回帰の儀式
淳一
回帰の儀式
軋む音がした。
何が軋んでいるのかはわからなかった。一人用の木製の寝台が、二人分の重さに――それも動いている――耐えきれず立てた音かもしれないし、胸の中の蟠りがその重量に悲鳴を上げた音かもしれない。
どちらでも良かった。
仰向けの姿勢。見上げた先には姉がいる。一糸纏わぬ姿で、姉が体を揺すっている。透き通るような夜色の髪、白い肌。赤らんだ頬に汗が伝う。
対する私も、着ていた服はとうに脱ぎ払った。普段、人前で表に出すことさえない繁みの奥の谷地をすり合わせる。谷底より突き出た突起に触れれば、そこを震源に前身に衝撃が亘る。
「サエ」
名前を呼ばれるのと、頬に手が触れたのは同時だった。見上げれば、姉が心配そうにこちらを見ている。
「明日のことが不安?」
どこか上の空なのはバレていたようで、姉の言葉に溜め息をつく。
不安にならないわけがない。
「……キエは、不安じゃないの?」
だから、逆にそう聞き返す。
「私は、平気よ」
そう笑ったキエの声が震えているのが、わかる。否、言葉など交わさなくてもわかるのだ、私たちは。
不安を紛らわすように姉は、キエは腕を伸ばして私の体に密着した。服越しではなく、直接肌で触れ合うこの距離が、私たちはとても安心する。
「まるで、子どもに戻ったみたい」
「当たり前よ。生まれる前は、ずっとこうしていたんだから」
キエの言葉に、私は笑って返す。
こうして密着していると、それまでの不安が嘘のように消えてしまう。きっと、母親のお腹の中で守られていたときの気持ちになるからなのだろう。そのときから私とキエは一緒で、こうしてお互いに生まれる日を楽しみにしていたのだ。
そんな、残っているはずのない遠い記憶を遡りながら、私たちは触れ合いを再開する。ぎし、と木製の寝台が軋む。そんな不満そうな声を出さなくてもいいだろう。
明日以降は、もうこんなことは有り得ないのだから。
「ほら、サエ。起きなさい」
キエの声に目を覚ます。まだ部屋の中は薄暗いが、窓の向こう、遠い地平線の下に太陽が隠れているのがわかる。
昨日の行為の疲れが残っているのか、いまいち気怠い体を起こす。キエはと言えば、とうの昔に身だしなみまで整えている始末。同じことをしていたはずなのに、この違いはなんなのだろうか。
「……キエ」
「うん?」
その衣装を見て、私は目を伏せた。
普段キエが来ている衣装とは異なる衣装。白一色の一枚布で作られた、特別な衣装。そもそもこの集落において「白」の衣装はまず着ることがない。真っ白い布というのは大変貴重で、穢れのないその衣装を纏って良いのは神饌となる成人前の子のみとされている。
キエは今日、神に捧げられる。
そして、私は今日、成人の儀を迎える。本来なら、キエと一緒に迎えるべきその儀を、私はひとりで迎えることになる。だがそれでも、遅い方なのだ。
本来、神饌となる子は成人前に限られる。そのため、成人の儀を執り行う十五の生まれ日より数年前に神に捧げられることが多い。
だが、双子の場合は特例とされ、片方が成人の儀を迎えるその日に神に捧げられるのだ。その理由はわからない。双子であれば必ず片方が供物とされるなどといった因習も地方によってはあるらしいが、この集落では聞かない。双子自体が珍しいというのもあるが、過去に双子を差し置いて別の子が選ばれた事例は記録として残っている。だからこそ、双子のときのみ遅れるのは不思議で、そこに何か抜け道はないかと探したのだ。キエが供物にならなくて済む方法を。
結局それは、見つからなかったのだけれど。
「きっと双子だから子どものうちに片割れをなくすのはつらかろうっていう配慮じゃないかな」
キエはそう言っていた。そうなのかもしれない。今でこそ気持ちの整理はついているけれど、これが数年前に突然キエが目の前からいなくなったら、きっと私は錯乱していた。
「……行ってらっしゃい」
「うん。サエも、成人の儀、しっかりやってね」
震えている声。思わずキエの袖を掴もうと伸ばした手を、中途半端な位置で止めて、下ろした。
最後の別れくらい、見せかけだけでも気丈にしなければ。
本当に怖いのは、キエの方なのだから。
◇◇◇
先導者に案内されたのは何もない広い空間。この中に入れるのは私だけのようで、先導者たちは入り口の両脇によけ、私を促した。一歩、二歩と歩を進め、中に入り、中央に着いてから、入り口に向き直る。ぎしぎしと音を立てながら、扉が閉まればあたりは静寂と暗闇に包まれた。
怖くはない。ここに来るのは二度目だ。一度目も、怖くはなかった。
ゆっくりと床に座る。板張りの床は、ひんやりとしている。衣装の下は肌着も身に着けていない体。昨晩、妹と交えた記憶から熱くなっている体には、ほどよい心地だった。
本来なら、許されない行為だったのだろう。この集落において、異性と交わるのは成人の儀を迎えてからとされている。
――別に、異性ではないし。
そんな子どものような言い訳を内心でして、ひとりで笑う。きっと妹も同じことを考えているに違いないのだ。
気づけば周りがほんのりと明るくなっている。神がここにいる。私にはわかる。
