飴を舐めていらっしゃいます

のぎく

第1話

わたくしゲルトラウト・アルベルガはアルベルガ伯爵の娘として十四年前にこの世に生を受けました。以来今日この日に至るまで立派な令嬢となれるよう日々自分自身に鞭を打ち勉学や礼儀作法、詩や刺繍、ダンスと努力を怠りませんでした。

 全てはお家の名に恥じぬ淑女となるため。


 しかし、それはどれもわたくし自身の趣味にはなり得ませんでした。


 知らない事を知れるので学ぶことは楽しかったですし、一流の令嬢にだんだんと近付けている気がして礼儀作法を学ぶことは苦ではありませんでした。著者の思いが詰め込まれている詩を読み想像の世界に浸ることも好きでしたし、日々上達していくと実感できる刺繍やダンスも面白かったです。

 けれど、どれもが楽しい、好き、面白い、止まりで趣味とは言えませんでした。


 何か趣味が欲しい。いつのまにかそう思うようになったのです。


 そんなわたくしはある日、悩みの末、とでも申しましょうか、趣味と言えるものを見つけることが出来ました。

 それはお相手のお話に対して「つっこむ」ことです。初めはお相手のお話にそんな事をするのはいくら聞こえていなくとも失礼にあたる、と自分を叱咤しました。けれど、止めることが出来なかったのです。

 ついついつっこんでしまう度にいけない、とは思いつつ沼に沈んでいくかのようにどんどんとはまっていってしまいました。


 そこでわたくしは考え、お相手に聞こえていないのならばいいのではないか、と開き直ることにしました。それからは表情から考えを読まれないようより一層貴族令嬢として努力してまいりました。考えを読ませないことも一流の令嬢として出来なければならないことですから。


 それから三年経った今日、わたくしは婚約者候補としてとある侯爵様の御屋敷に招かれました。お相手はこの御屋敷の御当主、ブリングマン侯爵様唯一のご子息、アルノルト・ブリングマン様。わたくしよりも二年お早く生を受け、すでに社交界にデビューをしていらっしゃいます。

 来年に社交界デビューを控えているわたくしよりも先にデビューを果たしましたお友達に聞いた話によれば、彼はその美貌から数多くの様々な年代の女性達に大変人気があるのだそうです。婚約者がいらっしゃらないためその座を狙う子も大勢いらっしゃるとか。

 その話を聞いた時は数多の女性達を虜にしてしまうなんてどんな方なのかしら、と少し興味を持ちました。そして同時にわたくしなどではお話することも叶わないのでしょう、とも思ったのです。けれど、人生とはどうなるか分からないものですね。そのように思っていた方の婚約者候補になれるなど夢にも思いませんでした。


 一度もお目にかかったことはありませんし、わたくしは特別目を引くような美しい容姿も持ち合わせてはおりません。友人達はわたくしのことを美人だから絶対婚約者になれるわ、とお世辞を言ってまで応援してくださいましたが、きっとその期待に応えられることはないでしょう。


 せめてつつがなくこなし、失礼にあたらないようにしてやり過ごしましょう。


 緊張を和らげるため深呼吸を三度ほど繰り返した時でした。こんこん、と扉の方から軽いノックの音がしました。


「アルノルト様をお連れしました。入室してもよろしいでしょうか」

「はい、どうぞ」


 わたくしは立ち上がり、お相手を出迎えます。

 音も立てず開かれた扉から入って来られた方に視線を向け、意図せずして見惚れてしまいました。


 光を反射してキラキラと輝く金色の御髪に宝石のような赤紫の瞳、ほかのそれぞれの部品も顔に上手く収まっており、とてもお綺麗なお顔立ちをされていました。黒と白を基調とした服装はまるで彼のためだけに存在しているかのようです。なるほど、これは女性達が放っておかないわけですね。


 と、そこでわたくしは慌てて淑女の礼をとりました。いけませんね、見惚れて礼を欠くとは淑女として失格です。今からでも挽回せねば。


「アルベルガ伯爵が一子、ゲルトラウト・アルベルガと申します。本日はお招きくださり感謝の念に絶えません」


 普通でしたらここでお返事を返され、そこでようやく頭を上げることが出来るのですが………どうしてでしょうか。一向にお返事をいただけません。


 それからどれほど経ったでしょうか。耐えかねたわたくしはそっと顔を上げます。

 すると扉の前にお姿のあったアルノルト様がいらっしゃいません。内心少し焦りながら視線をわたくしが座っていた場所の前の席に移します。すると、そこには腰を掛けるアルノルト様のお姿が。


