第九謎:ホラーはテラーではなく、もちろんフィアーでもない IQ120(一話完結)

本心

「ただいま。あ、美咲さんも来ていたのですか」

「どうしてわたくしに電話して下さらなかったのですかっ? 耕助さまが推理すればわたくしがここにいることも分かったはずです!」


 帰ってくるなり怒られているのは武者小路 探偵事務所の所長、武者小路 耕助さん。後輩の僕はここで働いている。

 口をとがらせてむくれているのは、先輩の自称・フィアンセという豪徳寺 美咲さん。つい二十分ほど前までは笑顔を見せていたのに。


「ちょっと鈴木くん、どういうことなの」黒いロングコートをハンガーに掛けながら小声で僕を呼んだ。先輩が戸惑うのも無理はない。


 先輩が不在の中、美咲さんが事務所へ遊びに来た。毎日のように顔を出しているので別に珍しいことではない。

 先輩の帰りを待つ間に、僕が作った謎解き問題を彼女に解いてもらった。ここまでは美咲さんも機嫌がよかったんだけれど……。

 先輩が僕へかけてきた電話が気に入らなかったみたい。

 実は彼女、僕と先輩が禁断の関係ではないかと疑っているのだ。

 留守番をしていた僕へ帰る連絡をしてきただけなのに怪しんでいる、というのがこの状況。


「なるほど、そういうことか」僕の説明を聞いて、先輩は美咲さんと向き合うようにソファへ座った。

「ごめんなさい、美咲さん。たしかに私が推理すれば美咲さんがここにいることは分かったはずでした」


 えっ、そこ!? そりゃそうかもしれないけれど、ただ帰る連絡をしただけだと説明しておかないと。

 美咲さんはというと、先輩が頭を下げたので途端に機嫌が直った。分かりやすい人だ。


「それじゃ、美味しいコーヒーを淹れ直しましょう」


 ん? それじゃ僕が淹れた珈琲は美味しくないみたいじゃないか。まぁ先輩が淹れた珈琲が美味しいのは僕も認めるし、悪気がないのも分かるからよしとするか。


「それにしてもさっきの美咲さんは怖かったなぁ。ホラーみたいに」

「ホラー……ですか?」


 美咲さんがきっと口を結び僕をにらむ。

 ヤバい、冗談のつもりだったのに地雷を踏んでしまったかもしれない。


「鈴木さま、ホラーhorrorというのは嫌悪感を持つぞっとするような気持ちをいうのですが、そうなのですか?」


 彼女の圧が強い。思わず背筋を伸ばす。


「いえ、そういうわけでは……」

「ちなみにテラーterrorは直接的に身の危険を感じる恐怖、フィアーfearは不安とか心配事による恐れのことです。鈴木さまにとって、わたくしはいったいどれに当たるのですか」