この集落では、嬰児の時分にここに連れられ、一晩を過ごす儀式がある。親の不在に泣き喚く同年代の子らに囲まれて、私だけは泣かなかった。妹ですらぐずりながら私の服を掴んで離さなかったのに、私だけは泣かなかった。ここが安全であることがわかりきっていたから。
既に暗闇は消えた。室内は光に包まれている。
「十余年ぶりですね」
目の前にいる存在が、どれほどに崇高なものなのか、私は知らない。あのときはもちろん、本来なら成人の儀を迎えるこの年になっても、私には目の前の存在を崇める気持ちにはならなかった。
それでも、間違いなく、私の目の前にいる存在は神で、私をこれから食らう存在である。
妹はそれを悲しんでいた。なんとか回避できないかと調べていたのを、私は知っている。けれど、それが不可能であることもまた、私は知っていた。この地において供物となる子は、神自らが選ぶのだ。私は選ばれた。選ばれた日から、神に供えられるべきものとして、育てられた。
光が強くなる。何かが私の中に入ってくるのがわかる。私が食らわれていくのがわかる。
これが終わったとき、私は死ぬ。そうして抜け殻になった肉体は捌かれ、皮膚から内腑のすべてが供物として神前に供えられたのち、この集落の者に食される。妹もまた、それを口にするだろう。
不思議と、怖くはなかった。昨晩も今朝も、自分が死ぬとなると怖くてたまらなかったのに、今は逆に怖くなかった。まるで、この先に待ち構えているのは死ではないとわかったかのように。
『――』
「なんですか?」
神が何かを言った気がしたが、私には聞き取れなかった。そもそも、神と私たちの言語が同じとは限らない、聞き取れところでどれほどの意味があるものか。
眩い光によって視界はもう遮られている。ただただ白いだけの世界は、最期に見るにはあまりにもつまらないものだと、そんな他愛ないことを思った。
◇◇◇
成人の儀というものの詳細を私は知らなかったが、それにしてもこれはなんだと、目の前の料理の山を見て私は呻いた。
もちろん、これがメインなのではなく、あくまでも先ほど行われた――目を閉じているほんの瞬きの間に終わった――ものが儀式であり、この料理の山は祝宴であることは察しがつく。けれど「これをすべて食べてください」と言われたときは、さすがに愕然としてしまった。姉と二人で食べるにしたって多い量であるし、姉はもういないのに。
姉のことを考えるとふと気分が落ち込んでしまう。姉自身が受け入れたことなのだから、今さら私がとかく言うことではないのだと振り払い、 もう幾年もの間、成人の儀を取り仕切っている婆を振り返る。
「……婆、すべて食べねばなりませんか?」
いくらなんでも多すぎるという不満を込めて言うが、婆は重い表情で頷くのみ。
「サエ、残らず食べるのです」
むしろ念まで押される始末。
はあ、と溜め息をついて、手前にあるものから口に運んだ。
肉なのはわかる。臓物の一部だろうか。今まで食べたことのない食感であり、同時に。
「――?」
食べた瞬間から何かが内に広がるような気がした。それに手を止めれば、婆がこちらを見るので再び別のものを口に運ぶ。それもまた、口にした途端に何かが内に広がった。
「……婆」
「なんですか?」
「婆、これは、いったい、何?」
不快、ではない。むしろ、快感に近い。ぞわぞわと背筋をなぞるような感触。昨晩の姉との行為を思い出した。姉の肌が私に降れるたび、私は内側まで姉に撫でられたかのように体を震わせたのだ。
婆は、私の問いには返してくれなかった。ただ、すべて食べればわかることです、と短く告げた。
目の前に広がる料理は際限がない。けれど、婆の言う通りにすべき気がして、私は食べることに集中した。
山のような料理を食べ終えた私は、そのまま神殿に向かう。私の知識が正しければ、今朝キエが入り、そして二度と出てくることのなかった場所。
成人の儀が終われば、次に待っているのは巫女となるための儀式。
案内されるままに中に足を踏み入れる。そこは何もない空間だ。過去に一度だけ、嬰児の頃に来たことがあるのだが、私はうっすらとした記憶しかない。明確に覚えているのは、真っ暗で親もいない場所で泣いていたこと。
私が中央に立てば、ぎい、と音を立てて扉が閉められる。このあとに待っているのは暗闇だ。けれど、不思議と今日はその暗闇に対しての恐怖があまりなかった。
何もすることはないので床に座る。板張りの床はひんやりとしており、人肌を恋しく感じた。昨夜のキエとの行為は暑いほどだったので、ここでやるなら丁度良いなどと、不遜なことを考えた。
『それほど恋しいか』
「ひっ!?」
突然の声に肩を跳ね上がった。気づけば周囲は光に包まれている。
「だ、誰?」
『我の声が聞こえるか』
声は聞こえるが姿は見えない。周囲を見渡しても光があるだけで何も見えない。
『待ちわびたぞ』
「待ちわびた……?」
相変わらず姿は見えないのに話だけが進んでいく。けれど、害意はないことが、なんとなくわかる。あれほどに驚いたのに、胸の鼓動は平静なままだ。
胸に手を当てる。
――キエ?
