「絶望」のち「ニート」
黒猫の少女、彼女は魔人の国の姫として生を受ける、しかしそれは少女にとって地獄の様な日々の始まり––––––。
『魔人の国キュレネ』その最北部に位置するティリンス城、美しくも堂々たる佇まいには息を呑む他ない。両端には同じ塔が聳え立ち完璧なシンメトリーを形成し、その塔の最上階閉ざされた部屋にその少女はいた、大凡『姫』と名のつく人物が居る筈のない隔離された空間。
艶のある漆黒のロングヘアーが透き通る様な白い肌を引き立たせている。整った容姿は王族たる気品を兼ね備え、こぼれ落ちそうな瞳はまるで青空を閉じ込めた様な美しい空色、しかしその瞳に光はない。
少女は虚空を見つめ、まるで命のない人形のような表情をしている。
「お食事をお持ちしました…」
ガチャリと鍵の開く音と共に給仕の為専属の侍女が入ってくる、侍女は少女をその視界に入れる事なくそそくさと食事の準備をすませると、軽蔑に満ちた穢らわしい物を見る様な視線で一瞥し部屋を出ていく。
ガチャリと鍵の閉まる音がして、その部屋は再び静寂に包まれた。
何の飾り気もなくただベッドと椅子だけが置かれた寂しさの漂う空間、縦長の小さな窓から気持ちばかりの光が差し込んでいる。
「–––––」
少女はただじっと感情の無い眼差しを光に向けているだけ、何の希望も無い冷たく静かな空間。
『魔人の国キュレネ』は神話の時代より『正当なる血筋』を守り抜いている。その血筋は神の系図から成る最も尊い『血』であるという誇りであり、我が一族こそが真に選ばれた至高の存在であると考えていた。
故に少女の『漆黒の髪と空色の瞳』は一族にとって許容される事ではない。
代々キュレネの一族はブロンドの髪に赤眼という特徴を持ち、血筋を重んじる一族に過去の一度たりとも穢れた血が混ざるなどという例外は無い。あってはならない––––––。
少女の母である王妃は、生まれて間もない少女を見るなり悲鳴にも似た奇声を上げて『呪いの子だ』と叫び幼い命をその手にかけようとした。この言動から王妃に一族への裏切りがない事は明らかである。しかし少女の異質さはその外見に留まらない…
生まれて間もない少女の命を摘み取ろうとした母は、少女を守る様に発生した光に包まれ––––
直後……跡形もなく消失した。
この事にひどく心を痛めた王は元凶たる『呪いの子』を始末しようと様々な方法で暗殺を試みたが尽く少女の力に阻まれ続け、次第にその力を恐れるようになり、少女を幽閉した。否、そうするしか無かったのだ。
少女に対して殺意もしくは死をもたらそうと間接的にでも画策する者は少女に触れることすら出来ず、その存在を煌々と輝く光に焼かれこのセカイから消失する…
やがて少女に近づく者は誰一人としていなくなり、少女は一人虚空を見つめる日々をただ静かに過ごしていた。
そして、そんな力を誰よりも憎んでいたのは他でもない少女自身。いっその事、生まれた時に母の手に落ちていた方がどれだけ楽であったか。最愛の母……その顔を認識する前に自分は死に追いやってしまったのだ、そう少女は自分を責め続け、少女自身も人知れず何度も自ら命を立とうとしたが光によって阻まれる。
「…ワタシは…何で生まれたの…何のために……」
虚空を見つめ少女はポツリと消え入りそうな声でつぶやく。
今日は少女が生誕して17年目、しかしそれを祝う者などいるはずもなく……むしろそれは母の命日でもある忌々しい日。
時を同じくして城の中央に位置する『謁見の間』に王と側近の大臣が集まっていた。
「国王陛下、僭越ながらいつまであの様な穢らわしい者を城内に置いておくおつもりですか?」
大臣の一人が重々しい口調で苦言を呈した。
「その様なこと、言われずとも世が一番望んでおるわ。しかしどうしろと言うのだ?既に手は尽くした、あの様な忌子、出来ることならとうに始末しておる」
「しかしながら、陛下、民の間でも良からぬ噂が立っております。王が城に呪いの子を匿っているだの、厄災が訪れる日が近いだのと」
「早急に手を打たねばなりますまい」
「今日は亡き王妃様の17回忌、臣下達の不満も限界にきております」
王は頭を抱えながら大臣を睥睨する様に見やる。
「ならば、解決の手立てを持ってまいらぬか!!」
王の発言に押し黙る大臣達…重苦しい空気が立ち込める中、大臣の一人が口元に不敵な笑みを浮かべながら言葉を発した。
「恐れながら、一つ妙案がございます…」
王は訝しげな表情を見せつつも、期待を含んだ眼差しで話を促した。
「我が国よりさらに北にあります禁断の地……伝承によると彼の地には遥か古に神の手によって隔離された忌まわしき世界へと通じるゲートがあると言い伝えられております、その世界に足を踏み入れれば二度と戻る事は叶わぬとも……更に言い伝えによれば、その世界には人間族しかおらずマナ〈神の愛〉に見放された地と聞きます。斯様な場所ではあの穢れた者も生きてはおられぬでしょう」
