Happy Halloween

 涼やかな秋風が吹き抜け、幾分か過ごしやすくなった昼下がり。アウルは部屋の中で本を読み耽っていた。

 その内容は、主人公の男の子が仲間と一緒に悪いお化けを退治するという、子供向けの冒険物語。アイラに買ってもらって以来、一番のお気に入りになっている。

 その時、扉を叩く音が部屋の中に響くも、アウルは全く気付けなかった。普段は周囲の音に敏感であるにも関わらず、だ。


「うーむ……困ったな……」


 扉の前で途方に暮れるのは、訪問者であるロメイン。唸り声を上げながら、小さな籠に入れられた、小さな衣装に目を落としている。


「……仕方が無い」


 相手は子供とはいえ、勝手に部屋に入るのはマナーに反することだ。そんな僅かな罪悪感を感じつつ、ロメインは扉を押し開ける。そこには案の定、ベッドに寝そべって本に夢中になっているアウルがいた。


「アウル!」


 少しだけ音量を上げてアウルを呼ぶ。するとようやく、彼の耳がピクリと動いた。かと思えば、勢いよく振り返る。


「あ、ロメインのおじちゃん! どうしたの?」


 開いた本はそのままに、ベッドから飛び降る。パタパタと駆け寄るアウルの姿に笑みを零すと、ロメインは籠を差し出した。


「これ、なぁに?」

「ドラキュラの衣装だ。これがないと始まらんだろう」

「ドラキュラ……?」


 その途端、アウルの眉間に小さなしわが寄る。そして唇を尖らせながら、籠をロメインに突き返した。


「ボク、いらない!」

「な……っ!?」

「だって、ドラキュラは悪いお化けだって、アイラお姉ちゃんに買ってもらった本に書いてあったよ! 着るのやだ!」


 すっかり機嫌を損ねてしまったアウル。そっぽを向かれて慌てふためくが、ロメインとて、このまま立ち去る訳にはいかない。

 その時、ある仮説がロメインの頭を過ぎる。


「アウル……もしかして、ハロウィンを知らないのか? 獣人には、そんな習慣は無かったのか?」

「ハロイン……?」


 アウルは不思議そうに首を傾げた。その瞬間、仮説が確証に変わる。


「ならば、聞き方を変えようか。アウルはみんなからお菓子を貰いたくないか?」

「お菓子!? 欲しい、欲しいっ!」

「そうかそうか。だがこれを着ていないと、お菓子は貰えないぞ」

「……何で? どうして?」


 お菓子は欲しいが、ドラキュラは悪いお化けと認識しているアウルにとって、その衣装を身に着けるのは抵抗があるようだ。ロメインは諭すように、テルティスに伝わる昔話をアウルに聞かせてやった。


「この前、収穫祭があっただろう? お化けたちはその食べ物が欲しくて、街にやって来ては悪戯ばかりしていたんだ。そして困った街の人たちは、司祭様に相談したんだ」

「悪いお化けをやっつけてってお願いしたんだね!」

「あぁ、そうだ。司祭様もお化けたちには困っていたから、すぐに悪戯を止めるように言いに行ったんだ。そしたらお化けたちは、司祭様にこう言ったんだ。『悪戯を止めて欲しかったら、お菓子をくれ』ってな。そして司祭様がお菓子をお化けに渡したら、もう悪戯しなくなったそうだ。それ以来、子供たちがお化けの格好をして『お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ!』とお菓子を貰い歩くことが、ハロウィンのイベントの一つになったんだ」

「ふーん……分かった。ボク、これ着るよ!」


 大きく頷くアウルに、ロメインは胸を撫で下ろす。そして衣装の入った籠を握らせると、彼の頭をガシガシと撫で回した。


「これを着ていれば、みんなからお菓子が貰えるぞ! ということで、これは俺と女房からのプレゼントだ」


 ロメインは、妻から預かっていたキャンディを籠の中へ入れてやった。色とりどりのキャンディが、アウルには宝石であるかのように思えてならないのだろう。瞳がキラキラと輝いている。


