第9話 「へ、完結してますよ?」
「へ、完結してますよ?」
「え」
「え? あ……わたし、小説自体は手元で完結してからじゃないと世の中に出さないひとなので。ユノちゃんみたいに書いたところから連載に回すって出来ないんですよね」
わたしにとって、作品は我が子も同然なんです。そんな可愛い子たちを
翌日『アオハル×メイカーズ』の進捗状況を聞きに来た彩花に、あっけらかんとパソコンより手前に向かって執筆活動……ではなく液晶タブレットでイラストの方の絵描き活動をしていた唯子は言った。その時も絶えず手は動いていることから、イラストの方の進み具合も順調なのだろう。にしても。
「イラストもご自分で描かれてるんですよね?」
「? そうですよ?」
「……就職してないんですか?」
「なに言ってるんですか! わたしには! この、
「つまりはニートなんですね。……都合がいいな」
「都合がいい?」
「先生、そういうときは聞こえないふりをするものです」
イラストを描くためのペンを置き、くるりと椅子の上にのったまま振り返る心外だと言わんばかりの唯子に。呆れたみたいに青い目を閉ざして、眉間に寄せたしわをほぐすようにもみこむソファーに座った彩花がいた。唯子がどんなに尋ねても結局、聞こえないふりをする意味は教えてもらえなかったが。
ちなみに10時頃に血が滲み、もはや真っ赤な包帯でやってきた彩花の右手を5度見くらいした唯子が「彩花さんの綺麗な手が~」「神の創りたもうた最高傑作が~」と泣きながら。ぷるぷる震える小さな手で包帯を取り、唯子の家にあった包帯と交換してくれた。痛いのは彩花の方なのに、間違って強く握るたびにひゃあ! だの痛い! だの声を上げていたのは唯子だった。
当然、手が小さく握力も弱いためよれよれになってしまったが、それでもどこか嬉しそうに小さく笑った彩花に。(心理的に)無理を押してでも交換してよかったと思った唯子。
ぽつりと呟いた彩花の言葉は当然のように拾われていて、内心舌打ちしながら。彩花は表情一つ崩さずに言い放つ。
「ご自覚がないようなので言いますが。先生はこれから、WEB月刊連載誌K:yom-zの専属作家として作品を手掛けてもらいます。ここまではいいですね?」
「は、はい!」
なんか真面目な話になりそうだぞと、イスの上で正座した唯子。正座まではよかったのだが、その過程でイスが揺れに揺れていてイスごと倒れるんじゃないかと心中穏やかではなかった彩花だが。ほっと息をつく。イスの上で正座するくらいなら頼むから床で正座してくれと思ったのは仕方がないことだろう。
しかし、これだけは言わなければと心を鬼にして。目の前のどう見ても幼女の29歳に向かって言う。
「先ほども言いましたが、先生にはこれから、WEB月刊連載誌K:yom-zの専属作家として作品を手掛けてもらいます。だから、今現在就職されていると作品を手掛けるのに時間的な妨げになるのではないかと思った次第です」
「あ、なるほど。だから都合がいいんですね!」
「……そうです」
本当はそれだけじゃないけれど。ふと心の中で呟いた言葉は、さすがの唯子にも聞き取れなかった。逆に聞きとれていたら、一生……いや、あと2年はこのひとの側に近寄れないななんて考えつつソファーから立ち上がって。唯子の正座している作業イスの前に行く。
目線をあわせるように跪いて。手を下から差し伸べながら、ちょっと上になってしまった唯子をゆるく見上げる。そのまま少し首をかしげるとさらりと長い前髪が右に流れる。
「だから先生、どこにも
「ぐぼふぅ!!」
「先生!?」
正座したまま、勢いよく前に飛び跳ねた(危険行為)唯子曰く。顔面が凶器だったと。太陽神アポロンすら嫉妬するほどにまばゆい顔面がさらに輝いていて、なおかつそこにきゅるるんとした子犬的な可愛さも含まれていたと。
なんとかスカイプでそこまではユノに伝えようと決心したのだった。
前に飛び跳ねた身体は意図せずとっさに広げた彩花の腕の中に落ちた。それだけで思考が止まって、次の瞬間にはdんbfvfちゅいおkmんbgjとバグったのだから。
どくんどくんと温かい鼓動に包まれて、なぜかは知らないけどぎゅっと一瞬抱きすくめられて。すっと息を吸い込む音が聞こえたと思ったらからだを離され。
