第10話 記憶


 まるでそういう労働をしているかのような、補習と追試の日々は続いていた。

 高校三年三学期の緩い時間割。授業が午前中で終わり、クラスの皆が帰路につく中、小熊は午後から始まる補習に備えるべく、弁当を入れたメスティンのアルミ飯盒を取り出す。

 百均の保温バッグのおかげで、まだ僅かに温もりの残るメスティンの蓋を開けた。中身はご飯に缶詰のアサリと醤油、出来合いのキンピラゴボウを入れて炊き込んだアサリ飯。


 メスティンは容量も形状も弁当として理想的で、何より堅牢で軽量だが、もう一つの利点として、メスティンを使った料理のレシピが豊富に出回っている。

 授業と補習で生活の用をこなす時間が不足する中、ご飯とアサリの缶詰で何か手抜きの弁当を作れないものかと思い、バイト先から借りっぱなしになっているiPadを使って調べてみたところ、すぐにメスティンを使ったアサリ飯のレシピが出てきた。


 ネットサイトに載っている手順に従って作ったアサリ飯を一口食べる。味付けは醤油だけでもアサリからいい出汁が出ていて、満足できる味だった。

 貝類の缶詰はカブで走り回っている時に見つけた、事故品や倒産品を安価に売っている店に出ていた、輸送トラックの事故で賞味期限内ながら破棄扱いになっていた物を纏め買いしている。明日は牡蠣のアヒージョの缶詰を使って牡蠣飯でも作るのもいいだろう。

 予定ではまだ補習の予定が入っている明後日はどうしようかと思ったが、レトルトのカレーでも持っていこうと思った。


 卒業式までまだ間はあるが、一応は高校生活の学業という部分をしめくくる補習の経験が、貝類と共に記憶されるのは好ましくない。将来外食などで貝を見るたびに高校の補習を連想させられるのはご勘弁願いたい。

 記憶と食べ物には密接な関係がある事は、つい最近学んだ。小熊は足の骨折で入院していた場所が、やたら魚の出る病院だったので、今でも魚を見ると病室を思い出す。

 それが悪い思い出かといえば、そうでも無かった気がするが、何かしらの物事のイメージが安易に固定されるのはよくない気がした。

 

 教室には、他にも補習を受ける生徒や部活のある人間など、何人かのクラスメイトが残っていたが、普段から話すことの無い相手、バラバラに離れた席で各々が自分の昼食を広げ始めている。

 学校のクラスというものは、人数に関係無く自ずとグループという物が発生するらしく、補習に出る生徒同士が固まっている気配がある。なんだか苦手な空気だと思っていたら、他の補習生徒の隣に移った女子生徒から声をかけられた。

「小熊さんもこっちで食べる?」


 一人で食事している小熊に気を使って声をかけてきたような雰囲気。小熊としては正直なところ一緒にランチを食べたいとは思わない類のクラスメイトだったが、誘いに乗るより断るほうが風当たりが強くなると思い、頷いて席を移動した。

 派手な髪型であれこれとアクセサリーを付けているクラスメイトは、小熊が聞いてもいないのに、無事補習を終えた後の春休み計画について話してきた。

 内容は友達同士で海外旅行に行くとか、都内にある高校生限定のクラブに行くとか、随分羽振りのよさそうな話。


 小熊は彼女の弁当を見た。タッパーの中身は冷凍食品を温めて詰めただけ。楽しい春休みを空想しないことには、こんな弁当を食べながら殺風景な教室で補習を受ける気力を維持出来ないんだろう。

「小熊さんはどうするの?」

 メスティンの弁当をかきこみながら、聞き上手とかいうものに徹していた小熊は、彼女に問われて少し考えた後、答えた。

「とりあえず引越しをしなくちゃいけない。それが終わったら都内にある友達の家で何日か過ごす予定」

 他のクラスメイトも興味を持った様子で、小熊に話しかけてきた。

「小熊さんって、ずっとバイクに乗っているのかと思った」


 小熊はアサリ飯をかきこんだ。小熊にとってカラフルな冷凍食品の弁当が俗悪で安っぽい食べ物に見えるように、向こうもメスティンのアサリ飯を、貧相な食事だと思っているのかもしれない。一応質問には答える。

「バイクにも乗る」

 特に話が広がることなく、各々の弁当を食べながら話題は補習の内容に移る。小熊にとっては面倒な義務に過ぎない補習授業や教師の長話を、クラスメイトはあと少ししか味わえない物として惜しんでいるように見えた。


 趣味も人間関係も、進路も異なるクラスメイトとは、あと数日を過ごせば今後会う事は無いだろう。せいぜい同窓会で顔を合わせる程度で、昔話に花を咲かせる関係でもない。

 だからこそ、小熊は自分のイメージをバイクの人という形に固定したくは無かった。

 出来れば自分の存在を忘れ去って欲しいし、こっちもすぐに記憶から消す。しかし、もしも高校生活と、そこで出会った人達というものが本人の意思に反しこれから先の生涯で忘れられぬ物になるならば、目の前のクラスメイトの記憶の中で、少しでもましな形で残りたいと思った。

   

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