第36話 歴史のスイッチ

 このボートそのものや技術情報を渡すべきか否か。

 正直なところかなり迷った。

 何せこの世界では軍は必要不可欠の存在だ。

 侵略して侵略されてが当たり前のように発生しているから。


 アストラム国そのものは地形のおかげもあってここ十数年は比較的平和だ。

 この国の主な国土は大陸から南にぶら下がっている半島で、北側はほぼ全てが険しい山脈、南側は海で他国と隔てられている。

 だがこの国の東隣側は小国が多くしょっちゅう戦闘が起きている。

 西側は北に広がる大平原を持つスオー国で、ここもまた北側のイワーミ国や西側のブーンゴ国と10年に1度位は戦争していたりする。

 更に南側海の先には異教を称えるイーヨ国があるという具合だ。

 実際各勢力との海上での小競り合いは何度も起きているらしい。

 当たり前だからニュースにならないだけだ。


 ただこの世界に蒸気機関はまだ自然発生していない。

 少なくともこの界隈では噂でも聞いた事が無い。

 海軍司令官が娘の口車に乗ってしまったのがその証拠だ。


 散々考えた結果、俺の意見は『今はまだ公開しない』となった。

 実際に製作したシモンさんもこの意見を支持してくれた。

 なおヨーコ先輩とナカさんは軍には公開してもいい派。

 シンハ君は民間にも公開した方がいいのでは派だ。

 でも結局『今回は制作者と考案者の意見を尊重しましょう』というアキナ先輩の意見に全員が賛同してくれた。


 船は軍港を出て川上に向かう。

 港につける前にちょっとだけ寄り道しようと決めたのだ。

 ちょうど潮が動かない時間だったので船は少ない。

 その中を気持ちいい速度で川上へと向かい、街を過ぎて更に走り川幅が広がり小さな湖状になった場所で船を停める。

 ここからはウージナの街が遠景で見える。

 風がなかなか気持ちいい。


「あーあ、ちょっと勿体なかったよな」

 シンハ君がそうぼやくのも無理は無い。

 あの試験航行の後、軍司令官殿が俺達に提示した条件は破格と言っても良かった。

 船を譲渡し、内部構造の逆鑑定魔法を解除したら大金貨200枚1億円

 内部構造の逆鑑定魔法を解除し、1週間内部を確認させるだけでも大金貨100枚5千万円

 そんな条件を俺達は蹴ったのだ。


「軍の兵站や補給もかなり強化されただろう。大型船に応用出来たら海戦でも圧倒的に有利になっただろうにな」

 これはヨーコ先輩の意見。

「色々と国のためになったと思います」

 これはナカさんだ。


「でもさ、ここでこの船を渡したり内部構造を公開しなくてもね。きっと数年後にはこれと同じような蒸気船が出てくると思うんだ。蒸気でこういう事が出来るという事がわかればさ。誰かが色々考えて努力して、きっと作り上げてしまうもんなんだ。僕はそう思うよ」

 シモンさんの意見に俺は頷く。

「この船は発想や構造こそ違う考え方で出来ている。でもこの世界の魔法と技術で製造可能なものなんだ。だから完成した物さえ見せればいずれこのボートに近い物は出来ると思う。勿論試行錯誤はするだろうと思うけれど。そしていずれはこのボート以上の蒸気船や蒸気機関も出来るだろうな」

 そう、俺やシモンさんの決定でも蒸気機関の発明は抑えられない。

 蒸気機関が発明され広がる速度を少し遅くしただけ。

 俺はそう思うしシモンさんもそう思っていると台詞でわかる。


「ならここで全て教えてお金を貰った方が得だったんじゃないか」

「まあそうなんだけれどね」

 シモンさんは軽く笑みを浮かべる。

「理由は色々あるよ。ここで全てを海軍に教えたら、蒸気機関というものの発達が歪むんじゃないかとかさ、知識が戦闘中心に高められてしまうんじゃ無いかって。

 ただ、その辺の理由は重要だし嘘じゃ無いけれどね。最後の一押しは個人的な思いかな。この船はミタキの知識があってこそ出来たもので、僕の作品じゃない。だからこの船の開発者として有名になったとしても僕自身が釣り合わないんだ。たとえ僕とミタキの連名になったとしてもね。

 だからこの船の件で名前を残したくなかった。単なる感傷だね。貰えたはずの金額や国への貢献とでは釣り合わないかもしれないけれどさ。でももの作りをする魔法使いとしての僕の意地はそれを許せなかった。それが本音かな」


 うわあ、他人が考えついた事を自分の知恵のように使っている俺には非常に耳の痛い台詞だ。

 でも何となく理解出来るし頷けるものがある。

 正直格好いいなとさえ感じる。

 シモンさん自身は結構可愛い方の女の子なんだけれどさ。


「ミタキはどうなんだい?」

「俺はそこまで色々考えた訳じゃない」

 そう、俺が断ったのはシモンさんのような格好いい理由じゃない。

「怖かったんだ。何かのスイッチを自分の手で押す事になってしまうのをさ」

「スイッチって何のスイッチだい?」

「歴史上の、って事でしょうね」

 この辺の台詞の差はシンハ君とアキナ先輩の思考力の差だ。


 俺は教科書レベルでだが産業革命という歴史を知っている。

 それが起こした発展と共に負の歴史の方も知っている。

 加重労働、資本家と労働者の階級の更なる乖離、植民地との貧富の格差……

 石鹸用の発電機を作ってしまった時点で既に俺はそのスイッチを押してしまったのかもしれない。

 でもここで、明らかに他人の手にその技術を渡してしまい、スイッチを押したことを決定づけてしまう事が怖かったのだ。


「まあ今更色々考えても仕方無いじゃない。それよりこんな船が只で手に入ったんだよ。もう国内の大体の場所なら自由に行けるんだよ。今はそれを喜ぼうよ」

 ミド・リーがそう言ってくれる。

 ありがとうな、ミド・リー。

 確かにそれが正しいんだろうな。

「さて、そろそろ帰るとするか。船を置いた後歩いて帰る時間も必要だし」

「そうだね」

 そんな訳で船は回頭し、再びウージナの街へと進路を向けた。

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