大きな木

usagi

第1話 大きな木

その木は家から徒歩5分の裏山の頂上付近にあった。


幹が空に届きそうなくらいに、まっすぐに伸びていた。

「くやしかったら俺を越えてみろ」と言わんばかりの存在感があり、下から見上げると、何かに吸い込まれて行くようで、どこか別な世界に連れて行かれるような気分になった。


山は入り口もわからないくらいにうっそうと草木が茂っていたので、行っても人に会うことはほとんどなかった。


小学生のころの僕は、裏山に一人で入るのが大好きだった。


「お~い」


僕が木のところにやってくると、たびたび木のてっぺんから声が聞こえた。

「だれ?」と言っても返事はなかった。

それは風や葉がすれ合う音ではなく、はっきりとした人の声だった。


中学生になったころ、理由がわからないまま、僕はいじめにあうようになった。

それはクラスの皆が無視するという陰険なものだった。


僕は毎日のように木を下から見上げた。


そうしていると自分の悩みなんて大したことなく思え、気分もすっきりした。

僕がつらい思いをしているときには必ず、「お~い」という声が聞こえてきた。

慣れてしまったせいか、そのことを僕は不思議だとは思わなくなった。


声は子供のもののようだったが、大人のものだったかもしれない。

あたたかく、やさしい声だった。


高校、大学と学生生活を終えて社会人になり、僕は家庭を持つようになった。

実家近くにマンションを借りたので、辛いことがあったときに木を見上げるという習慣は相変わらずだった。


そのころ初めて親から兄貴の話を聞いた。

僕が生まれてすぐに死んでしまったという話だった。5つ年上だったそうだ。

そのことは両親にとって乗り越えられないくらいにつらく、思い出さないようにしていたということだった。


それからは僕が木の上に呼びかけるようになった。

もう「お~い」という声は聞こえなくなっていた。


きっと、兄貴はずっと木の上から僕のことを見守っていてくれたんだ。

誰かに見守られているという安心感で、僕はこれまでつらいことをたくさん乗り越えることができたんだ。


僕は感謝の心で胸が一杯になった。


木の上に向かって呼びかけた。

「お~い!」


僕の目の前に見える木は、もうそれほど大きくなかった。

空に突き刺さりそうだと思っていた木のてっぺんは、今でははっきりと見えるようになっていた。


ここに両親を連れてきたら、もしかしたらまた兄貴の声を聞けるかもしれない。

明日、僕の秘密を初めて両親に話してみようと思った。

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大きな木 usagi @unop7035

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