ニルヴァーナは死である。
至高の愛のフィナーレは死だ。
あの人からは死臭がする。
あの人の立ち振る舞いが、一つ一つ黄泉に属してるとしかいいようがない。
悦楽!
それは永遠を求める。
生きながら、私は死んでいく!
今、あなたは何をしていますか?
私は臨終を前にした聖者のごとく安らぎに満ちています。
男として十字架を背負って生きてきた。
でも、女、人生を深く愛していたから苦しみはなかった。
この世で一番強いものは、原子爆弾だ。
辛酸をなめ、闇とカオス、黄泉をなめわしてきた。
負けるのは悪くない、しかし、リスクを恐れて行動しないのは罪だ。
私は、人から尊敬されたくて芸術家を目指したんじゃない。
そうではなくて、人格と自我に反逆するために芸術家になったんだ。
自然がうらやましかった。
自然に嫉妬していた。
そして、自然とは女である。
私は完全にデリケートな創造行為に嫉妬していた。
ダヴィンチが、神に嫉妬していたように。
神とは単に女のことである。
悟りとは、人格の死、君が自然と肩を並べることを意味する。
創造者なる母なる神。
この聖霊の意識に上れば、世界の創造の意義が見える。
万物の設計図。
神のマインドに参入する。
ある人が聞いた。
「悟りとは何ですか?」
聖者は言った。
「貴方の観念や思考を全部脇において、今ここにあってください。何が見えますか?」
「パソコン、キーボード、絵画、カーテンが見えます。」
「そうです。それだけです。それが悟った人の意識です。」
宝石が花の上におかれたら、花の色に染まるように、意識が客体だけで占有されている状態、刻々とそのように生きてるとき、悲しみと苦しみの終焉がある。
あらゆる苦しみは、「今」にはいるには大きすぎるから。
「今」という永遠に、永遠にとどまれる能力を悟りという。
永遠に、永遠にみちびいいたものは、やはり永遠であった。
彼の目の中には、宇宙があった。
それは狂人ににていたけど、それよりはるかに醒めていた。
私がまだ、悟ってなかったころ、覚者にはじめてあったときを思い出す。
覚者「もう、人生において苦しむことはなくなりました。」
私「本当に、苦しみはないんですか?」
覚者「たとえば、どんなことで苦しみを感じますか?」
私「憎い人を思い出したときなど。」
覚者「いま、昔の憎かった人や出来事が思い浮かびましたが、心は波立ちませんでした。」
彼は、内的な思考が完全に静まっていた。
君が、苦しむのはトラウマのせいだ。
君がやましいと思ってることは、想起されることを止めない。
ニルヴァーナとは、トラウマをほりだし見つめたとき、それが全部消え去ったときに起こる、死、自由である。
そのとき、君は心の赴くままに行動しても、間違ったことをしないだろう。
以上は、体験から語られた、すべての悲しみと苦しみからの卒業論文である。
すべての生きとし生けるものが、物事をありのままに見る強さをもち、涅槃の安らぎに入りますように。
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