◆2-16 ウィル
非常装置の据えられた一室。自由へとつづく、最後の脱出口。
そこは、戦場だった。
縦長の部屋の空気は〈ワイズ〉の残滓と瘴気で淀んでいた。大ダメージを負ってもがく魔物が転がり、うめきとも悲鳴ともつかない音であふれている。
魔物の中に漆黒の点がある。
光を寄せつけない黒のとんがり帽子。漆黒のローブはボロぞうきんみたいに破れ、魔術学院の制服は泥と血にまみれていた。
魔法使いが俺に気づき、青い瞳に憎しみの光を閃かせた。
「よくも……!」
ぜいっ、と血を吐きながら詠唱を紡ぎ、ロッドが強烈な光を放つ。
「〈
爆風が巻き起こり、燃えさかる礫が降りそそぐ。
って俺が標的か!?
そういえばミニ神官を襲ったと思われてたんだった、それともこいつが〈五人目〉!? 刹那に無数の思考が弾ける。ああ、ごちゃごちゃ考えるひまはない!
魔法の攻撃範囲外へ転び出て、奥に据えられた非常装置へ走った。
魔法使いも奥へ移動を始める。
体力も魔力が残ってないのか、動きが弱々しい。
俺もボロボロだ。〈
「セアッ!」
正面を塞ぐリザードマンを袈裟斬りにした。が、途中で〈ワイズ〉を結晶化したナイフの手応えが消えた。
くそ、〈
すぐさま利き手のナイフで一閃、リザードマンを塵に還す。
これでノーマル装備、もう隠し球もなにもない!
「はあああ!」
気勢をあげて魔物を蹴散らす。装置は見える! あと一歩!
少し離れたところで、魔法使いがリザードマンと交戦していた。ロッドで魔物の剣を防ぐが、簡単に受け流される。あれじゃ、やられる。
けど助ける余裕はない、装置の起動が先だ、脱出すれば治療できる、死ななきゃそれでいい!
俺はダークドライアドを撃破し、最後の道を開いた。
もう装置の台座に手が届く! いける!
「きゃあっ!」
魔法使いの悲鳴。
リザードマンが黒衣の少女に剣を振り下ろす。
ざんっ、と音がして、骨と臓器が潰れる音があたりに響いた。
魔法使いの青い目がまんまるに見開かれる。
信じられないものを見るように――――脇腹に剣の刺さった俺を映した。
俺は歯を食いしばって、体をひねるようにしてリザードマンの頸椎にナイフを叩きこんだ。
「ぐあああっ!」
ぐちゃり、と体の中で刃が動き、焼けつくような激痛が脳天を突き抜ける。黒い靄をあげてリザードマンが消滅するのもほとんど目に入らなかった。
魔法使いが呆然と俺を見つめた。
「ど……う、して」
知るか、体が勝手に動いたんだから。
死ななきゃそれでいい――そう思ったよ。でも、うっかり死なれたら生き返れないもんな。お前が〈五人目〉だとしても死んでほしくない。
「がは……っ!」
咳をすると、口から血が散った。脇腹に刺さった剣をそのままに、体を引きずるようにして前へ進んだ。
非常装置がぼんやりと光って見える。五十センチ四方の白い立方体。
「はあ、はあ」
「ギェアアアアア!」
背後から魔物の怒号が迫る。俺は崩れるようにして非常装置に手を叩きつけた。
「晴れて全員失格……これで終わりだ!」
装置にありったけの〈ワイズ〉を流し込み、装置を起動させる。
そして、
なにも起こらなかった。
装置が作動する音も、内包された魔法陣が展開することも、〈ワイズ〉を消費する感覚すらない。なんの反応もない。
「な、んで」
なぜ動かない。どうして、なんで!?
装置に目を向け、愕然とした。
装置の裏面に亀裂が入っている。深い溝は台座まで達し、無残な姿をさらしていた。
壊れている――――――――
いや、壊されていた。
「ルゥアアアアア!」
雄叫びに振り向くと、鼻が潰れたキュプロクスオーガが突進してくるのが見えた。
ナイフを持つ手が上がらない。絶体絶命なのに、ひどく他人事のように感じられた。
動け、よけろ。頭の片隅で冷静な俺がいう。だが動かない。大量の血を失った体に力が入らない。
醜い怪物は歯を剥いて笑い、棍棒を手に勝ちどきをあげた。
ろくな防御も取れないまま巨大な棍棒が振り下ろされる。
衝撃を隠した瞬間、
「〈ブラッディ・スプラッシュ〉!」
雨のような軽やかな音が降る。
「あぶっ?」
なにかに反応したキュプロクスオーガが動くより速く、金の光が躍った。羽根のように軽やかに中空で半身をひねり、音もなく着地する。
「ハアアアッ!」
腰だめに構えた一撃がキュプロクスオーガの心臓を射貫く。怪物は状況を理解できないまま白目を剥いて、どうっと崩れた。
「ウィル!」
気がつくと、俺は誰かに抱きとめられていた。
優しい、ひだまりのような色。
あたたかくて、いい香りがする。
鳶色の瞳をしたきれいな女の子――――ミアが俺を見つめていた。
ばか、なんで戻ってきた。
悔しくて涙があふれた。
装置は壊れていた。もう出られない、誰も脱出できない。
「神官は大丈夫、安全なところに送ったから。ウィルのおかげだよ」
「に、げろ」
血が喉にあふれそれ以上言えなかった。
ミアは俺の傷を見て息をのんだ。
「すぐに治すから」
「にげろ……!」
頼むから逃げてくれ! 君だけでも助かってくれ!
声が出ない。想いがあふれて胸が張り裂けそうなのに言葉が音にならない。
ミアはほほえんだ。
「私も〈栄光の戦士〉失格だね。みんなを置いていけなかった」
ミアの瞳が涙の膜で揺れた。
ああ、うそだろ……こんな。
破滅的な状況をわかっていてミアは戻ってきた。もう引き返せないことを覚悟して――――ばかかよ、大ばかだろ。
俺はミアの手を握りしめた。
「俺が守る」
もう指先の感覚はない。命の灯火は消えかかっている。それでも誓わずにいられなかった。
「信じろ」
あきらめるな。
まだ、できることがある。
こんなところで終われない。終わってたまるか。試験は終わっていない。〈五人目〉の正体も狙いもわからない。なにもわからないまま。
ミアを。虎男を、魔法使いを、神官を
* * *
魔物の軍勢が迫る。〈ワイズ〉の残滓と瘴気に濁り、絶望があたりを満たす。
剣士の膝に頭をのせたシーフの体から、ふっ、となにかが消えた。少年の瞳から光が消え、虚空を映す。
ウィルは死んだ。
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