第06話 ぞわり、舐められ、撫でられ、さぐられ

 落ちる。

 二人の身体は、白い霧の中を落ちている。


 落下という感覚があるだけで、それがどれほどの速度であるのかまったく見当もつかない。


「なんだ、ここは……」


 逆さまに落下しながら、蜘蛛の背の魔法使いだれの口が、疑問の言葉を呟いた。


 抜け目がないな。

 ちらり見ながら、アサキはそう思った。

 至垂の身体が、非詠唱魔法によってどんどん治癒しているのだから。

 この心身のバイタリティには舌を巻く。

 自分など、まだこの世界にいる状況に適用出来ておらず、まだ気持ちが参っているというのに。友と励まし合わなければ崩れてしまうくらいだというのに。


 霧が濃くなる。

 その霧がさらに凝縮されたものなのか、やがて綿菓子雲に似た、掴めそうなくらいのしっかりと質量を感じさせるものが、あちこちと漂い始める。


 霧に見えるのは、反応素子である。

 全宇宙に満ちている、エーテル体と呼ばれるものである。

 陽子誘導によって起こる差異を、コンピューティングにおける量子ビット列として利用するのだ。

 電圧や音の周波数に閾値を設けてビットの有無に置き換えていた、創世記のコンピュータと根本原理は同じである。

 中心部に近付くほど、中央演算のゼロキャッシュ領域、計算処理が高速膨大であるため、量子ぶれも大きくなる。そのため、反応素子が濃密な、粘度を帯びたものになる。

 これが、綿菓子雲に見える理由だ。

 と、これはヴァイスから教えて貰ったことである。


 それよりも、いまの言葉だ。

 至垂徳柳は、どうやらここへきたのは初めてのようだ。

 この空間に、かなり興味を抱いているようだ。

 でも、疑問に対して正直に答える必要もないだろう。

 と思うアサキであったが、しかし、


「ここは、超次元量子コンピュータの格といえる部分の、すぐ近くです。五次、四次、と階層を抜けたゼロキャッシュと呼ばれる中心に近いエリアです」


 咄嗟に嘘も付けず、つい正直に答えてしまっていた。

 受け売りの知識であるが。


 呪縛のない至垂が、この量子コンピュータを破壊しようとするかも知れない。その可能性を危惧したからこそ、悠長に構えてはいられないという話をしたばかりだというのに。


 無意識のことで自分でも分からないが、さして問題ない気もして、口が緩んだのかも知れない。

 至垂が味方になるとか、共同戦線を張るとか、そういう話ではなく。この惑星の自己防衛力は、そんなレベルにないと思ったのだ。


 その、惑星の意思たるAIが、いるのだろうか。

 この近くに。

 もしも接触したら、わたしたちをどうするつもりなのだろうか。

 わたしたちは、どうなるのだろうか。


 未来をどうするか判断するため、ヴアイスシユヴアルツという疑似人格による生体ロボットを作った。というところまではヴァイスから聞いているが、肝心の惑星AIについての知識はまだあまり聞かされておらず、どういうものなのかがよく分からない。

 だからまだ、接触するには早いのではないか。

 こんなところに、長くいるべきではないのだろう。


「地上へ戻りませんか? なにもここで、わたしたちが争う必要もないでしょう」


 アサキは至垂へと話しながら、飛翔魔法を非詠唱。

 落下にブレーキを掛け、そして上昇しようとしたのだ。

 だが、掛からなかった。

 むしろ、ぐんと強く引かれていた。


「うあ!」


 身体が、精神の重力とでもいうべきものに掴まれて、強く、下へと引き込まれていた。


 反応素子の雲が、凄まじい速度で上へ流れていく。

 高速で落下しているのだ。

 深く。深くへと。


 反応素子による濃密な白い雲が、さらに濃くねっとりしたものになった頃、ようやく落下の速度が落ちてきた。

 緩やかに、なってきた。


 ほとんど前の見えない霧の中。

 すぐ目の前には触れるどころか乗れそうなくらいに濃い、反応素子による白い雲。

 以前に、ヴァイスに連れられてこの惑星内空間を経験しているアサキであるが、ここまで深く降りたのは今回が初めてであった。


「誰だ……」


 至垂の声。

 惑星の中心部へと、視線を落としてその向こうにいる誰かへと、ぼそりと呟いた。

 やはり彼女、至垂も感じているようである。

 強い意思を。


 ヴァイスのいう通りならば、それはこの先だ。

 もっと落ちたところに、いる。

 または、ある。

 自分たち二人は、それに引っ張られて落ちている。


 いや、

 呼ばれて、いる?

 ……そうか。

 地表の爆発で落ちたのではなく、招かれたんだ。

 わたしは……


 濃密な空間を、二人は落ちていく。

 反応素子の雲が、さらに濃くなる。


 ここは現実世界、物理世界であるが、量子ビットの動きを身体が無意識に捉えてしまい、アサキはなにやら精神世界にいるような錯覚に陥っていた。

 その影響のためか、自分が消えていく、自分が自分でなくなっていくような、そんな感覚に陥っていた。

 ような、ではない。明らかであった。反応素子の雲が無数の触手と化して、アサキの全身を包み込んでいたのである。

 至垂の巨体には目もくれず、アサキの身体だけを。

 意思が……

 アサキを……


 ぞわり、

 精神を、撫でられ、舐められ、奥を探られ……掛けた瞬間、


「ああああああああああああああああ!」


 アサキは叫んでいた。

 上昇していた。

 ありったけの魔力を開放、地下の意思による重力を飛翔魔法で振り切って。

 なりふり構わぬ思い、いやそんな思いすらなく、ただひたすらに上昇していた。

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