古民具喫茶 笥吽

「いや、これは僕が悪い訳じゃないよ。だって古新聞を使おうと思ったら捨ててあったから」

「また僕のせいにするつもりですか。たしかに暮れの大掃除で資源ごみとして処分しましたけれど」

「耕助さまも鈴木さまも、こんなことで喧嘩なさらないでください。もうチラシを読まれてご存じかなと思っただけですから」


 美咲さん、心配には及びません。先輩に悪気がないのは分かっているので、僕も本気で怒ってなんかいませんから。

 とにかく彼女のおかげで何となくその場も収まったので、自分の席へ腰を下ろした。先輩は奥のミニキッチンで手を洗ってから、美咲さんと向き合うようにソファへ座って話を戻した。


「その喫茶店は最近オープンしたのですか」

「今日の十時に開店だそうです。先着十名には土器のレプリカがいただけるんですって」


 ここ百済菜市は歴史と菜の花の街として知られ、古い仏像や民具などの愛好者も多い。市立博物館には『王の土器』と呼ばれる有形文化財が市の宝として展示されていて、それを狙った怪盗ドキからの予告状を先輩が解読したこともあったっけ。

 しかし意外なのは美咲さんだ。

 折込チラシをチェックしていたり、無料でもらえるプレゼントに魅かれるなんて、僕たち一般庶民と同じじゃないか。豪徳寺家だって武者小路家と並ぶくらい、お金持ちの家らしいのに。ちょっと親近感を持った。


「紅茶専門店かぁ。たまにはいいかもしれない」

「耕助さまは珈琲ばかりお飲みになるから。ぜひご一緒に行きましょう」


 ワイシャツをまくったままの左腕にはめた腕時計へ先輩は目を落とした。


「十時半か。それじゃ行ってみましょうか」


 二人は立ち上がって出掛ける支度を始めた。

 さて、僕は留守番している間に何をしようかな。


「鈴木くんも早く支度しなよ」

「え、お二人で行くんじゃないんですか」「鈴木さまも一緒に行くのですか」


 美咲さんと声が重なってしまい、お互いを見やる。


「鈴木くんは紅茶が嫌いなの?」

「いえ、そういうわけじゃ……」

「それなら一緒に行こうよ。せっかくの機会なんだからさ。そうですよね、美咲さん」

「え、ええ。まぁ」


 そんな風に言われたら、美咲さんだってあいまいに笑うしかない。

 こういうところが鈍いんだよなぁ、先輩は。だから、よけいに彼女が僕と先輩の仲を疑うことになるのに。

 心の中で美咲さんに謝りつつ、事務所を後にした。


 墨が染みたチラシを見ると、煙草屋の角を曲がってすぐのところにあるようだ。

 そういえば一ヶ月ほど前から工事していたお店があったっけ。


「お店の名前、何て読むんですかね」

「わたくしも気になっていたんです。そこにはフリガナがありませんし」


 たしかにチラシには店名らしき『笥吽』という文字が載ってはいるけれどフリガナもローマ字表記も何もない。なんとなく漢語とか仏教用語を連想させるこの言葉、先輩なら分かるのかな。


「お店はすぐそこなんだし、行けばわかるでしょう」


 先頭を歩く先輩は、振り返ってチラシを見ようともしない。

 いや、待てよ。知りたがりの先輩が興味を持たないはずがない。きっとこっそりチラシを見て、なんと読むのか確信が持てないんだ。

 足を速めて先輩の横に回り込み顔を覗き込むと、察したのか目を合わそうとせずに空をきょろきょろと見上げている。やっぱりそうか。大人げないというか、ほんと分かりやすいんだから。


「おや、お出掛けかい」


 ヤバい。角の煙草屋のおばちゃんに見つかってしまった。

 この辺じゃ話好きで有名で、僕も毎朝のようにつかまっては二十分近く付き合わされることも珍しくない。

 ましてや今日は美咲さんも一緒だから……。


「ちょっとちょっと!」


 声を潜めたおばさんが僕の袖をつかんで、たばこの自販機の陰まで引っ張っていく。


「いいのかい、三人で出掛けたりして。何ならガツンとあたしからあの先生に言ってやるよ」


 やっぱり、こうなるか。

 おばちゃんはなぜか僕と美咲さんがお互いを好きで、そこへ先輩が割り込んできた三角関係だと思い込んでいる。


「だから、おばさん! いつも言っているように僕と彼女とはそういう関係じゃないんですってば」

「先生の許婚いいなずけだっていうんだろ? そういう許されない恋だからこそ燃え上がっちまったってのも、あたしゃお見通しだよ」

「鈴木さま、どうなさったんですか? 先に行ってますね」


 美咲さんがふりかえって声を掛けてくれた。


「いけない、どこへ行くんだか知らないけど二人だけにしたらダメだよ。ほら、あんたも急ぎな」


 おばちゃんが両手で僕の背中を押した。

 引っかき回してるのはあなたでしょうが。もぉ。

 そう思いつつも軽く頭を下げて、小走りで二人に追いついた。

 左に曲がるとすぐにシックな外装のお店が見えてきた。土壁の表面をくしでひいたような細かい線が入っていて、軒のダウンライトが陰影を作っている。窓も小さくて画廊みたいな雰囲気だ。


