第18話 駐輪場

 公園の門前で、小熊、礼子、椎は立ち尽くした。

 周囲を見回した礼子は、都心部にしては広い歩道の端に駐まっている何台かのバイクを指した。

 「あの場所に駐めればいいじゃない」


 盗まれやすいカブを人目につく場所に駐めるのは気が進まなかったが、チェーンロックをかけるのにちょうどよさそうな鉄柵があるのを見て、小熊もそこにしようと思ったところで、礼子の顔が強張っていることに気づく。

 視線の先を追うと、さっき礼子が指差したバイクのうちの一台に、緑色の制服を着た人間が取り付き、何やら札のような物を付けている。

 あれはきっと東京に出没するという、駐車禁止の取り締まりを行う人たちだろう。

 

 小熊がカブで山梨の山間部を走っていて、悪天候や故障、事故に加えしばしば脅威になるのは、山で時々見かける野性生物。

 小熊は目の前を横切る鹿を轢きそうになった記憶があるし、椎は五~六mもあるニシキヘビに遭遇し「あれは不味いので食べないほうがいい」という慧海と共に退散した事がある。礼子は南アルプスでウルトラマンの怪獣ウーを見た事があると言い張っていた。

 東京では危険な獣と遭遇する事も無いだろうと思っていた小熊たちは、ある意味身体よりも大事な免許証を傷つけるモンスターが跋扈しているのを目の当たりにして、カブを手で押しながら退散した。


 とりあえず近くにコンビニを見つけて落ち着いた。山梨ではただ買い物をするだけでなく、バイクや車に乗る人間にとってのオアシスの役を果たしているコンビニも、東京では近代的なビルの一階に小さく埋め込まれていて、コンビニにはあって当たり前の大型トラックを駐める駐車場は、どこにも見当たらない。

 レッグシールド裏のドリンクホルダーに手を伸ばし、保温カバー付きのペットボトルを掴んだ小熊は、ワンタッチで開くペットボトルキャップのボタンを押し、中身を一口飲む。


 バイクである程度長い距離を走るなら、水やお茶のボトルは必須。水分の不足は体力を削り、判断力の低下を招く。喉が渇いた時にお茶を買える場所を探そうにも、何十km走っても見つからない事もある。

 ホルダーも保温カバーも、ペットボトルキャップも、ペットボトルのお茶さえも韮崎の百均で買った物で、礼子と椎も同じようなボトルを取り出し、自分のお茶を飲む。スポーツボトルやマグボトル等、あれこれとお茶のボトルに凝っていた三人は、結局は丈夫で気軽に使い捨て出来るペットボトルと保温ケース、ワンタッチキャップという組み合わせに落ち着いた。


 小熊はペットボトルのキャップを閉じ、ホルダーに戻した。山梨では天候次第でボトルの飲み口が凍ることもあったが、東京ではそんな心配も無いだろう。それにしては、バイクに乗っている人間も歩行者も、お茶や水を持っている人間が見当たらない。

 コンビニとその周囲を眺め、あちこちにある自販機を見た小熊は気づいた。東京ではお茶を手に入れる先に困る事すら無い。


 お茶を飲みきってしまったので、コンビニで紙パックのジャスミン茶を買い、ペットボトルに詰めながら小熊は言った。

「どこに駐める?」

 礼子は同じくコンビニで買った緑茶を飲みながら何も答えない。

 礼子は苛立ち、焦っていた。目の前でお宝で一杯のフリーマーケットが開催されているのに、バイクを駐める場所が無いという馬鹿馬鹿しい理由で足止めを食っている。


 もう数え切れないほど礼子と一緒に走った小熊にはわかった。礼子が黙り込んでいる時は、方策が見つからない状態じゃない。何かしらの考えがあって、それを実行するか否か迷っている時に、よくこうなる。

 礼子は既にやるべき事を知っている、そしてやりたくないと思っている。

 家でボトルに詰めたコーヒーのように濃い麦茶を飲みきった椎はコンビニで何も買わなかった。

 椎は後部ボックスに入れてきた予備の麦茶を取り出しながら、片手でいじっていたスマホを小熊に見せ、礼子が言わずにいた事を明らかにしてくれた。

「駐輪場に駐めたらいいんじゃないですか?」


 スマホの画面には、ごく簡単な検索で見つかったバイク駐輪場が表示されていた。現在地の近くにも幾つかある。小熊はそのうちの一つを指して頷いた。

 三人でカブを押して行き、幸い空きのあった駐輪場にカブを駐める事が出来た。その間ずっと礼子は文句を言っていた。

「バイクを駐めるのにお金を払うなんて、そんな馬鹿な話ってある? 三時間で百円よ百円! ただバイク置くだけでお茶がもう一本買えるのよ!」

 小熊としても概ね同意だった。覚えている限り小熊は山梨で有料の駐輪場というものを利用した事が無かった。


 不満を垂れる礼子を「捕まったら何千円だよ」と宥めていた椎は、不意に小熊の腕を強く掴んだ。何か途方もなく恐い物に出くわした時の反応。

 椎が震えながら指差した先を見た。隣接する自動車駐車場の看板。表示された料金は、小熊でさえ血の気が引くような額。

 百円玉が数分で消える料金は何かの冗談か、それとも遠まわしな駐車お断りの意思表示かと思いきや、三台だけの駐車場は既に高級そうな車で満車になっている。

 小熊は、看板を見て恐怖で腰の抜けそうな顔をしている礼子と顔を見合わせて言った。

「百円、安いね」

 小熊は自分がこの街で生きていけるのか、不安になってきた。

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