 わたくしは思わず固まってしまいました。こんな事は初めてです。いったいどうすれば良いのでしょう。


「……」


 わたくしの視線に気が付いたのかアルノルト様はす、と手で座るよう促されます。わたくしは戸惑いながらもその指示に従いました。


 せめて挨拶くらい応えて欲しかったです……。紳士として、また一人の男性として女性を無視するのはどうなんでしょうか。この方はもしかしていつもこうなのかしら。それじゃあいけませんよ……わたくしはまあいいですが、これはいらしてくださったお相手に失礼すぎます。次から気をつけてくださいね。


 わたくしが腰を落ち着けると、メイドの方が香りの良い紅茶を入れてくださいます。なんとなくですが、ほっとしました。気分を落ち着かせる作用でもあるのでしょうか。ああ、いい香りです。


 一礼をしてメイドの方が後ろに下がると、また気まずい沈黙が落ちました。


 これは……。


 礼儀作法の先生からは『どんな予想外の事が起きようとも常に正しくお淑やかにやり過ごしなさい』と習いましたが、この状況はいったいどうすれば良いのでしょうか。先生に応えを仰ぎたい気持ちがふつふつと湧いてきます。

 いいえ、そのような考えを持ってはいけませんね。常に自分で正解を導き出さなければ。まずはこの状況をどうするかですね。


 頭の中でいくつかの案を立てていた時です。わたくしはふと気付きました。アルノルト様のお口が微かにですが、動いている気がします。


 じっと凝視するのは失礼にあたりますから気づかれないよう配慮して観察してみます。


 ……やはり動いています。何かを言おうとして躊躇っている、といった風ではありません。むしろ何かを含んでおられるかのような………注意深く五感を研ぎ澄ませて観察します。


 小さくですが、ころ、という音が聞こえました。これでもわたくしは耳が良い方です。やはりアルノルト様は何かを口に含んでおられます。

 そして偶に頬の一部が小さく丸い何かで突き出されて……。


 ………ありえないとは思いますし、信じられない思いですが……推察し、出した答えは飴、でした。


 アルノルト様は口に飴を含んで、いえ、飴を舐めていらっしゃいます。


 え、えええええええ。な、なんで今飴を舐めたいらっしゃるのですか?先生、この状況を打破するのはわたくしには無理です!知識と経験が足りません!どうしましょう!


 というかこのような場で何故飴なのですか!飴はいけませんでしょう!しれっとした顔で座っていますし、そのお綺麗な顔を澄ましていらっしゃいますがいけないものはいけませんよ!誤魔化せておりません!!


 と、とりあえず落ち着きましょう。

 そ、そうです。とりあえずこの沈黙を破りましょう!そうして会話が弾んでからそれとなく聞き出してみるのです。


 というか、………第一に招いた側として沈黙もどうなんですか!?


「アルノルト様、とお呼びしてもよろしいでしょうか」


 痙攣らないように気をつけて笑みを浮かべます。しかし、返事は返ってきません。


 返事は出来なくとも反応は返してくださいよ!わたくしが求めているのはそんなお綺麗なお澄まし顔ではなく反応です!!そっち要りませんから反応ください!


「ええっと……改めまして、本日はお招きくださりありがとうございます。この様な快晴の素晴らしき日にお目にかかる事ができ、光栄にございます。」

「………」

「最近は春が近づいてきましたね。暖かな日が続き、先日までの寒さが嘘のようです。もう少しすればお花見もできることでしょう。アルノルト様はお好きな季節はおありでしょうか」

「………」

「この紅茶は香りも良いですが味も素晴らしいですね。どこから仕入れているのでしょうか。お恥ずかしながら茶葉に関しては無知でして、産地を伺っても分からないかもしれませんが」

「………」


 反応ーー!!どうしてですか!?先程からわたくしと目を合わせてはくださいますが一切の反応は返してもらえません!というか、微動だにしないのですが!彫刻のように動かないのですが!!動くとしたら口元だけ、ってなんですか!!


 はっ。いけません。冷静にならないと……。一流の淑女ならばどんな時でも冷静に考え、行動に移さなければ。


 ええっと、他に何か聞く事は……聞かなければならないこと……


「あ、飴は美味しいですか?」


 ちっがーーう!!


 あああ、やってしまいました。冷静になりきれていませんでした。確かに聞くことというか、私の中では聞かなければならない事でしたが、違います。聞かなければならない事は当たり障りのない世間話ですよ!!

 というか貴方が答えてくれないせいですよ!


 そしてまず飴が美味しいかどうかなんてどうでもいいー!その飴のせいでわたくしがこんな失態を犯してしまったのにいい!!飴さん責任とって不味くなってくださいーー!そしてその人の口を開かせて!!


