ケーキか、コーヒー

白川ちさと

第一章

第1話 真尋女装する

 銀杏の黄色い葉っぱが降る中。

 僕は駅前の時計の前で腕を組み、人を待っている。

 長いスカートをはいて、胸にリボンのついたブラウスを着て。

 僕は別に自分のことを僕と呼ぶ女の子でない。

 別に女装趣味があるわけでもない。

 これには深い、風呂ぐらい深い理由わけがあった。

 深いようで浅い理由は、一時間ほど前にさかのぼる。




「ぐしゅん、ぐしゅん」


「泣くぐらいなら、もっと早くヘルプ出せよ!」


 僕は目の前に座る女を睨みつけた。スマホにヘルプ! という端的な助けを求めてきた女は僕の姉、真咲まさきだ。


 姉と言っても十分早く生まれただけの姉。つまり双子の姉だ。


「そうきゅん死なないでぇぇ」


「そうきゅん、死ぬのかよ!?」


 学園恋愛漫画でどうしたらそんな展開になるのか分からないが、そうきゅんというのは少女漫画の登場人物だ。だけど、真咲は漫画を読んでいる訳じゃない。漫画を描いているのだ。


 ローテーブルや床に広げてあるのは原稿用紙。ペンやインクやトーンやらが乱雑にテーブルの上に置かれている。いまどきは珍しいだろう、完全なアナログ派だ。


「よく来たわね、真尋まひろ


 黒縁眼鏡を外し、チーンと鼻をかむ女子高生漫画家、真咲。


「で、何をすればいいわけ? ベタ? トーン?」


 僕は真咲とテーブルに向かい合わせに座る。締め切りごとに泣きついてくる姉がいるせいで、僕も自然と技術が身についていた。


「違う、デッドラインは明後日」


「なんだ。じゃあ、まだ余裕じゃん」


 僕は床に置いてあった原稿を手にする。ペン入れはまだだが、下書きはしてある。爽やかイケメンのそうきゅんがドアップのカットだ。余裕かどうか、本当のところは本人しか分からないが、広げてある原稿を見るといつもよりは進みが早い気がする。


「あれ? じゃあなんでヘルプ出してきたのさ」


「それには深い、マリアナ海溝より深い理由があるの」


 真咲は立ち上がり、僕の後ろにあるクローゼットを開けた。


「とにかく黙ってこれを着て!」


 何事かと思って振り返ってみれば、


「おい」


 思わず低い声が出た。差し出されたのは少女趣味な服。ふんわりロングなスカートにレースがたっぷりついたブラウス。男の僕が黙って着るような代物ではない。


 それでも真咲は言う。


「ちなみに、こんなこともあろうかと、ウィッグもしっかり用意してあります」


「ちなみにじゃねーよ」


「お願い、真尋。私の代わりに私になって!」


 つまり身代わりになれと言っているのだ。真咲が僕に似ているのか、僕が真咲に似ているのか。ふたりはそっくりだ。双子だから当たり前だと言える。


 そのせいか高1の僕の身長は未だに伸びず。真咲と目線はほとんど同じ。ひそかに気にしているのに。女装しろはないだろう。


「仕方ないの。もう時間がないの。早く着替えて。二時に待ち合わせなのよ!」


「二時! 誰と!? てか、締め切り前に遊ぶ約束入れたのかよ!」


 僕は立ち上がって服を押し付けてくる真咲と言い合う。いくら余裕があるからって、締め切り三日前に遊んでいたら編集泣くぞ。


「だから頼んでいるんじゃない! それにただ友達と遊ぶだけなら、こんなこと頼まないわ。私だって行けるものなら私が直接行きたい」


 真咲は心底悔しそうに拳を握る。確かに真咲の友達は仕事のことを知っていた。断ろうと思えばしがらみなく断れるはずだ。


「だ、誰と会うんだよ」


 まさか、いつの間にか彼氏を作ったって訳じゃないだろうな。家でも学校でも地味キャラで通っている真咲が。


「この人よ!」


 真咲がバンッとスマホ画面を僕に差し出してきた。


「……誰?」


 バーンと上半身が写された画面には、学ランに黒髪で切れ長の目をした中々のイケメンがいる。


「東校の江藤くん」


「東校って、評判悪いじゃん」


 元男子校で偏差値も低く、素行が悪いことで有名だった。決まりだ。


「約束はキャンセルだ」


「そんなこと言わないで! 彼は違うの! 他の東校の人とは違うんだから!」


 真咲はどうやら江藤くんとやらに、どうにも入れあげているらしい。二次元ではなく三次元の人間に目が向いたのはいいが、相手が微妙な上に僕に女装しろなんて。


「とにかくいまは理由を言って断れよ」


「漫画描いているなんて、いきなりカミングアウトできないーっ! 真尋行ってよ!」


 真咲は床に伏してだんだん床を叩く。別に普通の漫画書いているだけなんだからいいだろうにと思うが言わないでおく。


「とにかく」


 ダメなものはダメだ、そう言おうとした僕の足を真咲が掴んだ。


「焼肉」


「へ?」


「断ったらもう焼肉連れて行かない」


「ぐっ」


 そう。真咲はこれでも稼いでいる。その稼いだ金で、原稿が終わると毎回近所の焼肉屋牛若に連れて行ってくれるのだ。


「いいのかなー。打ち上げに連れて行ってもらわなくて。牛若のおいしぃお肉、明後日には食べられるっていうのにー」


 これ見よがしにニヤニヤして真咲は僕を見上げてくる。思い出しただけで僕の口の中にはあのジューシーな味が蘇る。


 僕は他の何より肉が好きだ。その割に肉付きは悪いが、なにより牛若の肉が大の好物で、毎月の締め切りの打ち上げを密かに楽しみにしている。だから、真咲の手伝いをしていると言ってもいい。


 なのに、もう連れて行かないなんて言われたら……。


「……分かった」


 僕は渋々頷く。肉のために何かを失った瞬間だった。




 そして現在、待ち合わせの場所、駅前の時計の前で例の江藤くんとやらを待っている。

真咲のやつ普段化粧なんてしないくせに、新品の化粧品なんて買い込んでいて、僕につけまつげまでつけてきた。


 なんで僕が女装なんか。なんか足元がスースーするし、歩いている人が振り返っていく気がする。大体、なんでこんな少女趣味な服なんだよ。少女漫画の読み過ぎじゃないか、あいつ。かつらもなんか、首に当たって邪魔くさいし。


 というか、相手の男来ないな……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る