インスタント
@araki
第1話
チャイムが鳴った。
専田が振り返ると、入口に一人の女性が立っている。赤いコートを羽織ったその下には黒いワンピースがのぞいていた。
「まだやってます?」
「ええ、まあ」
壁の時計を見やれば、午後10時半前。ぎりぎり営業時間内ではあった。
「とりあえずこちらに」
「ありがとうございます」
専田が勧める席に女性は腰を下ろす。やつれた顔。着ている服もくたびれた印象を受けた。
「どういったお部屋をお探しでしょうか」
専田は世間話も挟まず本題に入る。仲良く談笑する気にはなれなかった。
「できる限り早く入居できる部屋があれば」
「早くとは具体的には?」
「できれば今すぐにも」
さすがに無理な相談だった。しかし、向こうはどうやら本気のようだ。彼女の横には大きめのスーツケースが待機していた。
「他に何か条件は」
「個人的には人付き合いのある所が好ましいです。ただ、それは必須ではありません」
「そうですか……」
専田は席を離れ、賃貸カタログの棚を物色し始める。専田の記憶にあるお薦めの部屋はどれも、入居までに一週間は必要。女性の要望に応えるのであれば訳あり物件にしか望みがなかった。
即日入居を謳う部屋はいくつか見つかった。しかし、
『壁薄い。テレビの音でさえ騒音問題に』
『異臭がひどい。もはや馬小屋』
『前入居者の遺体発見現場』
など、どのページにも赤い字で走り書きしてあった。どれも専田の字だった。
「どんな部屋でも構いません。住めるだけで十分ですから」
専田はちらりと目を向ける。女性はじっと専田を見つめている。微動だにしないその佇まいは、彼がないと言っても簡単には引き下がりそうにない様子だった。
――仕方ない。
実情を知れば向こうも躊躇するだろう。それで引き下がれば良し。その程度の考えで専田は幾枚かのカタログを女性の前に提示した。
「いくつかございます。ですが正直に申し上げますと、どれもいわく付きです。お勧めはできません」
「………」
女性は食い入るようにカタログを確認していく。専田の声は耳に全く届いていない様子だった。
やがて、
「これにします」
女性は一つの物件を指さす。
確認した瞬間、専田は目を丸くした。
「お客様、それは」
「衣食住を見てもらえるのはありがたいので」
「いえ、そちらの意味ではなく」
「ああ、そっちですか。それでも構いませんよ。慣れてますので」
「ですが――」
「大丈夫です」
女性は専田の声を遮り、そして言った。
「一昨日、父を看取ったばかりですから」
女性が選んだ物件、そこには『大家の世話つき。余命一ヶ月』と書かれていた。
インスタント @araki
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