 内心でツッコミまくっていますと、アルノルト様は紅茶の入ったカップを手に取られ口元まで持っていかれました。もしかして飴は舐め終わられたのかしら。


 ……よ、ようやく終わります。こんなに気まずい沈黙は初めてでした。


 アルノルト様が今までの質問にどのような反応を返してくださるのか、待ちます。

 紅茶を堪能し終えるとカップを音もなくソーサーに戻され、そして徐に上着のポケットを探り始めました。何をする気なのでしょう。


 取り出されたのは………飴が入っていそうな包みでした。それも二つ。


 ………。


 一つの包みを開き始めます。……もしかしてとは思いますが食べるんですか。

 口元に持っていかれます。

 あ、食べるんですね、食べるんですか。えええ。


 はあ、その飴が思わず吐き出してしまうほど不味くなるおまじないか何かないでしょうか。それかアルノルト様のお口にどうやっても飴が入らないおまじない。あったとしたらいますぐ実践しますのに。


 そんな事を考えていますと、ぴた、と飴を持つ手が口元で止まりました。

 そして何故か口元まで持っていかれた飴を包みの上に戻されます。


 もしかして、話をしてくれる気になったのでしょうか。そうだとしたら嬉しい……、

 え、待ってください。なんでもう一度飴を口元に……あああ、食べちゃダメです!お願いですから!

 包みの上に戻されます。

 ほっと安堵しました。

 また口元に持っていかれます。

 あああああ。

 戻します。

 ほっ。

 持っていかれます。


 ………もう何がしたいんですかあああ!?食べるなら早く食べてくたさいよ!いえ食べないでください!


 その手にある飴の包みはどちらも同じですね!もしかして同じ味ですか?どのような味なのかは分かりませんし考えたくもありませんが同じ味のものしかないのですか?……って考えるところが違います!!


「……包装は同じですが味は一つ一つ違いますよ」

「そうなのですか。どのようなお味か伺っても?」

「果物類の味です」


 へえ、美味しそうですね。


 ………喋られました。普通に流しましたけど、今、喋られました。


 素敵なお声ですね。低くてわたくしは好みのお声でした……じゃありません!!第一声がそれですか?飴の話ですか!といいますかわたくしはそんな質問は声に出しておりません!心の中で思っただけです!読めるのですか、読めるのですね!?どうすれば心の声が読めるのですか!すごいですね!


「ありがとう」


 どれですか!素敵なお声の部分でしょうか、それとも最後のすごいですね、の部分ですか!?


「両方ですよ」


 だから読まないでください!どうして読めるのですか!顔に出てますか!?いいえそんなはずはありません!それだけは自信がございます!


 アルノルト様はハンカチーフを机に広げると、手にお持ちになっていた飴のほかにポケットからも数個取り出され、そのすべての包みをおとりになりハンカチーフの上に置かれました。

 その色は確かに全て違うものでした。赤、黄色、橙、桃色、紫。全てが照明の光に反射してキラキラと輝いています。美味しそう、というよりもきれい、という感想がぽろっと漏れてしまいそうです。


「家の企業で作っているものなんですよ」


 ブリングマン侯爵家は大企業の製菓メーカー社長として有名です。一代で一、二を争う大企業を築かれ、社交界でもその手腕を讃えられているそうです。


 ニコリ、とアルノルト様は初めて笑顔を見せてくれました。

 こんな笑みを見てしまった方々はもうこの方の虜になること間違いなしですね。笑みを浮かべていなくとも虜は作っていらっしゃるようですが。でもわたくしは綺麗、とは思いましても虜にはなれません。好きになろうとその想いが成就することはない、と気を張っているからでしょうか。


 アルノルト様が前屈みになっていた背を起こすと、その長めの金髪が肩から垂れてきました。わたくしは生来白髪なのでこういった色彩をお持ちの方を見ると羨ましく思ってしまいます。無い物ねだりはいけませんのに。


「私は白も綺麗だとおもいますが」


 ……心の声を読むのはやめてください。どう読んでいらっしゃるのかは分かりませんが、読んでも答えないでください。個人情報の漏洩です。一瞬でも嬉しく思ってしまったではありませんか。


「ああ、そういえば白い飴もありますよ」


 ポケットから一つの包みを取り出されました。なぜ包まれているのに中の色が分かるのでしょうか。目印でもあるのですか?


