第4話 三匹のひよこ

「つっかれぃ~」 

「つっかれ~」


 ”おう”と”おつかれ”をシェイクした、いつの間にか私とアイツだけで交わされた挨拶。

 わずかに目と顔を合わせた私とコイツは、息を合わせたように掲示板へと顔を向けた。


 コイツは、もう一度確認する為だろう。

 そして私は……何となく顔を合わせづらかった……なのかな?


「ったく、なにが

『義理チョコをくれた方をもてなす会』だ。

こちとらあれのせいで出社拒否まで考えたんだぞ」


 そうなのか? 同僚からは聞いていないから、今初めて打ち明けたのかな。

 私にだけ……。


「あれ? ホワイトデーって金曜だっけ? 確かバレンタインと一緒の曜日だろ?」

「今年、閏年うるうどしあったでしょ? アレで曜日が一日ずれているのよ」

「はっはぁ~なるほどね~。オメー詳しいな」

「アンタが無頓着なだけよ」


 久しぶりに交わすなんでもない会話。でも心地いい。


「へぇ~。意外と会費は安いじゃん……おおっ! ここかぁ~! 一度いってみたかったんだぁ~」

 無邪気にはしゃぐ彼。営業部や客先でもこんな声出しているのかな?


 コイツに付き合って会社周りだけでなく、金山駅周辺の居酒屋まで網羅した私たちであったが、今回の会場はつい先月、開店した居酒屋だ。

 当然コイツどころか、同僚ともまだ行ったことがない。

 生き馬の目を抜く飲食業。団体様って事でかなり勉強したんだろうな。


 もしかしたら会社、いや、社長が補助を出したとか?

 彼の為に……。  


「……ふぅ~ん。これなら別に出席してもいいな。オメーも出席いくんだろ?」

「えっ!? いや、私はいかないよ」

 目を見開くアイツ。そんなに驚くようなことかな?


「……なんで?」

「なんでって……」

 息が詰まる私。でもすぐにつっかえ物が取れたような答えが、ぬるっと口から出てきた。


『だって私……バレンタインの時インフルエンザで休んでいたから、会社でアンタからチョコもらってないじゃん。出席いく資格ないよ』


「あっ! いや、でも、そう……なんか?」

 なんだ? 私が出席するのは、コイツの中では既定路線なのか?

 ほんのわずかな沈黙のそよ風が二人の間を吹き抜けた時、三つの風がコイツに向かってぶつかってきた。


『お疲れ様っす! 兄貴!』

 営業部の『三匹のひよこ』。その内の一人、コイツが『チャラ』と呼んでいる男性社員が挨拶する。

 茶髪で声がデカく、コイツを『兄貴』と呼び慕っている。


『おい、師匠の邪魔をするんじゃない! 失礼しました師匠、お疲れ様です』

 ひよこの一人、一番背が高く、七三分けに今時フレームが太い黒縁眼鏡の、そのものずばり『黒メガネ』

 彼はコイツを『師匠』と呼んでいる。


『お疲れ様です先輩! 彼女さんもお疲れ様です』

 ひよこの一人で一番背が低い。小動物的かわいらしさからか『ワンコ』と呼ばれている。 ちなみに、会社内でおおっぴらに私のことを彼女と呼ぶのは同僚を除けば、社長、総務のあの御方、そして彼だけである。


 ちなみに、他の女性従業員からこの三人は”一応”、『イケメントリオ』とも呼ばれているのだ。


「んだぁ~おまえら今頃帰ってきたのかぁ~? とろとろ仕事しやがってぇ~」

 コイツの声が営業部の、そして、男同士の声に変わる。


「そういう兄貴も、ついさっき帰ってきたばっかじゃないっすかぁ~? もしかして”手ぶら”っすかぁ~?」

 チャラ君がニヤケ顔でからかうが


「ばぁ~か。俺はお前らとは違うんだよ。こっちは二件、見積もり案件取ってきたんだぞ。おめぇらこそ”手ぶら”じゃねぇか」


「ひゅ~!」

「なんと! さすがは師匠!」

「ははは。先輩のおっしゃるとおり、僕たちは”手ぶら”です。面目ありません……」 

 三匹のひよこたちは、さっきまでの元気はどこへやら、頭と肩を落としている。

 完全にコイツの体と心は、営業部のそれに戻っている。


 それをどうこう言うつもりはない。

 彼がこういう”男”になるのを誰よりも望んだのは、私なのかもしれないから……。


「……じゃあ、おつかれさま」

 こちらも”会社の同僚”の挨拶をし、ゆっくりとその場を離れる。


「あっ! わりい! また連絡する!」

 ほんの少し、彼の心が私の方を向いた。それを背中で感じる。

 一歩、一歩と歩む度、彼の匂いとぬくもりが、私から離れていく。


『え……あ、お疲れ様っす!!』

『チャラ、全くお前は……お疲れ様でした!』

『すいません彼女さん。先輩をちょっとお借りしま~す』


『俺は物じゃねぇ! ったくおまえら、くっちゃべる暇があったら見積もり計算付き合え! メシぐらいは奢ってやるからよ』


『やったぁ~! 俺は牛丼メガ盛りでおなっしゃす!』

『おいチャラ! 少しは謙遜しろ! あ、私は牛皿定食で』

『んじゃ僕はすきやきお重で! 一度食べてみたかったんだぁ!』

『あ、ワンコてめぇ、きったねぇぞ!』

 三人はコイツから呼ばれたあだ名を、嬉々として呼んでいる。


『いい加減にしろ! コンビニのカップラーメンだ! それ以上は許さん!』

『『『ええぇ~~~!』』』

 一匹の雄鳥と三匹のひよこのじゃれあいを背中で感じながら、私は会社の通用口へ足を向けていた。


 まだ肌寒い夜空を歩いているけど、私の心はなんか暖かい。

 久しぶりに彼にあったから?

 彼が一人の”男”として、後輩達に慕われているから?

 それとも、男同士の気持ちのいい掛け合いをみてしまったから?


 本屋に立ち寄ると、今まで全く気にしていなかった、BLと呼ばれる男同士の恋愛コーナーへと足を運んだ。

 同僚から聞いたが、アイツと三匹のひよこ同士で、目の前の本に掲載されているような妄想をする女性従業員がいるとも聞いた。

 確かに、あのじゃれ合い具合を見れば、いろいろな妄想を膨らませるのはわかる気がする。


『”彼”が痛い女共の”おかず”になってもいいの?』


 同僚がおもしろがって焚きつけるが、あのじゃれ合いを肉体関係まで昇華(?)させる技量には、もはやなにも言えない。

 それに……あの四人の裸体には、興味がなくはないのだ。

 さすがに”絡む”のは勘弁して欲しいが……。

 

そんな妄想をBLコーナーでしていた為、なぜか満足してしまい、なにも買わず店をあとにした。


(来週の今頃は、アイツをおもてなす会の真っ最中か……)

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インフルエンザの功名 ― 後日談 ― 宇枝一夫 @kazuoueda

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