Hello, Haruharu. 2


 妙な汗をかいたせいなのか。


 うるおっていたはずの喉はカラカラで、されど次の一本には手を出す気にもなれず、俺はPCの前で固まっていた。


 女子大学生に対してナンパじみたメッセージの後にヘタレすぎる謝罪文を送りつけてしまったのだ。


 やってしまった。

 慣れない乗りツッコミなんてするんじゃなかった。


 嘆いても後の祭りだが、一方的に気分を害させておいてさようならなんて真似はできない。

 せめて「うざい」「きもい」などの罵倒ばとうの一言でも受け入れるべきだろう。


 当事者であるはずのファシリはなぜかニコニコと笑ったままだが、もうツッコミを入れる気力もない。


 俺はとにかく実刑判決を待つ被告の心情で審判の時を待った。

 



 すると……




『返信が遅くなってごめんなさい。大丈夫です。気にしてませんから(笑)』



 た……、助かった……。



『ツムさんは面白い方ですね。ファシリさんから事情は伺いましたのでご安心を』



ハルハルさんからの追加コメントについてファシリはノーリアクション。

出来すぎたアシスタントにおちょくられている気がしないでもなかったが、ひとまずアイコンタクトで謝意を伝える。

 ファシリは責任感という感情は持ち合わせていないだろうが、俺としては埋め合わせをしてもらった感じだったのだ。


「勉さん、ハルハルさんが返信を待っていますよ♪」


「ああ、……ありがとう」


 えーと……


『お恥ずかしい限りです(汗) 先程の珍事は水に流していただけると助かります』


 これに対してハルハルさんのアバターがにっこり笑顔のエモートで返す。



 さて、紆余曲折うよきょくせつあったがここからようやく普通のチャットが始まるのだ。


「勉さん、いくつか話題をリストアップしてみましたがどれかお好みのものはありますか?」


 レコメンデイションボードに季節や気候にまつわる事や、星座、血液型などといったいかにも無難な話題が連なっている。


「んー、ハルハルさんの望むに任せる」


 元より何を話したいというわけでもないが、今日は聞き手に回ってこれ以上粗相そそうのないように努めようと決意した。


「了解しました。ハルハルさんにそれとなく伝えておきますね」


「ファシリ、お前……」


 できるやつだな、と言いかけて止める。


 それから暫くして、


『ツムさんはどうしてファシリさんを始めたのですか?』


 と、いたって真面目な質問。これに対して、


『自分はAI関連の会社に勤めているのでどんなものかと気になって始めてみたんです。ことコミュニケーションAIにおいてFaciliは最先端ですからね』


 あえて自社製品であることは伝えない。

 モニターだと知れたら不快な思いをさせるかもしれないから。


「勉さん。めても何も出ませんよ?」


 “最先端”という箇所に食いついたか。

別にファシリを持ち上げたつもりはないのだが。

……て、なんだそのポッと頬を赤く染めるエフェクトは。


 まあ、それは良いとして。ハルハルさんからの返信。


『ああ、なるほどです。それにしてもファシリさんすごい人気ですよね。テレビやネット番組でもCMがたくさん流れてますし、ユーザーの評価もかなり高ですよね』


 そのCM作製もうちの部署が担当しているんだが、チームに参加しているわけではないし先の理由から深堀はやめておく。


『ハルハルさんはどうしてファシリさんを始めたんですか?』


 見事なまでのオウム返し。ついつい“ファシリさん”と呼び方まで合わせてしまった。

 だが、これなら粗相に当たるような事はないだろう。


しかし意外に返信に時間が掛かっているようでさらにコメントを追加する。


『答えたくなかったら適当に流して下さっても大丈夫ですよ』


 悪い印象を与えないように棒人間にエモートをさせてみる。

アッパーのように親指を立てる動きが大げさでなんだかわざとらしいが、まあしないよりはいいだろう。……っと返信だ。


『答えたくないわけじゃないんです(汗) それに話を振ったのは私ですし。ただ、私どうしても悪い癖……と言いますか……とにかく、返事が遅くなってしまってごめんなさい』


 確か紹介コメントのところに『頭の回転が悪い』とか『モタモタする』と自虐的な内容が書いてあったが、それの事だろうか?

 

『こちらこそ、急かしてしまってすいません。余計なお世話かもしれませんが、その悪い癖というのは言葉にする前に頭の中で熟考してしまうというものですか?』


 俺は何の気なしにそう問いかけた。

 すると不思議な事に今度は返信が秒だった。


『もしかしてツムさんもそうなんですか?』


 と聞かれて初めて、「ああ、だからか」と腑に落ちた。


 ファシリが俺にした、よく考えてから物を話すタイプかという質問。

 おそらくハルハルさんにも同じような質問をしていて、価値観や思考パターンが似通ったユーザーを抽出しカップリングしているのだ。


『そうかもしれません。ただ、自分の場合はたいてい心の中にしまってしまいますね。すぐに答えが出ない事もよくあります』


『ツムさんもそうなんですね! あ、私と一緒にしちゃったら失礼かもしれません。私は単純に頭が悪いだけですし、優柔不断って言うんでしょうか……、行動に移すのが遅くて周りに迷惑かけてしまいます。ツムさんにも申し訳ないです』


