光の差す方へ 短編集

藤道 誠

「ありがとう」を貴方に

 弾けるような高い音が響くと同時に、次々と無数の火の粉が生まれる。するとそれらは天高く、そしてゆらゆらと舞い上がっていった。全てが異なる軌道を描きながら。

 しばらくしてイリアは、赤々と燃える焚き火に薪を投げ入れた。次の瞬間、まるで水を得た魚のように、一気に勢いを増す。そして、ぼんやりとその様を見つめる彼女の顔を明るく照らし出した。




「さっきから固まったまま、何を見ているんだ? 何か珍しいものでもあったか?」

 からかうような声。そして肩を叩かれたことで我に返り、イリアは慌てて振り返った。視線の先に立っていたのはルイファス。あまりの彼女の驚きようを怪訝に思ったのか、彼の端整な顔は僅かにしかめられていた。

 それを目にした途端、イリアの心に罪悪感が込み上げてくる。いつの間にか、彼女の想像以上に時間が過ぎていたからだ。その上、肩を叩かれるまで彼の気配に全く気付けなかった。それが恥ずかしくもあり、腹立たしい。

 たまらず、ばつが悪そうに目を伏せる。

「ごめんなさい、見張り当番の途中なのに……」

「いや、結界の魔術があるから、実際は火の番をするくらいだ。どうってことない。それよりも――」

 言いながら、ルイファスはイリアの隣に腰を下ろす。そして体ごと彼女の方を向き、至極真剣な眼差しで問い掛けた。気遣うように、優しく。

「お前がぼんやりするなんて珍しいな。考え事か?」

「いいえ、そんなんじゃないわ」

「……そうか。まあ、お前もたまには、そんな風に気を抜く時間が必要だからな。だが、何かあったら、いつでも俺に言えよ」

「ありがとう、ルイファス」

 観察するようにイリアを見つめていたルイファス。だが、彼女が嘘を吐いていないことを感じ取ると、ホッと胸を撫で下ろし、そっと笑みを浮かべた。

 二人が出会った当初から、ルイファスはイリアを本当の妹のように気に掛けていた。そんな彼の優しさに触れると心が安らぎ、同時に、ほんの少しのくすぐったさも覚える。

 イリアがはにかむとルイファスは目を細め、くしゃくしゃと彼女の頭を撫で回した。

「ちょっ……もう、ルイファス! 止めて!」

「悪い悪い。それにしても、こうすると喜んだんだがな……」

「それは私が子供の頃の話!」

 乱れた髪を直しながら、イリアは悪びれずに笑う彼を睨み付ける。だがそれでも、彼は彼女を軽く受け流すばかり。そんな態度を見ていると、一人で怒っていること自体が馬鹿らしく思えてくる。

 彼女のしかめ面が苦笑に変わると、彼は「さて、と」と体の筋を伸ばした。そして、上げた手の片方を彼女の頭に置いたその瞬間、先程のことで警戒したのか、僅かに身を強張らせる。すると彼は小さく口角を上げ、軽く叩くように何度も手を乗せた。

「ルイファス……?」

「代わってやるよ。お前はもう寝ろ」

「え、でも、まだそんな時間じゃ……」

「お前と話す内に目が冴えたんだよ。それに、最近寝不足だろう。ぼんやりしていたのも、体が休息を欲しているからだ。違うか?」

 じっと見つめてくるネイビーの瞳に捕らえられ、思わずイリアは息を呑み込む。そしてしばらくした後、そっと目を伏せた。

 確かにここ数日、眠れない日が続いていた。だがこれは、旅に出てから定期的に見舞われていることで、時が経てば自然と治まるものだ。それによって現れる症状と言えば、うっすらと隈が出来る程度。疲れが顔などにありありと現れる訳ではない。

 事実、イリアに対して、誰も何も言わなかった。こうして、彼に言い当てられるまでは。

「……ルイファスには、分かっちゃうのね」

「俺はお前の兄貴みたいなものだからな。何年、お前の面倒を見てきたと思っているんだ?」

「そうね……十年近くになるかしら」

「だから、分かって当然なんだよ。ほら、早く寝な」

 ルイファスが就寝を促すように、イリアの背中をやんわりと叩く。こういう場合、口で言うだけでは動かない。それを分かっているから。

 彼女はそれに押される形で立ち上がり、申し訳なさそうに踵を返す。そして毛布にくるまるも、ルイファスをじっと見つめたまま。眠ろうとする気配は微塵も感じられない。

 再び、彼の顔が怪訝そうにしかめられる。

「今度はどうした?」

「ルイファスに、ありがとうって言いたくて」

「それはさっき聞いたよ」

「さっきのは、気に掛けてくれてありがとうって意味。それとはちょっと違うわ」

 一つの礼の言葉に、どんな別の意味があるというのか。その真意を図りかねず、ルイファスは顔に浮かぶ疑問の色を濃くした。

 するとイリアは膝を抱え、そこに顎を埋める。そして、おもむろに口を開いた。

「たまに、凄く泣きたくなることがあるの。不安で怖くて、塞ぎ込みそうになる。でもルイファスの顔を見ると、また頑張ろうって思えるの」

 テルティスにいる時には分からなかった、心の中に占める彼の大きさ。何も知らない場所を旅することで、当たり前だと思っていた彼の存在が、特別なものであるかのように感じられる。

 不意に、イリアは顔を上げた。彼女の内側から滲み出る明るさが、焚き火の光と混ざり合い、眩しいくらいに輝いている。そして春風のように、ふわりと笑みを浮かべた。

「いつも側にいてくれて、本当にありがとう」

 ストレートに紡がれた言葉が心に響き、じんじんと震え出す。同時に浸透するのは、日溜まりにいるかのような、優しい温かさ。それが遠いあの日の記憶を蘇らせ、彼の胸と目頭を熱くさせる。

「……礼を言いたいのは、俺も同じだ」

 こうして素直に言葉にすることは、自分の気持ちを滅多に出さないルイファスにしては珍しい。そんな彼の顔は、今までにイリアが見た中で最も穏やかなもの。

 それを目にした彼女もまた、嬉しそうに顔を綻ばせるのだった。

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