第05話 絶望の世界であったからこそ

「これははるちゃんの分!」


 作り出した光の槍でアサキは、目の前にいる白い衣装の少女を切り裂いた。


「これはカズミちゃん!」


 槍は消え、今度はアサキの両手に輝く小さな二本の光が、ヴァイスの身体をさらに刻んだ。

 ヴァイスの顔に、驚きが満ちる。


「バカ、な。……こんなことが、出来るはずが……」


 ふらり、

 よろけて前へ倒れそうになるヴァイスであるが、なんとか片足を前に出して身を支える。しかし踏ん張りきれずに、崩れて地に横たわった。

 身体を転がして、仰向けになると、自分を見下ろしている赤毛の少女の顔を見上げた。

 アサキの、見下ろすその顔はとても悲しく、そしてとても優しく、なんというのか慈愛に満ちたものだった。


「これまで辛かったよね、ヴァイスちゃん。……もう、苦しまなくていいんだよ」


 黒い霧がうっすらとヴァイスの全身を覆っているが、それが不意に、なにかに導かれるかのようにふわり舞い上がる。

 それは一条の細い線になって、細い線は編まれて面と広がって、アサキの身体を真っ黒に包み込んだ。

 が、それも一瞬。非詠唱で呪文を念じると同時に、黒い霧はすべて消えた。

 ヴァイスの身体もアサキの身体も、もうどこにも漂う邪気はなく、ただ暗黒の下に静かなだけだった。


 横たわるヴァイスの身体は、光の槍やナイフで深く切り付けられたはずというのに、どこにもその痕跡はなかった。

 はだけて覗く白い肌は、ただ透き通るように綺麗だった。

 物質ではなく、邪気のみを切り裂いたからである。

 アサキは、そうして砕いた邪気思念を自らに取り込んで、自らの精神領域内で消滅させたのである。


 そのためなのか、横たわるヴァイスの顔がこれまでとまるで違うものになっていた。

 柔らかく、優しい顔に。

 少し前までの邪なものでなければ、それ以前によく見せていた演技めいた涼やかな微笑でもない。

 人間的な顔とでもいおうか。これが本来与えられた彼女の疑似人格による、本来の顔であるのかも知れない。


「アサキ……さん。何故? わたしを助けたのですか」


 手を着き、身体を震わせ立ち上がりながら、白い衣装の少女が問う。

 問われたアサキの答えは早かった。


「ヴァイスちゃんを信じていたから」


 さらには、そう直感していた自分を信じたからだ。

 信じることにした、という方が正しいか。


「ありがとう。……そうですね。わたしが闇から解放されたのは、ただあなたの能力のみによらず。信じてくれたからこそ、わたしは救われたのです」

「わたしはただ……」


 これ以上、友を失いたくなかっただけだ。

 こんな世界で、これ以上。


「あなたが消滅させたのは……最初からわたしの中にあった、一種のバグと呼べるもの。いわば、わたしの中のシュヴアルツ。恥ずかしい話なのですが、わたしは、その黒の意識を、抑え込めているつもりだった……」


 力なく立っていたヴァイスであったが、身を支えきれず、またよろけると崩れて地に両膝を着いた。


「ヴァイスちゃん、しっかり! ……わたしが、傷付けてしまったから?」


 アサキもしゃがみ、介抱するように身を寄せた。


「関係ありません」


 きっぱりといい切るヴァイスであるが、その言葉はアサキを安心させるものではなかった。

 苦痛に歪んだ顔は隠しようがなかったし、体内のエネルギーも急速に収縮しているようだったから。

 だからといって、


「でもどうやら、そろそろお別れのようですね」


 このような言葉が飛び出すなど、予期出来るはずもなかったが。


「え……」


 アサキは蒼白な顔で静かにそういった後、びくりと肩を震わせた。


 なにを、いった?

 ヴァイスちゃんは。

 苦痛に歪んだ顔で、でも、笑いながら、なにを、わたしにいった……

 お別れだ、って……


「嘘だ……だ、だってわたし……わたしが……」


 わたしが切ったのは、ヴァイスちゃんに入り込んでいた黒い気だけ。その、繋がりだけだ。

 でも、もしかしたらそれが……

 でも……


「勘違い、しないで。……確かに、自分でも気づかないほど体内を占めていた闇を、ごそりとえぐり抜かれたようなダメージはありましたが……」

「それじゃあ、やっぱり……」

「関係ないといったはずです。それ以上に、わたしの肉体が限界に達してしまったのです。闇に侵食されながらも自分を保とうと、ずっと無理をしていたのでしょうね。シュヴァルツとの融合も、無茶なことをした。肉体の話ではなくこれは魂の層の……」

「どうすれば、いいの? よくなるの? 教えてよ!」


 アサキは半泣きになって、ヴァイスの幼い顔を覗き込みながら小さな手を握った。


無限空間記憶層アカシツクレコードに修復不可能なダメージを、ずっと蓄積し続けてきた結果ですね。つまりは最初からこうなることは決まっていたのです」

「そんなこといわないで! まだ決まってなんかいない!」


 アサキの叫びも虚しく、ヴァイスの身体が、白い衣装が、ほろほろと溶けていく。


「アサキさん、あなたに会えてよかった。絶望しかない世界であなたと会い、希望というものを知り、抱いて、無へと帰っていかれるのだから」


 柔かな笑みだった。

 これまでアサキが見てきたどんな人間よりも幸せそうに、彼女、ヴァイスははふっと息を吐きながらくしゃり破顔したのである。


 次の瞬間、もう、ヴァイスはいなかった。

 その天使の笑みも、もうどこにもなかった。

 ただ、地の上に塵の山があるばかりだった。


 アサキの叫び声が、宇宙に浮かぶ人工の大地を震わせた。

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