第19話 三つ巴の愛憎
体育館裏、
最悪の展開に色を失っている俺の目の前で、三人は睨み合っていた。いや、睨み合っているだけならまだマシだ。彼女たちの手には、誰一人として例外なく凶器が握られていた。
「お前たち、なにしに来た!」
香澄が怒声を響かせる。
「あなたが私の俊くんを
みどりちゃんは冷たい口調で香澄に言うと、
「俊くん、もう大丈夫ですよ。そこでゆっくり休んでいてください」
俺に優しく微笑みかけた。刹那、二人にピストルを構える。
「あぁ? 俊センパイはボクのものだし、ボクたちは恋人どうしで愛し合っていただけだ」
「恋人? マヌケな言動は慎んでください」
「バカなのはお前の目だろ。どう見たってボクとセンパイは恋人だろうが。ね、センパイ!」
香澄が俺に声をかける。
「ふふっ、頭の弱い女たちね。俊ちゃんにあなたたちの姿なんて見えてないわよ」
「は?」
香澄がイラついた視線を葵ねぇに向ける。
「だって、俊ちゃんさっきからあなたたちの声に反応してないじゃないの。私のことをずっと見てくれているわ」
葵ねぇは余裕の笑みを浮かべ、俺に言った。
「待っててね俊ちゃん。この女たちを片付けたら、一緒にお家に帰ろうね」
「チッ……どいつもこいつも邪魔だなぁ。ボクがセンパイと愛を確かめ合っていたっていうのに、しゃしゃるなよ」
そう口走る香澄の目は血走っている。
「あら、奇遇ですね。私もあなたたちのことが
みどりちゃんの表情が陰る。
「私も、前々からあなたたちのことが憎たらしかったの。俊ちゃんのまわりをチラチラしやがって」
葵ねぇの笑みは不吉そのものだった。
「それじゃあどうですか? この場で邪魔な存在を消すというのは」
みどりちゃんが不穏な提案を二人に投げかける。
「あなたに言われなくたって、最初からそのつもりよ」
「はぁ~、やっとゴミどもを処分できる。嬉しいなぁ」
三人は凶器を構え、狂気を
──ふと、夏場にそぐわない一陣の風が吹いた。それはどこか冷たく、そして重ったるい印象を俺に植え付けた。
「消えろ!」
「失せなさい!」
「処分してやるよ!」
次の瞬間、三人が火花を散らす勢いで激突した。
「まずはお前だ! 今までの決着、今度こそつけてやるよ!」
香澄が葵ねぇに飛びかかり、斧を振り下ろす。葵ねぇはにべもなくそれをかわすと、
「キィーキィーうるさい害虫ね。気分が悪くなるからさっさと駆除しましょう」
香澄にナイフを突き刺す。
「どこ狙ってんだよ!」
香澄がナイフをかわした瞬間、学園では決して聞こえるはずのない銃声が響き渡った。
しかし、香澄は驚くべき反射で銃弾を
「チッ、遠距離から
香澄がみどりちゃんに接近。みどりちゃんが射撃で応戦するも、香澄はたやすく
「消えろ!」
みどりちゃんがバックステップで斧をかわしたのと同時に、香澄の頭上に刃物が姿を出す。
「だから当たんないって言ってるだろ!」
香澄が斧でナイフを弾くと、葵ねぇはやや距離を取って着地した。
「まったくしぶとい連中ですね。どうして私と俊くんの愛の邪魔をするんでしょう」
銃口を構えながらみどりちゃんが言う。
「あなた、俊ちゃんと知り合ってたった二ヶ月じゃない。俊ちゃんはあなたのことなんて覚えてないわよ」
「ふふっ、時間だけ食ってるくせに俊くんに見向きもされないおばさんの嫌みですか?」
葵ねぇが、神速でみどりちゃんに突っ込む。みどりちゃんの発砲がかすったかと思えば、葵ねぇのナイフもみどりちゃんの腕をかすった。
「私は俊くんとホテルで一夜を共にしたことだってあるんですよ」
「お前……! あの日のことは絶対に許さないからな!!!」
