扉が開かない⁉
「ずいぶんと立派なお屋敷だな」
お寺のような門を入って停めた先輩の愛車、デニムブルーメタリックのボルボV40の後部座席から降りると、思わずつぶやいてしまった。以前に行った
黒光りする瓦屋根の
「無理なお願いをしてしまって、申し訳なかったわね、美咲さん」
「いいえ、おばさま、お気になさらずに。こちらが武者小路耕助さまと助手の鈴木さまです」
「どうもはじめまして、武者小路です。この度はご愁傷さまでした」
先輩があいさつするのに合わせて「鈴木です」と頭を下げた。
「十文字です。わざわざお越しいただきありがとうございました。武者小路さまのお話は豪徳寺さまからもお伺いしております」
「そんなことはいいから、さっさと蔵を開けてくれよ。こっちは会社を早退してきてるんだから」
奥様の話にスーツ姿の男性がイラついた様子で口をはさんだ。
非礼をわびた奥様から、十文字さんの息子で克幸さんと紹介を受けた。
「探偵だか何だか知らないが、本当にあんな紙から暗証番号が分かったのか?」
わざと僕たちに聞こえるように大きな声で独り言みたいに話すなんて。嫌なヤツだな。先輩をチラ見すると、聞こえなかったかのようにそっぽを向いている。
「蔵へご案内します。どうぞこちらへ」
奥様も息子を持て余しているのか、スルーしたまま前庭を横切って歩き出した。
あれ? 母屋の中じゃなくて外にあるの? そういえばさっきから蔵って言ってたけれど、もしかして……。
後ろについて母屋の角を曲がると、いきなり白塗りの土蔵が現れた。
「すご……」
自然と漏れたつぶやきに誰も反応しない。
美咲さんはともかく、先輩だって初見のはずなのに。これも想定していたってことか。まったくお金持ちの人たちの「当たり前」は僕のような庶民には分からない。
土蔵にはミスマッチなステンレス製の扉が僕たちを威圧している。その表面にはテンキーを備え付けたプレートが貼りついていた。
扉の前に立った五人の中から、奥様が扉の前へと進み出る。
「番号は三二六四です」
美咲さんが静かに声をかけた。
奥様が*を押してから、三、二、六、四と指を動かしていくのがここからでも分かる。最後に#を押して扉が開く、と思ったら――。
ピピーッ!
甲高い電子音が鳴って、奥様が困った顔でこちらに振り向いた。
扉が開かない⁉
そんな……。まさかあの番号が間違っていたなんて。
信じられない思いは美咲さんも同じのようで、すがるような表情を浮かべ、隣に立っている先輩の顔を見つめている。
「なんだよ、開かないじゃないか! まったくいい加減なことを言って。母さんもこんなどこのやつだか分からない男の言うことなんか信用しないで、さっさと鍵を壊す手配をすればよかったんだよ」
「一、三、六、一、一、四」
克幸さんの怒鳴り声へ被せるように、先輩が落ち着いた声で数字を告げた。
一斉に四人の目が集まる。
「暗証番号はこれで間違いないはずです」
先輩が復唱した数字に合わせて奥様がテンキーを操作すると、今度はカチッという音が扉から聞こえてきた。
先輩は当然といった表情で話し始めた。
「あのメモが番号を示していたのは間違いありません。ただし、考えられる番号は二通りありました」
二通り? 僕が出した答えは五十音を順番にしたもの。もう一つは……。
「座標ですね!」
「いいところに気がついたね、鈴木くん」
こちらを向いてにっこりと笑った先輩が話を続ける。
「ウは一行三列目、ハは六行一列目、エは一行四列目。三二六四が間違いなら、これしかない」
「さすがですわ、耕助さま」
「もちろんです。なにせ私はただの探偵ではなく、名探偵ですから」
先輩、そこは謙遜するところですから。
そうしている間にも扉を開けた克幸さんが入り口で立ちすくんでいる。
僕たちも近づいてみると、蔵の中には何もなかった。ただ一つ、掛け軸に使うような大きな縦長の紙が正面に貼られている。そこには見事な毛筆でこう書かれていた。
我が蔵はすでに
「雪藤かぁ。懐かしい。十文字さんも洒落が分かるお人だったようだね」
「どういうことですか」
「何十年も前に流行ったブラックエンジェルズという漫画の主人公が、決め台詞として使っていたのが『我が心すでに空なり』だったんだよ。漫画の収集が趣味だったという十文字さんが、それをオマージュして書いたのだろう」
「あのメモも
「はしのように同じ音で違う意味の言葉もあるし、空のように同じ字なのに違う意味を持つこともある。日本語って面白いね、鈴木くん」
今朝の事務所での出来事を思い出した。
それにしても蔵を建てて保管するほどの漫画本はいったいどこに行ってしまったんだろう。売り払っちゃったのかな。
「これだけの蔵に厳重に保管してあったのだから質量ともにかなりのものだったのだろうね。それを売るとなったら相応の金額にもなるはず」
先輩は、まだ呆然と立っている克之さんに視線を移した。
「十文字さんは自分の病を知って、お金に換えることよりも大切な本を大事にしてくれることを選んだ気がするよ。どこかに寄贈したのかもしれないね。最近は公立や大学にもまんが図書館があるから」
「先輩、さっきの決め台詞の話といい、漫画にも詳しいんですね。意外でした」
「あれ、話したことなかったっけ? おじい様はミステリーばかり読んでいたけれど、父は漫画が大好きなんだ。おそらく十文字さんのこともご存じだったんじゃないかな」
そう言うと先輩はニヤリと笑った。
ひょっとして、ここにあった漫画本が武者小路家の蔵に入っている――なんてことは僕の考え過ぎだよな、きっと。
―第十六謎:閉ざされた扉……なら開ければいいさ 終わり―
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