「なにしてるんですかっ! 危ないってことわかってます!? もしぼくがいなかったら、先生顔面からフローリングに突っ込んでたんですよ!?」
「え……あ、あの。ごめんなさ」
「ごめんなさいじゃすまないんです! わかってますか! いえ、わかってないですね。だからあんな軽率な行動が……というか前から思っていたんですけどなんなんですか? あの突飛な行動は! 先生は人類の奇行種ですか!?」
めちゃくちゃ叱られた。
途中人類の奇行種という言葉に、彩花さん進撃のジャイアント知ってるんですか!? 面白いですよね! と話を逸らそうとして、さらに怒りに油を注いでしまった結果である。
最終的にはガチ泣きした29歳幼女に泣いても許されるとは思わないでくださいとぴしゃりと告げた16歳に、もうしませんと念書をかかされて話は終わったのだった。
で、気がつけば10時ごろに来ていたはずの彩花は15時を回っていて。16時から会議があるのだという彩花に。
できている原稿は全部渡しますね、と『アオハル×メイカーズ』の入っているファイルを取りに棚に向かえば即座に却下され、原稿用紙50枚分でいいと言われた。とは言われつつもファイルを持ちながらクエスチョンマークを浮かべる唯子にソファーに座る彩花は、長い前髪で顔を隠そうとでもするようにうつむいて。
「……じゃないです、か」
「へ?」
「原稿全部受け取ったら先生に会いに来る理由、なくなっちゃうって言ってるんです!」
「え……」
「ファンなんですよ! 先生と仕事がしたくてこの業界に入りました! だから先生と会えなくなるのは嫌です!!」
「ふぇあ!?」
元々の肌が白すぎるのか耳まで真っ赤になりつつ、彩花の潤んだ青い目で睨むように見られて。ずるりと唯子の縁の太い黒メガネが下がった。同時にまたロケットのように後ろに斜めるが、念書を忘れてないでしょうね? といわんばかりに念書を見せつけてきた彩花にとまる。
ふぇ……あう……ふにゅ……。意味の分からない声で鳴いて震えている唯子に、ソファーから立ち上がりずんずん近づいてくると彩花は顔を隠すようにしていたファイルを取り上げ、千五百枚近くある分厚いファイルの中からきっかり50枚だけ抜き出して唯子に返す。ファイルをきゅっと抱きしめて、もじもじしている唯子の雰囲気に耐えられなくなったのと会議の時間が迫っているため彩花は。
「……先生、今日はこれで失礼します」
「ふぁ! は、はい!」
原稿用紙を持ってきていたビジネスカバンの中の茶色い封筒の中に大事そうに入れて、失礼しますともう一度声をかけてからリビングを抜け廊下を通り玄関まで彩花がたどり着いたところで。
唯子ははっとした。あの彩花がファンだなんて嬉しいことを言ってくれるから忘れていたが、今日呼んだのは原稿を渡すためじゃない。
作業台の上に置いておいたそれをひっつかんで急いで彩花のもとまで駆けていく。そのために今日はちゃんと原稿と一緒に用意しておいたんだから。
「彩花さん!」
「……なんでしょう、先生」
「これ!」
「? 鍵?」
「この家の合い鍵です! だから管理人さんに言ったり、わたしがでられなくても入っていいですよ!」
「それは……さすがに。でも、受け取っておきます、ありがとうございます」
ぺこりと髪が隠してくれている耳までまた赤くしながら、頭を下げると。いいえーとほのぼのした甘い声が返ってくる。このひとの危機管理能力ほんとに大丈夫かな、と真顔になりつつ受け取った鍵をなくすことのないように自宅のキーホルダーにつけると。彩花は足早に帰っていった。
さよーならー!! と元気いっぱいにまるで学校の先生に言うみたいに元気に言う29歳児にため息をつきながら、扉が閉まった先では。きっとどちらも気づいていない。そのため息が重なったことに。
唯子の方は、初めてのファンだと言ってくれる一号にへなへなと玄関マットの上で座り込み両手で口元を押さえながら顔を真っ赤にし。彩花の方は自宅のキーと並んだ唯子の部屋のキーを太陽にかざしながら。
((心臓に悪い……))
思ったことは一緒だった。
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