「ありがとうっ! ロメインのおじちゃん!」

「どういたしまして。それと、お菓子を貰う時は、トリックオアトリート、と言うんだぞ」

「トリックオアトリート、だね!」

「その調子だ、アウル。さあ、行って来い」


 ロメインは衣装を身に着けるのを手伝ってやり、軽く肩を叩く。そして、元気いっぱいに神殿の廊下を走るアウルの後ろ姿を、目を細めて見送った。






 アウルが最初に見付けたのは、ルナティアとアイラ。パタパタと駆け寄るなり、二人に向かって籠を差し出す。


「ルナお姉ちゃん、アイラお姉ちゃん、トリックオアトリート!」

「あら、可愛らしいドラキュラさんですこと。はい、これをどうぞ」

「食べ過ぎるんじゃないぞ、アウル」


 ふんわりと笑みを浮かべるルナティアは、チョコレートを。そして、こういう時でもしっかりと注意するのを忘れないアイラは、カップケーキを。それぞれ籠の中に入れてやった。最初はキャンディだけだった籠の中が、少しだけ豪華になる。


「ありがとう!」

「どういたしまして。そういえば、向こうにフェルディールとルイファスがいましたわよ。もしまだ会って無いなら、行ってみるといいですわ」

「うん、そうするよ!」


 お菓子を貰った上に、フェルディールとルイファスの目撃情報も得ることが出来た。アウルはルナティアとアイラに再度礼を告げ、教えられた方へと走って行く。その後ろ姿に、ルナティアは笑みを深めた。


「やっぱりハロウィンはこうでなくちゃ。可愛らしくて、心が安らぎますわ」

「だが、菓子を食べ過ぎやしないだろうな……」

「大丈夫ですわよ、賢い子ですから。あら、もうこんな時間。早く厨房に行かないと、今夜のパーティに間に合いませんわよ」


 「お手伝いを頼まれているんでしょう?」と促すルナティア。先程からアウルの心配ばかりしているアイラの背中を押しながら、クスクスと笑みを零していた。






 アイラ、そしてルナティアと別れたアウルは、すれ違った神官や騎士からお菓子を貰いながら、フェルディールとルイファスを探す。その時、廊下の角を曲がった先から二人の声が聞こえ、思わず駆け出した。


「ルイスお兄ちゃん! ディルお兄ちゃん!」

「ぅおっ!? びっくりした……どうした、アウル」


 目を丸くしてアウルを見下ろすのはフェルディールだ。そんなやり取りを眺めていたルイファスは、能天気な彼に苦笑を漏らす。


「どうした、なんて野暮なことを聞くな。こいつだよな、アウル」


 ルイファスが差し出したのは、マシュマロ。アウルは大きく頷いて受け取ると、再びフェルディールを見上げた。


「トリックオアトリートだよ、ディルお兄ちゃん!」

「こりゃ失礼。そういえばそうだったな。それなら俺はコレをやるよ」


 フェルディールが差し出したのも、色とりどりのキャンディだ。彼はそれを、お菓子がたくさん詰まった籠の中へ入れてやる。

 するとルイファスは籠の中をしげしげと見つめ、おもむろに口を開いた。


「それにしても、たくさん貰ったな……こんなに食べきれるのか? なんなら、俺が貰ってやろうか」

「大丈夫だよ! ボク、お菓子大好きだもん。全部食べられるよ!」

「だが、こんなに食べるとアイラに怒られるぞ?」


 意地悪そうに口元を引き上げる。以前、お菓子の食べ過ぎで怒られたことがあるアウルは、その途端に小さくなってしまう。くるくると変わる表情は、見ていて本当に面白い。

 すると今度はフェルディールが肩を竦めた。


「おい、ルイファス。あんまりアウルを虐めるなよ。アウル、大丈夫だぞ。少しずつ食べれば、アイラにはバレれないからな」

「本当に?」

「ああ、本当だ! ただし、食べる時は部屋の中でこっそり、だぞ?」

「うんっ、分かった」


 悪戯を吹き込むように声を潜めるフェルディール。アウルも真似して声を潜め、頷く。そして、おずおずとルイファスを見上げた。

 すると彼は小さく笑みを浮かべ、アウルの頭に軽く手を乗せる。


「不安そうな顔をするな。冗談だよ」


 その言葉を聞き、アウルは胸を撫で下ろす。そして彼等にも元気いっぱいに礼を告げると、その場を後にした。






「イリアお姉ちゃん、どこにいるのかな……?」


 神殿の外の木陰に座り、お菓子に舌鼓を打ちながら呟いた。イリアにもお菓子を貰おうと探し回ったが、どこにもいないのだ。


「よーし、今度は外を探してみよ!」


 足元に転がっていた大量の包み紙を掴み、籠の中へ放り込む。ごみはきちんと持ち帰り、ごみ箱へ捨てるように。アイラから耳にタコが出来る程に言われていることだ。

 そしてアウルはすくっと立ち上がると、噴水広場の方へ駆けて行った。






「イリアお姉ちゃーん!」


 イリアが声の方を振り返ると、男の子が駆け寄ってくるのが目に入った。柔らかな毛に包まれた獣の耳以外は人間の子供と変わらない。そして、輝くような笑顔で抱き付いてきた彼の名を、イリアは綻んだ口で呼んだ。