怒りに裏返った声で葵ねぇは叫ぶと、ナイフを突き出した。それを避けようとした瞬間、みどりちゃんは背後に回り込んでいた香澄に斧で殴られた。なんとか腕でガードするも、怪力に吹っ飛ばされてしまう。
「私のことが羨ましいんですか? 羨ましいんですよね?」
みどりちゃんは起き上がると、素早く二度発砲した。
「あの夜は楽しかったですよ。俊くんとあんなことやこんなことをして……」
なおも銃声が響く。
「それだけじゃありません。俊くんとデートしたり、俊くんのお部屋にもお邪魔しました」
「黙れ!」
香澄の攻撃をかわし、彼女の頬を殴るみどりちゃん。
「俊くんとたくさん愛を育みました。俊くんと裸で触れ合ったり、俊くんと私の腕を繋いだり、それから……俊くんにおそろいの傷を刻み込んだり♡」
「絶対に許さない……!!!」
飛びかかる葵ねぇに発砲しようとするも、弾切れを起こしたようで、
「チッ……」
舌打ちしたみどりちゃんの頬をナイフが
「あなた、偉そうに問わず語りしているけど、そんなの自慢にもなってないわよ」
「はぁ?」
弾丸を
「だって私は、俊ちゃんと毎日一緒に夜を過ごしているもの。毎晩毎晩、寝ている俊ちゃんのお耳に愛をささやいているの。もう何年もね」
なんだって……!? 葵ねぇが今まで毎日、俺のベッドに侵入していたというのか!? そんなの、俺は知らないぞ……!
「私が世界で一番俊ちゃんと長く一緒にいるのよ。俊ちゃんの思い出に一番色濃く刻まれているのは私なの」
みどりちゃんの二度の発砲も、あっけなくナイフで弾く。
「何回も一緒にお風呂に入っているから、お互いの裸は知り尽くしているし、毎食ご飯を作ってあげているから、俊ちゃんの体内は全部私で構成されているの」
「いい加減黙れ! お前の喉、潰してやるよ!」
全力で香澄が振り下ろした斧を、ナイフで受け止める。
「俊ちゃんは私にいっぱい愛をくれたの。だから今度は、私が愛を返してあげる番なの。その証拠が……私と俊ちゃんの、運命の赤い糸♡」
葵ねぇは甘ったるい声でそう言うと、香澄の腹部を蹴り飛ばした。
「やたらと吠えているけど、あなたは俊ちゃんとなんの思い出もないじゃない」
「あぁ!? ボクが俊センパイと一番濃密な時間を過ごしているだろうが!」
香澄が怒りに任せて斧をブン回す。葵ねぇは器用にそれをナイフで受け流す。
「ボクが誰よりも先にセンパイとデートしたんだ! 俊センパイのはじめてのデートの相手はボクだ!」
香澄の声を掻き消すかのように放たれた銃弾。それを香澄はバッティングのごとく斧で打ち返してみせた。流れ弾がみどりちゃんの革靴をかする。
「センパイはなぁ、自分の意思でボクの部屋に来たんだ。ボクの部屋で、たくさん愛という名の痛みを与えてあげたんだよ♡」
続けざまに香澄は葵ねぇの
再び、三者が睨み合う。
「さっきからごちゃごちゃうるさいけどさ、センパイはボクのものなの。お前たちが触れていい存在じゃないの」
「あなたはどこまで愚かなのかしら。俊ちゃんは私のものよ。生まれたときからそう決まっているの」
「それは断じて違います。先程から聞き分けのない連中ですね。俊くんは私のものです」
全員がわけのわからない勘違いを口にしている。俺は誰のものでもない。しかし、このひりついた窮地を前にして、俺はまったく声が出せなくなっていた。
「チッ……本当にウザったいんだよお前ら! いい加減認めろよ! センパイはボクのもので、ボクはセンパイのものなんだよ!!!」
香澄は煮え切った怒声を上げると、みどりちゃんに斧を振り下ろした。
「お前らも見ていただろ! ボクとセンパイが痛みを与え合っていたところを……ボクとセンパイがたった今、恋人どうしになったところをさぁ!!!」
