第59話 フリースクールラスト

 俺と美和さんはあの後ホテルに行った。美和さんは冗談ではなく俺に惚れたらしい。事務所に来た俺の目を見て、運命を感じたのだと言った。俺も美和さんの魅力にやられていた。俺は初めて男とのセックスを経験したが、正確な感想を言うと、美和さんは男性器がついているだけの女だった。俺は、エミやユウナとのセックスでは到底辿り着けなかった境地に達した。行為の間中、何度も焦らされ、何度もいかされた。その度に美和さんを好きになっていった。色んな性的嗜好があると思うが、俺は美和さんの身体に、すなわち胸もあり、くびれもあり、細い手足や魅力的な唇、俺のより小さな性器がついている身体に、どっぷりとはまってしまっていた。




俺は月曜から金曜までは館山で過ごしたが、金曜の夜に館山を出て美和さんのアパートに行き、そこで美和さんの仕事が終わるのを待った。美和さんは無理をして早く帰ってきているらしかったが、本当のところはわからない。深夜から俺たちのデートは始まり、日曜の夕方まで、ノンストップで愛し合った。俺は美和さんに溺れ、本当に四六時中美和さんのことしか考えられなくなってしまった。ヒロコがいつか、好きになっちゃうかもしれないと言っていた意味がわかった。六月の一か月間のことは、ただののろけになってしまうので割愛する。












七月、俺が最初にリーブザハートの事務所に行ってから一ヶ月が過ぎた。あのあとすぐに神谷ハウジングは地上げを始めた。俺の予想通り、リーブザハートに関しては、全く話すら聞いてもらえない現状だった。おそらく中村のやり方に問題があったのではないかと俺は推測している。細かい報告が入ってこないが、そのことで俺は近々中村を詰めようと思っている。俺に散々な口をきいておきながら、結果を出していないし、なおかつそれを報告しないからだ。結果が出ないのは仕方がない。しかし、報連相はしなければいけない。そもそも俺なら百パーセント成功していたという自信があるので、なおさら中村への怒りは収まらなかった。もっとも、地上げはおいおいやっていけばいい。いざとなったら俺がやる。それまでは、中村にやらせようと思っている。




 サナとナユは相変わらず館山に来ていたが、こっちには由利先生が顔を出してくれていた。時間講師なので、授業がないときには時間の融通が利くらしい。基本的に自分たちで勉強しているだけだが、本物の先生がついてくれているのは心強い。由利先生はさらに、二人が通う中学校に掛け合い、一学期のテストをもらってくれた。二人は真剣にテストを受けて採点をしてもらったが、中学校の先生は一つひとつのテストにコメントを書いてくれた。二人はそれを読んで泣いた。これが正真正銘、本物の教育だと思い知らされた。俺は、中途半端なことをしていたと恥ずかしくもなったが、ただ、俺は俺にできることをやるだけだった。すなわち、館山陽だまり中学校の開校を、九月の頭からに設定し、由利先生を正式に引き抜いたのだ。そして、千葉総合大学の盛田教授にも、校長として関わってもらうこととなった。来る生徒は基本的に拒まなかったが、七月の頭の段階で既に三人の中学生が県内から見学に来た。サナとナユも復帰の見通しは立っていない。不登校の生徒は少ないにこしたことはないのだが、正直なことを言うとメンバーが増えるのは嬉しかった。












 話が動き出すのは一ヶ月後の七月十四日、土曜日のことだった。俺と美和さん(以下美和)は、幕張で開催された野外フェスに来ていた。音楽を聴くのも目的だが、LGBTの支援団体であるリーブザハートが啓蒙活動のためにブースを出しており、その手伝いをするのが大きな目的だった。この一ヶ月間、俺と美和は親密な関係を築いたが、このフェスに一緒に参加したことで、その仲はリーブザハート松戸事務所のメンバーに周知の事実となった。




リーブザハートは様々な企画を行った。中でも、言いたいことを言い合う企画は盛り上がった。主に同性愛者がマイクを持ってパフォーマンスをして、それを聞いていた人たちも温かく見守った。フェスの雰囲気も相まって、皆が幸せになれた空間となっていた。




