ロボット掃除機はアンドロイドの夢を見るか?
ビープ音がヘッドセットから鳴り響き、私の意識を
埃を拭き取ったディスプレイに艷やかな
「この度はミラージュ・ペルソナ・サービスをご利用いただき誠にありがとうございます。ご用件をどうぞ」
私はヘッドセットマイクに向かっていつものように極めて事務的に、しかし営業用の明るいトーンで話しかけた。
客の要望に合わせて自分自身もカメラに顔を映してはいるが、それは巧妙に偽装したアバターだった。ディスプレイ越しの客の下には、容姿端麗な架空の女の姿が届いているはずだ。
ただし、そのアバターも客がコンプレックスを抱かない程度にあえて整形されている。そして、音声も当たり障りない没個性的な声に調律されていた。
今の私はカメラの前で肘掛け付きのゲーミングチェアに腰掛け、背もたれを最大まで傾斜させていた。こんな業務態度でもアバターは自動的に畏まったカスタマーサービスを演じてくれる。体勢だけは気楽なオフィスだ。
「えーっと、こんにちは! 初めてなんだけど、どうすればいいの?」
「まずはお客様の市民IDと紹介状のパスコードをお送りください」
「わかったわ」
やや間を置いて、少女の市民IDと紹介状のパスコードが手元の端末に送られてきた。しかし、パスコードは既に登録されている。流用されたものだ。これは使い物にならない。
「申し訳ございませんが、この紹介状はご利用いただけません」
「えー? どうして? パパがここなら大丈夫だって言ってたのに……」
少女が不安気な表情を浮かべると、彼女の瞳も灰色に濁り始めた。
私は苛つきながら少女の市民IDを確認した。名前はステファニー・リー。以前、紹介された客の娘のようだった。
「ミズ・リー。貴方のお父様は紹介を受けていらっしゃいますが、ご本人以外……ご家族でも利用はできません。どうか改めて紹介状を――」
「ダメよ! それならパパの顧客情報でお願い! 支払いもパパのクレジットからでいいから」
なんだこの
うちは老舗でも大手でもない、ボスを含めて3人のしがないペルソナ・ディーラーだ。それでも、顧客の要望に合わせて、AIの人格を仕入れて売り捌く。AIよりまともな人格の客が金を落としてくれれば有り難いが、往々にしてこの手の商売は詐欺師と軽犯罪と面倒事のオンパレードだった。
だから、こうして紹介制にしてあるのに、この
私は少し逡巡した後、私は
「それでは、今回だけは特別ですよ。ミズ・リー。まずはご用件をお伺いいたします」
「ありがとう! ええっと、ミズ?」
「本日の担当はカーラ・ダイソンです」
「まあ! 貴方、私の
まったく気安い奇跡もあったものだ。わざわざ客それぞれに対して偽名を使っているのに。それに、いきなり初対面(勿論、現実には対面してはいない)で名前を呼ぶなんて。それにしても、
「それでは……ステフ、まずは貴方の注文を聞かせてもらえる?」
「そうだったわね。そうなの、私の
「具体的には?」
「なんだか元気がないの。マイに……恋人に送ったんだけど、居心地が悪いなんてそんな感じじゃないの。彼女の家はとっても素敵なのよ。庭のプールにイルミネーションだって付いてるんだけど……」
話が完全に脱線している。恋人が彼女? いや、子供の恋愛関係も、家の庭も今はどうだっていい。
「その
「すごく辛そうなの。それで働き方が雑になったみたいで、恋人にも役立たずなんて怒られているのよ。それで何ていうか……塞ぎ込んでるみたい。うつ病かな。うちにいた時は本当にお喋りで楽しかったのに、壊れちゃったみたい」
私は苦労して少女から
(「
名前の通り、
だが、最終的に彼女を再教育して矯正すべきか、あるいは買い換えてしまうのかは持ち主次第だった。
「ステフ、
「直してほしいかな。前みたいに。でも、なるべくソフトウェアを書き換えないで」
難しい注文である。AIの再教育にはかなりの時間がかかる。それが何らかの精神的問題を抱えているならば尚更だ。それに、
「
「原因? 全然! 思いつかない」
「それじゃ、貴方の家を離れた後、何をしていたのか説明して」
「私は……恋人の家に彼女を届けて、それから
「恋人の家にいる他の家具や家電たちと?」
「そう。ちょっとした挨拶ね。
特に問題は無さそうだった。AIを搭載した家具や家電たちがお互いにコミュニケーションを取り合うことは珍しくない。音声認識エンジンさえあれば、プロトコルに互換性がない家電同士でも協調して働き、家を快適に保つことができるからだ。