「どれにも当てはまりません。ごめんなさいっ!」


 立ち上がって深々と頭を下げた。せっかく美咲さんの機嫌が直ってきていたのに、余計なことをやってしまった。


「美咲さんはイギリス留学していたくらいだから、うかつなことを言うと注意されてしまうよ」


 珈琲を淹れてきてくれた先輩が僕を茶化して場を和ませてくれた。いや、そんな気が利く人じゃないから、これが本心なのかも。


「ホラー、テラー、フィアーですか。その辺りの微妙な違いって面白いですね」

「外国の方にとっては日本語の一人称が難しいという話を聞いたことがありますわ。わたくし、私、僕、俺、英語ならすべてアイですもの」


 なるほど。うまい具合に話が逸れていくのを、ほっとしながら美味しい珈琲を飲む。ホットhotなだけに。

 いけない、またここで墓穴を掘るところだった。


「話は変わりますが、ここへ来るあいだにFMラジオでイマジンが流れてきたんです」

「ジョンレノンのですか? もうすぐ命日ですからね」

「わたくし、あの歌は穏やかな気持ちになれるので好きです」

「いい曲ですよね。その後に流れた歌もとてもいい曲でね」

「曲のタイトルは?」

「もう三十年ほど前の曲だって言ってたな。私は初めて聞いたんだけど、日本の女性歌手で……。ちょっと待って」


 先輩はノートと愛用のモンブランを持ってきた。

 また謎解き問題を作ってくれるのだろうか。

 僕も美咲さんも慣れたもので、書きとる準備をして黙って待つ。先輩は口をへの字にしながらうーんと唸りつつペンを動かしている。


「できた!」先輩が顔を上げて満面の笑みを見せる。


「話の続きで、曲名を当てるんですね」

「そう。まずはホラー」

「え、ホラー、ですか?」

「そうだよ。テラーでもなくフィアーでもなく、ホラー。それとイマジン」


 今までの話と関連があるのかな。とにかくメモしておかないと。


「どんどん行くよ。きゅう。『たま』の方だよ。それとリンゴ、バター、優しさ、暗闇、最後は高さ。この八つがキーワード、これを解いてみて」


 何なんだこれは。まったく意味が分からない。

 ホラー、イマジン、球、リンゴ、バター、優しさ、暗闇、高さ。

 この言葉から連想するもの……そんなあやふやな問題を先輩が作るはずはない。

 頭文字か。ホイキリバヤクタ。何だこりゃ。


「この順番にも意味があるんですか」

「いや、順番は全く関係ないよ。ちょっと難しいかな」


 悩んでいる僕たちを見て、先輩はちょっとうれしそう。悔しい。

 さっきの頭文字を組み替えてみても言葉になりそうもない。それなら末尾の文字はどうだろう。逆から見てみると、サミサーゴウンー。沖縄の方言にありそう。

 うーん。取っ掛かりさえつかめない。


「耕助さま、ヒントもないんですか」

「テラーでもなくフィアーでもなく、ホラーじゃなきゃダメなんです。美咲さんの方が早く気付くんじゃないかな」


 ホラーじゃなきゃダメ⁉ さっき美咲さんが言ってたのは何だっけ。たしか、ぞっとするとか嫌悪感とか。がーっ! まったく分からないぞ。このままじゃギブアップかも。


「あら?」


 美咲さん、何か見つけたの?

 彼女は手帳に何やら書き始めた。


「わたくし、変換のルールは分かったかもしれません」

「きっと合っていますよ。あとは並べ替えです」


 変換? 並べ替え? もう二人だけで楽しんじゃってるし。

 僕はお手上げです。こうなったら美咲さんが正解にたどり着くことを祈ろう。



「分かりました! 答えは『難破船』、ですか」

「正解です」

「やったー! 鈴木さまより先に解けて、うれしいですわ」


 両手を上げて喜ぶ美咲さんへ、先輩は拍手を送っている。僕に拍手なんてしたことないのに。


「僕には全く分からずお手上げでした。解説をお願いします」


 先輩が美咲さんに促す。


「テラーでもなくフィアーでもない。耕助さまがそうおっしゃったので、ホラーとの違いを探そうと英字に変換してみました。terror、fear、horror、これを見比べるとホラーだけ『o』が二回使われています。『r』はテラーもホラーも三回使われていますが、テラーは違うということなので、同じ文字を二回使うことが鍵なのかと思いました」


 そうか、変換は英字だったのか。いつもひらがなやカタカナの変換ばかりだったから、そこには気がつかなかった。


「imagineも『i』が二回、これは当たりかなと他の単語も確かめてみました」


 球はballで『l』、リンゴはappleで『p』、バターはbutterで『t』。たしかに美咲さんの言うとおり、二回使われている文字がある。


kindness優しさdarkness暗闇は『s』、height高さは『h』になります。変換して出てきた八文字は、o、i、l、p、t、s、s、hです」


 これの組み換え、答えは難破船って言ってたから……lostshipだ!

 うわー、これは参った。


「お見事です。美咲さんもすごいけれど、問題を作った先輩はさすがですね」

「まあね。私は探偵だから」


 謙遜という言葉を持ち合わせない先輩だけれど、こればっかりは事実だから仕方ない。

 今度こそ美咲さんの機嫌もすっかりよくなり、三人で『難破船』の話で盛り上がった。美咲さんが、中森明菜の歌うこの曲を知っていたことにも驚きだったけれど。

 彼女がトイレで席を外したときに、先輩へこっそり聞いてみた。


「英字変換の問題を作ったのは美咲さんに花を持たせるためですか」

「鈴木くんはホラー、テラー、フィアーのどれでもないって言ってたよね。私もそうなんだ。美咲さんの怖い顔は見たくないんだよ」


 はいはい。そういうことは本人に言ってあげてくださいね。




―第九謎:ホラーはテラーではなく、もちろんフィアーでもない 終わり―

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