コソ泥は異世界の目を閉じた

本木蝙蝠

第1章 元素の魔石とプリズンブレイク

第1話 男はどうして死んだのか

「囚人番号八十六番。時間だ。牢屋を出ろ」

 異世界に来てから一日が経った。俺は今、監獄にいる。


***


 目が覚める。床の硬い感触が背中に伝わった。

 

 ――どこで寝てんだ?

 

 身体を起こす。意識にモヤがかかっているようだ。目が上手く開かない。涙のにじむ目をこすり、どうにかして状況をつかむ。

 布団から転げ落ちたわけでもなく、泥酔して道路で寝ていたわけでもない。

 

 ――ここはどこだ?

 

 頭にモヤがかかったまま、周囲を見渡す。

 暗い。ただ暗い空間が、どこまでも続いているような場所だった。あるのはティーカップの置いてある小さなテーブル、立派な椅子、そしてそれに座る女だけ。そこだけが不自然に明るく照らされている。しかし光源は見当たらない。


「おはようございます」


 女が椅子から立ち上がった。

 女は純白の衣服をまとっている。レースのような素材が幾層にも重なり、優美になびく。ドレスと言って良いのだろうか。胸元には金のレリーフが施されていた。髪は黒く輝き、肌は驚くほど白い。まるで――


 ある言葉が浮かぶ。思考が止まる。依然として頭のモヤは晴れないが、その言葉は消えてくれなかった。


 ――まるで女神みたいだ。


 言葉にすると、急に気分が悪くなる。嫌な予感が脳裏をよぎる。しかしそれは確信に近かった。

 理由はわからないが、「きっとそうに違いない」と脳が叫んでいる。胃液が逆流しそうになる。どうしてか口に苦みが広がる。


「大丈夫?」


 気付くと女は俺の目の前におり、顔を近づけてくる。思わず俺は顔を背けた。腰を地面につけたまま少しだけ後退し……息を整える。

 そして恐る恐るを口にした。


「俺は死んだのか?」


 女は微笑み、それから唇を結んだ。


「そうですよ。あなたは死んで、ここは死後の世界で、私は女神です」


 女神と名乗る女はゆっくりと椅子に戻り腰をかけた。

 死んだ。そう告げられることで、むしろ気持ちがしずまった。ああやっぱりそうか、とに落ちる。


 しかしわからないことがある。どうして俺は死んだんだ? おかしな話だ。思い出せない。自分の死因がわからないなどあり得るだろうか?

 思考を巡らせ、やっとあることに気付いた。

 何も思い出せないのだ。

 

 俺は何をしていた?


 どんな人生を送った?


 誰と関わってきた?


 そもそも俺の名前は何だ?


 ああそうか、とようやく思い当たる。これこそが頭にモヤがかかる理由なのだ。


 俺は記憶を失っている。

 しかしそれはもはや関係ないのかもしれない。俺はそう思い直す。だって死んだのだから。だとすれば生前の記憶など関係ない。もしかしたら死んだら記憶は消えるようにできているのかもしれない。

 ならば俺が気にすべきことは今後のことだ。


「あの、俺はどうなるん……ですか?」


「率直に言ってしまえば、私が管理する世界の住人になってもらいます」


 ……?


「ああ、わかりにくいですか? そうですね。ありていに言えば異世界転生してもらいます」


 ……異世界? 転生?


