第2話
「サキちゃんはさ、簡単に言うと……改造人間」
高畑は、合コンのメンバーのプロフィール紹介でもするときみたいに、軽く言った。
「かいぞう、にんげん……」
「わーー怖え顔……悪ふざけに聞こえたらゴメン、でもこれマジなんだぜ。てか、知ってんだろ。あの子の食いっぷり」
突拍子も無い話を聞こうという気になったのは、サキの異様な姿をいつも見ていたからだろう。それに大人がわざわざ三人がかりでガキ相手に小芝居をする理由も思いつかなかった。
「誰に、そうされた? まさか、あんた達が……」
「宇宙人に」
「はぁっ?」
「暫く黙っててよ。モニタあれば楽なんだけどなあ。改造人間が出来るまでムービーとか誰か作っといてくれよガキに口頭説明すんのタリィんだわ……アンタがテレビなり新聞なりネットなり見るオツムがあるなら、宇宙人襲来のニュースは知ってんだろ。ぶっちゃけ、水面下ではもっと前から、やつらはコンタクト取ってきてんだとさ……公式な接触、非公式な接触……そのせーで“不具合”が起こる。サキちゃんもその中の典型例だね」
そう言うと軽く咳払いした。
「資源を人知れず地球の外に運ぶ。それがサキちゃんたちの改造のコンセプトだとさ。回りくでーことするよねー、ていうか効率悪いっしょどう考えても。宇宙人の考えることはわからん。男はあまり……いや殆んど存在してない。オンナノコに比べると壊れやすいんだって。女体の神秘だね」
「運ぶ……?」
「あの子異常に食うだろ。食ったぶんは出なきゃおかしいと思わない? 質量保存の法則、でしょ。アンタ、あの子ががトイレ行くとこ見たことある?」
「は? トイレ? いや……」
「基本的に、惑星外への資源の持ち出しは厳禁なんだとさ。普遍のルール」
「はァ?」
どうにも、間抜けな相槌しか打てない。
「普遍のルール。絶対にダメ。正統な手順で取引を結べば別らしいけどね……地球がその段階に達するまでは、それはできないんだと。米粒一つだって、表向きにこの星のものを持ち出すことは不可能なの。でもさでもさ、地球の食品に含まれるある成分……これがどっかのお星さまの誰かにとっては、タブーを犯してでも手に入れる価値のあるものだとよ。荷物を運び出すために、先方サンの非合法組織によって作り出された改造例、それが彼女たち、ってわけ」
「…………」
「彼女たちは原始的な……と言っても俺らにゃ当分解析出来そうにも無いね……原始的な輸送装置。あの子たちの内臓は、生命維持に必要な活動を保ちつつブラックホールのようにあちらの世界に繋がった。当初の計画ではほんのちょっと食欲を増す、カロリーニ割増し程度、そうやって僅かに掠め取る……筈だった。ちょっとばかり大食らいでちっとも太らないキュートな女の子が誕生するはず、だった。ただ、少し……少し失敗した。リミッターが外れちまったんだ。やっぱ異星人にゃ微妙な加減がわかんなかったんだな」
「リミッター……ですか」
「雑な説明で申し訳ないけど要は、彼女たちは常に異様なレベルの空腹を感じるように設定されちまって、何かを口に入れる、そうすると胃袋に食物が辿り着く前に何百光年向こうの処理施設だか何だかに転送される、ってわけ」
そこで高畑は一旦言葉を切った。
「ただ、やっぱり内部の機能が壊れちゃうみたい、そんな長持ちしないってさ。彼女と同時期に作られたサンプル達、ほとんど残ってない」
「長く、持たない」
高畑はさすがに気まずそうに……いやそれすらフェイクかもしれない。
「うん、例外なく彼女たちは短命。人道を外れたやり方さ……やつらが人ではないにせよ」
こちらを見やり、高畑は肩を竦めた。
「こちらと同じく先方サンもさ、一枚岩じゃねえのよ」
芝居のように声を張り上げる
「数多の星、数多の民。我々は未だ彼らの一員に加われてすらいない。ひずみのような現象の種は尽きず、歩みよりは先方の思惑より長くかかるだろう……彼らは他にも無数の厄介事を持ち込んでいる。まだ彼女たちのケースは穏やかさ。もっと過激な、即破滅に繋がるような代物も……」