 しかし、販売は振るわなかった。バッジや飲み物、パンフレットを販売したが、飲み物と少しのバッジ以外はほとんど売れなかった。ただし、美和は椅子に座っているだけだったが、座っているだけで美和の周りには人が集まった。美和がただ綺麗だというだけでなく、綺麗なニューハーフだからこれほど注目を浴びたのだろうが、俺は内心で誇らしい気持ちになった。




そんな感じなので、美和は比較的自由に行動できたので、俺たちは腕を組ながら色々と見て回ったが、一番思い出に残ったのは、野外でセックスをしたことだった。腕を組みながらキスをしていたら、お互いに抑えがきかなくなり、美和の手を引いて人影のいない場所を探した。しかし、どこにも人の目があったため、俺たちは人の少ない建物の裏側に行き、すぐにお互いの身体をまさぐった。数名の人が見ていたが気にしなかった。俺はすでに勃起していたし、美和は手早くローションを取り出し自分のアナルを一撫ですると、すぐに挿入した。初めて明るい中でしたセックスだった。いつもはあまり見せようとはしない美和だったが、このときは叫び声をあげながらはてた。











その夜のことだった。俺と美和は飲み会には参加せずに、二人でアパホテルに泊まった。いつか使った四十五階のインペリアルスイートだった。美和は、「夢みたい」と言って俺をに甘えた。俺が風呂に入っていると、美和は洗顔料や乳液を買いにコンビニに行った。




「一樹くん、ちょっと行ってくる」












 一時間ほどで美和は戻ってきた。しかし、その顔は青ざめていた。




「一樹くん、学校の生徒、五人になりそうって言ったよね?」




「ああ。まだわかんないけど、もっと増えるんじゃないかな。なんで?」




「実はね、パンフレット買ってほしいの」




「パンフレット?一か月前に買ったけど」




「生徒の人、全員に買ってほしいの」




「一人一冊ってこと?」




「うん」




唐突な話だった。美和は、何でもないふうを装ってはいたが、目がうつろだった。




「別に構わないけど、あれ結構高いよね。いくらだっけ」




「一冊三千円」




「三千円!?」




 法外な値段だった。確かにあれは手の込んだものだった。数ページはあるしカラーだし、印刷だけでもそれなりの値段はするだろう。それでも百円がいいところだ。三千円は高すぎる。




「何か理由があるの?」




「売り上げが少ないって言われちゃった」




「売り上げ?」




「今日、バッジもパンフレットも余っちゃったんだって」




 美和は笑ったが、今にも泣きだしそうな顔になった。俺は美和の肩を抱くと、美和は驚くほど簡単に俺の腕の中に収まった。俺は美和を抱きしめたが、その瞬間に美和は泣き出してしまい、俺の胸元は涙で濡れた。




「一樹くん、ごめんね」




 聞くと、同じ事務所のスタッフがエレベーターに乗り込んできて、売り上げが少ないことを責めてきたのだそうだ。なぜ美和の居場所がわかったのかというと、後をつけてきてロビーで張り込んでいたらしい。ついでに言うと、そいつは美和の元彼氏だった。腕を鷲掴みにされたが、偶然途中の階から人が乗ってきて無事だったらしい。




「なんだよ、それ」




「心配かけてごめんなさい」




「そいつはまだいるの?」




「わからない」




「俺が、電話しようか?」




「ううん、大丈夫。売り上げが少なかったのは事実だし、私ももっと頑張れることあったのに」




 美和の元彼氏は、リーブザハートが日本での活動を始めたときの初期メンバーだった。初期メンバーは全部で三名で、代表はアメリカ人、副代表は大学講師、そして美和の元彼氏は法学部の学生であり、現在は大学院で研究を行っている。三人の同性愛者から全てが始まったとのだ。代表のアメリカ人は、すでに帰国して現地で活動をしている。大学講師が事実上の代表、そして美和の元彼氏が実働部隊として様々な権限のもと活動をしていた。今回の物販についても、元彼氏は大きな目標をもって臨んだ。それに向けて支出も増やしてきたが、それが大きくこけたのだ。そして、その跳ね返りが美和にきた。美和の話を聞いて情報を全て統合すると、そのような結論に達した。




