第35話 蒸気ボート御披露目

 石炭も水も量は充分なのを確認。

 落ち着け俺。

 手順は昨日と同じで大丈夫だ。

 そう思いながら石炭をボイラーに入れて火をつける。

 圧力計の針がじりじり上昇するのがもどかしい。


 何故こんなに緊張しているかというと、お客様が乗っているからだ。

 それも5人。

 1人はアキナ先輩の親父殿だが他の4人は不明。

 おそらく海軍のお偉いさんか技術者だと思われる。

 そんな訳でこのボートに乗っている仲間は操縦担当のシモンさんと、解説および懐柔役のアキナ先輩だけだ。

 他の皆さんはドックから心配そうな顔で見ている状態。


 ヒューンと軽やかな音をさせて補助タービンが回り始める。

 圧力計の針が再上昇を始めた。

 昨日と同様、大気圧の60倍を超えたところでシモンさんに声をかける。

「圧力、充分です」

「発進します」

 シモンさんが半オクターブ高い声でそう告げる。

 彼女も緊張しているな。

 ボートは昨日と比べ幾分ゆるやかに進み始めた。

 低いどよめきの気配。

 漕がずに船が進み出すのはやっぱり違和感があるらしい。


「出たらどうしましょうか」

「港を出て川の右側を川上目指して下さいな。この時間なら川上へ航行する船は少ない筈ですから」

 川や運河は右側通行。

 そして今は引き潮の時間だ。

 普通の船は川の流速が速くなるこの時間に上流へ向かう事は無い。


「わかりました」

 ボートの速度が小走りくらいまで上がる。

 でもまだまだこの船にとってはお散歩程度の出力だ。

 メインタービンに回っている蒸気も全力の半分も行っていないだろう。

 港の出口で速度を一度落とし、左右を確認してから川の本流右側に出る。

 やや海側に流されるのを出力調整とボートの向きで相殺。

 予想通り川の右側は空いていた。

「それでは皆さん、加速しますので手近なところにお掴まり下さい。シモンさん。この前と同様に加速させてくださいな」

 全力加速をしろ、か。

 大丈夫だろうか。

 でもシモンさんは頷いて、そして。


 タービンの響きが一気に高まる。

 ぐっとボートの前が上がる。

 昨日の試運転と同様、暴力的な加速が始まった。

「うおっ」

 やっぱり強烈だ。


 俺は石炭を入れたり圧力計を見たりするからポジションが後ろ向き。

 その背後の景色がどんどん加速して遠ざかっていくのがわかる。

 この速度でよく直進を維持できているな。

 その辺はシモンさんの制作の腕と操縦のセンスだろう。


 明らかに馬車や早馬より速い速度に到達してシモンさんが言う。

「これ以上はこの川幅でも操縦が困難になるので勘弁して下さい」

 なら少し圧力をセーブしても大丈夫だな。

 次の給炭を少し遅めにしてやろう。

 川なら幅が広くてもせいぜい圧力45倍位で大丈夫そうだ。

 その方が燃費もいいしこれからはそれで行こう。


「どうでしょうか、このくらいで」

「魔力の検知は?」

 これはアキナ先輩のお父様こと司令官が同行の1人に尋ねた質問だ。

「着火の際にのみ魔法を使用しましたが日常魔法の範囲内です。それ以外には魔法の気配はありません」

 きっとこの人は海軍の魔法将校さんだろう。


「オハラ君の意見は」

「おそらく水を高温の蒸気にして、その圧力で動かしているものと思われます。詳細は鑑定阻止魔法がかかっているので確認できません。ただ単純な蒸気圧の反動だけではなく、他にもいろいろな機構があるのは確実です」

 この人はこの中では若めで30代前半位だ。


「オツカ殿はどう思われる」

「これが他国の技術でなくて幸いです。風がなくとも自在に動ける船。海戦戦術を一変させるだけでなく、軍全体の補給等も一気に改善させるでしょう」

 この人は司令官とほぼ同じ年齢に見える。

 副司令官とか参謀長とかそういった人かな。


「それでは一度港に帰りましょう。シモンさん、帰りは安全運転で結構ですわ」

「わかりました」

 ボートは一度速度を落とした後、ほとんど位置を変えずにくるりと向きを変える。

 下り方向はそこそこ船が混んでいるので大回りしたくなかったのだろう。

 でもこれは船としては異常な動きだ。

「何と!」

 案の定皆様驚いている様子。


「それでは帰港します」

 船首をあげない程度で加速する。

 それでも早馬よりは速い速度だ。

 その速度でも手漕ぎの船並みに自由に方向や姿勢を変える事が可能。

 シモンさんも大分操縦に慣れてきたらしい。

 最後は港入口からまっすぐドッグに向かい、ドッグ前で停止。

 180度ターンをかけて後退でドッグ内へと戻る。

 船として考えるとなかなか気持ち悪い動きだよな。

 シモンさんはこんなものと思ってしまっているかもしれないけれど。

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