わかりました。情報ありがとうございます。この番号、うちのスマフォですから、また何かあれば、よろしくお願いします」

「わかった。では」

 短いけれど重要な電話を終え、すぐに鮎美は静江にかけて、たまたま新幹線で隣りにいた細野と会話したこと、その様子を記者に盗撮され、それが記事になるらしいことを伝えた。

「…そうですか、お兄ちゃんと対策を立てます。けれど、細野先生のおっしゃる通り、お二人が冷静に否定すれば一週間もしないうちに鎮火できると思いますから、どうか落ち着いてください。あと、これからは男性と隣席するのは気をつけてください。いつでも狙われていると思ってください」

「はい、すんません。あと、別の件で訊きたいことがあるんですけど、ええですか?」

「どうぞ」

「さっきニュースで、うちが国会の開会式で登壇して弔辞を読むかも、ってことが言われてたんですけど、それってニュースになるほど重要なことなんですか?」

「とても重要です。どちらかといえば、栄誉なことです。実は私たちが水面下で動いていて、本人には黙っていました」

「……静江はん、知ってたんや」

「今も、その件で自眠と眠主で取り合いです。芹沢先生になるか、雄琴先生になるか、多数決なら眠主が勝ちますが、眠主の中にも雄琴先生をコウモリと言って嫌う先生方もいますし、西村先生の最期を看取ったのも、葬儀に参列したのも芹沢先生ですから、私たちが勝つ公算は高いのです。けれど、ご本人は決定するまで、この件については知らぬ顔をしてください」

「……わかりました……ホンマに、いろいろあるんですね……。それほど、栄誉なことなんですか?」

「普通、一年生議員は登壇する機会が、ほとんどなく国会は終わってしまいます。まして開会式は天皇臨席のもと、両院の議員が参議院に集まって開催されるものです。亡くなった西村先生には悪いですが、これほどの幸運、めったとないことです」

「……そうですか…」

「芹沢先生は本当に強運です。これからも、どうか宜しくお願いします」

「……」

 うちを幸運の女神か、商売繁盛の恵比寿さんみたいに言われてもなぁ、と鮎美は答えに困りつつ電話を終えた。

 

 

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