第210話 これでいい

 林の中、2号規格程度の馬車道上だ。

 山が近くに見えるからきっとさっきの場所からそれほど遠くない場所。

「少し歩く。一緒についてきてほしい」

 手を握ったままというのは何というか微妙に俺には荷が重い。

 気恥ずかしいというか緊張するというか何というか。

 手に汗をかいているけれど先輩は嫌じゃないかとか。

 触れている部分が熱く感じる。

 でもきっとこれは先輩にとって必要なんだろう。

 だから俺も何も言わないし何も言えない。

 ただ一緒に並んで歩く。

 手を握ったままなので微妙に歩きにくいけれど。

 慣れていないというか色々意識してしまうし。


 少しだけ歩くと林が途切れた。

 畑と家が点在する風景。

 典型的な田舎という感じだ。

 通り沿いの一軒の家の庭で自作らしい小さいブランコが揺れている。

 男が小さな女の子と遊んでいるのだ。

 不意に俺の右手がぎゅっと握りしめられた。

 ひょっとして。


 そのまま歩いて行って、そしてフールイ先輩は男に声をかける。

「すみません。アサキタへはこの道でいいですか」

 男がこっちを向く。

 俺は気づいた。

 男の目元に見覚えがある。

 俺が知っている人にそっくりだ。

「ああ、ここを真っ直ぐで大丈夫だよ。ただ日が暮れるまでにはぎりぎりだな」

「大丈夫です。どうもありがとうございました」

 そのまま俺達は歩いて行く。

 先輩の手は俺の手をぎゅっと握りしめたままだ。

 そのまま歩いて行って……

 家々の死角でふっと宙に浮く感覚がした。

 移動魔法だ。

 

 今度出た場所は高台だった。

 眼下に村が見渡せる。

 おそらくさっきの村だろう。

 ここまで来てやっとフールイ先輩は俺の手を離した。


「いいんですか、これで」

 おそらくさっきの人がフールイ先輩のお父さんだろう。

 以前の記憶は完全に無いようだ。

 フールイ先輩を見ても気づかなかったし。

 でもこのまま何も言わずに去っていいのだろうか。

「これでいい。元気だったし幸せそうだった。それで十分」

 そう言ってから先輩は付け足す。

「私も他の家族も既に父がいない生活を歩いている。母はまもなく再婚するらしい。私も今の暮らしは悪くない。結構気に入っている。

 それにさっきの子に父が居なくなるような不安を味あわせたくない。

 だから父が元気でいて幸せそう。それさえ確認出来れば十分だ。ただ……」


 ただ、何だろう。

 次の言葉を待つ。

「あと少しだけ時間が欲しい。少しだけでいいから」

「いいですよ、勿論」

 6年分の思いの整理なのだ。時間は必要だろう。

 それに時間はまだいくらでもある。

 今の景色はフールイ先輩の目にどう映っているのだろうか。

 天気は凄く良くて世界も明るくみえるけれど。

 神は天にいますすべて世は事も無し。

 無神論者の俺でもそう言いたくなるような感じに。

 元は前世英国の詩だっけか。

 俺は某アニメで知ったのだけれども。


 風が時折忘れた頃にささやかに舞い、まもなく紅葉を迎える葉を揺らしていく。

 そんな風を何回見送っただろうか。

「ありがとう、もう大丈夫」

 声の調子はいつもと同じだ。

「なら帰りは俺の魔法を使いますよ」

 魔法を起動しようとして気づく。

 まずい。あの学校近くの橋が見えない。

 出来るだけウージナ近くでかつ人目がない処を探す。

 カーミヤに向かう馬車道は人通りが多くて駄目。

 カーミヤから西、ヒロセに向かう馬車道の休憩所がちょうど空いていた。

「一度別の場所を経由します」

 そう言って魔法を起動する。


 無事休憩所に辿り着いた。

 この休憩所は1号馬車道なら一定区間毎に必ずある便利施設だ。

 馬に水を飲ませたり歩いている人間が休んだり。

 馬車道とともに国や領主によって管理されている。

「すみません。俺の魔法では1回でウージナまで行けなかったので」

 ちょっと情けない。

「仕方無い。何度も移動した。私にも限界近い距離だ」

 2人とも魔力があまり残っていないので取りあえず休憩。

 東屋のような作りの休憩所内ベンチに腰掛ける。


 しばらくの静寂の後。

 先輩が前を見たまま口を開く。

「今日は済まなかった。一人で行くのが怖かった。ミタキ君には以前父の事を話していたし頼みやすかった。だからつい甘えてしまった」

「いいんですよ、たまには」

「今の私に身近な男性はミタキ君位しかいなかった。そういう意味で特に父に関する事はミタキ君に色々甘えていたのかもしれない」

「別にいいですよ、それくらい」

「でも多分、もう大丈夫だ」

 そう言って先輩は立ち上がる。

「ありがとう」

 そう言って頭を下げた先輩が妙に輝いて見えた。

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