「ふむ、しかし真にその様な場所があるのか?あったとして彼の禁断の地にどの様にして連れ出すと言うのだ」
「僭越ながら、既に腕利きの冒険者を秘密裏に雇いゲートと思しき不可思議な巨穴を発見しております」
「何?!しかし、なぜその巨穴とやらがゲートとわかるのだ」
「その巨穴の付近は特殊な力場が発生しておる様で。マナを吸い取られ、一切の魔法行使が出来なくなるとのこと……その様な事象は聞き及んだ事がございません、故にその巨穴こそが隔離された世界へ通づるゲートではないかと愚考いたします。そして今現在、力場の影響を受けない巨穴の遥か上空に『ワイバーン隊』を配置し転送魔法陣の構築を急がせております、転送魔法をこの城の何処かにつなげれば……後は陛下にもお力添えを頂きたく願います……」
王の表情が驚愕に染まる、それは長年の苦悩から解放される喜びと今度こそ穢れた『呪いの子』を始末できるかも知れないと言う期待感がにじみ出ていた。
「よい、世ができる事があればなんなりと申せ、して、その魔法陣はいつ完成するのだ!?」
「はい、高度な魔法故に、我が国の誇る精鋭魔導師数十人規模でやっと構築できる物ですので時間がかかっております、しかしながら今夜までにはそれも可能かと」
王は予想よりも随分と早い回答に驚きつつも歓喜に満ち溢れていた。
––––––ようやくあの忌々しい物を処分できる。
残忍で不敵な笑みが王の口元に浮かび、今夜決行されるであろう待ちに待った瞬間に想いを馳せ、詳細に黒い感情を渦巻かせ思案していくのだった。
少女はうっすらと小さな窓から差し込む月明かりに虚ろな目を向けてその柔らかな光をただ眺めていた。窓から差し込む暖かな日の光や柔らかな月の光が、少女の知る唯一の温もりであり優しさと唯一表現出来る。
少女は文字通りこのセカイにおいて誰からも愛された事がない。
王は少女の力を垣間見てその力が自身に及ぶ事を非常に恐れていた、故に専属の侍女をつけ少女の面倒を見させたが、少女に一瞬でも優しさを向ける者など皆無であった。あまつさえ忌まわしきその寝首を搔こうと何人もの侍女が激情にかられ、少女を守る力によって遮られ王妃と同じ末路を辿った。少女を恐れていた王は少女に対するあからさまな対応や行動を禁じ命令に忠実な者だけを専属で置いて世話をさせていたが皆一様に心に沸き立つ嫌悪感を隠せずにいた。
その視線、表情、行動の全てが鋭利な刃となり、まだ幼かった少女の心を無慈悲に、痛烈に抉り情け容赦なく引き裂き続けた。少女は自分に向けられるソレがどの様な感情であるかを幼心にしかし鮮明に理解していた。
愛情を最初から受ける事が皆無だった事がこの場合僥倖だったのかもしれない、失う落差や裏切りなどの感情を知らずに済んだのだから。
しかし少女は今夜今までに感じた事のない痛みを知る––––––。
ドンッドンッと荒く扉をノックする音が静かな部屋に響いた。
「……はい」
少女は生気の宿っていない無機質な声で返答する。
「……あぁ、よ、世である、中に入るが良いか?」
一瞬––––、人形の様な少女の顔に表情が宿った。
今まで一度たりともこの部屋に近寄る事の無かった、立場的な事を鑑みても絶対に訪れる筈のない相手が扉の前に立っているのだ。
「…陛下?……どうぞ」
それは少女が生まれてから一度として触れ合う機会などなかった国王であり少女にとって唯一の肉親たる父、その人が扉の前にいる。
少女には『名前』など存在しない。存在すら許容されない者に『名』を与える者などいない。
虚無に等しい存在、むしろ少女は自身など害悪でしか無いと考えていた。
自分には父を求める権利などない……父と考える事すら烏滸がましい事だと。
心の無い少女の瞳は僅かに憂いを帯びた。なぜここに陛下が、期待や不安様々な感情が湧き出て今まで感じたことの無い感情が少女の心を支配すると同時に激しく動揺させる。
ガチャリと鍵の開く音、静かに扉が開けられ……
そこには一際豪奢な衣服を身に纏い威厳ある面持ちで少女を見据える父にして国王の姿があった。
護衛もいない、たった一人でなぜこんな所に。
少女の頭の中に様々な考えが巡るが同時に味わったことの無い高揚感に満たされていく。
父が……理由はわからないが、自分の様な存在に近づいてくれた。
そして理由など少女にとって些事でしかない。
言い表せない感情が少女を包む、しかしその表情は依然人形の様に生気を感じさせない……今自身の中に巻き起こる感情も……それを表す表情も少女は知らなかった。
王は目の前にいる少女を視界に入れるなり思わず息を呑む––––。
まるで一枚の絵画……至高の名画から飛び出してきた様な絶世の美女。
生まれて間もない少女しか知らなかった王は、その息を呑む様な美しさに一瞬心奪われる。
生まれた場所が違っていたなら数多くの男を虜にしたであろう美しさに驚愕の表情を浮かべずにはいられない。
