第04話 闇のヴァイス

 嫌だ。

 嫌だ。

 こんなもの、わたしはいらない!

 叫ぼうとも、頭を抱えて狂おうとも、必死に抗おうとも、否応なしに注ぎ込まれてくる。

 体内に、力が。

 失われていた、力が。

 戻ってくる。入ってくる。

 嫌だ。

 嫌だ。

 嫌だ!

 こんな……

 わたしは……

 分かっている。

 能力の戻ることを拒絶したところで、それで結果が変わるわけではないことを。

 戻ってくるに至った事実が覆るわけではないことを。

 分かっている。

 単純に、認めたくなかったのだ。

 この宇宙に、最後にたった一人残った大切な親友の、その死を受け入れたくなかったのだ。


 アサキの身体が、赤い魔道着が、激しく光り輝いている。

 粒子が噴き上がって、赤毛が激しくなびいている。

 膨大な力が、大河のごとき質量が、アサキの中へと流れ込んでいる。

 唸り、暴れ、ばちばちと青白い火花を散らしながら。

 どれだけの量が流れ込もうとも、大河の勢いは衰えない。

 アサキの魔力受容体が天文学的規模な巨大さで、いくらでも吸い込んでしまう。嫌だ、とどれだけ抗おうとも。信じない、どれだけ拒否しようとも。

 アサキの目から、涙がこぼれていた。

 頬を、涙が伝い落ちていた。

 ぼたり、ぼたり、こぼれた涙が地へと落ちる。


 約束……したのに。

 笑顔の報告しか、受けないって。


「わたしは、こんな力なんか、いらないのに!」


 許せないよ。

 カズミちゃん。

 もしもあなたが、簡単に死んだというのならば。

 わたしは、許さない……


 でも、分かってもいた。

 簡単なはずがない。

 きっと、ギリギリの中で苦渋の決断をしたのだろう、と。

 最後まで、頑張ったのだろう、と。

 わたしを信じて。

 わたしに、すべてを託して。

 最後まで。

 だから、きっとこれがカズミちゃんの、笑顔の報告なのだ、ということを。


「さあ、力が戻りどうなったのか」


 ヴァイスがまた腕を前に伸ばすと、手のひらから真っ白な光弾が飛んだ。

 地が爆発し、激しく土砂が噴き上がるが、そこにアサキの姿はなかった。距離を一瞬で詰めて、ヴァイスのふところへと入り込んでいたのである。

 ヴァイスは喜悦の笑みを浮かべながら、再び光弾を作り出す。密着しているアサキへと、身を引きながら放つ。

 いや、放てなかった。それどころか、光弾はすぐに収縮し消滅してしまった。

 アサキがヴァイスの手首を掴み、魔力を流し込んで攻撃のエネルギーを無効化したのだ。


「それならば」


 と、ヴァイスは右手に光の剣を作り出し、アサキの胴体を両断する勢いで真横に振るった。

 まるで通じなかったが。

 アサキは光の剣をもその手に掴み、受け止めていたのである。

 受け止め、そして非詠唱。念じると同時に、光の剣はふっと消えた。


 攻撃の数々をことごとく封じられたヴァイスであるが、焦る様子はなく、ただにやり笑みを浮かべたのみであった。


「分かりますか? これがアサキさんの、本当の力です。分散転造されていたものが一つに戻った、本来の能力です。もう、わたしの力など遠く及ばない。だけど……」

「そんなことは、どうでもいい!」


 アサキは、声を荒らげていた。

 この力を受け入れて、それでカズミちゃんが戻ってくるのか?

 治奈ちゃんが蘇るのか?

 思わず激高しかけ声を荒らげてしまったアサキであるが、だからというわけではないだろう。ヴァイスの笑みの質というか深さというかが、変わったことに気が付かなかったのは。

 気が付いたのは次の瞬間。身体を動かそうとして、動けなかった。びりりと電撃が流れ、痺れて、まったく力が入らなくなった。はっ、とヴァイスの顔を見て、そこで笑みの変化に気付いた。


「わたしに、なにを……」

「ちょっとした、細工をね。ただ、今ではありませんよ」

「え?」

「覚醒したあなたに、わたしなどが束になろうとも、無力。ですから転造前に見越して仕込んでおいたのです」


 転造、つまり仮想世界のデータであったアサキが、この現実世界に肉体を得た時ということだ。


「何故? そんなことを」

「愚問。あなたの本当の力を、わがものとするためにです」

「それは、なんのため……」

「教えてもきっと理解出来ないでしょう」

「信じていたのに……」

「それはそちらの勝手ですね」


 ふふ、とヴァイスは珍しく声を出して笑った。

 いつの間にか全身を、なにかモヤのようなものが覆っている。

 それは体内からじくじくと滲み、漏れ出ている、冷たく、ねっとりした、黒い気。いわゆる、邪気というものであった。

 もう隠す必要もない、ということだろうか。


 アサキは、思う。

 わたしは、初めて彼女と会った時から、この邪気は感じていた。ほんの僅かではあったけれども。

 そんなことまったく気にならないくらい、わたしの直感は彼女を信頼してしまっていた。疑うことなど、意識の奥底へと閉じ込めてしまっていた。

 でも、

 戻ってきたわたしの力、その中に残っているカズミちゃんの微かな思念……

 いつからかは分からないけれど、カズミちゃんも気付いていたんだ。

 このことに。

 わたしが弱いから、わたしが甘いから、こんなことになってしまった……ということか。


 カズミに対して、申し訳ない気持ちで一杯だった。

 だというのにまだヴァイスに対して敵だと思うことが出来ない、甘い自分を責めたい気持ちで一杯だった。

 身動きの取れないアサキは、悔しさままならなさにぎりり歯を軋らせる。

 気が付くと、赤毛を掻き分けられて額に手のひらを当てられていた。


「すぐ楽になりますから。数秒後には、能力だけ残してあなたの意識も肉体も消滅する」


 ヴァイスの手のひらが、ぼおっと光を放った。

 アサキはびくり身震いをした。存在を消される恐怖のためではない。接触して、あらためて黒い思念を肌で感じたからである。カズミの疑いが正しかったことが分かったからである。


「本当に、ヴァイスちゃんは……ヴァイスちゃんは!」

「さようなら」


 にこりと笑う。


「うわあああああああああああ!」


 アサキの絶叫と共に、ヴァイスの顔がぐしゃり潰れていた。

 拳が、叩き込まれていたのである。アサキの渾身の力を込めた拳が、ヴァイスの頬へと。


「何故、動け……」


 とと、とよろけ地に踏ん張りながら、打撃と驚きに歪んだ顔を押さえるヴァイスであるが、言葉をみなまでいうことは出来なかった。


「これは治奈ちゃんの分!」


 アサキが、瞬時に作り出した光の槍の切っ先で、ヴァイスの白い衣装を切り裂いたのだ。

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