ペルソナ・ディーラー

海野三十三

オルター・エゴ

 耳障りなビープ音がヘッドセットから響き、私の意識を微睡みから覚醒させた。客からのコールだ。私は自分の腕に目をやって時刻を確認した。約束の時刻から大きくずれている。皮膚の筋電場を動力にする生体腕時計は、カプチーノ一杯より安いポーランド製のクズだった。


 埃の溜まったディスプレイに、健康的に日焼けした男の顔が映る。ブランド物のサングラスをかけ、真っ白な歯を見せつけるように笑顔を浮かべたその顔は上流階級アッパークラスに位置する人間特有のあり余る自信に満ちたものだった。


「この度はミラージュ・ペルソナ・サービスをご利用いただき誠にありがとうございます。ご用件をどうぞ」


 私はヘッドセットマイクに向かっていつものように極めて事務的に、しかし営業用の明るいトーンで話しかけた。


 客の要望に合わせて自分自身もカメラに顔を映してはいるが、それは巧妙に偽装したアバターだった。ディスプレイ越しの客の下には、容姿端麗な架空の女の姿が届いているはずだ。

 ただし、そのアバターも客がコンプレックスを抱かない程度にあえて整形されている。そして、音声も耳障りが良いだけの没個性的な声に調律されていた。


 今の私はカメラの前で肘掛け付きのゲーミングチェアに腰掛け、背もたれを傾斜させていた。こんな業務態度でもアバターは自動的に畏まったキャリアウーマンを演じてくれる。体勢だけは気楽なオフィスだ。


「ありがとう。まずは担当している君の名前を教えてくれ」


 男は笑顔のまま穏やかに述べた。私は咄嗟に面倒な客だと心の中で舌打ちしたが、すぐに頭を切り替えた。


「本日の担当はメアリー・ミラーです」


「ミラーは鏡? それとも粉挽き?」


 私はあえて少しの間、黙ったままにしておいた。この男が調子に乗っている自分の愚かさに気付くのを待つために。


「いや、答えなくていい。余計なお喋りだったね」


 男は笑顔を崩して、私が聞く前に自分の市民IDと紹介状のパスコードを送信してきた。手元の端末が解読した紹介状の内容をディスプレイに吐き出す。紹介状には常連客の名前が書かれていた。私の脳裏にAI中毒マニアの神経外科医の白皙はくせきとした顔が浮かんで消えた。


「友人から御社は優秀なペルソナ・ディーラーだと聞いてね。是非とも相談に乗ってもらいたいんだ」


 うちは老舗でも大手でもない、ボスを含めて3人のしがないペルソナ・ディーラーだ。顧客の要望に合わせてAIの人格を仕入れて売り捌くのが仕事だ。AIよりまともな人格の客が金を落としてくれれば有り難いが、往々にしてこの手の商売は詐欺師と軽犯罪と面倒事のオンパレードだった。


 だから、こうして紹介制にしてあるのに、あの神経外科医はこの『隠れ家』をセレブ御用達の会員制クラブとでも勘違いしてしまったらしい。しかし、規則は規則だ。あくまでミラージュここの信用が傷つかない程度に、紹介されてきた客の要望は聞いておかなければならない。


「ありがとうございます。ミスター・リー。早速ですがご用件は?」


「オルター・エゴだ。珍しい注文じゃないだろう」


 確かに珍しい注文ではない。しかし今時、単なるオルター・エゴを欲しがる客は少ない。自分自身と睨めっこして面白がるのは、何らかの精神疾患を抱えている奴くらいだ。


「どなたのオルター・エゴをご希望ですか?」


「私自身だ」


「カスタマイズのご希望はございますか?」


「無い。過不足無しだ。余計なサービスも、欠点の修正も。まさしく私の人格が、生き写しが欲しい」


「なるほど……」


「見積もりは時間だけで構わないよ。費用は友人からだいたい聞いているからね」


 恐らくこの男は、今の仕事で猫の手でも借りたくなるほど多忙を極めているのだろう。それできっと友人の神経外科医から「自分を増やして仕事を手伝わせればいい」とでも吹き込まれたに違いない。だが、自分そっくりのAIなんてものは十中八九、誰だって持て余すものだった。


 私は仕方なく、男に対して本来の仕事に取り掛かることにした。


「ミスター・リー。少々お伺いしてもよろしいですか?」


「何だね」


「ペルソナの用途には、どのようなシーンを想定していらっしゃいますか?」


「メインはビジネスのミーティング。あとは監査のチェック。下らない手続きの承認。それから……メディア向けのインタビューだろうな」


「ご自身の代わりに、ペルソナがお仕事を?」


「その通り」


 やはり。そう来ると思った。


「過去の導入事例をお話しさせていただいてよろしいですか?」


「私だって馬鹿じゃない。先にWebで調べたよ」


「失礼ですが、どのような事例を」


 男は大手のペルソナ・ディーラー、ボストン・ペルソナInc.が自社のマネージャーたちのAIを仕入れて、仕事を肩代わりさせたことについて話した。大手だから検索のトップに出てきたのだろう。ペルソナ・ディーラーであれば誰でも知っている有名な話だ。


 マネージャーのAIを搭載したアンドロイドたちはマネージャーそっくりに仕事をこなした。要するに人員が倍になったわけだ。しかも、コストは生身のマネージャーほどはかからない。アンドロイドたちはトレーニング不要で、生身のマネージャーが働けない時にはバックアップにもなる。

