打ち上げ花火

 僕からは佳衣奈かいなちゃんの右顔しか見えない。

 女性二人で盛り上がっていた話の途中で、佳衣奈ちゃんがこちらを向いた。

 彼女のおでこには前髪が掛かっている。


「三人の中で木登りが一番うまかったのはわたしだよね」

「え、うん。佳衣奈ちゃんが一番だった」


 そうだった。僕たちにはもう一人、仲間がいた。

 五年生の一学期が終わって夏休みに入るとすぐに彼は転校してしまった。それまではいつも三人で一緒に遊んでいたのに。

 だから、あのときの秘密基地には僕たち二人だけだった。


「あの木の名前、覚えてる?」口元から八重歯がのぞく。


「なんだっけ」

「モッコク。嘉堂かどうくんが教えてくれたじゃない」

「よく覚えてるなぁ。嘉堂くんてさ、動物とか植物とか虫にはとても詳しくて、いつも『へぇ、そうなんだ』って聞いてた気がするよ」

「頭も良かったし。でも、まじめな顔して面白いことを言うから、変な人って思ってた。もちろんいい意味でね」

「そういえばさ、夏になると嘉堂くんばかり蚊に刺されてたよね。『僕は蚊が子孫を残す手伝いをしているんだ』とか強がっちゃって」

「メスが卵を産むための栄養として血を吸うなんて、わたし知らなかったもの」


 そこへ先輩が二人分のカップを持ってきた。佳衣奈ちゃんと美咲さんの前へ置く。


「すいません、お茶出しは僕の役目なのに」

「いいよ、そんなこと気にしなくて。私が淹れたコーヒーの方が美味しいし」


 たしかにそうなんですけどね。悪気もなく言うから、こちらも腹を立てるわけにはいかない。 

 ソファに腰を下ろした先輩が少し身を乗り出した。


「その友達は汗をかきやすい体質だったのかもしれませんね。蚊は汗のにおいに反応しやすいといいますから」

「そうなんですか? わたくしの血が美味しいから刺されやすいのかと思っていました」

「美咲さんの血は美味しいんですか?」


 また先輩が話をに受けてる。

 それよりもなんで美咲さんが顔を赤くしてるのさ。何を妄想してるんだか。

 まったくこの二人は。


「ところで、今日お見えになったのは私に何かご相談でしょうか」

「先生にお願いするほどのことではないのですが」


 佳衣奈ちゃんがあらたまってバッグから少し黄ばんだ紙を取り出した。青い罫線があるから、ノートの一ページを破ったものみたいだ。

 それを先輩ではなく僕に渡してきた。


「これ、嘉堂くんが引っ越す前にわたしにくれたの。そのときは意味が分からなくって。でも捨てられずにしまってあったんだけれど、部屋の片づけをしていたらでてきてね。懐かしくって、鈴木くんにも見て欲しくて」


