第29話 二四六

 町田南部から都心までの道のりは、国道二四六号線をただひたすらまっすぐ行くだけの単純な物だった。

 小熊は東京に来て以来、どこかに行くたびにスマホで道を調べ、曲がらなくてはいけない場所の交差点名と目印を頭に叩き込み、渋滞や規制の情報にも気を配っていた。

 それでも何度か道を間違えたり渋滞に巻き込まれたりした。

 東京というのはどこかに行く時、単純に距離とバイクの速度で到着時間を計算できない。


 道を覚える、というスキルも東京で暮らす上での必須なのかもしれない。

 小熊が居た山梨では、どこかに行く時に使う道の選択肢はそう多く無く。道順もそれほど複雑では無い。走っている道のどこかで曲がる時も、その近辺の幹線道路として機能している道との交差は見落としようが無く、細い間道も道自体の構造や位置関係は単純なので、間違える事も無い。道に迷う要素が無い無い尽くしのまま目的地に着いてしまう。


 小熊が働いていたバイク便会社のライダーには、山梨より人と道の密度が低い県から来た人間も居て、その子は山梨に来るまで道を覚えるという発想すら無かったらしい。

 東京は違う。自分の居る場所から特定の場所まで到達するためのルートは無数にあって、その中から渋滞や原付の走りやすさなど、道路状況のいい道を選ばなくてはならない上、曲がる場所も多くわかりにくい。

 バイク便会社の浮谷社長は、道に迷わないためには道路を東西と南北に分けるのがコツだと言っていたが、それらの道が集中する皇居近辺では感覚を狂わされる。


 幸いスマホやタブレットのナビが目的地までの道順や曲がる場所、渋滞情報を教えてくれるが、それが必ずしも万全では無い事は、東京をしばらく走っていて思い知らされた。

 東京で暮らすには道を知らなくてはいけない。小熊がそんな考え事を巡らせていたのは、都心に向けてひたすらまっすぐ走る、大山街道とも呼ばれる国道二四六号線に、どこか山梨で暮らしていた頃に生活道路として使っていた甲州街道に似た物を感じ、同時に山梨とは比較にならぬほど数多く交差する道路に、同じ日本でありながら、ここは今まで自分が暮らしていた世界とは違うという事実を思い知らされたからなのかもしれない。


 一度神奈川に出た国道二四六号が、多摩川を越えて再び都内に入る頃、信号待ちで止まった小熊の横から椎が話しかけてきた。

「この坂を下りた先に、わたしのおうちがあるんですよ」

 椎は反対車線にある、二子玉川の駅前へと到る分岐路を指しながら言った。

 時刻はもう日暮れ過ぎ。混雑が始まり排気ガス臭くなった道に少々飽きてきたらしき礼子が、清冽な水の流れる多摩川を振り返りながら言った。

「今日はホテルじゃなくて椎ちゃんの部屋に泊まろうか」

 椎は慌てた様子で首を振る。

「いっ今はダメ! その、荷物で一杯で、まだ準備が」

 何か見せたくない物でも広がっているのか、そこまで言われると小熊は逆に興味が沸いてきたが、信号が青になったので、後ろの車に急きたてられるように都心方面へと走り出した。 

 

 二子玉川の一駅隣にある用賀を過ぎてから、二四六号線は大山街道から玉川通りに名前を変える。道は首都高速三号線の高架下を走る道路になった。

 椎が大学に行く時の通学路となる道路は、昼も夜も薄暗そうな道ながら舗装は良好で、小熊が道路を走っていて時々気になる危険な分岐や合流、分離帯、強引な割り込みを唆す通行区分などの、事故を誘発するトラップ的な危険箇所も見当たらない、道路だけでなく路側帯も広く、原付で走りやすい道だった。

 一つ気になる部分があるとすれば、陸橋やアンダーパスなど、原付バイクで走れない箇所が結構ある事。警官が点数と反則金を稼ぐ用途にうってつけな罠も、事前に調べて知っていれば問題無いだろう。


 道は夕方の通勤ラッシュで混雑していたが、そのおかげで道の周囲を見ながらゆっくり走る事が出来た。

 道路脇では自転車が目立った。ロードバイクやクロスバイクが、ノロノロ運転をする車を尻目に走り去って行く。昼間の東京を移動するなら、自転車のほうが速くてスムーズかもしれない。

 椎はリトルカブと実家から持ってくるというアレックス・モールトンの自転車、そして大学のある紀尾井町まで一本で行ける地下鉄を使い分けて通学する予定らしい。父親の知り合いが安価で賃貸してくれるという多摩川の畔にある低層マンションに住む事を決めたのも、通学ルートが複数あるという理由から。

 リトルカブに乗るようになった椎は、自分で道を選び目的地に行く事と、一つの優れた手段が決して万全では無い事を覚えた。


 玉川通りを走る小熊たちは渋谷にさしかかり、分岐が近づいてきた。

 このまままっすぐ走ると道は六本木通りに名前を変え、国道二四六号の青山通りは分岐側になる。道を知らない人間、あるいは出来るだけ混雑していない道を走りたい人間を迷わせるトラップ。

 ご丁寧に双方の道と首都高速の渋滞情報が表示された電光板を見た小熊は、先頭を走る礼子にバックミラー越しの合図をして、カブを分岐の青山通り方面へと進めた。

 目的地となる内幸町のホテルに行くならば六本木通りを直進したほうが早いが、椎の大学がある紀尾井町方面に行くならば青山通りのほうが近い。これから椎の通学路となる道を実際に走ってみて、気をつけなくてはいけない箇所を確かめ、あとどれくらい一緒に居られるかわからない椎に助言でもしてあげようと思った。


 東京の道は複雑難解で面倒くさいが、それだけに道の選択に何かの意思や理由を託すことが出来る。タクシー運転手やバイク便ライダーも、どのような道を選ぶかに人格が出るらしい。

 カブは道の周囲に多数あるお洒落な店でやたらと派手な青山通りを走った。もうすぐ国道二四六号は皇居に突き当たって終点となる。

 小熊が椎にしてあげられるお節介の終わりが近づいてくる。

 

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