Witchcraft drawing. 1
顔合わせを済ませた後、一行は秋葉原のある一角へと向かった。
そこは『Studio Creatalent』という名の五階建てのビル。
彼女たちが普段どのように作品を作っているのか見せてくれると言うので、ぜひにとお願いして連れてきてもらった。
エレベーターで三階まで昇り、通路一番奥の扉へと案内される。
外から室内は見えないようになっており、想像力が掻き立てられた。
――二人はいったいどんな空間で作品を手がけているのだろうか?
デッサンモデル用の胸像や花、かわいい小物類など、とにかく色鮮やかな造形美溢れる、それだけで絵になるアトリエを勝手にイメージ。
そして遂に扉の前までつくと春美さんが会員証兼カードキーをかざし扉のロックを解除。
「どうぞ」
と言われるがまま俺は未知の領域へと足を踏み入れた。
「え⁉ 白っ……⁉」
床も壁も天井も、奥行きがわからなくなるほど眩しい白で塗りつぶされた殺風景な世界。
あまりのイメージとの差に驚愕している俺に春美さんが話しかけてきた。
「これ、どうぞ。かけてみてください」
と、手渡されたのはごつごつとしたゴーグルのような物。
――そうか! ……俺はバカだ!
そこでやっと過ちに気が付いた。
春美さんのキャンバスはVRの世界なんだ――
ゴーグルを装着し、二人に習ってこめかみ辺りにあるスイッチを入れる。
と、俺を中心にして白一色の世界に蛍光色の線が網の目状に急速に広がっていく。
それが壁や天井に張り付いたかと思うと、殺風景だった視界が一瞬にして色彩豊かな全く別の景色へと変化する。
まるで絵本の中にテレポートしたような感覚。
屋内にいるはずなのに、足元には青々しい草が生い茂り、背の高い木々の隙間から除く青空には小鳥まで飛んでいる。まるでグリム童話に出てくる森を油彩で丁寧に描いた様な世界観。
風は吹いていないはずなのに、そこにいる全ての生命が同調するようにゆらゆらと揺れているのだ。
「春美さん……これは……」
彼女の方を見るとゴーグルをつけているはずなのに、その美しい瞳がしっかりと見えた。
どうやらゴーグルに内蔵された内カメラで撮っている目元を互いの視覚情報に反映、ゴーグルの縁で欠損した部位は自動で補完しているらしい。
「すみません。前のデータを読み込んでしまったみたいです。立っているのも何なので、そこに座っておいてください」
春美さんが掌で示したのは丸太を縦にカットして作ったような長椅子。
――え? これって絵じゃないよな? まさか、尻もちをついたりなんてことは……。
春美さんがそんなくだらない事をしかけてくるなんて思えないが、明らかに油彩で描かれたその椅子に俺はさりげなく手を先行させて恐る恐る腰を下す。
――あ、ちゃんと座れた。
「ここは私たちの大学が週末だけ借り上げている創作スタジオなんです。立体構築絵画はまだ日本ではマイナーなので、練習できる場所が限られているのですが……もしかして驚かせてしまいましたか?」
「正直言って驚きました。うちの会社にも春美さんが使ってくれているような3D対応のペイントソフトはあるけど、ここまで大掛かりな物は正直想定外でした」
恐らくモーションキャプチャーや出力機は壁や天井、柱に埋め込まれているのだろう。
部屋に入った時の様子を思い起こしながらそう思った。
「ごめんなさい。きっと勉さんなら知ってると思って……その……もっと事前にちゃんと説明しておけば……」
「あ、いや驚いたのは感銘を受けたっていう意味で……決して悪い意味じゃないんです」
「なら、良かったです」
ぱああっと明るい表情を取り戻した春美さんに俺はとてつもなく癒された。
「ハルミ! どっちからやる?」
「じゃあ、グローブもしてますし私から……」
よく見ると春美さんだけ両手に厚手の手袋のような物をはめていた。
各指先はさらに少しだけ厚くなっていて、センサーのようなものが封入されている事が推察できた。
すると突然春美さんは両腕を左右に大きく開いた。
その身を全て委ねるようになポーズに俺は一瞬ドキリとして息を飲む。
「……あ、これから景色が変わりますので気をつけてくださいね」
そう優しく微笑んだあと頭上で両手を合わせると、世界の全てが彼女の手の内に丸め込まれるようにして消えてしまったのだ。
春美さんが次に手を開いた時にはそこには何もなく、まるで大スペクタクルの手品を見ているよう。
取り残されたVRの世界には真っ白な空間が蛍光色の線でブロック状に区切られたようになっていた。