「いらっしゃいませ」


 先輩を先頭にして店内へ入ると、カウンターの中からマスターらしい男性が声を掛けてきた。白いスタンドカラーのシャツに黒いエプロンをつけている。少したれ目のイケメンで先輩と同じように背が高い。歳は僕とあまり変わらないように見える。古民具喫茶というから年配のかたを想像していたので意外だった。

 店内も土壁風の温かみのある色調で、床は濃茶色のフローリング。落ち着いた雰囲気だ。先客は近所の主婦と思しき二人組と年配の男性一人。これなら限定の土器レプリカがもらえそう。


 紅茶を淹れるところを見たいという先輩を真ん中にしてカウンターへ座った。

 マスターの後ろには様々な形をした白いカップが並んでいる。入口の横には大きな水瓶が置いてあったり、昔の電話や脱穀機のミニチュアは飾り棚に、社会の教科書に載っていそうな土器の写真は額に入れられスポットライトが当たっていた。

 なるほど、たしかに古民具喫茶をうたうだけある。


「どうぞ」


 お水とおしぼりと一緒にメニューが差し出された。

 よく聞くものから聞いたこともない紅茶の銘柄が並んでいる。そして、メニューの右隅に書かれた店名にはやっぱりフリガナはない。いったいなんて読むんだ?


「こちらもよろしければどうぞ。開店の記念品になります」

「あっ、これ『王の土器』のレプリカですよ。うわー、よくできてるなぁ」


 僕ひとりが大きな声を出してしまい、顔が赤くなった。でも、本当によくできている。

 百済菜っ子ならば誰もが知る市の宝が、手のひらサイズでその紋様まできれいに彫り込まれていた。


「私は結構です」


 先輩はマスターへ記念品を返した。


「お気に召しませんでしたか」

「いえ、彼がウチの代表として頂いたので、それを事務所に飾らせて頂きます。ね、いいよね、鈴木くん」


 はい、とうなずいた。

 どうせ僕の安アパートに飾ってもしょうがないし。決して二人で一つという訳じゃないですからね、美咲さん。

 そう思ったのは手遅れだったようで、眉間にしわを寄せた美咲さんの視線が先輩越しに突き刺さってくる。


「ほら、あれですよ。本物をいつでも見せてもらえるからですよね」

「どういうことですの?」

「怪盗ドキからあの宝を守ったのは先輩のお手柄だったじゃないですか」

「そうかなぁ。私が解いたのは予告状の暗号だけで、実際に守ったのは警察だから。そのことを知っているのは御手洗みたらいさんたち一部の刑事だけだと思うし」


 もぉ。せっかく美咲さんの怒りを和らげようとしたのに。

 話を合わせるなんていうことは先輩が最も苦手なことだから仕方ないか。


「あのぉ、失礼ですがひょっとして探偵の武者小路さんですか」

「いいえ」


 僕たちの話を聞いていたのか、カウンターの向こうから声を掛けてきたマスターへ、先輩は即座の否定。どういうこと⁉


探偵の武者小路です」


 は、はは。これには僕も苦笑いを浮かべるしかない。

 すぐに気を取り直したマスターが話をつづけた。


「光栄だなぁ。高名な先生に開店初日にお会いできるとは。僕は先生のファンでして、この近くに先生の事務所があると聞いてここを選んだんです。いやぁ超ラッキーだ。あ、申し遅れました。僕は安須那あずなといいます」


 前のめりにまくしたてる安須那さんに、三人ともちょっと引き気味。それにしても、地味な謎解きばかりしている先輩がいつの間にか有名になっていたとは知らなかった。


「先生は謎解きがお得意だと聞いていますが、今朝の新聞もご覧になりましたか? なんだかあれも暗号みたいでしたよね」

「はて、何のことだろう。何新聞ですか」

「朝朝新聞の広告欄です」

「あぁ。ウチは読読新聞なので」


 先輩、そこですか?

 ここにありますからお見せします、と言って安須那さんが振り返るときにニヤッと笑ったように見えたのは気のせいか。二人には見えていなかったみたいだけれど。

 彼が差し出した新聞を先輩が手に取った。僕と美咲さんは両側からのぞき込む。


 新聞の下段にある広告欄には奇妙なメッセージが掲載されていた。



Dear K


若人か

滝の瀬に

死に給う

庭石の

はす向かい

自己連鎖

を忌むなど

姦しい


住む話者の倭寇すじ

壊れんドスはきわさす回す伸ばす連打

レモンレモンと寿司渡す

お酢漏れワイを汁が祝い

可愛と薄れどキス

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