インフルエンザの功名 ― 後日談 ―

宇枝一夫

第1話 女社長の企み

 ― 三月 ―


 春の足音が~なんて、のんきなことを言っていられないのが日本企業。

 そう、三月は決算、しかも本決算月なのである。

 我が社もご多分に漏れず、例年通り会社内は緊張感が漂っているが、今年はさらに特殊なフレーバーが加えられたのだ。


「ちょっと~なにこの空気。ホント耐えられない!」

「あ~ヤダヤダ! 男性陣の”どうすればいいのぉ?”目線がぁ~ウザいぃ~。まだセクハラされた方がマシよ! されたくないけど……」


 お昼休み、休憩室で同期の愚痴を聞きながらお弁当の卵焼きを食べる。このひとときだけはいつもと同じ光景だ。


『『全部アンタのせいよ!』』


「はひぃ?」

 突如向けられた非難に、卵焼きをくわえながらかわいく返事をする私。


「なんでインフルエンザにかかったのよ!? おかげで会社内の空気は最悪よ!」

「まぁあんたにとっちゃ、一生分の運を使い果たしたようなモンだから、この先なにが起ころうがどうでもいいみたいだけどね」


 白身が半熟気味の卵焼きを”ゴックン”した私は反論する。

 当たり前だ。意味もわからず犯人扱いされちゃたまんない。

「ちょっとぉ、なに? どういうこと?」


 溜まった鬱憤を吐き出したせいで二人の顔はちょっと軽くなったが、口から出る言葉は重かった。

「バレンタインにアンタがインフルエンザにかかったせいで、”アイツ”が男共に義理チョコ配ったのは知っているでしょ?」

 うんうん


「そのせいでさ、『ホワイトデーはどうすればいいのか?』って、男性陣からの~口には出さない訴えがものすごいのよ。そもそも”アレ”をやらせたのは社長だしね」

 あ~そういうことかぁ~。納得納得。


「ホントのんきよね~。ま、幸せ絶頂の女のツラには、社内のどんより空気も心地よいアロマ程度にしか感じないのかねぇ~」

「あ~あ、”こじらせた”女一人が幸せになる為には、あたしたち全員が生け贄にならなければならないのね……なぁ~んか釈然としないけどぉ~」

 ヲイ! 唇を尖らせながら人を魔女みたいに言うな!!


「まぁいいじゃない。とりあえず収まる所には収まったみたいだし。今だから言えるけど、アンタをきつける為に二人して”アイツ”にちょっかいかけようとしたのよ」

「……は?」

 なにそれ、初めて聞いた。


「”展開”によっては”味見”してもよかったけどね。ちょっともったいなかったなぁ~」


『なあぁによぉそれえぇ!!』


 思わず大声を上げる。みんなが顔を上げたりこっちに振りむくが知ったことかぁ!

 ”言い過ぎた”と二人は手を広げながら慌てて私をなだめる。

 あたしゃ興奮した牛か馬か?


 声を潜めて話す三人娘……か? しかしかしましさは変わらずだ。

《ちょ、ちょっとぉ、落ち着きなさいってば。じょ、冗談だから》

 いいや、あきらかにオマエラ発情してたぞ。


《あんまり目立たない方がいいわよ。ただでさえ”アンタら”は別の意味で台風の目なんだからさ。今はまだおとなしいけど、そのうち矛先がアンタらに向かうかもよ》


《ええっ! なにそれ? こっちだって好きでインフルエンザになったわけじゃないし、チョコの買い出しだって別の人間が行けば……》

 ジト眼で二人を睨みつける私


 そして、自分で言って自分で気がつく。

 そうだ、そもそも私が買い出し役をやらされているからこんな目にあって……。

 それで、よかったのか……なぁ?


《ま、まぁ、済んだことはしょうがないから……》

《あ、この話知ってる? 総務の”あの人”って、実は……》

 私の目力が功を奏したのか、二人は別の話題を振ってきたのであった。


 ― ※ ―


「……じゃあこれ、社長の判子もらってきてね」

「はい、いってきます」

 頭頂部がちょっと気になり出した課長から書類を受け取り、社長室へと向かう。

 これまで何十回とやってきた当たり前の仕事で、今更どうということはない。


 しかし、お昼休みの話を聞いて、ここ最近の課長の、何かを訴えるような、捨てられた子犬が何かうような……。

”ブルッ!”

