10/23 友情

 昨日のことを思い出したわけではないんですが、友情をちょこちょこ読み直してます。

 大親友のダリチと新美南吉記念館で新美南吉の友情の絶賛具合を見て、そして大親友の友情大好き芸に感化され、また読むか〜。と、思ったのがきっかけです。


 友情はみなさんご存知、文豪武者小路実篤氏の中編?ぐらいの失恋小説。

 短くてサクって読めるんですけど、今はなんか勿体無くて5ページ読んでは明日にと取ってます。

 まあ、小学生、高校生、二十歳となんか節目節目に読んでるので内容は全部覚えてるんですけど、ページをめくるのが勿体ないなと言うぐらい自分も好きな作品です。

 当時の恋愛観点的には問題ないのかもしれないですが(そんなことなさそうな気もするが)、現代の恋愛観点、特に女性から見ると「ですよね!!」以外のなにものでもない内容で、読んでて楽しいです。

 逆に何がうまくいくんだ……? なあ、早川。って言うぐらい、大人になると殊更「ですよね!」感が強くなります。

 野島って二十代前半の男性が主人公なんですけど、武者小路実篤氏の作品に多く感じる主人公が主人公じゃない感の極みみたいな感じで。

 私小説の中でも自分の中では純文学よりも大衆文学寄りな作品なのではないかなと思ってます。でも、逆にここまで周りの目を考えずにストレートなのは純文学、自分の世界を見せているの究極の形な気もするし、どうなんだろ??


 ちなみに僕は純文学警察ではないので悪しからず。(話が噛み合わない時以外はどうでもいい)


 主人公が主人公じゃない、所謂とあるモブの話……、一般市民がフォーカスされる。とかではなく、マジで主人公が主人公じゃないんですよね。小説の主人公じゃないんですよ。でも、その小説本の主人公なのは間違いない。そんな感じ。

 変な話、本の中心にいるのは彼なんですよ。

 野島という、おーん。って感じの。

 残念ってよりも、本当におーんって感じなので未読の方はぜひ読んで欲しい。

 主人公野島を中心とした小説本なんです。

 けど、話のありどころ、中心を使ってるのは本当に彼じゃないんです。

 彼の親友、大宮なんです。

 そこがまた絶妙ですごい。本当に野島にフォーカスされてるのにスポットライトは大宮みたいな。書こうと思っても決して書けない、武者小路実篤氏からしか得れない養分がそこにはあるのです。

 だから好きなんですけどね、友情。

 何回読んでも、この奇妙なそして人生では(あくまでも自分にとってですが)当たり前のことが小説内で描けてるのすごいよね。

 世界の、世間の主人公は自分ではない。勿論、主人公かんていないんですけど、自分の物語の主人公は君だ!!みたいなキャッチフレーズを見るたびに僕は友情を思い出しているわけです。

 なるほど、この主人公とは友情の主人公をさしているのか、と。皮肉とかじゃなくて、ズドンと自分の中で納得できる言葉になる感じ。

 

 そして毎回読んで思うわけです。

 純粋な心で叫ぶわけです。


「野島は大宮と付き合えば全て丸く治るのでは……? あと、杉子は武子と付き合えば万事が万事上手くあのでは……?」


 と。

 本当読み返すたびに純粋に「大宮と付き合えばよくなーい!?」って初めて読んだ小学生の自分と同じこと叫ぶの、成長もなにもあったもんじゃなくて笑う。

 因みに武者小路実篤氏が失恋巨匠みたいなかと言われてるけど、自分の中で失恋大巨匠は久米正雄氏。

 そんでもって童貞劣勢の気持ち悪さ(めっちゃいい意味で)書くのめっちゃ上手いのは志賀直哉氏。


 ってことで、ボクは今日も色んな養分を啜りながら元気に生きてます。イエイイエイ。

 小説書かないけど、この日記はまたポツポツ書きます。多分。

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