僕にはお手上げです
とりあえず四つ目の仮説は置いといて、三つの仮説について僕たちは手分けして調査、検討することになった。
もう一度、岩見沢邸へお伺いして確認したいことがあるようで、先輩は奥様へ電話をしている。
その間に、美咲さんへ声をかけた。
「岩見沢さんが盗作しているかもと先輩が指摘したのは、あくまでも可能性ですからね。本気でそう思っているわけじゃないと思いますよ」
「ええ、わかっています。ただ、そこまで考えるのかということが少しショックでした」
「先輩は謎が解きたいだけなんですよ、きっと。それに、万が一、万が一ですよ、第二の仮説が正しかったとしても、それを奥様へ伝えるかどうかは別の話です」
うつむき気味だった美咲さんが顔を上げて僕のほうを見た。
「鈴木さまはお優しいんですね」
そう言われても自覚はないんだけれど。
彼女は電話をしている先輩へ目を移した。
「わたくしも、たまたま手近にいただけなのかしら……」
「え?」
なにかつぶやいた彼女へ聞き返す。
「いえ、何でもありません。わたくしも精いっぱい頑張ります」
いつものように柔らかい笑顔を美咲さんが見せてくれたので、ちょっと安心した。
僕も負けずに自分がやるべきことをやろう。
「三日後に岩見沢邸へ行くことになったから。それまでにできるだけ調べてみよう」
先輩の言葉で、この日は解散となった。
翌日から、この楽譜を暗号として解く挑戦が始まった。
そもそも暗号かどうかも分からない。先輩や美咲さんが答えを見つけるかもしれない。それでも、僕なりにこの楽譜に取り組んでみる。
まずは基本となる変換を試してみよう。
今度は中学の時に習ったイロハ式(呼び名まで覚えていない)に書き換えた。
ホ ニ ヘ ホ ト ト ニ ロ ト ホ ホ #ニ ホ ト #ホ ヘ ロ
ロ ト イ ト ト ロ ハ イ ト ヘ ヘ ハ ト イ イ ハ ト
やはり意味をなさない。規則性の手掛かりすら見つからない。
次は英米式。
E D F E G G D B G E E #D E G #E F B
B G A G G B C A G F F C G A A C G
予想通り、単語として見つけられるのはEGG=卵くらいかな。
ドイツ式に変えたとしてもBがHになるだけだから大差ない。それにドイツ語は分からないし。
音名で使われる文字はドレミファソラシの七つしかないから、この組み合わせで言葉を作ろうということ自体に無理がある。
ならば違う視点から考えなきゃ。と言ってもどうしたらいいか分からないので、思いつくことを挙げてみることにした。
目につくのは使われている音の偏りだ。
右手パートはドとラ、左手パートはレとミが使われていない。
左手パートではオクターブ違いのラを使っているけれど、右手パートではレとファは一オクターブ高い音のみが使われている。そのレとファは#がついているものとついていないものがあるし。これは違和感があるんだよなぁ。
違和感と言えば、先輩も言っていたけれど、最後の二音だけ八分音符になっているのも無理やり合わせた感が……。
ん!? 待てよ。ト音記号もヘ音記号も無視して、単なる絵として重ね合わせたら……位置の重なる音が三つ。ミとソとミ、順に四、六、十三番目の音だ。
だからどうした、ということしか思いつかずに二日間が過ぎてしまった。
先輩は事務所で古い音楽雑誌を引っ張り出して何か調べたりしていたけれど、どうも進展はなさそうだった。つまり岩見沢さんが盗作していた決め手はないということだから、それはそれで喜ぶべきことなのかもしれない。
あとは姿を見せていない美咲さんに期待するしか――そう思いながら事務所へ向かって自転車をこいでいると、見覚えのある後ろ姿の女性が前を歩いている。
「おはようございます、美咲さん」
「あ、鈴木さま。おはようございます」
両手を前に重ねてお辞儀をする彼女は、ベージュのチェック柄スカートに白いシャツ、淡いモスグリーンのカーディガンを羽織っていた。
先輩も服装のセンスはいいけれど、美咲さんも上品さがにじみ出てる。やはりお似合いの二人だな。
顔を上げて歩き出した彼女の表情は曇っていた。
隣に並び、自転車を降りて押していく。
「美咲さんも行き詰まりですか」
「それじゃ、鈴木さまも……」
「僕の頭で思いつくことはすべて試してみたんですけど、何も浮かび上がってきませんでした。気づいたこととかを箇条書きにまとめてあるので、あとでプリントアウトしますね」
「私も岩見沢先生の短調曲を中心に調べてみたのですが、うまくはめ込むことが出来そうな曲はありませんでした。そもそも高低ともに単音であのリズムという曲がないんです。何か意図して作られたものだと思っていたのに」
「先輩の方も手掛かりさえ見つかっていないみたいです」
「そうですか。何も進展がないのに奥様とお会いするのは気が引けます」
「あの譜面を見つけた状況を詳しく聞きたいと先輩が言っていましたから、何か手掛かりが見つかるかもしれませんよ」
「そうなればいいですね」
などと話をしているうちに事務所の前まで来た。
あっ!
話に夢中になっていて、煙草屋のおばちゃんのことをすっかり忘れていた。こちらをじっと見ていそうで振り返るのが怖い。気づかなかったことにして、このまま事務所へ入ろう。
ちょうど珈琲を淹れ終わったところなのか、愛用しているマイセンのカップを手にした先輩がソファへ座ろうとしていた。
自分がやるという美咲さんを抑えて先に座ってもらい、ミニキッチンから二人分のカップを手に戻る。
「いま美咲さんから話は聞いたよ。私の方もこれといった手掛かりは見つからなくてね。こうなってくると、暗号説か第三者説が有力な気がする」
「でも、僕の方もさっぱりですよ」
席を立ってパソコンを立ち上げ、まとめた資料を印刷して二人へ渡した。
「うーん、何か引っ掛かるんだよな。明らかに作り手の意図が感じられるけれど、解くカギが分からない」
さすがの先輩も今回は苦戦している。
三人で眉間にしわを寄せながら、岩見沢邸へと向かった。
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