 アカン、自分の比喩に体がダメ出ししてしまった。

 そうか、バレンタイン以降、課長から向けられたあの目はそういう意味だったのか~。


 てっきり”私たち”の関係のこととか……。

 営業部の課長は独身だから、もしかしたら自分が仲……。


 な! な! な! な! な! な!


 なぁにぃ考えているのよぉぉ!!


 ふぅ~。これじゃ、あの二人から幸せ絶頂だの、こじらせた魔女だの言われるわけだ。

 あ、魔女は自分で勝手に思ったんだったっけ。


『失礼します』

 ウチの会社、それなりの規模だけど、社長に秘書はいない。

 だから平社員でも、社長室への入室はダイレクトなのだ。


 書類に目を通す社長。うん、デキる女は絵になるなぁ。

「ふぅ~ん。”カレ”の失態はともかく、数字を見る限り、我が社は特に問題はないけど……。何か最近、会社内の空気は不穏なのよね?」


 さ、さすが絵になるできる女。”誰かさん”や”○○君”ではなく、さらっと”カレ”って言葉を紡ぎ出す辺り、大人の女性って感じ。

 そんな私も、成人式から十年近くたっているんだけどね。


「ところで貴女、何か知っているかしら?」

 さ、さ、さすが絵ができる女になる! 先読みとは恐れ入りました。

 ……なんじゃこりゃ?


『ひょっとして我が社は”爆弾”を抱えているのかしら?』

 そんな怖い顔を私に向けなくても。

 ……まぁ、私が爆弾で、”彼”が導火線。それに火を付けたのは社長ですけどね。

 とはいうものの、原因を作った私としては、一言おうかがいを立てた方がいいよね?


「あ、あの、実は……」

「ン?」

 とりあえず私が知っていることだけでも耳に入れておこう。


『ア~ハッハッハッハッハ!』


 初めて聞く、社長の大笑たいしょう

 ご令嬢のように”オホホホ!”と手の甲で口を押さえない分、社長も私たちと同じ庶民なんだな。

 もしかしたら、本当に”内紛”や”乗っ取り”という爆弾があるって思っていたのかな?


「本当、男ってつまらないことを気にする生き物よね」

 この人にとっちゃ男性管理職なんて、それこそ手の平に乗ったのセレブチョコ程度なんだな。


「で、ですが社長がお感じのように、現に会社内の空気が……」

 社長はとがった鼻から柔らかい息を吹き出した。

「私としては従業員のプライベートに口出しする気はないし、お返しのおもてなしも各自で勝手にやってくれればいい……ん!? そうかぁ、おもてなしかぁ……」

 

 ん? 社長の眼が


「そうねぇ。こうなった原因は私にもあるようだし、ちゃんとした”布告”は出した方が、いいわよねぇ~」


 雌豹のように鋭くなり、唇からなまめかしい舌が顔をのぞかせた。


 ― ※ ―


 会社の掲示板に貼ってあることなんて、せいぜい健康診断とか清掃や工事のお知らせ程度だ。

 よその会社なら人事異動の掲示とかあるけど、支社や支所のない我が社はそんなものないし、社内の異動、昇進、降格、処分のお知らせもない。

 だから、まじまじと見る人間なんてそんなにいない。


 今回の社長からの告知も、よその会社から見ればごく当たり前の、わざわざ社長が告知を出すのが珍しいほどの内容だった。

 我が社を訪れたお客様が目にしても、特になにも感じないだろう。

 むしろ「さすが女社長」と、一目置くかもしれない。


 それが一転して、会社中の人間から注目という名のシャンパンを浴びることになった。


 ― ※ ―


 ―― 告知 ――


 三月十四日のホワイトデーについて。


 例年通り、バレンタインデーのチョコレートを受け取った人間は、

”それ以上のおもてなし”を

”差出人”に行うことを切に願います。

 

         以上

    

    代表取締役社長 ○○ ○○○


 ― ※ ―


『なんじゃこりゃあああぁぁぁぁ!』


 ほとんどの従業員が帰宅した社内。


 ふと掲示板を眼にした


 ”差出人の男性社員”の叫びによって


 悲劇という名の喜劇が、幕を開けるのであった……。

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