喉がカラカラだった。
「サキちゃんがそうなったのは15の時。俺らが保護したのはそれから二年後。あの子さ、俺がこの件に携わって最初に担当した子で……まあ多少なりとも思い入れはあんのよ。だからこうして直々に説明に来たってわけ」
高畑はまだ何かを語っている。良く聞こえなかった。短命……「時間が無いの、したいことをするの」……サキが良く言っていたのはそういうことだったとようやく理解し、呆然とした。
「サキちゃんはこちらの保護下から逃げた……や、正確には紐付きで逃した、だな。比較的危険の少ない者には定期的な連絡を条件に、自由を与える方向に持ってくことを検討してんだ。食事によって失われる資源と言っても大した量じゃない、彼女たちも食欲の制御をそれなりに習得している。正直な所、こっちも今手一杯でさ。人手も施設も到底足りない……サキちゃんのケースは、ささやかな事例だよ。他にも、他にも山のように……ニュースになるものもならないものも……事例が起き続けている。俺だって本来なら金勘定の方が得意なんだぜ、なのに毎日朝帰りなんてな……カノジョにも呆れられてる」
クマひとつない目元を指し示し、しれっと高畑は言った。
「………」
「宇宙人襲来、なんてなァ……今時、映画にもならないだろうに」
軽口めかした高畑の言葉を聞きながら、画面の中で完結する退屈な討論を思い出す。もっとパニックになってもいい筈だった。実際、避難だ疎開だと騒ぐやつもいたのだ。大学もほんの一時とはいえ休校となったし、俺も実家に帰って来いと親からしつこく電話を貰った。
だが、日常は変わらなかった。
テレビの中のどっかのえらいサンは「これは極めて限定的な現象です」と繰り返した。「一般の方々には何ら影響のないことだ」と。
その通り、電車は止まらず街に電気は煌々と灯り、蛇口を捻ると水はじゃぶじゃぶ溢れ、スーパーにもコンビニにも唸るほど食べ物があった。
そして俺の暮らしも……朝起きて大学に向かって授業を終えて駅で買い物袋下げたサキと合流して並んで家に帰って、サキの作るけたたましい飯をふたりで食って風呂に入って柔らかい体を抱きしめて眠る暮らしも、ごくごく平穏に満ちていて。
世界はこのままあるって信じてた。サキにとってはそうじゃなかったのだ。
食べる、食べる、食べる。
乾いていたサキの肌が脂の分泌を始め、つやつや輝きだした。
一緒に食事を始めてもう何回目になるんだろうか。その姿はうつくしくて滑稽で、俺は何だか泣きたい気持ちになってくるけど、それを伝えたら泣きたいのはこっちだよ、と返ってくるに違いないから口をつぐんだ。
「いつから……×××みたいになっちゃったのさ」
俺はなるべく深刻に聞こえないように、人気のある大食いタレントの名を言った。サキはフンと鼻を鳴らした。記憶の中の幼馴染はごく平均的な食事量だった……はずだ。俺はテーブルの上に積まれた皿と、食い散らかされた残骸を見た。十人前どころでは無かった。目線を下げてサキの腹の辺りを見るが、分厚い男物のエプロンに隠れているせいか胃袋の膨らみは見えなかった。
「言えない。色々あったよ、君と会わない間に」
「そうなんだ……ええっと」
「会いたいな、って今更思ったの……急に。ずっと諦めてた……だけど本当にしたい、って思ったら人間何でも出来るんだよね、人間じゃないけど。ふふ」
「サキちゃん、あの……高校になった後、連絡無かったじゃん。何も言わずに引っ越して、俺さ、メールも手紙も送ったし伝言も一杯しただろ。なのに何で今、なの……」
「何も言えないの、ゴメン。でも好きだった。だからここに来た……わかって」
そう言って俺の口に箸で分厚い卵焼きの一切れを押し込んだ。
「ホントはね、もう全然味がしないんだ」
大きな塊に飲み下せず目を剥いた俺にくしゃっと顔を歪めて、サキは再び胃の腑に食べ物を収め始める。
「何でもいいんだと思う。胃に収まれば、なんだって。おなかすいた、おなかがすいた……いつもそう思うの。全部食べ物に見える。何だって……何もかも……アスファルトでもスニーカーでもポストでも看板でも、何もかも」