––––––世は、何を考えておるのだ!この様な穢らわしき『呪い子』を美しいなど……世の心を拐かす恐ろしい魔女め。
王は頭を振って考えを打ち消しながらすぐに居住まいを正すとおもむろに口を開く。
「今日はそなたの生辰の日であろう、斯様な場所で過ごしてばかりでは気も病むというもの、ささやかだが祝いの席を用意させた、今までの臣下や使用人の無礼は水に流し、今宵は楽しもうではないか、どうだ?」
目を泳がせながら、少し慌てた様子で王は説明する。今までの少女に対する対応を鑑みれば何と自分勝手で不遜な物言いだろう。
しかし少女にとってその言葉は生まれて初めて与えられた『優しい言葉』であった。
初めて話した父からの言葉に少女の心は大きく揺れ動き、そして小さく頷いた。
「……はい」
「そ、そうか、世も安心したぞ!では参ろう」
王は不敵な笑みを一瞬浮かべたがすぐに取り繕い少女を引き連れ会場へと歩みを進めた。
何か根端があるのかも知れない…また暗殺を企てられるかも知れない…しかしそんな些細な事は少女にとっては些細な事。父が私を見て気遣う言葉をかけてくれた、それだけで十分だった。
しかしほんの一瞬僅かに『期待』してしまう……本当は暗殺などに父は関わってなかったのではないか、事実を知った父が哀れみを感じてくれたのではないか……
このささやかな期待が少女の心を完全に砕くのは想像に難くない。ただ少女はそれを予期してまでも縋ってしまった、それほどまでに少女の心は飢え渇いていて––––––。
繊細な装飾が施された豪華な扉を開いて中に入る。縦長いテーブルに、所狭しと煌びやかな料理の数々が並んでいる。どの料理も豪華絢爛な雰囲気に恥じることの無い志向の逸品ばかりだ。
席はテーブルの両端に用意されており使用人に勧められるまま席に着いた。
その向かいに王は座りホッと安堵する様な表情を浮かべ引きつった笑みを顔前に手を組んで隠しながら少女に視線を送る。
王が使用人に合図を出すと、控えていた楽師達が静かに‥‥そして力強く演奏を始めた。
少女に捧げる『鎮魂曲(レクイエム)』
「どうかね?気に入ってくれたか?」
「……はい」
「そうか、では心ゆくまで楽しむといい、これがそなたの最後の晩餐だ」
「––––––」
王が言い放つと同時に少女の足元から淡く光が漏れ出し幾何学模様を刻む。瞬間––––、魔方陣が形成され強い光が少女を包み込んだ。
反発する様に少女の中から陽光色の光が溢れ少女に害を為す魔法を打ち砕かんと暴れ出す。
その光景に王は焦燥の表情をうかべ額に汗を流しながら祈る様にジッと見据えていた。
しかし次の瞬間王は驚愕に目を剥く––––––。
少女は自身を守る様に溢れ出す陽光色の光を自らの力で抑え込んでいた。
王は混乱し、逡巡する……陥れられた事など誰の目にも明らか、どう考えても罠……
そんな状況下で少女は自らの命を犠牲にしながら苦しみの表情で自分を守ろうとする光を抑え込んでいるのだ。
「な、何を……何をしている……」
王は自分の口から出た言葉が矛盾している事にも気付かず、自信を守ろうとする力に抵抗を続け苦しむ少女の姿を固唾を呑んで見つめていた。
やがて、自らの力を抑え込む事に成功した少女は足元から徐々にその姿を消していく。転送魔法が成功し少女を致死の旅路へと送り出す。
しかし王の表情は驚愕に染まったまま……赤眼の双眸は少女に釘付けだった。そして次の瞬間、王は大きく目を見開いた。
王が想像していたのは、悔しさや憎悪渦巻く感情で周りを睥睨しながら消えゆく少女の姿………そして全てが終われば魔獣を討伐したかの様な歓声が起き皆で勝利を祝うのだと。
しかし目の前の少女は王を見据え、笑っていた––––––。
屈託の無い、むしろ感謝の念を込める様な心からの笑顔…生まれて初めて作った笑顔だった。
「……お父様…アリガトウ––––––」
そう言い終える瞬間少女の姿は忽然と消え、場には静寂が訪れる。
「––––––」
絶句……王は、わなわなと震える両手で顔を覆う。
「あ、あぁ、な……なぜだ……な……なぜ」
王はその場に膝から崩れ落ちた、訳も分からず大粒の涙が頬を伝う目の曇りを洗い流すかの様に王の涙腺が決壊し大粒の雫が溢れ出す。
悪い夢でも見ていたかの様に心の靄が晴れていき、少女が生まれてから今まで受けた苦しみや悲しみが激流の様に流れ込んでくる。
「世は、なぜこんな……とんでも無いことを……娘よ…世の娘よぉ!!」
「戻せ……今すぐに連れもどせ!!世の娘を救ってくれ頼む……」
泣き崩れる王に臣下や使用人達は戸惑いを隠せずにいた、しかし侍女や臣下の中にも、今までかかっていた黒い靄が晴れた様に様子を変え同じく劇場にかられ泣き崩れていく……皆、悪夢から覚めた様に、自責の念に駆られていった。
不敵な笑みを浮かべる一人を残して––––––。