一撃をかわしたみどりちゃんのお腹に、なんと香澄は斧を思いっ切りブン投げた。
「ぶはっ」
至近距離から豪速球で投げられた斧を食らい、さすがのみどりちゃんもダメージが大きい。
「ボクとセンパイはもう立派なカップルなんだよ! センパイが犯したい女は、他でもないこのボクだ!!!」
背後から忍び寄っていた葵ねぇの足を斧の刃で殴る香澄。
「チッ……!」
葵ねぇの顔が痛みに歪む。
「センパイ! 大好きですよセンパイ! 愛していますよセンパイ! やっと恋人どうしになれたんです、二人でコイツらを始末しましょう♡」
香澄が屈託のない笑顔で俺にそう言った。でも、俺はお前と恋人になった覚えはない。
刹那、一発の銃声が耳をつんざく。
見ると、香澄の脇腹が赤く染まっていた。
「あぁ……?」
「聞こえない、聞こえないですよあなたの
香澄にそう吐き捨てると、みどりちゃんは弾を込めながら葵ねぇに接近する。
「いいですか? 俊くんの恋人は紛れもなくこの私です。俊くんと対等でいられるのはこの私だけなんです」
ナイフで迎撃しに来た葵ねぇの左腕を、みどりちゃんの放った銃弾が貫いた。直後、脇腹を狙撃されたはずの香澄がみどりちゃんに襲いかかる。
「私が一番最初に俊くんに告白したんです。そして俊くんは、私と恋人になることを受け入れてくださいました。その証拠が、この左腕の傷跡」
自身の左腕を眺めながら、ノールックで香澄の左肩を撃ち抜くと、みどりちゃんは俺のほうを見た。
「俊くん、心の底から愛しています。そして、俊くんも私のことを愛してくださっているのも、痛いほど伝わっていますよ。これが終わったら、二人でたっぷり愛し合いましょうね♡」
俺の気持ちを勝手に決めつけるな……! 恋人になるなんて言ってない!
「それで……あなたたちの必死のアピールも、これで終わりかしら」
葵ねぇが、上品にスカートをはたきながら起き上がった。
「私も上級生として、後輩の決して叶わない恋を見届けてあげようと思ったのだけれど……もうその必要はないわよね」
まるで今までのダメージを感じさせない、余裕の表情だ。
「醜い女たちが恋に敗れるさまを見るのは、とっても気持ちがいいわね。これが優越感というものかしら」
葵ねぇはそう言うと、みどりちゃんに接近を仕掛ける。
「最初にデートしたとか、最初に告白したとか、どうしてそんな嘘が言えるのかしら」
迎え撃つみどりちゃんの発砲。あろうことか、葵ねぇはその銃弾をナイフで真っ二つにした。
「俊ちゃんとはじめてデートしたのも、俊ちゃんにはじめて告白したのも、この私なのよ」
みどりちゃんの足を払い、体勢を崩した彼女の
「ぐっ……!」
「考えてみなさい。俊ちゃんが生まれたその日その瞬間から、私と俊ちゃんは恋人になったのよ。俊ちゃんの人生は、全部全部私の恋人として過ごした時間なの」
葵ねぇと香澄が同時に走り出した。
「デート? 告白? そんなものは、俊ちゃんがお母さんの子宮で眠っているときにもう済ませているわ」
ナイフと斧が交錯する瞬間、激しい金属音が飛び散った。
「本当に頭の貧しい連中。どう足掻いたって叶わない恋なのだから、さっさと諦めて俊ちゃんの前から失せればいいのに」
葵ねぇがナイフで斧をいなす。バランスを崩した香澄の腹部を、容赦なく切り裂いた。
「くはっ!」
香澄が吐血しても、葵ねぇはまるで興味を示さない。
「俊ちゃん、本当に大好きだよ。この世に生まれてきてくれて……お姉ちゃんを恋人に選んでくれてありがとう。二人で絶対に幸せになろうね♡」
葵ねぇが、胸元のペンダントを握りしめながら俺に言った。ふざけるな。どうして俺の人生を、葵ねぇが決定してるんだよ……!
