第3話 美しい悪魔とのお茶会

 とうとう商館の主が住む最上階までやってきてしまった。

 室内に一人だけ残されたシェリルは、己の両手をじっと見つめていた。今回はどんな依頼か分からない。

 だが、ロネヴェがここへとシェリルを近付けたがらなかった理由が分かるなら、そう悪い事じゃないかもしれない。そんな風にも思っていた。


「待たせてすまない」

 そう言って現れたのは、とてつもなく美しい男だった。遭遇した事もない美しさに、一瞬ではあるが彼女の息が止まってしまった程だ。

 だが、その美しさの背後から恐怖がにじみ出ているのに気が付くと、すぐに返事をした。これがただの人間なわけがない。

「いえ、構いませんが」

「そう」

 彼が一歩一歩シェリルの長椅子へと近付く程、彼女の悪寒が強くなる。顔がこわばりそうになるのを防ぐだけで精一杯になりそうだった。

 それに耐えていたシェリルは、男が目の前に座ると同時にやった行為に目を見開いた。普通の人間ならば分からないだろう。そして、普通の召喚術士であっても気付かなかっただろう。

 悪魔と契約している召喚術士のシェリルだからこそ気が付いた。彼はさり気なく結界を張ったのだ。それも、息をするかのように簡単にやってのけた。

「っ」

 小さくシェリルの息を飲んだ。一目見た瞬間からシェリルが感じていた事ではあるが、ただの人間ではないどころの話ではない。


 悪魔だ。それも、高位の悪魔であるのだろう。


 アンドロマリウスと同等かそれ以上の力を持っているのかもしれない。彼女は自らの危険を感じ、心を閉ざした。不用意に悪魔へと心を見せるのは危険な事だった。

 悪魔は心の隙をたちまち見破り、破滅へと導く。あるい自らの玩具にしてしまう。

 悪魔に操られるのはごめんだった。

 すぐさま動揺の見られなくなったシェリルに男は首を傾げたが、くすくすと笑い出す。

「良い心がけだ」

 彼はそう言うと、事も無げにお茶を淹れた。淹れたと表現するには語弊がある。ティーセットが突然テーブルの上に現れただけだったからだ。

 ティーカップに液体を注ぎ、シェリルへと差し出した。

「くつろいでくれて構わないよ、シェリル」

 そして冒頭へと戻る。




「ご依頼は何でしょうか。

 あなたにできない事で私にできる事など無いに等しいでしょうけど」

「あれ?

 まずは名乗れとか、言わないの?」

 人を試そうとしていると分かる奴に試されたいとは思わない。シェリルは人間同士のやりとりが苦手な女だった。その割に人の為に生きたいと言う。要は変わり者である。

 それは、悪魔に対しても同じのようだった。

 更には面倒な事も嫌いである。その為、用件をさっさと聞いて仕事を終わらせて、これ以上かかわり合いにならないようにしたいと考えているのだろう。

「必要ならば、お伺いします」

「まあ、不必要だけど。

 知ってて欲しいから言うよ。

 俺はアンドレアルフスという」

 アンドレアルフス、通称美貌侯。彼女は彼からにじみ出る恐怖の原因を知った。


 この美しい悪魔は、その美貌とは裏腹に人間へ恐怖を植え付ける。しかしこの恐怖は彼が態とやっているわけではない。

 単純に、悪魔である彼と人間との力の差が生み出したものである。彼の意思とは関係なく、人間が勝手に恐怖で発狂するのだ。

 シェリルは彼から感じる恐怖を気にしないよう、ぐっと腹に力を込めた。実際の性格は分からないが、それ以外の要素で狂うのも遠慮したい所だ。

「やはり悪魔の侯爵様でしたか」

「露骨に結界を張って悪かったね」

 悪びれずにそう言ったアンドレアルフスはカップに口を付ける。その動きは精錬されており、悪魔と契約して本来の人間という枠からはずれているシェリルでも目を奪われるものであった。

 黄金色の髪がふわりと揺れた。


 ――この悪魔はまずい。


 シェリルは悟った。気を付けなければ魅了される。

 好意もないのに、一挙一動を追ってしまう程の魅力が恐ろしい。これがロネヴェが関わらせたくない原因だったのかもしれない。そう邪推してしまう程だ。

 恐怖を感じるのに惹かれる。確かに普通の人間であれば、彼とずっと同じ空間で正気を保って生きていられないだろう。


「俺が君を呼んだのは」

 かちゃりと小さな音を立ててカップを置いた。態とだ。シェリルが思考の渦に入りかけているのに気が付いた、アンドレアルフスの牽制だった。

 アンドレアルフスとの会話に集中しろと言う事か。シェリルは取り繕うように姿勢を正す。

 その様子を見たアンドレアルフスは、口角をきゅっと上げて目を細めた。

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