サキは悲しそうにポツリと、「ホントは食べたこともある。おいしくなかったけど」、そう告げた。
俺はサキの言葉を理解しても恐れを感じず、ただ告白する彼女の熱を帯びた目に陶酔していた。俺は彼女の過去も未来も全然知らない、たった1ヶ月やそこらのサキの今しか知らないのに、ちっとも怖くなかった。
「ごはん食べよう、サキちゃん……これからも一緒に食べよ」
「……ありがと」
俺の言葉に笑みのようなものを返したあと、独り言のように、歌うようにサキは呟いた。
「私がここで料理をするのはね、もう少しのあいだ人間でいるためだよ」
「___で、話は終わり。最後にもう一度聞くけど、ま、その前に何か聞きたければどうぞ。答えられるとは限んないよ」
俺は一番尋ねたかったことを口にした。
「サキは元の体に戻りますか?」
「……あんた、漬物好き?」
唐突な問いかけだった。
「は? まぁ……、嫌いでは無いです」
嘘だ。サキがしょっちゅう食卓に添えてくれたおかげで、いつの間にか大好物になっていた。ごく薄く切った茄子の即席漬け……彼女の得意料理のひとつ。もう食べられないのかな。
「……塩に漬けたキュウリをさ、水に付けて塩抜きしたとして、それって元のキュウリ?」
そう言って汗もかいていないのに額を拭った。
「……そうですね」
「そうなの。彼女達には気の毒だけど、そうなの……質問は終わり? じゃもう一度聞くよ。サキちゃんに妊娠の可能性は? とても重要なんだ」
「避妊……は、していました」
再び同じ答えを返した。事実、彼女はピルを飲んでいると自己申告していた。毎朝何だか良く分からない薬を大量にザラザラ飲み下していた……その中の一つが避妊薬なのだと、俺はついさっきまで思っていた。
高畑氏はじっと俺を睨み続け、俺は睨み返した。先に口を開いたのは彼の方だった。
「サキちゃん本人がここに帰ることはまず無いよ」
「……」
「お仲間のところへ向かった。そう聞いたよ……古い映画みたいだよねー俺たちに明日は無い、だっけ……見たことねえけど」
鈍い俺はその時になってやっと、机の上にあったメモの存在を思い出し愕然とした。……そうか、あれは別れの手紙だったのだ。
高畑は何かを思い出すように手指をコツコツ揺らした。
「サキちゃんと同じ改造されたオンナノコがさ、出来ちゃったのよ。やっちゃったねー」
ま、俺の担当じゃないから良いけど。そう嘯く。
「……妊娠」
「サキちゃんとかなり近いタイプの子でさ、出産……かなりの早産だったらしいけどさ、出産と同時に厄介ごとのオンパレード」
「……」
「そもそもあの子らの改造、妊娠を想定してないのよ。使い捨て。酷い言い草だけどさ、そのほうがバレにくいわな、そりゃ。俺でもそうする。でも人間は先方サンが思うより予想外に長持ちするし頑丈だったでさ……とんでもない手抜き工事だよ、ヤダヤダヤダそゆとこ人間も地球外生命体も一緒だねえ……それでもこれは予想外オブ予想外。厄介の種が生まれた後、先方のブレーンたちとうちの研究屋連中が……」
「厄介の種……」
「そう、種。種子。これから世界に広がるかもしれない災厄の源。ワクワクしない? しないか。どうやら彼女たちは、それをばら撒くことが使命だって思いこんでるフシがある。女の考える事はいつも分からんなぁ……いやともかく、今後どうなるのか皆目予測も付かねえ」
正直言って、彼女ら自体は問題ない。山のようにリミッターがある。どうせ数年で絶える。
でも、何かが混ざっちまったんだ。卵子と精子、それ以外の何か。
殖えるんだよ、奴ら。
奴ら、って何です。返事が聞こえない。
あまりに日常から遠い響きに、逆に冷静になった。
「サキちゃんはその情報を得て、だからこそここを出る選択をしたんだろうな。彼女たちは独特のネットワークを持ってるから……」
「サキは……これからどうなるんですか?」
聞いても仕方の無いことだろう。だけど尋ねずにはいられなかった。
