第2話 訪問者の異変

「させぬ」


 シェリルの視界を黒翼が塞ぐ。シェリルの背後にいたはずのアンドロマリウスが目の前に立っていたのだ。

 彼は突然右手を付きだしてきた男の腕をうまく滑らせながら背後に回り、勢いを利用して地面に押さえつける。そのまま男の右腕を捻り上げ、腹這いに倒れこんだ彼の背に膝を落とすと、アンドロマリウスが顔を上げた。

 一瞬の内の出来事に、シェリルは目を見開いたまま動けなかった。向かい合う状態になった二人の視線が交差する。

「シェリル、下がっていろ。

 これはお前に害を為す」

 正義の伯爵と言われる彼が、嘘を吐いてまで謀るとは考えられない。シェリルは何が起きているのか分からず気になったが、素直に後ろへ下がった。


 ぼきり、と鈍い音が聞こえる。動きを制限する為に、足を折ったらしい。シェリルからは見えないはずの左足が見える。特殊な人間でなければ無理であろう方向へ曲げられたそれは、全く力が入っていないようだった。

「お前、もう人間ではないだろう。

 眷属になってまで叶えたかった望みは叶えてもらえたのか?」

「し……し、し……た……し」

 男は話そうとしているが、唇が震えすぎていて聞き取れなかった。同じ様な組み合わせの音が聞こえる事から、何度も繰り返しているのだけは分かった。眉を寄せたアンドロマリウスは、右手を男の頭に添える。

「面倒だ、しっかり話せ」

 彼が触れた途端、男の震えが収まった。何か力を使ったのだろう。焦点の定まらなかった瞳が、シェリルを捕らえた。

「死にたかった。自分で死ねなかった。死にたい、死にたい」

 死にたいと言う男は、恐怖で支配されている。奇妙だった。死ねないのが恐ろしいとでも言うのだろうか。


「では、なぜお前はまだ生きている」

「シェリル、女の召還術士に触れれば、少しでも触れる事ができれば、死ねると教わった。

 触れないと、死ねない。死にたいのに、死ねない。死にたい」

 呪詛のように死にたいと唱える男は、充血した瞳をぎょろぎょろと動かした。何故死にたいのか、そこは重要ではない。“触れる”をキーワードにアンドロマリウスは思考した。

 触れた途端に発動する何かを持っている、あるいは仕込まれている――そう考えるのが普通だろう。

 持ち物の場合、たいていはその物を対象に触れさせなければ意味がない。素手で触れようとしていた、という事は本人に何か仕込まれているという可能性が強い。

 触れた途端に男に死が訪れ、シェリルに対して何かの術が発動する。そんな面倒な事をしてでもシェリルを排除したいと考えている悪魔が召還されていたようだ。


 アンドロマリウスが触れていた手を離し、空中で何かを摘むような動作をした。すると、シェリルとアンドロマリウスの間にいくつかの術式が現れる。

 空中に現れたそれは、シェリル側からは表裏が逆のため読みにくい。時間がかかるだけだろうと、彼女は術式を読む事をやめた。

 術式を読んでいるアンドロマリウスが眉をしかめた為、読んでいなくてもシェリルにとってあまり都合の良い式ではないという事だけは分かった。

「この男がお前に触れた瞬間、お前の魂を強制的に弾く。

 魂が抜けたお前の体に、この男の魂が移動する。

 だが、この男には魂を引き込まない様に術が掛けられている。

 つまり――」


「弾かれて魂だけになった私は、そのまま消滅するしかない」


 言葉を引き継いだ彼女に、アンドロマリウスは頷いた。

「お前の魂が消滅すれば、俺を封じる術は弱まる。

 弱まった所で、男の魂の入った状態のシェリルに解かせれば良い。

 そう考えたのだろう」

 万が一解けなくても、そこまで弱まった術ならば本人の肉体を殺してもアンドロマリウスが死ぬ事はない。

 いくつもの術を使わなければならないし、条件付けをしておかないとうまく発動しない。面倒な術だが、その分確実にアンドロマリウスを解放できる。


「計算高いけど、解放しようと思っている相手に防がれちゃ……無意味だわ。

 この傀儡はどうするの?」

 このままアンドロマリウスごと放って置くわけにはいかない。そもそも外との接点である出入り口―それも、玄関だ―の扉を開けたまま、彼らをオブジェとして展示するなどしたくない。かといって、シェリルには保護するつもりはなかった。


 リスクを手元に置いておく程、彼女は甘くない。


「この男の希望通りに処分してやっても良いが、それよりももっと良い考えがある」

「何よ」

 アンドロマリウスはシェリルをしっかり見つめた。そして無表情のまま答えた。

「これを、呼び出された悪魔まで突き返して、アンドロマリウスがシェリルを助けたと知らせる」

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