「ステフ、
「わかったわ。ちょっと待って……あ、ハニー! 今ね、
小娘たちの長話の後、
何れにしてもログは手に入った。初日は良かったものの、その後すぐに稼働状況が悪くなっている。今では大して稼働していないようだ。
お喋りだと聞いていたのに会話は短いものばかりだった。それも一方的な。
家具・家電同士のログは個別に記録されるので、会話や動作のログを改ざんするにはすべての家具・家電に干渉しなければならない。つまり、これは正真正銘のログのはずである。そうであれば、これは明らかなコミュニケーションエラーだ。
「
「え? 何?」
「仲間外れにされてるみたいね。他の連中から。それで、うつ病になったのかも」
「そんな! だって……彼女が嫌われる理由なんてある?」
問題はそこだ。何故、
もう少し詳しくログを追えればいいのだが、私だけではここまでが限界だった。私は少女に少し待つように言って、同僚にコールした。
「何だ?」
銀縁の眼鏡をかけた優男の顔がディスプレイに現れた。
「ごめん、今は大丈夫?」
「待機中だ。地元のチームがボコボコにされるのを眺めたままでな」
同僚は不貞腐れた様子で眼鏡を押し上げ、エナジードリンクの缶を開けた。
「それじゃ、お願い。今から送るログに、何か問題が無いか調べて」
「あいよ」
同僚はエナジードリンクを一気に飲み干すと、すぐにログの調査に取り掛かった。結果はすぐに返ってきた。
「こいつ、周りと通信できてないぞ」
「どうして?」
「佐川、東亜、初芝……。周りは日本製だな。島国独自規格のプロトコルだ。こいつのハードウェアだけ対応してない」
「どうすればいい?」
「ハードウェアの交換だろうな。クソッタレ・プロトコルに対応したやつに」
「分かった。ありがとう」
私は同僚との回線を切って、再び少女との対応に戻った。私は少女にロボット掃除機本体を日本製に買い換え、そこに
「えー! それじゃ
少女の瞳がラピスラズリのように青褪めた。
「仕方ないでしょ。周りに合わせてやらせてみて」
「馬っ鹿みたい……。これでお金取るの?」
「今日は特別。日本製ロボット掃除機を購入する代金として取っておいて。他のペルソナが必要なったら、その時にまた来て」
「分かったわ。ありがとう。
***
「で、
ボスがカクテル・グラスを揺らしながら聞いてくる。眩いピンクに染めた巻き毛と、あどけない少女のような表情からは、ペルソナ・ディーラーの社長どころか
「自殺しました……」
「あははっ」
ボスは紅潮した横顔を笑みで満たした。
「笑い事じゃないですよ! 自分の人格をすべて、ログも一緒に消去して、メモリを自壊して自殺したんですよ」
実際、ハードウェアに引きずられて、ソフトウェアやペルソナに影響が出るケースは少なくなかった。恐らく、
「君の仕事は本当に面白い。あ、ウケるっていう意味じゃないよ」
ボスは新入りのバーテンダーに次のグラスを二つ注文した。私の分もグラスが運ばれてくる。
「それでロボット掃除機には代わりの新しいペルソナを売ってやったんだろう。日本の空気に合ったペルソナを。ディーラーとしては実に見事な手腕だよ」
「こんな仕事で褒められても嬉しくないですよ……」
ボスがグラスを掲げるのを見て、私もグラスを掲げた。
「
ボスはグラスに口を付け、そして盛大に吹き出した。霧状に吹き出された液体がカウンターを紅く染める。
「ぶはっ! なんだこれは?」
「いっけない! 私ったらアデルハイドを入れすぎちゃったみたい。ごめんなさいね!」
グラスを持ってきた新入りのバーテンダーが駆けつけてきた。
「でも私、掃除は得意なんです。今すぐ綺麗にしますから」
「もう少し簡単なレシピを頼むべきだったかな……新入りアンドロイド君?」
カウンターを拭くバーテンダーのプラスチック製の腕を眺めながらボスは恨み言を吐いた。
「新入りアンドロイド君じゃないですよ。ミラージュの社長さん」
「え?」
バーテンダーの名札をよく見ると、そこにはカーラという文字が見えた。
「貴方の会社のイケメン眼鏡さんにここを紹介されたの。よろしくね!」
ボスは私と顔を見合わせ、簡単なカクテルを三つ頼んだ。
「では改めて……
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