「どうしたの? アウル」

「イリアお姉ちゃん、トリックオアトリート!」


 顔を上げるなり、わずかに舌足らずな言葉がイリアの耳に届く。彼女はクスリと笑みを零すと、ポケットから幾つかのキャンディを取り出し、小さな掌の上へ。


「はい、どうぞ。可愛いドラキュラさん」

「ありがとう!」

「でもその服、どうしたの?」


 小さな体をタキシードで包み、真っ黒のマントを纏っている。その姿は小さいながらも立派なドラキュラだ。


「ロメインのおじちゃんに貰ったんだ! ハロインだから、これ着てお菓子を貰って来いって! ねぇ、イリアお姉ちゃん、似合ってる?」

「えぇ、とても似合ってるわ」


 イリアの優しい表情に、アウルの笑顔が一層に輝く。そして貰ったキャンディは、お菓子が詰まった籠の中へ。すると今度は、イリアの隣へと体を向けた。


「ジュリアお姉ちゃんも、トリックオアトリート!」

「じゃあ、わたしはこれをあげるね」


 ジュリアが差し出したのは、可愛らしくラッピングされたクッキーだ。元気いっぱいに礼を言うと、今度はもう一人へ。


「ジャッキーお兄ちゃん、トリックオアトリート!」


 だがジャッキーは、差し出された手と満面の笑みを交互に見、苦笑を浮かべる。そして、言葉を濁しながら口を開いた。


「ごめんな、アウル。俺、何も持って無いんだ」

「ええー!? そんなぁ……」

「本当にごめんな! 今日がハロウィンだって忘れてて……!」


 がっくりと肩を落としたアウルの目が滲んでいることに気付くと、ジャッキーは慌てて視線を合わせる。必死に謝るも、瞳は揺れるばかり。

 しばらくして、アウルはパッと顔を上げると、唇を尖らせながら睨み付けた。


「お菓子をくれないジャッキーお兄ちゃんなんて、イタズラしてやるー!」


 アウルはポカポカと胸板を叩くが、ジャッキーは苦笑を浮かべているだけで効果は無い。いっぱいまで頬を膨らませるアウルの味方をするように、ジュリアがクスクスとジャッキーを見つめた。


「あのね、アウルくん。ジャッキーはくすぐられるのに弱いんだよ」

「そうなの?」

「お、おい、ジュリア……!」

「決まりね、アウル」

「うんっ! ……えいっ、くすぐりの刑だー!」


 ジャッキーに飛び付いたアウルは、脇腹をくすぐり倒す。それを受けた彼はたまらず、目尻に涙を浮かべて笑い、悶えた。

 予想以上の反応に気を良くしたアウルは、すっかり夢中になっている。それを眺めるイリアとジュリアの表情も、とても微笑ましそうだ。


「ちょっ……アウル、止め……! あはははっ! 止めろって!」

「やだよー!」

「止めないと、お菓子をホークアイに盗られるぞ!」

「え?」


 ピタリ、とアウルの手が止まる。すぐさま籠の方へ視線を向けると、今まさに持ち手をくわえようとしているホークアイの姿が。皆の視線を一身に受け、きまりが悪そうに声を上げる。


