第13話 旅行計画

 三月に入っても、授業と補習の日々は続いていた。

 あと少しでやってくる生活環境の大きな変化を前にした、凪のような時間。小熊が一ヶ月の入院で取りこぼした単位は、毎日の補習と追試で確実に得られているというが、その実感は無い。

 三年生のこの時期には珍しく、午後まで授業がある日。小熊と礼子、椎ははカブを買って以来何度もそうしたように、部室棟の一室で弁当を食べていた。

 去年の梅雨に、雨ざらしで弁当を食べるわけにもいかないと思い、小熊と礼子、椎の三人でカブの盗難リスクの高さを理由に学校に半ばネジこむように掛け合い、使わせて貰う事になった空き部室。

 梅雨の時期を終え、夏になるとさすがに暑い部室棟には居られなくなり、屋外ながら風通しのいい駐輪場で昼食の時間を過ごす事が多くなったが、秋からはまたこの部室にカブを駐めている。

 外の吹きっ晒しよりはマシとはいえ、ストーブの類が無く教室より冷え込む部室で昼食を囲めるのも、あと数回。


 カブのシートに座った小熊がメスティン飯盒を手に、牡蠣のアヒージョの缶詰を炊き込んだ牡蠣飯を食べていると、隣に駐められたハンターカブのシートに座り、自分で作ったという胚芽パンのサンドイッチを食べていた礼子が、パンに挟まったサラミとピクルス、タマネギ、チーズを飲み下して言った。

「どこに行こうかと思っているの」

 礼子が言っているのは今日とか明日では無い。かといってこれからの人生といったような迂遠で曖昧な物でもない。駐輪場から見える山々を見る礼子の目付きで、それくらいはわかるようになった。


 三人で決めた卒業旅行。カブで東京に行き、これから住む事になる東京を知ろうという計画を立てたが、具体的にどこに行けばいいのか、まだ何も決まっていない。

 とりあえず八王子にある礼子の実家、町田にある小熊の借家、世田谷にある椎のマンションを見に行く事は決めたが、それだけでは大学の授業開始までの休暇は埋まらないし、それだけで終わらせるならわざわざ旅に出る意味も無い。


 自分のリトルカブではなく、礼子が持ち込んだビールケースに座って昼食のチーズマカロニを食べていた椎が、小熊にスマホを見せながら言った。

「行きたいところがあるんです」

 画面には、あるイベントが表示されていた。渋谷で行われるフリーマーケット。

 椎は片手でフォーク、片手でスマホを持つあまり行儀のよくない姿勢で、チェダーチーズで口の周りを汚しながら言う。

「服とか小物とか、リサイクルショップより安く買えるらしいです、ここ最近で行われる物の中では最大規模だって」

 

 小熊の周囲に居るクラスメイトが、山梨と県境を接していながら、列車で数時間かかる東京まで行く目的で最も多いのは、買い物だという。 

 東京は膨大な物量の街で、あらゆる物が東京に集まる。小熊も新生活に必要な物が幾つかあって、それらを買い揃えるのは東京を知る旅行に並び、春の間に実行しなくてはいけない事だった。 

 礼子が首を傾けてスマホを覗き込みながら言った。

「バイクの物はある?」

 椎はスマホでアクセスしたフリーマーケット実行委員会のサイトを見ながら言う。

「あるみたいですよ」 

 その一言を聞いた礼子は明快に返答した。

「じゃあ行く」


 また無駄に行動力のある礼子の悪い癖が出た。いや今回に限っては悪いとも言い切れない。少なくとも物事を実行する原理や動機が単純な奴は、一緒に居てストレスが少なくて済む。

 小熊や礼子も、中古品を対面で直売するフリーマーケットは、それなりの目利きが出来ればオークションや通販より安価で、何より実際に買うものに触れて吟味出来るという事は知っていた。

 以前三人で神奈川で行われたスワップミートと呼ばれる車バイク用品の中古品即売会に行った事があって、それなりの収穫はあったが、小熊達の行ったスワップミートは最後の定期開催で、以後は行う予定が無いらしい。

 椎の見つけてきた渋谷のフリーマーケットが、スワップミートの代わりになるならば、行くことに異存は無いと思った小熊は、開催日を見た。三月の終盤。

 

 幾つかの問題が発生した。

 一つは、その日が小熊たちの通う高校の卒業式だという事。もう一つは、その日までに小熊の補習が終わり、卒業に必要な単位が取得出来るかどうか怪しい事。

 最初の問題については、礼子が明快な解決策を提示した。

「夕方狙いで行く」

 フリーマーケットやスワップミートのピークと言われる時間は、人に先駆けて掘り出し物を見つけられる開催直後。もう一つのピークは、出品者が持って帰るのが面倒な物を投げ売りし始める終了間際。

 卒業式は昼ごろに終わる。それからすぐに走り出せば、ちょうど日暮れ頃に着くことが出来るだろう。

 もう一つの問題について、小熊の補習に色々と世話を焼いてくれていて、ついでに履修単位にも目を光らせている椎が首を傾げながら小熊に聞く。

「間に合いますか?」

 牡蠣飯の最後の一口を食べ終え、お茶を飲んだ小熊は、ついでといった感じで答えた。

「間に合わせる」

   

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