「答えられない」
「答えられない、って何なんだよ……」
高畑がスーツに手を差し込んだ。金属音がした。ごく軽い、オモチャのような音だ。だがそれが致命的な何かだということを、彼の表情が告げていた。
こんなことになって初めて、彼女に好きという言葉ひとつ掛けてやらなかった事に気付いた。俺はこれからずっと、そのことを後悔し続けるだろう。
目の前が赤く染まった。身を引きちぎられそうなほど、サキが恋しかった。なのに……実際は、この場で動くことさえ出来ない。今、全てを投げ打ってでも……救ってやれるものならば。
「やめておくべきだよ」
ふいに大人の口調で。高畑は言った。種から何が生まれてくるのか、サキは知って俺に抱かれた。この一ヶ月、俺は彼女に種を撒き続けたのだ。
その瞬間、サキが望む世界が目の前に見えた気がした。
「あれはもう、あんたの領分じゃないんだよ」
高畑は名刺を取り出し俺の手に置いた。俺はろくに見ないまま机に投げた。
「今後、アンタは我々の管理下に置かれる。サキちゃん及び彼女の仲間たちがあなたに接触を図る可能性はゼロとは言えない。万一の場合、アンタはこの日当たりのいい下宿ごと、成層圏まで吹っ飛ぶことになる。この辺一帯は見事なクレーターで、俺は始末書シベリア行き……ああ見たくないねえそんなとこ。ご協力お願いしますよ」
俺は、のろのろと頷いた。高畑は顔から笑みを消し、立ち上がった。俺がもう一度口を開く前に、控えていた男たちとドアの向こうに消えた。
残された俺は、テーブルの上の彼女のメモを何度も何度も読んだ。
サキの飯はいつもうまかったが、その日の夕飯は殊更に豪華だった。
食いすぎてベッドに倒れ込んでうたた寝から目覚めると、サキの体が俺の横のスペースにぴったりと納まっていた。細っこい小さな体。ぴんぴんはねた髪の毛が俺の二の腕をくすぐった。俺は唐突に催した。
「していい?」
声を投げると、すでに起きていたらしい。素直な返事が返ってきた。
「うん」
サキの目は伏せられ、赤く充血し潤っていた。受け入れ体制は十分に整っていた。拒否の言葉を口にしてもそれはポーズに過ぎず、「いや」と繰り返しながら彼女は溺れていく。
「早く、中で……」
サキがぎゅっと俺にしがみついた。それでも中はぐにゅぐにゅ蠢いて、どんどん俺を誘い込む。あっという間に俺ははじけた。
「ありがと、う」
荒い息を吐きながら顔を埋め、きれぎれにサキは言った。体を離すと、内側からあふれ出す感触があった。ピルを飲んでいるとは話していたけれど、それでも俺は言った
「ごめん……もし、何かあったら、セキニン……取る」
学生風情が何を言ってるんだろう。でも本気だった。俺の言葉に笑って首を振って、深淵から溢れた種を掬い取り、愛おしそうにサキは舐めた。それは頭をブン殴られる位に煽情的な光景で、俺はたまらずもう一度むしゃぶりついた。
「実ればいいな……さいごに、たくさん」
揺さぶる間。夢現に、そう聞こえた気がする。
「これが、さいやくのたね」
その言葉の意味を、その時はまだ知らなかったけれど。
「朝ごはん、何が食べたい?」
終わったあと、いつものようにサキが尋ねた。枕に突っ伏した俺の横で、彼女は半身を晒し笑っている。右手がトン…トン、緩やかにリズムを刻んでいた。俺が眠りにつけばサキはまた何かを腹に入れに起きていくのだろう。
「おにぎりと卵焼き。でっかいやつ」
「うん、わかった。とびきり大きいのね」
その時のサキの声の満足そうな響きを思い出す。
炎のように燃えていたその目も。
サキは俺を選び、種を手に入れ、そして去った。
どうせなら、俺を食べて行ってくれれば良かったのに。アスファルトよりはきっとうまい。
届かない恨み言を胸に抱いて、いつか俺がサキに植えた種子が芽吹き咲いて、世界を埋め尽くす日を思う。
君に咲く花 狐野 @tsukimiteru
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