真夜中に歩く

@and25

第1話

 宮本敏夫が大学に入学したころは、バブルがはじけるかはじけないかの頃。世間はまだ浮かれきっている時代だった。

 もっとも、カネ・カネ・カネのバブルムードが煽られ、高級品が売れていても、敏夫自身にはあまり関係がないことだった。実は特殊な事情から、彼は実は大金持ちになっていたのだが、贅沢することにはあまり興味が持てなかった。


 敏夫が高校二年生のときに、久しぶりに二人きりの温泉旅行に出かけた両親は、その帰りに事故であっけなくこの世を去った。秋のことだった。紅葉と温泉をゆっくり二人で楽しんだ帰りだったということが、せめてもの救いだった。これは、そのあと何かと敏夫の面倒を見てくれた母方の祖母がポツリとつぶやいた言葉だったのだが。

 高校生ともなると、家族旅行など恥ずかしくて付き合えない。

 「ゆっくりデートしてきなよ」

 そういって両親を送り出して、それきりとなってしまった。

 まだ五十歳間際だった父は、まだまだ元気で健康であったが、そのころは、ときどき手がしびれる、と訴えることもあった。日常生活にはほとんど支障はなかったので、母の受診の勧めもきかず放っておいたが、もしかすると、それで車のハンドル操作を誤ったのかもしれない。対向車線に運転していた車がぶれて、運悪く大型トラックと正面衝突してしまった。二人とも即死だったという。

 敏夫は二人の遺体は見ていない。見られる状態ではなかったからだ。火葬場で骨になった姿に、彼らの死後初めて対面して、あまり現実感もわかないまま、祖母と二人でお骨を拾った。『本当に骨って、二人で箸で拾うんだな』などとぼんやり思ったことを、ずっと後まで覚えていた。

 葬儀や相続など、人の死にまつわるさまざまの手続きは、敏夫から見ると唯一の祖母である例の母方の祖母がすべて行ってくれた。父方の祖父母は早く他界していたし、母方の祖父もすでになかった。両親とも、この世代では珍しく、兄弟姉妹はいなかった。だから敏夫にはおじもおばも、いとこもいないのだった。正確にいえば、両親それぞれ、もともと一人っ子だったわけではなく、戦中戦後の時代、戦死したり栄養不良などで、兄弟姉妹が幼いうちに死んでしまったということだった。この世代の人たちは、多かれ少なかれ、そういう経験をしている人は多い。

 ともあれ、唯一の祖母は、かなり負けん気が強く意地っ張りなところのある人だったようだ。

 戦時中、塹壕掘りに動員されたときは、赤ん坊を背負って出かけていった。真夏の暑い日だった。背中の赤ん坊のことが気になって仕方なかったが、子供を口実にさぼっていると思われるのが嫌さにずっと作業を続けた。

 近くで作業していた年かさの女性から、「あんた、子供が!」といわれたときにはもう遅かった。真夏の直射日光にさらされ続けていた赤ん坊は、すでに死んでいた。祖母は意地っ張りのために、子を一人死なせてしまっていた人だった。これは、母から昔聞かされた話である。

 この祖母は同時に気丈でもあったため、敏夫の両親の死後の手続きを、すべてきちんと行ってくれた。

 敏夫の父はそれなりの商社に勤めていたので、死亡退職金もかなりあった。そのうえ、父も母もそれぞれに高額な生命保険に入っており、死亡保険金はすべて、当然ながら一人息子の敏夫が受取人に指定されていた。だから敏夫は、両親の突然の死と引き換えに、相当の大金持ちとなっていた。そのため、生活に困るとか、進学を諦めるとか、そういうことは一切ないばかりか、それでも有り余るほどのお金があった。

 しっかり者の祖母だったが、敏夫が大学に入学し、将来が安定したとみたのか、まだまだ死ぬには早い年齢だったのに、急な心臓発作でいきなりi逝ってしまった。したがって、敏夫は祖母の財産をも相続した。夫にも早く先立たれていた祖母は再婚もせずに一人で娘を育て上げ、孫も得たというところ、その娘にも先立たれた。さすがに孫の敏夫を看取ることはないだろうと、早くあの世に行きたくなってしまったのかも知れない。

 ともあれ、ごく若くして天涯孤独となった代わりに、なかなかの財産持ちとなってしまった敏夫だが、そんな身近な人々の死によるお金を、あまり使う気にはなれなかった。もともと、学費や生活費の分をのぞいては、祖母がしっかりと敏夫の名義で定期預金にしておいてくれたので、敏夫はそれには絶対に手をつけないことに決めた。住む家もあることだし、学生生活の費用は、学費以外はすべて自分でまかなうことにした。

 両親と祖母の死のお金は、自分がやがて社会人となり、自分の家庭を持つことができたならば、自分の子どもたちのために使おうと考えていた。そうするのが、一番そのお金を生かすことのできる道のように思えた。

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