第十一謎:尊い恩師は天然お茶目系 IQ90(一話完結)

七五三木 二四 教授

 すっかり暖かくなったので窓を開けてみた。どことなく風の香りも冬の頃とは違う。幸いなことに花粉症に悩まされていない僕は鼻歌まじりで事務所の掃除を続けた。

 さぁっと吹いてきた風でブラインドが音を立てる。先輩の机に置いた封筒が床へ落ちた。拾い上げてもう一度、差出人を見る。


「なんて読むんだろう」思わずつぶやいて机に戻した。


 先輩が帰ってきたら忘れずに言わないと。置いただけにしていたら、おじい様からの手紙を一週間もそのまま放置したことがあったからな。几帳面そうなのに意外とめんどくさがりなところもあるから、先輩は。


「ただいま」「ただいま戻りました」


 そこへ事務所の所長である武者小路 耕助先輩と、その自称・フィアンセという豪徳寺 美咲さんが帰ってきた。

 扉が開いたせいでまたブラインドが音を立て、封筒が落ちた。


「おかえりなさい。お花見はどうでしたか」


 拾った封筒を手に持ったまま、帰ってきたばかりの二人にたずねる。


「とてもよかったよ。菜の花は満開だし、桜も咲き始めていて」

「お天気も良かったのできれいでした」

「鈴木くんも来ればよかったのに」


 先輩、そのひと言は余計です。せっかく美咲さんとのデートをおぜん立てしたんだから。

 トイレなのか、先輩はソファに座らず奥へと消えた。すると、美咲さんがすっと一歩前に出て、両手を前に重ねてお辞儀をした。


「鈴木さまのおかげで、耕助さまと楽しい時間を過ごすことが出来ました。ありがとうございました」

「いえいえ、僕は何も。でもよかったですね」


 彼女は僕と先輩が禁断の関係にあるのではないかと疑っていたので、今日のデートで疑念が晴れたのかもしれない。

 美咲さんはうれしい、僕はスッキリ。Win-Win作戦は成功だ。


 戻ってきた先輩へ封筒を渡した。裏の差出人を見て微笑んでいる。


「その名前、なんて読むんですか」

「これは七五三木しめき 二四ふとしと読むんだ。うちの大学の教授だよ。鈴木くんは知らない?」

「記憶にないですねぇ。何を教えていたんですか」

「そうか、鈴木くんは文学部だっけ。七五三木先生は数学の教授だから、接点がないんだね」


 封を切り、中から便箋を取り出して先輩が美咲さんと向き合うようにソファへ座った。


「卒業後もずっと耕助さまと交流があったのですか」

「お会いする機会はあまりなく、たまに連絡しあう程度で。この三月で退官されるとお聞きしたので、先日お手紙を送ったんです」

「それじゃ、そのお返事ですね」

「七五三木先生は数学の分野では優れた研究者として有名な方で、学生の頃から尊敬していました。ゼミでの話も面白くて。きっとこの手紙にも謎解き問題があるはずです」

「謎解きですか?」


 意外な言葉を聞いて、思わず声が裏返ってしまった。


「茶目っ気のある方で、講義の合間だけじゃなく、数学には関係ないのに課題として謎解き問題を出したこともあったからね。私が謎解き好きなこともご存じだから、きっとあると思うよ」