「……な、何だよ? 皆してさぁ」

「何やってんだよ、ホークアイ! ボクのお菓子、とっちゃダメ!」

「そうよ、ホークアイ。最近食べ過ぎだから、おやつは駄目ってアイラから言われてるでしょう?」


 イリアに窘められ、言葉を詰まらせる。だが、そこで黙って引き下がる彼ではない。反撃の一手の如く捲し立てた。


「それを言うなら、アウルだって! この前おやつを食べ過ぎて、姐さんに怒られてたじゃないか!」

「え? アウル、本当なの?」

「……うん」


 耳はしょんぼりと垂れ、目を伏せる。だがアウルは、「でもっ!」と反論を始めた。


「ディルお兄ちゃんは、ちょっとずつ食べれば、アイラお姉ちゃんにはバレないって言ってたもん……」

「もう、フェルディールったら……でも、確かにそうかもね。一気に食べるんじゃなくて、少しずつ食べるのよ。約束出来る?」

「うん、約束する!」


 元気いっぱいに頷くアウル。だが、籠の中には空の包み紙がたくさん入っていた。そのことから、既にかなりの量を食べていることが想像出来る。


「そうだ、アウルくんと遊んであげようよ。いっぱい体を動かせば、お腹も空くと思うの。ね、ジャッキーも」


 だが、ジャッキーは唸り声を上げ、見上げてくるアウルを見つめる。確かに時間は空いているが、今日は夜勤明け。小さな子供に付き合って遊び回る体力は残っていないのだ。


「いいじゃない。たくさん体を動かした後には、楽しいパーティーが待ってると思えば。ね?」

「パーティー?」


 イリアの言葉に、不思議そうに首を捻るアウル。その横でホークアイは思い出したように声を上げた。


「あっ、そうだ! イリアちゃん、姐さんが厨房を手伝って欲しいって言ってたよ。人手が足りないんだって。ジュリアちゃんもいいかな」

「そういうことなら……ジャッキー、アウルくんのこと、お願いね」


 再び飛び立ったホークアイを見送り、イリアとジュリアは神殿の中へ戻っていく。その後ろ姿を見つめ、アウルは首を傾げた。


「今日、パーティーがあるの?」

「あぁ、そうだよ」

「ふーん……イリアお姉ちゃーん!」


 大声を上げてイリアを呼び止める。呼ばれた彼女は足を止め、何事かと振り返った。そんな彼女にアウルは両手を振り、更に声を張り上げる。


「ボク、イリアお姉ちゃんが作ったご馳走、楽しみにしてるからねー!」


 イリアは笑顔で「ありがとう!」と答え、ジュリアと共に神殿の中へ入って行った。

 そしてアウルはと言うと、彼女等が見えなくなるまで手を振っている。そんな彼を、ジャッキーは苦笑混じりに眺めていた。


「子供って、素直だよなぁ……」


 そんな呟きを搔き消すように、アウルが「あっ!」と声を上げる。


「エドお兄ちゃんだ! ねぇ、エドお兄ちゃんも一緒に遊んだ方が楽しいよ。行こっ!」

「……よし、エドのところまで競争するか!」

「うんっ! 負けないよー!」


 お菓子の詰まった籠を手に、一目散にエドワードの元へ駆けて行く。勢いはそのままに飛び付き、戸惑う彼に向かって一言。


「エドお兄ちゃん、トリックオアトリート!」

「は? ……アウル、俺はそんなもの持ってないぞ」

「じゃあ、一緒に遊ぼ! イタズラするのは、それで許してあげる。ジャッキーお兄ちゃんも一緒に遊ぶんだ! ねぇ、いいでしょ?」


 不意に、エドワードの視線が遅れて来たジャッキーを捉える。そして、深いため息をついた。


「……お前、俺が今どんな状況か、知っているだろう?」

「レポートの提出日が近いんだろ? でも、たまにはいいじゃないか。体を動かせば、頭もスッキリするって!」

「もっともらしいことを言うな。自分一人では手に負えないからだろう。俺を巻き込むな」

「俺だって夜勤明けなんだよ。なぁ、俺たち二人を助けると思ってさ……頼むよ」

「ねぇ、一緒に遊ぼうよ。ボクのお菓子、一個あげるから」


 じっと見上げるアウルの表情は、小動物そのもの。観念したエドワードは、さらに深いため息を吐いた。


「まったく……今回だけだぞ」

「よし、決まりだ! やったな、アウル」

「うん!」


 嬉しそうに二人でハイタッチ。その後、パーティーが始まる寸前まで、ジャッキーとエドワードはアウルに付き合わされるのだった。

 それから数時間後。


「……何で、子供ってあんなに走り回るんだ」

「まったくだ……」

「二人ともお疲れさま。お水飲む?」

「料理も持って来たよ。温かいうちにどうぞ」


 疲れ切った二人を、イリアとジュリアが出迎える。「ありがとう」と片手を伸ばし、イリアの持つトレイからコップを受け取ったジャッキーの背中には、ぐっすりと眠るアウルの姿があったのだった。

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