そこに姉を感じたが、姉はここで捧げられたのだから、その残滓が残っているのかもしれない。
「ひゃっ!?」
今度は肌を撫でられる感触がして間抜けな声を上げてしまう。
「あ、ちょ、やめ……」
姿も何も見えないのに、その感触が胸から下腹部、そしてその奥へと移っていくのに、相手が何をしようとしているのかわかった。しかし、感触のあるあたりを払ってもなんの手応えもなく、なされるがままに体が熱を持ち始める。
「あ……」
奥まで、体の内側にまで何かが入ってきて、びくりと震える。けれど、その感触には覚えがあった。
「キエ……?」
つい先日、昨夜のこと。それを忘れるわけもなく。
顔を上げた光の中で、何者かと目が合った気がした。
目が覚めたとき、私は何事もなくもとの場所に座っていた。やがて扉が開いて外に出ても、まだ日付すら変わっていない。さすがに具体的に言うのは憚られたので、変な夢を見たと婆に言えば、婆はなぜか嬉しそうに「ようやっと本物の巫女様が現れた」と言った。
巫女としての仕事は単純かつ簡単。日に一度、神殿に上がるだけ。けれどそのたびに私はあの変な夢を見た。それと同時に、もういないはずのキエの存在を感じた。当初こそ嫌厭気味だったその課は、やがて私にとってキエとまぐわう時間に変わっていった。
これは夢なのだ。ならば、どれほど有り得ないことであっても、それは有り得ることなのだ。夢の中でキエと体を重ね、幾度もあの夜を繰り返して――
私は妊娠した。
日に日に大きくなる自身の腹を見てようやく私は、あれが夢などではなかったのだと理解した。
「ここには、神様の御子がおわすのですよ」
婆が腹を撫でて言った言葉が咄嗟に理解できなかった。妊娠したという事実が受け入れられなかったからではない。「神様の子」という言葉が引っかかったのだ。
ここにいるのは、私とキエの子だ。
そして私は出産と共にキエとひとつになるのだ。
不自然なほどの確信。かつての自分が聞けば何を言っているのだと笑ってしまうような世迷言。けれど、今の私には確信があった。
◇◇◇
かつて愛した者がいた。
愛ゆえに交わった。
子を設け、しかし愛する者はそれを産むことなく死んだ。
その魂を私は食らい、腹の中で大事にし続けた。
いずれ再び肉体を持たせ、再び出会うために。
けれど、神の寵愛は人の身で受けきれるものではなかったのだと誰かが言った。
ならば、ひとりの身では耐え切れぬならば、ふたつに分ければどうだろうか。
ふたつに分けた肉体の片方に神を宿し、その肉体をもう片方が食することによって、この愛を受け止められるだけの肉体ができはしないだろうか。
二つの個体を用いたが、失敗した。
ならばと腹の内から二つに分けた子らで試した。
一組目は失敗した。
二組目は、惜しいところまでいった。
三組目は……
長いこと待った。
とてもとても長い間待っていた。
生まれたての子に愛しい人の魂を注ぎ込む。
『約束だ。お前の魂をもとに還そう』
◇◇◇
目を覚ましたとき、私の手に子どもはいなかった。婆に聞けば、神が持って行ったのだと言う。
「もう暫く休んでいなさい、サエ」
「サエ? 私、私は……」
私は、サエ? キエ? どちらだろう。否、姉など私にいただろうか。
疑問が残ったが、まあいいか、と床に伏せる。神の子を産めば巫女としての職務は終わりだと言う。明日からは普通の日々が始まる。
何をしようか。
そんなことを考えたが、今は何も思いつきそうにない。
ただ、ぽかりと空いた充足感だけが私の中に満ち溢れていた。
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