Flying

 頭上を仰げば青い空が広がり、鳥たちは風に乗る。優雅に翼を広げて悠々と飛び回るその姿は、自由を謳歌しているようにも見て取れる。心惹かれ、目が離せない。

 旅の休憩中、アリエスはぼんやりと空を眺めていた。そして一言。


「……いいなぁ」


 上の空で呟いた言葉。その声はまるで、体から魂が抜け出てしまったかのよう。何の感情も籠っていない。

 ティナやカミエルと共に木陰で休んでいたイリアは、思わず彼女に視線を向ける。そして首を傾げた。


「アリエス、『いいなぁ』って……何が?」

「だってそうでしょ? 鳥はあんな風に自由に飛べるのに、どうして人間は飛べないのかしら……」


 詩人さながらにイリアの問いかけに答えると、小さくため息を吐く。いつもは溌剌としたアリエスだが、本人にとっては余程深刻な想いに駆られているのだろうか。珍しくアンニュイな雰囲気だ。

 そんな彼女に眉をひそめるのはティナ。おもむろに歩み寄ると、その正面にしゃがみ、額に手を当てた。


「さっきからボーッとして熱でもあるかと思ったけど、そういう訳でもないみたいだね」

「あのねぇ……ティナにはロマンってものが無いの?」

「アリエスのそれは、ただの現実逃避だよ。エリックに怒られる前に戻ってきたら? だいたい、人間が空を飛ぶなんてある訳ないじゃん」


 「ねえ?」と振り向き、同意を求める。そこには案の定、苦笑を浮かべているイリアとカミエルの姿があった。ルイファスも「夢の中の話だな」と頷く。

 そんな彼女たちの態度に、アリエスの頬はみるみるうちに膨らんでいく。そして、目を細めた。


「みんなは空を飛んでみたいって思わないの?」

「誰が思うかよ。ンなガキくせぇこと」

「なんですってぇ!? あんた、いっつも一言多いのよっ!」

「アリエス様、どちらでもいいですから、今は読書に集中してください。先程から全く進んでいませんよ」


 アリエスとマルスの睨み合いに、エリックがため息交じりにたしなめる。その傍らで、カミエルは声を上げた。ふと浮かんだことを独り言として発するように。


「ですがもしかしたら、風の魔術なら出来るかもしれませんね」


 何気ないその一言に、アリエスは勢いよく視線を向ける。そして「それよっ!」と胸の前で手を叩くと、パッと顔を輝かせた。闇の中で光明を得たような表情だ。


「ねえ、それってどんな魔術なの? あたしに教えて!」

「えっ!? ええと、その……」


 カミエルは肩を跳ね上げ、顔を引き攣らせた。キラキラとした瞳で駆け寄ってきたアリエスから、出来る限り視線を逸らそうとしている。

 そんな彼の態度に、真っ先に疑問を感じたルイファス。彼は怪訝そうな顔をし、探るような表情でカミエルに問いかけた。


「そんなこと出来るのか? 俺は聞いたこと無いが……」

「うっ」

「え、ちょっと……まさか、思い付いたことを言ってみただけ?」

「……うん」


 ティナの追及に頷きながら、申し訳なさそうにアリエスを見やる。そこには、がっくりと肩を落として崩れ落ちる彼女の姿。期待が無残に打ち砕かれたのだから無理もない。

 それがあまりにも見るに耐えない落ち込みようだったことで、慌ててイリアとカミエルがフォローに入った。


「すっ、すみません……! ですがきっと、方法はありますから……!」

「そうよ、アリエス。元気を出して! 私たちが知らない風の魔術もあると思うわ」

「あたしたちが知らない風の魔術――……風?」


 その時、アリエスはガバッと顔を上げる。瞬きすらせず、元々大きなルビーレッドの目を、さらに真ん丸く広げて。その目はにわかに輝きを取り戻し始めている。

 突然の態度の変化に、イリアとカミエルは不思議そうに目を瞬かせる。そしてイリアは、アリエスと目線を合わせるように、彼女の顔を覗き込んだ。


「どうしたの? 何か思い付いたの?」

「……そうよ、風よ! その手があったわ!」

「え?」

「だから、シルフィードに頼めばいいのよっ! 何でこんな簡単なことに気付かなかったのかしら……」


 にっこりと花のような笑みを浮かべ、一人で何度も頷いている。つい先程まで落ち込んでいた姿が、まるで嘘のようだ。

 思い込んだら一直線。周りなど見えていないかのように突き進む勢いは、もう誰にも止められない。アリエスは飛び上がるように立ち上がり、静かに目を閉じる。そして胸に手を当てると、精神を集中させた。