少女の視界が一瞬真っ白になりそして視界が戻るとそこは遥か上空。少女の身体は重力に従い地上へとに急降下を始める。
「……やっと…終わる…」
少女の表情に焦りは無くその目は真っ直ぐに少女を呑み込まんと大口を広げた何処までも続く底なしの深淵をしっかりと見据えていた。
自身の運命を受け入れ、永遠とも思えた苦痛の日々も終えることが出来るかもしれない……ただ一つだけ、ほんの僅かでもいい、最後に我儘を言うことが出来るなら––––。
『誰かに…愛されてみたかった……』
少女は音もなく深淵に消えて行く、少女の身体から光が溢れ少女を覆う様に包み込むと同時に深淵の闇が少女の身体を包む。
上空で転送魔法を行使していた魔導師達は静かにその様子を眺めていた、そして少女が巨穴に消えると同時にその深淵より溢れだした闇のオーラに尽く取り込まれ永遠の暗黒へとその姿を消した。
真っ暗な闇の中、少女は意識が遠くなるのを感じながら水中を揺蕩う様にその空間を流れていた。少女の視界に眩い光が現れ全身を優しく包み込むと暖かい何かが体に触れる……
『あなたの運命は過酷なものかもしれません、ただ決して……光を失うことのない様に。光はあなたと共にあります……あなたがもう一度このセカイを訪れる時……あなた達は戦う事になる、『闇』そのものと…その時あなたの内に宿る光が導となるでしょう』
頭の中に声が響いた、柔らかく穏やかな女性の声。
「……だれ」
『いずれ、わかります……そろそろ時間の様です。闇の干渉が強く今の私ではあなたを完全な姿で世界に導く事は出来ませんが、闇からあなたの『存在』を隠すためにも都合がいいかもしれません…少し不便をおかけしますが、許してくださいね?あなたに光の加護があらんことを……』
「あなたは…だれ?……ワタシは––––」
少女の視界が真っ白に染まる、身体の感覚が徐々に消えていき意識だけが浮遊して––––。
少女の視界が徐々に戻っていき身体の感覚が蘇る。
しかし少女は以前の身体と異なる感覚に違和感を覚えその目を開いた。
『…ここは?…ん……上手く喋れない……寒い……雨?』
少女はボヤける視界で辺りを見回しながら、ふと自分の姿に目を向ける。
『……猫?』
「ミャッ」
『……言葉、喋れなくなってる……でも、喋る事なかったから……変わらない』
静かに雨が降っている、見た事の無い世界で猫の身体––––普通であればパニックに陥り自分の状況を嘆き叫ぶであろう。
しかし少女にとってはこの様な状況も最早どうでもよかった。
静かな雨が優しく降っている、寒さがその小さな身体から熱を奪い、雨に打たれながら『黒猫』となった少女は虚空を虚ろな空色の瞳で見つめ思った……ようやく静かに眠れるもう何もいらない––––呪縛から解き放たれ……ただ安らかに……永遠の眠りに……
ふと失いかけた朦朧とする意識の中で猫となった少女の小さい身体を温もりが優しく包み込んでいる事に気づいた。
『––––––あたたかい』
少女の意識は温もりの中ゆっくりと閉ざされて行く。
「お前死にたかったんじゃないのか?勝手に助けてゴメンな」
優しく暖かみのある男性の声、少女はおもむろに声の主へと意識を向ける。そこには、少女が今まで一度として向けられた事のない慈愛に満ち溢れた眼差しで少女を抱きかかえている男性の姿があった。
軽蔑でもない、憎悪や嘲笑でもない、優しい眼差し。凍てついた心を溶かす様な暖かい眼差し。
「雨の中であったから……名前はレインな、文句があるなら早く元気になれよ?」
『––––名前?レイン?……私の名前……レイン……レイン』
少女は生まれて初めて与えられた『名前』を噛みしめながら何度も何度も呟いた、魂に刻み込む様に何度も呟き、その心は溢れ出る涙で満ち溢れる様だった。
初めて『存在』を認められ、初めて愛情を与えられたレインは心で叫び号泣した。
絶望しかなかった人生を洗い流す様に、レインの心は大粒の涙を流し続けた。
猫になった事などレインにとっては些事でしかない、この瞬間『彼』はレインの全てとなった。
彼との暖かい日々は時を忘れさせ、気が付けば2年の歳月が経ち、真っ直ぐに注がれる彼の愛情を一身に受けレインの心は温もりで満たされていた。
そんなレインの彼に対する想いは日に日に増していく、猫の根底を覆すレインの所業に呆れつつ『彼』もまたレインに特別な感情を抱いていった。
『ん……男の人は……こういうの好き……彼も喜ぶ?……でもワタシは猫だから……』
「んにゃ~」
「どうしたレイン?って何でその雑誌を!?レイン!見てはいけません!例え猫でも女の子は見ちゃダメ!」
「ミャッ」
『ん………ケモ属性に変えれば問題なし』
レインは事実『猫』ではない、うら若き乙女である。
故に彼の気苦労も絶えない。
「レイン、トイレ終わったか~片付けるから」
「シャ––––!!フゥッ!!」
『……見るな!!……くるな!!……寄るな!!』
