第2話 台風の眼

 嵐の前の静けさ……いや、今の私は台風の眼らしい。

 それは周りが騒がしいのに一人、のほほんといつもと変わらない生活を送っているからなのか。

 それとも……。

 今の私が台風の眼なら、バレンタインデーは台風の眼が来るまでの嵐、そして、台風の眼が過ぎ去ってからは、ホワイトデーという名の嵐が訪れるのだ。

 ……なんだそりゃ?


 いつもと変わらないお昼休み。でも今日の卵焼きはツナ入りなのだ。

「てかあなた、アレでいいの!? 男性陣、完全にアイツを”潰し”にかかるわよ」

 私は卵焼きを咥えると、ゆっくり咀嚼そしゃくする。

 うん、我ながらいい出来だ。

 ”ゴックン”すると、同僚の質問に答える。

 いくら私でも、掲示板のことぐらいは知っているのだ。


「うちの課でも噂しているけど、どうせ”アイツ”を無理矢理飲みに誘うぐらいでしょ?」

「はぁ~。これが正妻の余裕か~」

 ヲイ、勝手に人を嫁にするな。

「どうする、一応耳に入れておく?」

 ん? なんだだんな?

「なに~。また変な噂でも蔓延まんえんしているの?」

 幸いにもインフルエンザウイルスはそれほど蔓延しなかったけどね。


「ねぇあなた。バレンタインのチョコの買い出しの時ってさ~」

「ふんふん」

「買う数を、男性陣の人数+αぐらいにしておいた?」

「……ん? ん~。ま、まぁ、一応、お、多めに買っておいたけどさ。ほ、ほら、取引先様が来る時もあるじゃない」


 嘘である。

 バカップル+インフルの引き始めで、呪詛じゅそつぶきながら適当にカゴに放り込んだのは言うまでもない。


「なるほどね……ってことは、半分アンタのせいでもあるわけか~」

「べ、べついいいじゃない。私がチョコを買いすぎたらいけないの?」

 どうしたんだろう? これまでもチョコは多めに買っておいたし……。

「”アイツ”が男性陣にチョコを配る。当然チョコが余る。そこでアイツがとった行動とは!?」

 なんかバラエティー番組みたいになってきたな……。


「総務の”あの御方”に聞きに行ったみたいなの。

『チョコが余ったけどどうしましょう?』って」

「ま、ここまでは普通よね」


「そしたら、あの御方は……」

「『そうね。貴方が感謝の気持ちを表したい人に差し上げたら?』って、”のたまった”のよ」

「そこですかさずあの御方にチョコを差し出したのは、ま、まぁ処世術として当然の行動として……」


『それから”あの馬鹿!”は、営業部の娘共に余ったチョコをあげたのよ!』


 ……なにそれ。今初めて聞いた。


「『プレゼンの資料集めや作成を手伝ってくれたお礼と、この前のプレゼンが失敗したお詫び』

だって、”あの馬鹿!”はいけしゃあしゃあとほざいたらしいわ!」

 てかさっきから”あの馬鹿!”と連呼しすぎ。

 アイツを馬鹿と言っていいのは私だけだ。

 ……あれ? これって独占欲?


「で、でも、あくまで噂でしょ? そんなに興奮する事じゃ……」

「……営業部の娘っ子どもが、声高にピーチクパーチクさえずっても?」

「アイツら、こんな時だからこそマウントを取っているのよ」

「いくら”あの馬鹿!”でも、営業部のホープだし、あの御方以外、他の部や課の女性陣にはチョコを渡さなかったみたいだし!」

 二人の眼が魔女のそれになってる。おいおい、いくら何でも生き血を欲しがるなよ。


「ん? じ、じゃあ」

「ようやく気がついたみたいね」

「ホワイトデーにかこつけて、営業部の娘共が何か企んでも不思議ではないわねぇ~」

「いくら男性陣が”あの馬鹿!”を潰す為に飲みに誘おうにも、娘っ子共が鉄壁のガードを張り巡らせたら、うかつに手が出せないからね~」


 仕事が終われば、プライベートの事が思いを巡らす。

 私とアイツは……なんなんだろう?


 バレンタインが終わってから、二人は特に変わっていない。

 変えようにも、私がインフルから復帰したらアイツがインフルにかかったし。

 いつもの月末が終わったら、三月は本決算に新入社員の受け入れ等、会社ではやることがいっぱいである。

 SNSやメールでたわいのないやりとりをするが、プライベートではあれから会ってない。


 当然、肌を触れあったのも、アレが最初で最後である。


 いい大人が一度の関係でどうこう言うつもりはないし、別にこれまでも、今回以上に顔を合わせていない時もあった。


 会いたい……のかな?

 会って……どうするの?

 会いたくない……って言われたら?

 会いに行く……って、私は言うのかな?

 わからない。


 ふと本屋による。

 女性向け雑誌で眼に入ったのは、平積みコーナーに置かれたレディースコミック。

 表紙には『強気で抱かれたい淑女特集』の文字が躍る。

 壁を背にした女性に向かって、スーツを着たイケメンがいわゆる”壁ドン”をしている絵がカラーで描かれていた。

 さりげなく手に取り、レジに向かう。

 欲求不満って思われるかな?

 いやいや! ”できる”女は、欲求不満すら絵になるのだ!

 もしかして、社長もこんなのを読んでいるのかな……。


 次の日の昼休み。

 だまされた!

 アイツにではない。あの本だ!

 どの話も頭の足りないイケメンばかり出てきやがってぇ!

 あんなのただのヤリたいだけのホスト以下じゃない!

 嘘でもいいから、クサイ台詞の一つぐらいほざきやがれってんだぁ!


 ……別に、誰かと比べているわけじゃないけどさ。


 抱かれる女も女だぁ!

 発情した雌豚みたいな体しやがって!

 何喰ったらあんなうらやまけしからん体になるんだよ!


 ……こ、これも、べ、別に誰かの体と、く、比べているわけじゃないんだからね!


 ったく、どんな編集方針だよ。SNSで悪評ばらまいてやろうかしら!


 イカンイカン。お腹がすくと思想が過激になってくる。

 前に座る、同僚二人の会話で昼休みの幕が開く。

 私は黒こげになった卵焼きを口にする。少し苦い。


「ちょっとアンタ! のんきに卵焼きなんか咥えている場合じゃないわよ」

 別にいいじゃないか。捨てるのももったいないし。

「今度のホワイトデー。どうも社長も絡んで来るみたいよ!」

 ほへ?

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