「アリエス様、お待ちくだ――」

「フォース・リリース!」


 止めようとするエリックの声を掻き消すような掛け声と共に、掌を上に向けて前へ突き出す。と同時に掌に拳大の光が生まれ、弾けた。すると、その光があったところには、緑色の宝石が乗っていた。風の聖獣・シルフィードの力が込められた召喚師の秘宝だ。

 続けて、アリエスは再び精神を集中させる。そして短く詠唱した。


「吹き荒ぶ疾風 何者にも縛られぬ風を司る者よ 契約者たる我が願いを聞き入れよ」


 詠唱に応えるように、秘宝からは眩い程の緑の光が放たれる。そしてアリエスは、高らかに声を上げた。


「来たれ、シルフィード!」


 声と共に、光はさらに強さを増す。と同時に秘宝が浮き上がり、ふわふわと彼女から離れて行く。そしてあるところで動きを止めると、それを中心につむじ風が生まれた。

 最初はそよ風程度だったが、次第に突風のように周囲の葉や木々を揺らし始める。そして、秘宝に向かう風の流れが一瞬だけ止まった瞬間、今度は逆風が吹き出し始めた。その強さは、僅かでも足の力を抜けば、あっという間に飛ばされてしまう程。

 だが、そんな時間は長くは続かなかった。光が収まると共に風も弱まっていったのだ。それを見計らい、イリアたちが顔を防御していた腕を下ろしながら、そろそろと目を開けると――


『お呼びですか? 我が主』


 驚いたことに、秘宝があったその場所には、一人の女性が立っていた。

 聞き心地の良い優しげな声は、風の囁き。若葉色のロングヘアは、そよ風に乗って踊っている。その彼女が纏うのは、髪と同色のワンピースドレス。しなやかに伸びる長くて白い手足は、滑らかな陶器のよう。誰もが羨む、完璧なプロポーションだ。そんな彼女の深い緑の瞳はアリエスをじっと見つめ、柔らかい笑みを浮かべている。

 思いがけない美女の登場にルイファスは口笛を吹かし、カミエルは恥ずかしそうに顔を下げている。イリアとティナはうっとりと見惚れているが、マルスとエリックは呆れ顔。そんな中、アリエスは親しげに声を掛け、彼女に駆け寄った。


「あのね、シルフィードにお願いがあるの」

『願い……? 何でしょう?』

「あたし、空を飛びたいの。シルフィード、力を貸して!」


 いつになく真剣な眼差しのアリエス。シルフィードの力を借りられれば、空を飛ぶことが出来る。そう信じ込んでいるのだ。

 突然のアリエスからのお願いに、シルフィードは目を丸くしていた。そうしてしばらく沈黙が続いた後、彼女は困ったように顔を緩めた。


『主……私たち聖獣の力は、万物の力と同義。破壊を齎しかねない、危険な力なのです』

「ダメなの……?」

『そうですね……力を加減すれば出来るかもしれませんが……。なにぶん、そんなことを言われたのは初めてなもので……』

「でも、やれば出来るのね!?」


 今日一番の明るい笑顔で、アリエスはシルフィードに飛び付いた。彼女の力で念願が叶うかもしれないのだ。その心は想像するに難しくない。

 だが、次の瞬間。辺りの空気がビリビリと震える。すると、少し離れたところにある、背丈の高い草がざわざわと音を立てていた。かと思えば、その間から何体もの魔物が姿を現した。魔物たちは鋭い犬歯を剥き出しにし、低い唸り声を上げて威嚇している。