「うおっレ、レイン何で怒って……レイン?!痛いっいてててっ!!顔はっ顔はやめてっ!!」
「トイレの処理を自力でこなす猫は世界広しといえど、レインくらいだよな…本当に猫か?たまに普通の女の子といる気になってしまう俺、いやいやイタイから」
レインの彼に対する想いは最早恋人の域に達していた。しかし彼にそこまでの自覚はない……
特別で大切な存在である事に変わりは無いが、親愛であり恋愛ではなく––––––。
「ん?甘えてるのか?可愛いなぁレインは、お腹のモフモフが気持ちいんだよな~あと尻尾も、モフモフ……わしゃわしゃ」
「ニャン~ニャッ~ミャ~」
『…んっ!?……くふぅ……んんっ……んぁ……はぁはぁはぁ…』
「なぜだろう、レインを撫でてるとなんかもの凄くいけない事をしている気分になる……レインが恍惚の表情を浮かべている様に見えるのは……うん、きっと気のせいだ」
彼との時間、言葉一つ一つがレインにとって宝物だった。
この世界に来たばかりの時は多少驚きはしたが、元々閉鎖的な環境にいたレインにとってこの世界こそ初めて見た世界であった為、適応するのも早かった。
言葉は不思議と最初から理解出来ていたし、彼の留守時には彼の本などを漁ったりしているうちに、文字も多少読める様になっていた。
平日の昼下がりテレビを見ながらくつろぐ猫……実にシュールな光景である。以前のセカイでの人生が嘘の様にレインは充実していた、満ち足りていた、ある意味異世界ライフを絶賛満喫中の黒猫さんであった。
『……テツコさん……リスペクト』
シュールである––––––。
レインは彼のコレクションの中でも特に恋愛のアニメを大変気に入っていた、器用に前足と口を使い昼間はDVDなんかを見たりもしている。
今レインはお気に入りのアニメシーン(偶然混浴になってしまった主人公とヒロインのテンプレ展開)を食い入る様に見ていた。
『お風呂……一緒に入ると……彼も喜ぶ?』
その夜、入浴中の彼に『フライング・ボディー・アタック』を見事に決め、浴槽にレインさんが飛び込んで来たのは想像に難くない。
この程度で驚く事なかれ、レインはパソコンスキルも習得していた。柔らかな肉球から繰り出される繊細なブラインドタッチは神業と言っても過言ではない。リンゴのマークのPCをフル活用しS N Sで世の中に粛清を入れるその姿は、ある意味チート勇者顔負けである。
『……猫踊ってみた……うp……草www』
誰にも知られずに黒猫として転生してきた少女レインは『超ハイスペック』なある意味チート黒猫として人知れず爆誕していた。
もはやニートである––––––。
そんなレインの幸せな日々は静かに忍び寄る『理不尽』によって踏みにじられる……
今日も彼はいつもの様に仕事に行くためバタバタと準備をしている。
「レイン、今日も留守番よろしくなぁ」
出がけに何か忘れ物をするのはいつもの事、それを咥えて見送りに行くのがレインの日課だ。
「おぁっ財布忘れてた!危ない、危ない、いつもありがとなレイン」
彼の腕の中に飛び乗り頬をチロチロした後軽く頬にキスをする、これもいつもの光景。
『…さみしい……けど行ってらっしゃい……大好き』
「ミャァ~」
「お前だけが俺の家族だよ…」
「ミャッ」
『家族……妻?』
「夜までには帰るから、行ってきまーす」
ドアが閉まりガチャリと鍵の閉まる音がする。
この音は幸せな今でもあまり好きになれない、一瞬過去の記憶がチラつく。
ただ今はあの頃とは違う、レインは軽く頭を振って考えを追いやると、いつもの様にお気に入りの場所で寂しさを紛らわせる様にしばし微睡む。
彼が出会った日に包んでくれた外套、彼の匂いが染み付いたレインのお気に入りの場所、初めて冷え切った心を暖めてくれた彼の温もり。
いくら直してもレインが必ず引っ張り出してくるので今や外套はレインの物となっている。
その温もりに包まれながら、そのまま深い眠りに落ちていった……
『……イン…レイン』
名前を呼ぶ聞きなれない声、昔どこかで聞いた様な…女性の声
『……だれ?』
『闇が迫っています、まだ時ではないのですが…早くそこから逃げなさい、今のままでは…』
『…ここを出る?……絶対にイヤ……ここは…この場所はワタシの全て……ワタシの居場所はここ』
『もしそこで闇による攻撃を受ければ、完全な形でセカイに戻る事が困難になります。そうなればあなたは本来あるべき力の一端を失う事になる……あなたはセカイにとっての光……来るべき時に……あなたの力が必要なのです』
『……しらない……そんなのしらない……力なんてどうでもいい……その力のせいでワタシは…元のセカイになんて……もどらない……ここを出るくらいなら……ワタシは……死ぬ』