 そういうと先輩は開いた便箋に目をやった。


「相変わらずだなぁ」視線を上げずに顔をほころばせている。

「どうしたんですか?」

「数学への探求心はすごいのに、ほかのことには無頓着というかあまり気にしない方でね、昔から誤字が多いんだよ。卒業生名簿の簿が薄いという字になってる」


 あぁ、ありがち。先輩が尊敬するような立派な教授でもそんな間違いをするなんて、ちょっと親しみが湧く。


「やっぱりあったよ、謎解き問題。手紙の最後に『これからもこの言葉を大切にしていく』と書いてある」

「それで、どんな問題なんですか?」


 僕も美咲さんもメモの用意は出来ている。


「一人はおおきく、二人はおとこ、三人の日は菜の花が咲く。ちょっと四サ、二千日」


 読み終えた先輩がテーブルの上に便箋を広げて見せてくれた。

 僕たちはのぞきこんで書き写す。

 手紙はこの問題で終わっている。答えが書かれていないようだ。

 先輩なら解けるはずということか。


 この場合、どれが問題なんだろう。二つ目の意味不明な文か、それともまとめて一つの問題なのか。


「なるほどね」

「先輩、もう解けたんですか⁉」

「前の一文だけね。これがヒントということみたいだね」


 やっぱりイミフが問題か。ん、イミフって死語? ま、いいや。

 まずは最初の文を解かないと。

 なんかなぞなぞみたいだけれどルールがあるはずだ。基本の変換、といっても変換するような箇所がない。大きく、男、くらいかな。

 大きな男と小さな男、三人目は女性? 菜の花が咲く、って……間違った方向に進んでいる気がする。


「菜の花が咲く、も変換するのかしら」

「うーん、変換というか……置き換えですね。菜の花が咲くと言えば?」

「……春?」


 先輩が美咲さんへ笑顔でうなづく。

 一人は大きく、二人は男、三人の日は春。

 まてよ?


「分かった!」

「ほぉ鈴木くん、解けたの? 早いじゃないか」

「いや最初の文だけです」

「わたくしも分かりました。前の文だけですけれど」


 春への置き換えが大ヒントだった。

 三、人、日、この三文字を組み合わせれば春という字になる。

 一と人で大、二と人で夫、たしかに男だ。

 これがヒントなら、問題となっている後の文も組み合わせということか。


「でもね、七五三木先生らしいというか、ここでも誤字があるんだよ」


 何それ。謎解きなのに誤字なんて聞いたこともない。先輩も苦笑いしている。

 ということは、とっくに解けているんだな。


「問題に誤字があるんですか?」

「いや、答えの字を間違えて覚えているみたい。それを基に作っているから、問題は合ってるよ。ただ組み合わさった文字が微妙に違う」

「それでも答えが出せたんですか⁉」

「まあね。私は探偵だから。でも誰でも気づくと思うし、ひょっとしたら鈴木くんも間違って覚えているかもしれないよ」


 いやいや、さすがにそれはないでしょう。まがりなりにも文学部ですから。

 とにかく『ちょっと四サ、二千日』を変換して組み合わせないと。

 これもひらがなは『ちょっと』だけ。漢字に変換すれば『一寸』になる。

 句点があるから『サ』までが一文字なんだろうけれど、『サ』の変換なんていくらでもあるからなぁ。どうすればいいんだろう。

 先に『二千日』を……と思っても浮かんでこない。何かモヤモヤするんだけれど。


「このひらがなとカタカナ表記の違いは何か意味があると思うのですけれど」


 美咲さんの一言で何かが閃いた。

 あの『サ』は変換しないでそのまま使う――くさかんむりだ!

 一、寸、四。一番下に来るとすれば寸しかない。後は一と四の使い方だけど……。

 そうか! 四の下に組み込めば、これで『尊』という字になる。


 二千日のなかで上に来そうなのは千かな。二は『にすい』にするのか?

 うーん。

 あ。また閃いた。

 千の縦棒を伸ばすんだ。中央に日、下に二を置けば『重』になる!

 答えは尊重だ。


「耕助さまの言う通り、間違っていますわ」


 美咲さんも笑みを浮かべている。

 そうだった。先輩は誤字だといっていたっけ。どこだ?

 これか。尊はくさかんむりじゃないし、四でもない。


「あ、あぁ本当ですね。尊の字が間違っています」


 よかった。二人にはバレていない。

 解けた勢いではしゃいでいたら笑われるところだった。


「最後まで七五三木先生らしいよ。尊重を大切にするといいながら字を間違えているなんて」

「でもそういう教授だからこそ、先輩は慕っていたんでしょ」

「そうだね。気さくな方だからね。よく一緒に学食がくしょくへも行ったなぁ」

「懐かしいなぁ。僕はA定えーていが好きでした」

「先生はカレーが好きでね。私はB定びーていかな」


 あの定食は美味しかったな、と昔を思い出していると美咲さんが怒ったように声をあげた。


「またお二人だけで分かる話をして。ガクショクやエーテイとかビーテイってお二人だけの暗号ですか!?」

「え、美咲さんの大学には学食ってなかったんですか?」

「カレーならカフェテリアで出していましたけれど、わたくしは食べたことがありません」


 そうか、お嬢様は学食学生食堂の安いA定食なんか知らないのか。

 でも先輩と懐かしい話をするくらいは多目に見て欲しいなぁ。




―第十一謎:尊い恩師は天然お茶目系 終わり―

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