第8話 落ち着かない夜

「そもそも噂を流して襲わせても、その実行結果を確認するのは難しい」

 指先でリリアンヌがクリサントスの文字をとんとんと叩く。不敬ではあるが、皇族に良い印象のないシェリルは気にしない。

 シェリルがクリサントスの名の近くに「お忍び中の姫の噂」と書き足した。リリアンヌのそれとは違う、流れるような筆跡だ。術式を書く事の方が多い為だろう。

「殿下が誰かを呼び寄せる事を知った高貴な人間が、何かを勘違い。

 ……うーん、理由としてはぼんやりしてて決め手とは思えない」

 リリアンヌが「貴族」とクリサントスの斜め下に書き込む。夕食の誘いにアンドロマリウスとアンドレアルフスがやってくるまで、リリアンヌとシェリルの推理は続いた。




 夕食後、湯浴みを済ませたシェリルとリリアンヌはベッドに転がり雑談をしていた。ケルガを緩めに身に纏ったシェリルが程良く引き締まった脚をさらけ出している。

「この術式は私の完全オリジナルなのよ」

 どうやら今回の題材は、術式の刺繍を施したクロマについてらしい。シェリルは椅子にかけていたクロマに手を伸ばす。クロマを握ってたぐり寄せ、その刺繍をリリアンヌの方に広げて見せた。

「術式を見ても、私にはただの模様にしか見えないわ」

 リリアンヌが申し訳なさそうに言う。シェリルは一瞬だけ、あっと言うかのように口を開き、目を大きくした。それを誤魔化すように、無理やり笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。

「そうだったわね、ごめんなさい。

 簡単に言えば水の精霊の力を間接的に使わせて貰う為の術式が主なの」

 クロマをひらひらと振ると、それは一瞬の内に凍り付く。シェリルは凍った部分をリリアンヌに触らせ、自慢げに笑った。

「本当に冷たい……」

「でも、普通は凍ったもので何かを叩くと割れちゃうでしょう。

 だからクロマの強度自体を上げる術式が組み込まれてる」

 リリアンヌがその言葉を聞くな否や、いつの間にか取り出した自分の短剣をクロマへと突き刺そうとした。短剣はクロマに刺さる事なく、滑って空を切った。

「この術式の弱点は、水気がないといけないって所だけね。

 極度に乾燥していて近くに水気がない場合はクロマが湿りもしないのよ。

 最悪、近くの人間から調達もできるけど……ミイラなんてなるべく見たくないしね」

「――流石に、生きているミイラは私も遠慮したいわ」

 リリアンヌは生きたまま水分を取られて枯れていく人間の姿を思い浮かべたのか、苦い表情をしてクロマを放す。


 シェリルは軽く笑おうとしたが、表情を変えてクロマを元に戻した。周りの人間がいつも身に付けているものと変わらぬ姿である。彼女はそれをさっと首に巻き付けると符入りの袋に手を伸ばす。

 リリアンヌは引き締まった脚を見せながらベッドから降りた。その手には先ほどクロマを突き刺し損ねた短剣が握られている。殺気と言っても良い程の、強い視線を感じだのだ。

 二人とも談笑している時とは打って変わり、硬い表情である。

「ここじゃだめね」

「ちょっと高いけど、私が何とかする。

 飛び降りましょ」

 二人は頷き合うと、ベランダへと走り出す。シェリルが一瞬先にベランダを飛んだ。リリアンヌはそれを真似るように飛び出す。

 シェリルは迷わず一つの符を取り出して術式を展開させた。その符とは、普段こちらに向かってくる敵の動きを止める為のものである。

 突風を巻き起こす術式は大地へとまっすぐぶつかりあい、その強さを弱めながらも落下中のシェリル達へと向かう。落下する力が風の力と相殺されていく。

 少々乱暴な着地方法であったが、そうして二人は難なく大地へと降り立ったのだった。

「狭くて人通りのない所が良いかしら」

 着地後すぐさまかけだした二人は、ついてくる気配を感じながら相談する。

「少し時間を稼げば、すぐにマリウスとアンドレが来てくれるはず」

「お二人の事を考えると、広場の方が有利かもしれないわね」

 シェリルとリリアンヌは互いに目配せすると、広場へと続く大通りへと方向を変えた。

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