『そうですか、これも定めなのでしょう。あなたの意思があなたの運命を、あるいは違う結果を導き出すかも知れませんね……わかりました、私はこれ以上口を出しません。最後にあなたに私の加護を授けます。あなたの思い人にも……光の祝福があらん事を……光があなた達とその繋がりを守ってくれます……『彼』をよろしく頼みますね……』
頭の中から声が消え、その後暖かい光が胸の中にスゥっと溶けていく気がした。
『……ユメ?……奪わせたりしない……この温もりも……彼も』
気がつくと窓から薄っすらと夕日が差し込んで部屋をオレンジ色に染め始めていた、随分と長い時間寝てしまっていた様だ。
『…まだかな……アイタイ』
ガチャリッ鍵の開く音がした。
『……帰ってきた?……でもいつもと…雰囲気が––––』
ゆっくりとドアが開く、静かに入ってきた足音はいつも聞く彼の軽快な靴の音ではなく、コツコツと甲高いヒールの足音。
か細く華奢な足が見え白いフリルのワンピースに身を包んだ女性……少し脂ぎった髪が顔に張り付いていて、胡乱な瞳はとても不気味な印象を受ける。
「はぁ~彼の匂い、今日から私たちの愛の巣になるのね、ふふふふふ」
『だれ?!……それよりこの女……危険––––』
全身の毛が逆立ち、本能がけたたましく警鐘を鳴らすこの女は〈危険〉であると。
「フゥ––––––」
全身の毛を逆立ていつもの倍ほどに膨れ上がった尻尾をピンと突き上げながら目の前にいる危険な女を威嚇する。
今のレインに過去の様な不思議な力はない。
この世界においては過去の記憶と感覚を有しただけの『猫』であることに変わりはないのだ。
しかしレインは引かない、大切な場所、彼との温もりが詰まったレインにとって唯一無二の世界。
「何?あなた、私と彼の愛の巣に図々しく居座って、目障りなのよ…ゴミ!……あなたの様な汚れたゴミに彼の眼差しを向けてると思うだけで虫唾が走るのよ!!彼は……ワタシノモノ」
表情は醜く歪み、目には狂気が宿っている。
レインはその目をよく知っていた。過去の自分に向けられていた『あの目』だ、蔑み、見下し、穢れた物を見る悍ましい目……明らかに常軌を逸した雰囲気に身の毛がよだつ。
『……ワタシが……守る……彼には……近づかせない』
レインは大きく跳躍し女の顔面に向かい右前脚の爪を振りかぶった。
女は咄嗟に顔を両手で覆い後ろに下がる。
レインの爪が空を裂いたが、着地後すぐに体制を立て直し剥き出しの爪で襲いかかった。
「キャァア!!」
顔を覆っていた腕に爪が深く食い込み皮膚を裂いた。腕から血がにじみ出ている。
しかしレインは油断することなく猛攻を続け、左右に飛びながらヒット&アウェイを繰り返す。
「痛い!痛いじゃないの!調子に乗るんじゃないわよ!ゴミが!」
レインが飛びついた瞬間に爪で引っ掻かれながらも無理やりレインの首を掴み、おもむろに前へ突き出しその手に力を込める。
その間必死に爪を立て抵抗をするが手に込められた力は弱まらずレインの首を絞めつける。
『……うぅっ……く、くるし…い……イキが』
レインの力が少し弱まったのを見ると女は到底女とは思えぬ膂力でレインを真下の床に叩きつけた。
『かはっ……』
鈍い音と共に今まで味わった事のない激痛が全身に走る。
「ユルサナイ、ワタシの体を傷つけるなんて、あの人に……彼に嫌われちゃうじゃない……ユルサナイ…ユルサナイ!!」
「死ねぇえぇえ!ゴミがぁああああ!」
女は激昂し、ぐったりと倒れたレインの首を持ち上げると思い切り投げ飛ばす、ドスっとクローゼットの扉にくぼみを作りそのまま血の跡を残しながらレインはずり落ちる。
女はおもむろにキッチンから包丁を取り出し、そのままゆっくりとレインに近づいていく。
『……はぁはぁ……全身が……いたい…頭が割れそう……でも…ここはワタシの全て……必ず…守る』
レインは空色の瞳に再び力を宿し、むくりと起き上がると力強く女を睨んだ。
命がけのレインの威嚇、その全てを見透かす様な空色の力強い瞳に、女は一瞬たじろぐも包丁を乱暴に振り回しながらレインに向かってきた。
「あなたを晩御飯にして、彼に食べさせてあげるぅ!あはっあはははははははは!!」
女はドロッと濁り狂気に満ちた双眸をグリグリと動かしながら喚き散らす。
レインは力を振り絞り女の動きを紙一重で交わしながら、跳躍して強烈な一撃を目元に放った。本能的に交わした女だったが眼の下が裂け血が噴き出す。
「いやぁああああ!!顔に、ワダジのガオによくもぉおおお!」
ドスッドスッと壁に包丁を突き刺しながら女は呻き散らし、般若の様な形相でレインを睨みつける。
『……はや…く…出て行け……この…ばか女…』
レインは既に満身創痍、立っている事自体奇跡としか言いようが無い。強く打ち付けられた事で肋は折れ内臓も損傷しているが、レインは大切な人を、その時間を、全てを守りたい一心で立っている。
例えどれ程の深手を負ったとしてもレインの心は決して折れず何度も立ち上がるだろう。