 ただ、俺はそれだけではないと思っている。元彼氏は美和に甘えに来たのだ。俺にはその考えがよくわかる。美和は甘えたくなるのだ。そして、俺がいなければおそらく美和は受け入れていた。その証拠に、俺にパンフレットを販売しようとしていたのだから。元彼氏のお願いを聞いてあげた形だが、俺の経験上は元彼氏に義理立てする女は、まだ心を残している。




 そこまで考えた瞬間に、俺の心はガンジーのような賢者モードになった。




 美和は全然強くはなく、むしろ弱かった。言ってしまえばただの女だった。周りに強く見せるような生き方をしていたが、立場としての強さは全く見かけだけだった。俺はそれに騙されていたような気がした。俺は勝手に美和を強いと思い込み、美和に頼った付き合いをしてしまっていた。それが美和の心の中に不安な部分を生んだのだろうと思う。




 結局、同性愛者も異性愛者も皆一人の人間で、彼らのように団体で活動する人間は無理に自分を強く見せたがる気がするが、それは間違いだ。有りのままの性やセクシャルマイノリティであろうとするならば、ありのままの自分でいるべきだ。そうしなければ駄目だという話ではなくて、美和の理想を実現するためには、そうだというだけの話だ。












 話が反れたが、俺はそのとき全ての状況をひっくり返す最善手が頭に思い浮かんだ。




「その人、今呼びなよ」




「駄目!一樹くんやめて!」




「勘違いしないで。大丈夫。物販の件も全部俺が解決するから。その人って、偉い人なんでしょ?」




「うん。立場もあるし、人間的にも信頼されているの」




 信頼される人間のやることではなかったと思ったが、とにかくそいつを部屋に呼んでもらった。俺は携帯で中原さんを呼んだ。












「わざわざすいません。僕は神谷一樹と申します。美和さんとは仲良くさせていただいています」




 俺は笑顔で頭を下げた。元彼氏は、俺より背が高かったがガリガリに痩せていた。昼間、リーブザハートのテントで確かに見た。向こうは俺のことを意識していたみたいだが、俺は美和しか見ていなかった。このときは不安げな表情で部屋に入ってきたが、俺の下手に出たような態度に面食らったようだった。




「三井です」




 俺と三井は握手をした。L字型のソファに俺が座り、三井と美和にも着席を勧めたが、美和は三井のほうに座った。俺はここではっきりと美和への気持ちを諦めた。ただ、こうなった方がこのあとの交渉はやりやすかった。




「物販、うまくいかなかったみたいですね。どのくらい損失が出たんですか?」




 三井は美和をちらりと見たが、俺が損失分を補填してくれるようだと察したらしく、素直に教えてくれた。




「人件費や場所代に移動代、広告代金、色々な支払いが重なって二百万円ほどだ」




「パンフレットはあと何枚あるんですか?」




「刷れば何枚でも。今は、二百の束が丸々五つは余ってる」




 千枚だ。三千円で売るとして、三百万円はそれで設ける気でいたのだろうか。無謀な計算とも思えたが、もちろんそれは言わなかった。




「それ、全部買い取ります。三百万円ですよね?今用意します」




 三浦と美和は驚いた顔を見せた。




「一樹くん、駄目だよ!」




「いや、その代わりお願いがあるんです」




「言ってください。買い取ってもらえるのであれば何でもします」




 三井は座ったまま頭を下げた。ああ、こいつは頼み方も知らないのかと思ったが、それについても何も言わなかった。俺は、全てを話すことにした。












「実は僕、会社をやっているんです。オフィス神谷っていって、地上げやなんかもやっています」




 アッと美和が目を丸くした。




「うちの関連企業の神谷ハウジングが、そっちの事務所に地上げに行ったと思うんですけど、お願いというのはそのことなんです」




 美和と三井とで反応がまるで違った。三井は真剣な顔で聞いているが、美和はポカンと口を開けて、再び泣き出しそうな表情になった。俺は、松戸駅前の再開発事業について説明をした。その経緯と、そしてこれから手掛けるマンションと。松戸市議会議員のお墨付きをもらっていることや、他の商業施設とは競合しないこと、不景気の時代だからこそこの地域に責任を持ちたいという話。俺の溢れ出る思いを全て語った。