「おい、魔物だっ!」

「言われなくても分かってるよ! イリア!」

「えぇ、行くわよ!」


 マルスとイリアは素早く剣を抜き、ティナと共に地面を蹴る。と同時にルイファスは弓を引き、エリックが詠唱を始める。そしてカミエルは、戦闘補助の魔法を前衛三人に向けて放った。

 次々に戦闘態勢に入るイリアたちとは対照的に、完全に出遅れたアリエス。彼女は慌ててシルフィードを見上げる。


「シルフィード、あたしたちも戦わなきゃ……!」

『そうですね……彼等で試させてもらいましょうか』

「え?」


 一体、何を試すのか。それを問い掛ける間も無く、シルフィードは頭上に手を掲げる。すると突然、つむじ風が魔物たちを包み、瞬く間に竜巻に成長していった。


「な、何……!?」


 風の音か、魔物の悲鳴か。轟音が一同の耳をつんざく。あまりの風圧に足を止め、防御に徹する。だがそれを嘲笑うかのように、時間が経つにつれて風はどんどん強くなっていった。

 危険を感じたイリアはエクスカリバーの力を解放し、皆を守るように風の防護壁を張る。それにより、幾分か風が弱まったことに安堵した、次の瞬間。魔物たちが空中に投げ飛ばされる。そして、あっという間に姿が見えなくなってしまった。

 その後、徐々に竜巻が消えて行ったそこに残されたのは、大量の血痕。おそらく、風の刃に切り刻まれたのだろう。

 その一連の経過を呆然と見守っていたアリエス。そして、あっという間の出来事に目を白黒させるイリアたち。そんな彼女たちを尻目に、シルフィードはマイペースに声を上げた。


『やはり難しいですね。だいぶ力を加減したのですが、まだ足りないなんて……』


 眉間に皺を寄せ、むくれた様子のシルフィード。その姿や口調は可愛らしいのだが、先程見せ付けられた力とのギャップが激し過ぎる。

 そして彼女はアリエスの方を振り向き、言葉を続ける。にっこりとした笑みを浮かべて。


『ですが、何となくコツは掴めました。もう大丈夫です。さぁ、主』

「い、いいっ!」

『はい?』

「あたし、空なんて飛ばなくていい」


 ぶんぶんと首を振るアリエス。あの状況を目の当たりにすれば、誰だって躊躇してしまう。しかも、あの風で加減したと言うのだ。コツは掴めたと言ったが、次は確実に成功するという保証は無い。

 一方、呼び出された挙げ句に無駄足を踏まされ、しょんぼりと肩を落とすシルフィード。彼女は目を伏せながら残念そうにため息を吐いた。


『そうですか……ですが、気が向きましたら、いつでも仰ってくださいね』

「う、うん! ……ありがとう」


 顔を引き攣らせながらも笑顔を浮かべる。シルフィードも笑みを返すと、体から光の粒が上がり始め、再び秘宝に姿を変えた。

 それからしばらく、アリエスはその場に佇んでぼんやりしていたが、思い出したように足を進める。そして静かに秘宝を持ち上げると、じっと見つめた。

 その緑色の宝石はいつもと変わらず、見る者の心を掴む、美しい光を放っている。召喚師の誇りであり、大切な宝物。だが、彼女の心の中に募るのは、もう一つの思い。


「……エリック」

「はい?」

「聖獣の力って、凄いのね」

「何を今さら」

「にしても、人騒がせなガキだな。聖獣の力なんて、少し考えりゃ分かるだろうが」


 マルスの棘のある一言から始まる、お決まりのやり取り。次第にヒートアップしていく二人の隣では、エリックが深いため息を吐いている。そんな彼女等を眺めながら、イリアたちは苦笑を漏らすのだった。

 さわやかなそよ風が辺りを吹き抜け、植物たちを優しく包み込む。そして、どこまでも広がる青い空には、鳥たちが歌いながら飛び回っていた。




お題使用:ファンタジー100題

配布元:空のアリア

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