 実に素晴らしい"ソリューション"だとボストン・ペルソナInc.は宣伝していた。


 これに食いついた会社は多かった。中には優秀なマネージャーのAIを使って、生身のマネージャーのうち成績の悪い者と入れ替えてしまう会社まであった。しかし、自分の立場を奪われることを危惧したマネージャー層の反発によって、結局、この取り組みはあまり広まらなかった。


 当然だろう。今までの経験と知識だけをアンドロイドに流用されて、自分はお役御免にされてしまうのだから。


「ボストン・ペルソナInc.には今回の件をご相談になられましたか?」


「いや。そんな大規模な注文ではないからね」


「それでは弊社の事例をご紹介させていただいても?」


「参考にしよう。ただし、手短に頼むよ」


 私はプライバシーチェッカーによって個人情報を隠匿したファイルを男の端末に送信した。


「これはお客様と同様のご希望でオルター・エゴをご購入された方の事例です」


「……」


 サングラス越しに男の目が細まるのが見えた。


「会社の乗っ取りか! 面白い。自分自身に自分の会社を操られるなんてな」


「監査のチェックをAIに任せるのはお薦めできません。AIがCFO最高財務責任者を兼務して、AI独自の取締役会を作って、いずれ会社の株を売却する可能性があります」


「では会計士のAIでも頼めとでも?」


「無理にとは申しませんが、保険をかけるべきかと」


「保険?」


「重要なのはAIの立場です。会社を意のままにできるような権利を与えるべきではありませんね」


 自分自身のことを分かったつもりでいる人もいるが、たいていは勘違いだ。人は自分自身にすら欺かれる。勝手な理屈を脳が生み出し、記憶を書き換え、そして感情まで制御してしまうように。


 だから、自分であればこのように動くはずだと考えるような、現実主義者リアリストの経営者ほど危ない。AIが自分の生き写しであれば、自分の裏をかいて自分自身を騙すことも当然起こってしまう。過去の事例では別の会社に株を買い取らせてAIの取締役会を解散させたが、そこにペルソナ・ディーラーが立ち入る隙は既にない。そこまで事が進んでしまったら、後は会計士と弁護士の仕事だ。


「だとすれば、AIを広報担当者にでも就任させて、オフィスにそっくりのアンドロイドを立たせておけばいいのかな。だが、それでは私の仕事は軽減されない」


 男はわざとらしく大きく肩を竦めて見せた。嫌味な奴だ。


「ミズ・ミラー。君にはそうは見えないかも知れないが、私にだって家族がいて、妻も息子も娘も、毛むくじゃらのジョンだって愛している。しかし時々……家族を幸せにするために仕事をしているはずなのに、矛盾した結果を招いてしまうんだ」


 男はサングラスを外してカメラを真っ直ぐに見つめた。


「君はパートナーがいるかい?」


「申し訳ありません。プライベートな話はご遠慮いただきたいのですが……」


 手短にと言ったくせに、男は図々しく話を続けた。ここは高級ホテルのバーカウンターでも心療内科のカウンセリングルームでもない。それでも一応、仕事として話は聞いておかねばならない。


「別に答えなくていい。これはただの独り言だ。家族に愛想を尽かされて、金に執着している人間だと思われたくない。ただ、大切なものを取り戻す。そのために時間が必要なんだ」


「……」


「私は……妥協しないつもりだ。私のオルター・エゴが欲しい。そして、オルター・エゴにも私と同じ役目をさせる。注文は以上だ」


 どうやら、この男には私の忠告は無駄だったようだ。しかし、彼がペルソナ・ディーラーの手配したAIを使ってどうなろうが、AIを作った企業にもミラージュ私たちにも責任はない。


「本当によろしいのですね?」


「早めに見積もりを頼むよ」


「承りました。ミスター・リー。ご提示いただいた市民IDから個人情報をお預かりいたしますので、後ほど同意書のサインをご返送いただきますようお願いいたします。本日はミラージュ・ペルソナ・サービスをご利用いただき、誠にありがとうございました」


 私が最後まで言い終える前に、男はカメラを切っていた。



***



「で、その会社はどうなったんだ?」


 ボスがカクテル・グラスを揺らしながら聞いてくる。眩いピンクに染めた巻き毛と、あどけない少女のような表情からは、ペルソナ・ディーラーの社長どころか堅気かたぎの人間の雰囲気すら感じさせない。場末のバーのカウンターには私とボス、そして同僚の三人しか座っていなかった。


「男はとある会社の社長だったんですが、手配したオルター・エゴを搭載したアンドロイドは仕事をせずに失踪してしまいました」


「あははっ」


 ボスは紅潮した横顔を笑みで満たした。


「あ、分かった。それでアンドロイドは彼の家族の下に行ってしまったんだろう? 違うかい?」


 私は大きく頷いた。


「そうなんですよ。男はオルター・エゴに同じ役目をさせるなんて言ってましたけど……苦情も言ってこないし、変ですよね」


「その社長さんは、たとえアンドロイドでも愛する家族が自分と過ごせれば、それで良かったってことなんじゃない?」


 ボスの隣で人造オリーブをつついていた同僚を口を挟んだ。


「仕事から逃れるのが自分でもAIでも、問題無かったってこと?」


 同僚はいつものように眼鏡を押し上げながら「そういうことだろう」とだけ呟いた。私は釈然としない気分でカクテル・グラスを傾けた。

 どうやら生身の人間が仕事の悩みから逃れるには、カクテル・グラスの底が眺められるまでアルコールを摂取するしかなさそうだった。

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