「あぁぁぁ……」
「あぁぁぁぁぁ」
「アァァァァァッッッ!!!」
そのときだった。突如、香澄が怒り狂った声を挙げて、葵ねぇに連続攻撃をけしかけた。
「センパイはボクのものボクはセンパイのものセンパイはボクのものボクはセンパイのものセンパイはボクのものボクはセンパイのものセンパイはボクのものボクはセンパイのものセンパイはボクのものボクはセンパイのものセンパイはボクのものボクはセンパイのものセンパイはボクのものボクはセンパイのものセンパイはボクのものボクはセンパイのものセンパイはボクのものボクはセンパイのものセンパイはボクのものボクはセンパイのもの」
タイミングを見計らったかのように、無数の銃声が響き渡る。
「俊くん、次はジェットコースターに乗りましょう。え? オムライスが食べたいんですか? それなら、私があーんしてあげます。はい、あーん。これが食べ終わったら、二人でホテルに行きましょう」
みどりちゃんは、無秩序に銃を乱射しながら妄言を吐いている。
「あっははは! いっひひひ! 俊ちゃん大好き!!! 俊ちゃん愛してる!!! 俊ちゃん俊ちゃん俊ちゃん俊ちゃん俊ちゃん俊ちゃん俊ちゃん俊ちゃん俊ちゃん俊ちゃんあっははははは!!!!!!!」
葵ねぇはといえば、おぞましい笑い声を挙げながらナイフを振り回している。
誰一人として、その瞳にハイライトはなかった。
「殺しまぁーす。俊くんと私の恋路を邪魔する女は、一人残らず殺しまぁーす」
みどりちゃんは
「殺す♪ 殺す♪ 殺す♪ 殺す♪ 殺す♪ 俊ちゃんに
葵ねぇはリズミカルに口ずさみながら、ナイフとは思えない
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
香澄は、まるで操り人形のような狂気を放ち、片手で斧を振り回していた。
「なんだよ、これ……」
目の前で繰り広げられるむごたらしい殺し合い。耳を刺す異音。飛び散る血液。そして、心臓をえぐるような狂気に、俺は後ずさっていた。
「もう、害虫ばっかりで本当に嫌になっちゃうわ。俊ちゃんのお世話をしてあげないといけないのに」
「楽しみです。俊くんとベッドの中で愛を育むまで、あと少し」
「これが終わったらセンパイに犯してもらえる……いっぱい首を絞め上げてもらえるぐへへへへへ」
一瞬の静寂が訪れた。
悪寒に呑み込まれるような最悪な予感。
「やめろ……みんな、もうやめるんだ……っ」
なんとか声になった言葉も、誰の耳にも届いていない。
「俊ちゃんと私の赤い糸を断ち切ろうとする女は──」
「俊くんと私の傷を掻き消そうとする女は──」
「俊センパイとボクの痛みを理解できない女は──」
三者が凶器を構えた。
再び吹き抜ける一陣の風。
全員が地面を蹴って走り出す、激突の瞬間。
「「「死ね!!!!!!!!!!!!!!!」」」
ドゴォォォォォン……!!!!!
「………………は?」
刹那、到底信じ難い光景が、俺の視界に広がった。
大音量の
三人の狂気を無にした。
「あおい、ねぇ……みどりちゃん……か、すみ……?」
無数の鉄パイプの下敷きになって、三人の姿はまったく見えない。
大丈夫……なはずがない、無事なわけがない。すぐに助けないと……!
震える足で、三人のところへ歩み寄る。
ミシミシミシ……
異音につられて、上空に目をやる。その瞬間──
ガッシャァァァァァン!!!!!!!!!!
工事現場のクレーン車が、無慈悲にも目の前に落下した。
聞いたこともないような音。ぐしゃぐしゃになった鉄パイプとクレーン車。その下で、音もなく影もなく地に伏しているであろう三人。
「ぁ……うっ、ぁっ……」
声なんて出ない。足なんて動かない。なのに、恐怖心だけはしっかりと機能していて、空っぽになった俺を
「はっ……あぁ……あぁぁぁ……!」
俺はその場から逃げ出した。怖くなって、三人を見捨てて、逃げ出した。
なんでだよ……なんなんだよ……どうしてこんなことになったんだよ!
最悪の展開。
最悪の学園祭。
最悪の結末。そして──
最悪の夏休みが、始まる
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