「松戸の事務所に来たのは、確かに美和さんに近づくためでした。それは謝ります。でも、美和さんもわかってくれたと思うんですけど、俺は美和さんのこと、本気です。美和さんがやろうとしていることもわかるし、それだけじゃなくて美和さんのことを本気で好きなんです」




 美和は両手で鼻を隠すようにした。目には涙が溜まっていた。




「こんな状況ではもう伝わらないかもしれないけど、正直俺、もう地上げは諦めてもいたんです。美和さんがいればいいやって思っていました。でも、今こうしてみるとはっきりわかりますが、美和さんの気持ちの中には、三井さんがいます」




 三井はハッとして美和を見た。美和は黙って下を向いた。涙が目から垂れた。




「俺じゃあ多分、美和さんを幸せにはできないです。でも、美和さんが困っているなら最後に力になりたいんです。だからそのパンフレット、全部買い取りますんで、地上げに協力してもらえませんか?もちろん、移転先は用意しますし、希望であれば新しいマンションのテナントにも入ってください。もちろん無料です」




 三井の顔つきが変わった。美和は下を向いたままだった。




「ちょっと俺、三十分くらい外に出ているんで、お二人で話してもらっていいですか?」




 美和は下を向いたままだが、三井ははっきりと頷いた。俺に任せろ、目でそう言っているようだった。












 俺は部屋を出て、一階のだだっ広いロビーに降りた。中原さんはすでに待機していた。




「すいません。中原さん、タバコ持ってますか?」




「ありません。坊ちゃん、何があったかわかりませんが、タバコは癖になりますよ。やめるべきです」




 俺には中原さんがいるから、道を踏み外すことはないのだ。俺は今あったことを簡単に説明すると、中原さんは喜んでくれた。




「今回の件は、完全に中村の暴走です。役員会でもそのことを指摘されましたが、中村はむしろ躍起になっていました。坊ちゃんがマンションで押してくれなければ、更に悲惨な状況になっていたでしょうな。」




 中原さんに褒められ、俺は自分が正しかったことを実感し、なおかつ美和に対して有効な提案ができたことを嬉しく思った。今回はおそらく俺の行動は大正解だろう。












 部屋に戻ると、美和と三井は俺の提案を受け入れてくれた。俺は中原さんとともに頭を九十度下げた。二人とも恐縮した。パンフレットについては、俺は千葉にある全ての学校に配ろうと決めていた。その学校で使うか使わないかは現場の判断に委ねることにしたが、その判断が最善だと思う。




 中村社長については、中原さんから事情を説明してもらうことにした。俺は、今回、初めて中原さんを頼った。それまで俺は自分でも色々できるような気になって、頼ることを躊躇していたが、頼ってもいいんだという考えに改めた。これからももちろん頼ろうと思う。




 中村にはもう俺の言うことは通らない。忸怩たる思いだけが残るだろう。そうであれば、中原さんという信頼できる人物にはっきりと言われたほうがいいのだ。そして、俺がどれだけ気を遣って動いていたのかを考えさせたいと思う。後日、神谷ハウジングの役員会に初めて出席すると、中村の顔が真っ青になった。しかし、俺は何も言わず、最後に役員たちに向かって、「今後も中村でいきましょう」と一同の賛同をもぎ取った。帰り際に、中村は俺に頭を下げた。そのときに、これは気分の良いものではないなと感じた。




 最後に、美和に振られた俺は、人生初めての風俗に行った。あまりにもはまってしまい、俺は週に三回は東京に遠征した。それは決まって杉本くんの日だった。俺のお気に入りは、吉原でもなく新宿でもなく、新橋だった。素人の俺が見てもわかる安っぽさが気に入ったが、そこで俺と杉本くんは、如何にして本番に持ち込むかという遊びに没頭した。ちなみに、次の話は、この風俗に関わる話になる予定だ。

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