女は錯乱して包丁を振り回しレインを攻撃しようとするが、目の前の敵を屠る事に命をかけて全神経を集中させるレインにとって、無闇に振り回すだけの攻撃など脅威では無い。するりと身をかわし華麗に跳躍しながら首筋、背中、太ももなど的確に切り裂いては戻り体制を瞬時に整え、また爪を立てるヒット&アウェイを繰り返し、遂には女の方が追い詰められていた。
徐々に焦燥感を持ち始めた女は、レインの洗練された動きに付いて行けず足を縺れさせ転倒する。
「あぐっ……もう!!何なのよ‥‥」
「あぁ…これ?!彼の服ぅ!あぁ~癒される、彼の匂い……」
女は転倒した際に顔付近にあった彼の外套に気づき座り込み外套を抱きしめた。
『それに……さわるなぁあああ!!!!』
レインは激昂して女の顔に飛びかかる、おもむろに女の振り抜いた包丁の刃先がレインの腹部を裂いた……
『っつ!?』
しかしレインは怯まず外套をしっかりと咥え女から取り返そうと力を込める。
「何よ!彼の服に触らないで、穢らわしい!!」
ブスッ……鈍い音と共にレインの脇腹に鋭利な刃が突き刺さる。
「あはっあははは!」
ブスッブスッ……女はそのまま何度かレインの背中に包丁を突き刺した。
『……!?……あ……ぁ』
身体中が沸騰する様に熱い、尋常では無い激痛がレインの意識を遥か彼方に飛ばす。
「あ~あせっかくの彼の服があなたの汚い血でべちゃべちゃじゃない、ふふふ、これはもういらないわ……ゴミは捨てないと」
レインは必死に意識を繋ぎ止めながら彼の外套を咥え全身を襲う悶えるような痛みに耐え、それでも身体を動かそうと全身に力を入れるが、既に限界を越えた身体には力が入らない。
女は外套を引きずりながら窓際まで行き、必死にしがみ付いているレインごと外へ放り投げた。
ドサッと鈍い音がした。女は恍惚の笑みを浮かべその様子を眺めていたがレインが動かないのを確認すると部屋に戻って行く。
『……ぁ……か、彼に…つ……た…えなきゃ……か…え……らな……いで』
レインは朦朧とする意識の中、動くはずのない身体を起こし外套を咥えたままズルズルと歩き出した。
彼に危険を伝えなければ、彼が傷ついてしまう。
その思いだけでレインは立ち上がった。一歩一歩動くたびに意識が飛びそうになるのを堪えて愛すべき彼のもとへ––––。
レインは途中力尽き人々の行き交う喧騒の中倒れ伏す
「……うわぁ、ひでぇなこりゃ」
「身体中ズタズタじゃねーか」
「もう死んでるな、早いとこ回収しようや」
『…待って……ワタシは……彼の……ところに』
「なんか咥えてるが、離れねーな、もういいや、このまま積み込んで行こう」
『ダメ……ワタシは…まだ…待って……』
レインを乗せた作業車は無情にも走り出した。
「後ろから誰か叫んでるぞ?」
「ん?あぁ、気にすんな、最近の若いのはよくわからんからな、関わらんほうが良いさ」
『……誰か……タスケテ…彼を…タスケテ……お願い』
『………助けて』
作業車の荷台でレインの身体が淡く光輝く、傷が癒え鼓動は力強く脈を打ち始める。
一層激しく陽光色の光がレインを包み、その身体が浮かび上がったと思った次の瞬間、光が消失すると同時にレインは姿を消した––––––。
静かに雨が降っている、淡い光と共にレインは再び『セカイ』に姿を現した、そこはレインにとって光も何もない、何の暖かさも与えられなかったセカイ…
レインは『聖霊器』となった外套を羽織り、以前とは大きく変わった姿でそこに佇んでいた。
黒猫の印象は残しつつ限りなく人間に近い姿。
これはレインの心の奥底にある希望が成した姿なのかもしれない。
何もいらない……どんな姿でも良い、ただ彼と共に……それだけで良かった。
「ワタシは……ここは……彼が……いない」
「………な……こんなセカイ……ワタシには何の意味もないっ––––」
レインは唇を強く噛み締め、天を仰いだ。
「…ワタシは……どうでも良かった……どうでも良かったのに………ワタシを助けてなんて頼んでないのに………彼は……どうなったの……会わせてよ」
レインは身を包む外套を抱きしめるように両手で自身の肩を抱き––––。
一筋の涙が頬を伝う、後に続くように大粒の涙が次々と頬を伝い流れてくる。
『ぁああっあぁぁあっっああぁぁぁぁぁ––––––』
レインは掠れる声で泣き叫んだ。生まれて初めて感情のままに大粒の涙を零しながら、その心に呼応するかのように雨も強くなる。レインの掠れる声も大粒の涙も洗い流すように強く降りしきる。
彼の笑顔、初めて自分に愛を…笑顔をくれた人。二度と会えない……無事なのかどうかも…確かめられない……こんなことならいっそ死んでしまいたかった。彼が自分の遺体を見つければ悲しむかもしれないが、あの女に合わせずに済んだかもしれない。そうじゃなくても警戒するくらいは出来たかもしれない……自分は大切な人を守ることも、役に立つことすら出来ずに––––。
こんなセカイ……こんなセカイ!!!