俺が茫然と眺めている隣にレベッカさんが腰かけてきて、独り言のように呟いた。
「It’s show time…」
それを合図とするように春美さんの“絵描き”が始まった。
左掌を扇のようにぱっと開いて右手の指先をそれぞれの指先にトンッと合わせたかと思うと、しなやかな動きで宙に鮮やかなピンクの線を引いた。
その色は指先から出ているようで、彼女の意のままにその彩度・明度を変えながら見る見るうちに立体を構成していく。
きっと普通の人が見たら「魔法みたいだ!」と感嘆の声を上げて考えるのを止めてしまうかもしれない。だが俺は職業柄、食い入るように眺め、分析し、その仕組みを理解するよう努めた。
春美さんの左手は言うなればパレット。
各指先に色が割り振られていて右手でスワイプするような動作で配色パターンを変更。
そして右手の五指を合わせる事でそのパターンを同期させ、親指と各々の指で摘まむような仕草をすることで各色が空間に出力される。
線の太さは二指の圧によって調整し、筆先も特定の動作により変更可能。
手元の立体は両手で包み込むような動作で、遠くのものは視線を感知するアイセンサーで指定して両手で引き寄せ、変形・縮小・拡大が可能になっている。
そこまで科学的に仕組みを理解していながら俺は、それでもこう思ってしまう。
まるで、奇跡を振りまく妖精のダンスを観ているようだ――と。
彼女の動きにはまるで迷いがない。
それは使い慣れているというだけではない。
描くことに対する迷いが無いのだ。
時に岩を打ち砕くように大胆に。
時にケーキにイチゴを乗せるように繊細に。
きっと完成像は既に彼女の頭の中にあって、それをそのまま目の前の空間に現出させているのだ。
ラフ画を描くような速さで立体かつ配色豊かな絵を仕上げていく春美さんを、俺はただただ羨望の眼差しで見ていた。
――なんて楽しそうに絵を描くのだろう。
これまで見たことが無かった春美さんの一面に触れられた事に、しみじみとした感動を覚えていた。
「ハルミはスペシャル。他の人にはインポッシブル」
隣でレベッカさんが誇らしげに呟いた。
春美さんと同じく絵の道を志すレベッカさんだからこそ分かる凄さもあるのだろう。
完璧には共感しきれないその感覚を、俺は嬉しくも悔しいとも思った。
「はい! できました!」
春美さんの快活な発声に俺はハッとして顔を向けると、春美さんが“それ”を差し出した。
「……これは?」
「今日、付き合ってもらったお礼です」
彼女が両手で大事そうに差し出したのは色鮮やかな花束だった。
「……俺に?」
春美さんはこくっと頷いてその作品を俺の目の前に固定するとグローブを外して、俺の手に通してくれた。
「こうして……こうして……」
春美さんの小さな手がグローブ越しに俺の手を支えて動かし方を教えてくれる。
まだじんわりと温もりが残るグローブを心地よく感じながら、俺は花束を色んな角度から楽しんだ。
「本当は下地から描いてレイヤーを重ねてっていう風に丁寧に作らないといけないんですが、一気に描いてしまうのがもう癖みたいになってまして……お気に召さなかったらごめんなさい」
「そ、そんな事ないですよ!」
「そう……ですか?」
「はい! もちろんです! とても美しい作品だと思います! それに――」
ここまでで止めておけば良かったのに、俺は興奮するあまり余計な事を口走ってしまった。
「――絵を描いている時の春美さん、踊ってるみたいでとても綺麗でした!」
言った数秒後に俺は恥ずかしくなって頬が紅潮するのを感じた。
それと同期するように春美さんの頬も。
「ヒュウッ! さすがツトム。分かってるぅ~!」
そう言って俺の背中をボンボン叩くレベッカさん。
悪意が無いだけに恥ずかしさが輪をかけて増長する。
……春美さんに伝わったのはきっと芸術的ななんたるかじゃないんだが。
無邪気に笑うレベッカさんに、
「オ……オフコース」
と俺は親指を立てて投げやりにそう答えて逃げた。
「ネクスト! 今度はワタシ! 行くでござるデス!」
威勢よくそう言うと、レベッカさんが立ち上がり、入れ替わるようにして春美さんが俺の隣に腰かけた。
「彼女、随分張り切ってますね」
「ふふ、きっと勉さんびっくりしますよ?」
いたずらな笑みがこもった春美さんの言葉を、俺は……甘く見過ぎていた。
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