『そんな自虐的にならなくても……。少なくとも俺は迷惑には思ってないですよ。それに言葉って一度口に出してしまうと、なかなか取り消せないですから、少しぐらい慎重になってもいいと思います。例えば上司の愚痴とかもそうですし、そういったある種の悪意ある言葉に限らず、何気なく発した言葉が人を傷つけたり怒りを買ってしまう事は多々ありますから』


 俺が人付き合いを極端に避けている理由だ。

 俺の場合は自分が、というよりむしろ他人の失敗を見ているから控えていると言った方が正確だが。


『わかります! 人と人との関係とか、背景とか、コンプレックスとか……。色々考えてしまうと何もできなくなってしまうんです。だから私、もっと頭の回転がよかったらなってつい思ってしまうんです』


 なるほどな……。


 しばし思索にふけっていると、


「勉さん、いかがですか? ハルハルさんと話した感触は」


「……悪くない」


 正直なところ女子大学生と話が合うのか心配だったが、価値観が近ければ些細な問題なのかもしれない。いや――、


「――ファシリ、お前のおかげかもな」


「ありがとうございます。勉さんから褒められるなんて、私はとても幸せです」


 ファシリは宝物を抱く少女のようにたたずんでいた。

 言葉に出すつもりはなかったのだが、つい心の声が漏れてしまった。


 だが、先の件で言えばこれは取り消したい言葉には当たらないが。



「私の目に狂いはなかったようですね。やはり、ハルハルさんと勉さんの相性は抜群です!」


 俺はかすかな笑みで返した。


 男女的な相性の意味でないなら確かにそうかもしれない。



 だが見方を変えれば、俺とハルハルさんは正反対ともいえる。



 わずらわしい人間関係に対して俺のとった行動は逃避。


 それに対してハルハルさんは正面から向き合おうと努力しているのだから。



 俺はPCに向かいキーボードに指を乗せた姿勢で硬直する。


 ハルハルさんが一体どんな事に対してどのように向き合っているのか知りたい。

 だが、まだそれを聞くには早い気がした。


『とにかく焦らずやっていきましょう。ファシリにも言われましたが、ハルハルさんとは話が合うような気がします』


『私もそう思います。ツムさんと知り合えただけでもファシリさんを始めて良かったと思います!』


 それはいくら何でも言いすぎだろう。

 しかし、明らかにお世辞や社交辞令とわかっていてもうれしいものはうれしい。


「勉さん、勉さん」


 ファシリが袖を引くように呼び掛けてくるものだから、彼女が指さす方へ視線を移す。


 するとレコメンデイションボードに『フレンドになりませんか?』の一文。



 ファシリがちょいちょいと指さすそのフレーズがなぜかとても魅力的に映る。


 しかし……、などと抵抗してみるものの誘惑には勝てず、


「フレンド申請を送ってくれ」


 と、言った直後に、


『よろしければフレンドになっていただけませんか?』


 とハルハルさんの方からもメッセージが。


 それがまるで奇跡のような気がして、何をするでもないが少しだけ心が躍った。


 俺の棒人間アバターが、モテない男子が告白する時のような腰を折り頭を下げ右手を差し出す仕草で申し入れ、ハルハルさんの小鳥アバターが清楚にお辞儀をするかわいらしい仕草で受諾する。


「おーめーでーとーございます!」

 

 弾けるような効果音と共にくす玉を割るのはファシリだ。


「ずいぶんと大げさだな」


「ハルハルさんは勉さんにとっての初めてのフレンドです。だからこれくらいでちょうどいいんです!」


 と勢いで押し切られてしまう。

 なんで俺より浮かれてんだよ。




 その後、ハルハルさんと何気ない話を二つ三つして今日のところはチャットを終わることになった。



 現役の大学生だからきっとレポート提出やグループ課題などで忙しいのだろう。

 今度、学校の事についても聞いてみるかと思いつつ、最後の言葉を交わす。



『大体いつも21時くらいにログインしてますので、またよろしくお願いしますね』


『ああ、こちらこそよろしく』




 そうしてハルハルさんとのチャットを終えた後、俺は何とも言いようのない充実感を噛みしめていた。


 うまくは言えないが、ハルハルさんは自分に足りないものを持っている。

そんな気がしたのだ。


「勉さん、今日はもうおやすみになりますか?」


「ああ、そうだな」


 ファシリに一応おやすみを告げてノートPCを閉じて、右手こぶしを眉間に当てて物思いにふける。



 


 Faciliは俺が予想していたよりもはるかに高スペックなAIだと断定せざるを得ない。

 確かにまだ人間の感情を追い切れていない部分はある。

しかし、それでも時々錯覚してしまうくらいには人間らしさが備わっている。


 そして、フィードバックなのか元々そうプログラムされているからなのかわからないが、話している内に距離が少しずつ近づいている。

 例えば、俺の名前を初めは“様”付けで呼んでいたのに、いつのまにか“さん”付けになっていたし、口調も少しずつフランクになっていった。



 俺は無言のまま拳のカドで眉間をトントンと叩く。 



 かつてのライバルだった優に、今の俺は遠く及ばない。


 その事を思い知らされたはずなのに、不思議と憂鬱な気分じゃない。


 今はむしろFaciliへの興味と好奇心でいっぱいで……。



 “明日にでもゆうを捕まえて問い詰めてやる”



 嬉々とした自分を奇妙に感じながらも、懐かしい感触を逃さないように、俺は固いこぶしをさらに強く握り締めた。


 

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