「……こんなセカイ、壊して––––––」
「お嬢さん、それ以上はいけない」
ふと気がつくと目の前に白髪の老人、というには余りに凛々しく風格のある佇まい、碧眼の瞳にとても優しい光を宿した男が立っていた。口元に白い髭を蓄えており見た目的な印象は60前後といった所だがそれ以上に若くも見える、最大の特徴は通常より尖った耳。白いローブを纏いレインの前に立っていたが直ぐに膝をつきレインに目線を合わせる。
「こんな所で、そんな格好で、あなたのようなお嬢さんが一人でいてはいけない、すぐ近くに私の小屋がある。狭い所だが暖をとるには良いだろう…私のような老いぼれには過ちを犯す度胸もない、良かったら来ないか?」
レインは特に話を聞くわけでもなく存在を認識していないとでも言うように虚空を見つめて涙を零している。
白髪の男はじっとレインの瞳を見つめ、優しく声をかけた。
「お嬢さん、君に何があったかはわからない、ただとても辛い経験をしたんだろう…しかし今君は生きて私の前にいる、どうか君を助けさせてはくれないか?」
レインは初めて白髪の男性に目を向けた、しかし瞳に生気はない。
「……ワタシを助けてくれるのなら……彼に…会わせて……出来ないなら……今すぐ……ワタシを殺して」
白髪の男は一瞬驚きに逡巡するが、また優しく微笑みを浮かべながら呟いた。
「私の名前はアルベルト、お嬢さん名前を聞かせてくれないかい?」
「……レイン……私の名前は…レイン」
外套の聖霊器が薄っすらと青白い光を放つ、改めて所持者の名を認めたのだろう。
白髪の男はその様子を見守りながら、レインが名前をつぶやく時に一瞬その空色の美しい瞳に光が宿ったのを眺め優しくその口を開いた。
「そうか、レイン……良い名だ、その名は大切な人からの贈り物かな?」
レインはハッとしてアルベルトの顔をまじまじと見つめる。
「……どうして?……なんでわかったの?」
アルベルトは優しい笑顔のまま答えた。
「簡単なことだ、レイン……君がその名を愛しているからだよ。そして君にその名を送った人の事もとても愛している」
レインはその大きな瞳に溜め込んだ涙を零しながら、父に甘える娘のようにアルベルトを見つめ
「……ん…とても…愛してる……世界〈セカイ〉で誰よりも……愛してる…けど……もう会えない…それに……あの女にあったら傷つけられるかもしれない…ワタシ戦ったけど……勝てなかった…」
「そうか…レイン、よく頑張ったのだね。君の大切な人は…絶対に大丈夫だよ」
アルベルトは真剣な表情でしっかりと断言してみせた、根拠などない…しかし不思議とその言葉にレインは心が軽くなるのを感じる。
「…でも…そんなの…わからない」
「いいや、わかるとも……君がこれほど強く大切に思っているのだ。そんな相手が簡単に君を悲しませるとは思えないよ」
アルベルトは暖かい笑顔をレインに見せながら続けた。それは偽りや慰めではない心からの言葉。
「私の知る神は…私に越えられない壁は絶対に与えられない、どのような理不尽や困難にあったとしても、それは私が越えられる壁だ…だからね、私はそう思うんだよ」
「君は色々苦難を乗り越えて大切な物を手にしたはずだ、しかしその壁がなければ大切な物にも辿り着けない、そしてレイン。その大切な人が消えてしまったら、君は耐えられそうか?」
「……絶対に無理」
「なら、大丈夫、そして君が本当に望むなら…そしてそれが彼の為でもあるならば、必ずまた会える」
その言葉にレインは心から安堵するのを感じた、何の保証も確証もない言葉。しかしレインにはその場しのぎの言葉には聞こえなかった。
無条件で信じることが出来る心からの言葉、レインは瞳に輝きを取り戻すと、美しい空色の瞳がセカイを反射しより一層美しく輝いた。
……聖霊器を持つ少女か、これは私の背負うべき運命なのかもしれん。
そうは思わないか?我が盟友『ギデオン』よ。
お前が先に逝ってから数百年、この老いぼれの最後の仕事になりそうだ。
そして運命の歯車は回り始める、彼はレインの想いに応える様にこのセカイにやってきた。しかし二人の想いはすれ違う。
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