 ころん、と包みから取り出されたその飴は、言葉通り真っ白なものでした。濁りもない透明に近い白。

 他の種類の中で、一番綺麗だと思いました。


「白は無色だからこそ私は一番綺麗だと思いますよ」

「そうでしょうか。確かにこの飴は綺麗ですが……」

「何色にも染まりやすく見えるのに何色にも染まらないんです。私が一番好きな色です」

「………わたくしも好きな色ではあります」


 好きな色ではありますが、やっぱり無色だと他の色にも憧れてしまうのです。


「憧れるのは決して悪いことではないと思いますよ」


 だから読まないでください。


 赤紫のその瞳がまっすぐとわたくしの目を見つめています。何故か透き通るようなその瞳を持つアルノルト様は柔らかく、優しく微笑んでおられました。それにわたくしも何故かつられて笑ってしまいます。


 見目は確かに美しいですし、女性に人気が出るのは分かります。でも、きっとそれだけではないのでしょう。知らずとも、分からなくとも、滲み出るこの優しさに惹かれている人もいるのだと思います。わたくしの勝手な憶測ですが。


 とはいえ飴を舐めながら登場されるのはどうかと思いますが。一体何が目的だったのでしょうね。

 ……気にはなりますが、一婚約者候補でしかない、婚約者になる事は絶対にないわたくしが聞けることではありません。このような疑問は忘れてしまうことにしましょう。


 それにしても、ようやく普通の会話ができました。沈黙がなくなって内心ほっと息を吐き出します。


「この白はどのようなお味なので……」


 パク。不意にアルノルト様は白の飴を口に含まれてしまわれました。


 ………何故今食べたのですか。


「………どのようなお味なのでしょうか」

「………」


 やっと普通に話せたと思ったのに、この仕打ちはあんまりではありませんか。


「………アルノルト様はどの味がお好きなのでしょうか」

「………」


 とんとん、と口元を二度叩かれます。そのお味がお好きなのですか。というかこれは答えていただけるんですね。なら他の質問にも何か反応を返して下さいませんか?……もしかして反応の返しやすい質問をすれば返してもらえるということでしょうか。


「 二番目にお好きなお味はありますか?」

「………」


 なんで反応返してくれないんですか!ないんですか!ないんですね!?


 アルノルト様は首を横に振られました。

 だからどうして心を読むんですか!!どうすれば読めるのですか!あるなら反応を返してくださいよ!!


 そうです、心の声を読まれるのは抵抗がありますが、背に腹は変えられません。心の中から問いかけてみましょう。心の声になら反応をくれるかもしれません。


「………」

「………」


 飴がお好きなのですか?

 反応はありません。

 甘いものはお好きですか?

 反応はありません。

 先日は一日だけ寒さが戻って参りましたね。一気に気温が変わってしまうと体を壊す方もおられるそうです。アルノルト様は風邪などはお引きになられませんでしたか?

 反応はありません。

 飴がお好きなのでしたら雨もお好きだったりするんでしょうか。

 反応はありません。


 ………可笑しな事を言ってしまったではありませんかあ!!あああ、恥ずかしいです!せめて今の質問だけでも何かしらの反応が欲しかったです!!いえやはり欲しくありません!!


 うう、アルノルト様のせいですよ!!どうしてくれるんですかあ!!


 反応はありませんでした。







  *************





 つ、疲れました。わたくしは帰りの馬車に揺られながら、だらしなくも背凭れにしなだれかかっております。

 こんなに疲れたのはいつぶりでしょうか。この疲れが緊張からなのか、ツッコミのしすぎなのか、散々振りまわされたからなのかは今になっては分かりません。


 でも。疲れはしましたし、更に言うならば散々だったと言える時間でしたが、今になっては不思議と嫌ではなかった、と思えるのです。それどころか楽しかった、とも。………まあもう二度とこんなことはないでしょうし、する気もありませんが。


 ふいに、柔らかく、優しく微笑むアルノルト様のお顔が脳裏をよぎりました。

 私はあんな風にあの方と話す事はもうないでしょう。婚約者が決まればもう縁も何もなくなるお方です。

 いえ、もしかすると来年私が社交界にデビューすれば挨拶をすることもあるかもしれません。その時はきっと、綺麗なご令嬢が彼に寄り添っていることでしょう。


 わたくしはもう縁も何もなくなる身ですが、せめて祈ります。彼の方に素敵な生涯のパートナーが現れるように、と。………その方が心の声を読まれないようにも祈ります。


 しかし困りました。お世辞を言ってまで応援してくれた友人達になんと報告したものでしょうか。婚約者になれず落ち込んでいる、と思われないようにうまく言わなければなりませんね。


 そんな事をその時のわたくしは考えており、帰宅してからは友人達への説明の言葉をも考えていましたから、その説明が無駄になるなど、来年社交界デビューした際あの方に寄り添う綺麗なご令嬢を見る事は無いのだとは考えもしなかったのです。


 それをわたくしが知るのは、たった一週間後のことでした。

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