 広げてみるとノートの真ん中に意味不明なカタカナが並んでいる。


 フ コ ウ ミ タ

 シ ス サ ア イ

 ギ ニ ネ ク ノ

 ナ セ ロ ワ モ

 デ マ エ カ リ


「なにこれ」

「でしょ?」

「これも書いてあったのですか」


 のぞき込んだ先輩が指をさしたのは、紙の右上に書いてある「夏と言えばこれ カドー」の文字。たぶん彼の字だと思う。


「はい。そうです」

「あなたに渡したとき、その友達は何か言っていましたか」


 彼女が僕をちらっと見た。


「僕からのメッセージだ、って言ってました」

「鈴木くんも仲がよかったんだよね。彼からこれと似たようなものをもらった?」

「いいえ。嘉堂くんが佳衣奈ちゃんに何か渡していたなんて、初めて知りました」

「別に秘密にしていたつもりはないの。このメッセージの意味も分からないし、鈴木くんに話すタイミングもなかったし……」

「いいよ、気にしてなんかいないから」


 そう。僕が気にすることじゃない。

 これは嘉堂くんと佳衣奈ちゃん、二人のことだから。

 それにしても彼は何を伝えたかったのだろう。

 彼女が先輩に体を向ける。


「鈴木くんが働いている探偵事務所は謎解きが得意だとネットの口コミにもあったので、せっかくだからお願いしたいと思って。小学生が作ったものですけど、どうでしょうか」

「小学生が作ろうと、ご先祖様が作ろうと、そこに謎があるのなら逃げはしません。なにせ私は名探偵ですから」

「すてき! 耕助さま」


 目をきらきらさせて両手を組んでいる美咲さんへ軽く微笑むと、先輩はすぐにまじめな顔に戻り「でもね」と続けた。


「この謎を解くべきなのは私ではなく鈴木くん、キミでしょう」


 そりゃ佳衣奈ちゃんからの依頼で、しかも嘉堂くんが絡んでいると知ったからには僕がなんとか解き明かしたい。

 左に顔を向けると彼女と目が合った。


「もちろん私も投げ出すわけではありませんが、うちの助手はこう見えてなかなか優秀なんですよ」

「先輩……」

「私ほどではありませんが」


 それは余計です。そんなことはみんな分かっているし。


「よろしくお願いします」


 佳衣奈ちゃんは先輩にしたのと同じように、僕にも頭を下げた。


 あらためて嘉堂くんからの謎のメッセージを読み解くため、ノートをコピーして四人に配った。

 縦読みしても意味が通らないし、重複して使われている文字もない。字数は二十五だから複雑なものではないと思うけれど。


「やっぱりこの添え書きが謎を解く鍵なのかしら」

「日比谷さんに渡したのがこの紙だけで、ほかには何も言っていなかったのならそういうことになるでしょうね」


 美咲さんのつぶやきに先輩が愛用の万年筆モンブランを持ったまま応える。

 過去のパターンだと「夏と言えばこれ」はナツをコレに置き換えるというのがあったけれど、ここにはツの文字は使われていないし、素直に考えてみよう。


「小学五年生の考える『夏と言えばこれ』って、宿題の自由研究や絵日記かなぁ」

「わたしは水泳教室。あとはセミの声に……夏祭り!」

「わたくしの小さい頃は夏になると斜礼しゃれの花火大会が楽しみでした。あの打ち上げ花火は見事ですもの」


 百済菜くだらな市の中心部から北西に約六十キロメートル離れた斜礼町は、古くから大陸との交易で栄えた港町だ。毎年、八月初旬に行う花火大会では海上からの打ち上げ花火が目玉となっていた。


「そういえば以前、市立中央公園でも打ち上げ花火をやったよね。あれはたしか百済菜市制五十年を記念してのものだったから、もう二十年くらい前か」


 あぁ。

 百済菜っ子の先輩だもの、あの打ち上げ花火を覚えていないはずはない。

 僕は佳衣奈ちゃんと一緒に秘密基地から遠くに上がる花火を見ていた。そして、あのあと……。

 あれから二人で遊ぶことは少なくなっていった。彼女は気にしていないと言ってくれたけれど、僕は自分を責めていた。

 そんなちくちくした思いを知るはずもなく、謎解きのディスカッションが続く。


「ほかに夏の風物詩ってあるかしら」

「スイカ割りはどうですか」

「そうめんも夏ならではって感じがする」

「うーん。どれも謎を解くカギとしてはピンとこないね。小学生ならではの発想による暗号なのかもしれないな」


 先輩の言うとおり、今まで挙がったものはキーワードになりそうもない。ちょっと視点を変えないといけないかも。


「あのぉ」行き詰った感が満ちたところで、美咲さんがためらいがちに切り出した。


「明後日の土曜日って斜礼の花火大会ですけど、よかったら耕助さま、ご一緒しませんか」

「いいですね。久しぶりに見に行きましょうか」


 美咲さんの顔がふぁっと華やいだ。


「日比谷さんもご一緒にいかがですか。鈴木くんはどうせ暇でしょ」


 先輩! たしかに僕は暇ですけど、せっかく美咲さんが誘ったんだからそこは二人で行かないと。

 さすがに佳衣奈ちゃんも空気を読んで戸惑っている。


「いえ、でも、お邪魔でしょうからお二人でどうぞ」

「邪魔なんかじゃありませんよ。私の車は四人乗れますし。ね、美咲さん」

「……そうですね、せっかくだから鈴木さまもご一緒に四人で打ち上げ花火を観に行きましょう」


 美咲さんは悟りを開きつつあるのかもしれない。

 謎解きはそれぞれが続けるとして、とりあえず明後日は花火大会へ行くことになった。

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