「いや、結局意味が分からないんですが」


「あれ? あなたの世界ではそういった物語が流行だと聞いたのですが……まあ良いでしょう。

 とにかくあなたは、今まで生きていた世界とは別の世界で第二の人生を送るのです」


「……なるほど」


 とは言ってみるが、生き返りとは違うのか? よくわからない。


「『テンプレ』で通じないんですか?」


「俺は存じ上げないテンプレです」


 コホン、と女神はひとつ咳払いをする。


「まあ本来であれば元の世界で新しい命として生まれることになるのですが、今回は少しイレギュラーでして。その代わり……もうわかります?」


「わかんないです」


「えー、テンプレなのに」


「しつこ!」


「はいはい。……おかしいなぁ。これで通じるって聞いたのになぁ。


 あなたの状況は大変イレギュラーなものなので、お詫びと言っては何ですがとっても便利な力をあげます」


「力?」


「はい。ではこの箱から一枚の紙を引いてください」


 女神は椅子の後ろからごそごそと両手大の箱を取り出し、俺の目の前に差し出した。紙製の箱だった。なんかクジを引いてる気分だ。


 箱の穴に手を突っ込み適当に一枚を引く。その紙を女神に渡した。すると女神はその紙を一瞥し、にっこりと笑う。


「六番ですね。あなたに授ける力は『潜伏』です。おめでとうございまーす。パチパチパチパチ」


「あ、こういう風に決まるんですか」


 まんまクジじゃないか。


「ガチャって言うらしいです」


「ホントに女神かあんた」


「何を言うんですか。正真正銘の女神さまですよ」


 女神は再び椅子に戻る。


「さて、あなたの引き当てた『潜伏』の説明をしましょう。これは姿が認知されなくなる能力です」


「……」

「……」


「それだけ?」

「それだけです」


「え、もっと、こう、ないんですか? すごい力なんでしょう?」


「あー、一日三十分以上使うと自分で自分を認識できなくなります。ありていに言えば死にます」


「たしかにすごいですね」


 まさかのデメリット付きだった。


「まあ詳しく説明するなら、見えなくなるというよりはこの世界そのものから認識されなくなる、という状態に限りなく近くなる能力です。

 この世界にとって、少しの間だけあなたは存在していないのとほぼ同義になります。

 現実と虚数空間のはざまに身を置く、と言えば良いでしょうか」


「それだけ聞くと大層に思えますね」


「そうなんです! すごい力なんですよ!」


 女神に皮肉は通じないらしい。


「ウレシイナー」


「さて、ひとしきり説明も終わったのでそろそろお別れとしましょう。第二の人生、何かやりたいこととかあります?」


「いや、別に。何かよくわからないし。赤ん坊からやり直すかんじなんでしょ?」


「ん? いや、違いますよ?」


「え? そうなんですか?」


「そもそも肉体とか記憶とか、その他もろもろそのままですよ?」


 だとすれば自分の記憶がないのは問題か? いや、そもそも


「それって転生なんですか?」


「あれ? 確かに。転移? でも一回死んでるから転生? どっち?」


「……まあ、どっちでも良いですけど」


 俺と女神の間に微妙な空気が流れる。


「そ、それではこちらを飲んでください」


 女神は小さなテーブルにあったティーカップをこちらに持ってくる。


「これは?」


「……………………コーヒーです」


「何今の沈黙! こわい!」


「まあ、あれです。異世界に行くために身体の調子を整えてくれる的なものです」


 全く信用できないが、仕方がないので口にする。どうせもう死んでいる。何を怖がる必要があるのか、と自分を納得させた。


 瞬間、強烈な頭痛が襲ってきた。空いている左手で頭に触れる。ズキン、という鋭い痛みと共にある言葉が浮かんでくる。


 ――あなたにはこれから行く世界で、六つの宝石を盗んでもらいます


 何を意味する言葉なのか。思い当たる節が……いや、そうだ。思い出した。

 

 


 俺はやっと理解する。

「そうか、そういうことか。

 次々と記憶がよみがえる。

 名前は?

 佐沼真。


 年齢は?

 二十三歳。


 職業は?

 無職。泥棒。


 なぜ泥棒を?

 盗みたいという衝動が抑えられないから。


 俺を殺したのは?

 ヒイラギユキオと名乗る男。俺に盗みを依頼してきた男だ。そしてその報酬が


 ――全部盗めたら、あなたの『盗みたいという衝動』を消してあげましょう

 

 俺は口角をあげる。

 

 ああ、盗んでやろう。この衝動を消せるなら何だってする。

 右手に持つコーヒーを見る。まだ少し残っていた。そう言えば、俺は毒入りコーヒーを飲まされて死んだんだった。残りを一気に飲み干す。苦みが口に広がった。死んだことを自覚したときと同じ感覚だ。

 

 唐突に眠気が襲ってくる。

 

 俺は息を整える。


『俺は泥棒をやめるために、異世界に行って宝石を盗む』


 忘れないように目的を言葉にする。しかしそれよりも前にまぶたは下に降りていた。だからきっと、それは声になっていない。

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