第09話 絶叫

 緩いウエーブのかかった長髪。

 グレーのスーツを着ており、片手はズボンのポケット。

 すらり背筋伸ばして斜めに立って、こちらを見ている。

 ポケットの手は、なにか忍ばせているというよりは、キザなポーズであろうか。


「やあ」


 だれとくゆうは、歯を見せ、さわやな笑顔を見せた。


 拍子抜けするほどフレンドリーな態度であったが、そういう男であることなどとっくに分かっている。

 だからアサキは警戒を微塵も解かず、むしろ強めて、非詠唱を使って探査魔法の呪文を唱えていた。


 だだっ広い、なんにもない部屋。

 それだけに、なにが仕掛けられているか、誰か潜んでいるか、分からないから。


 探査魔法の結果を信じるならば、見た目の通りになにもなく、この三人の他には誰もいない、ようではあるが。


「やだなあ、疑っちゃって。罠とかそんなの、なんにもないって」


 グレーのスーツ、至垂はパタパタ手首を返した。


「そがいなことより、フミはっ、約束通り、うちら戦いには勝ったじゃろ!」


 条件をクリアし指定された場所にきたが、至垂がいるのみでふみがいない。

 姉である治奈が、息を詰まらせて食らい付かんとするのも、当然というものだろう。


 だけどもリヒト所長の至垂徳柳は、共感には程遠い蝿がたかったほども感じていない顔で、まあまあ、となだめると、


「ところでりようどうくん、いま通ってきた部屋や、この部屋のことなどを、覚えてはいないかい?」


 まったく関係のない話を、始めたのである。


「いまいう必要のある話か!」


 荒らげ裏返る、治奈の声。


 アサキも、この態度には不快極まりない気持ちだった。

 一人の生命、それを心配する者に対しての他人事。ふざけるな、と思う。

 でも、史奈の生命を握っているのは、この男なのである。

 仕方なく、治奈を手で制して、質問に答えた。


「覚えています。前に思い出した記憶の中に、ありました」


 数ヶ月前のこと。

 アサキはここ、リヒト東京支部を訪れている。

 自身にカスタマイズされた、特注のクラフトを受け取るために。


 クラフトは、みちおうによって奪われおり、アサキは、本来アサキが着るべきであった超魔道着を着た応芽と、戦うことになったのであるが、


 その最中、応芽とのやりとりの中で、幼少時の記憶を色々と思い出しているのだ。


 この施設でまだ幼い自分が、様々な実験台にされていたこと。


 実の親に虐待されていたと思っていたのは嘘の記憶で、日々の恐怖から逃れるため、自分自身に施した記憶操作魔法によるものであったこと。


 ここの職員であった、りようどうしゆういちすぐ夫妻によって、ここから逃がされたこと。


 視覚の記憶の中には、先ほどいた部屋もあった。


 アサキは幼少の頃、間違いなくここにいたのである。

 実験の、材料にされていたのである。


「もっと思い出したくなったら、またこい。確かあなたは、そういっていましたよね。……でも、いまはそんなこと、どうでもいい。それよりも、早くフミちゃんを返して下さい! そして、してしまったことを反省し、罰を受けて下さい。こんな非人道的なやり方で野望をかなえようだなんて、そんなこと、許されるものじゃない」


 途中でアサキは、しまったと自分の迂闊を責めたが、でも、喋ったことを取り消せるはずはなかった。


 責められ、そんなこと呼ばわりされただれとくゆうが、傷付けられた自尊心に自暴自棄になったりしないか、と心配になったのだ。


 杞憂だった。

 グレースーツの男は、にやにやと笑みを浮かべ続けるのみだった。


「まあ実際、あれだよね、さっきいったその、思い出したことというのは、本当に思い出したくないことを隠すためだよね。狂わないための防衛本能、とかさ。わたしが事情を知ってるが故の、後付け推量だけどさ」

「いっていることの、意味が分かりません」


 アサキは、ちょっと声を荒らげた。


 意味が分からないのは本当だ。こんなぼかされた日本語でいわれたら、誰であれそうなるかも知れないが。

 でも、その言葉にドキリ心臓が弾けそうになったのもまた本当だった。


 アサキは、思う。

 心臓を高鳴らせながら。


 なんだろう。

 わたし、なにを知っているんだ。

 自分の中に、どんな記憶を眠らせている?


 以前は、すべての記憶を思い出すことに、さしたる関心はなかった。

 自分がいる、ということが現実で、

 仲間がいる、ということが現実で、

 義理ではあるが素敵な家族がいる、ということが現実で、

 それ以上のものを、望む気が起きなかった。

 あの時は、ウメちゃんとの戦いの最中だったこともあるし。

 戦いが終わったら、ウメちゃんの死が悲しくて、自分のことなんかしばらくどうでもよくなっていたし。


 でも、

 なんなんだ、この気持ちは。


 いざこうして、自分の中に存在する、なんだか分からないながらも記憶、感情、の片鱗に触れてみると、どきり、どくん、破裂しそうなほどに、心臓が高鳴る。

 不快な気持ちが大きな塊になって、胸の内側から突き破り、飛び出そうなくらいに。


 知りたい、というわけではない、はずだ。

 過去の、記憶なんかどうでもいい。そう思っているはずだ。


 ただ、どうであれ、どう思おうとも、思わずとも、真実は一つなわけであり、心が勝手に、不安や恐れを抱いて、胸を内から激しく叩く。


 嫌だ、怖い、逃げたい、そう思う自分がいる。

 ともすれば、消えたい、無くなりたい、に繋がりそうな、純然たる負の感情。


 なんなのかも分からないくせに、確固たる感情だけはそこにあり。


 違う、違う!

 なにが違うのか分からないが、でも、否定するように、思いを振り払うように、激しく首を振ると、赤毛の少女は、グレースーツの男、だれとくゆうを睨んだ。


「アサキ……ちゃん」


 様子がおかしいことに気付いたのか、治奈が心配そうに、アサキの顔を覗き込んだ。


 治奈の妹のことで、ここで対峙することになった三人である。

 だというのに、治奈が一人、すっかり蚊帳の外になっていた。


 蚊帳の外を置いて、リヒト所長は苦しそうな赤毛の少女にのみ、笑い掛ける。


「うん、確かに、わたしはいったね。すべてを思い出したくなったら、またここへおいで、と。つまりは、知りたくなった、ということかな?」


 わざとであろうか。

 話す内容も、タイミングも、まるで噛み合っていない、この言葉の投げ掛けは。


「違います。わたしは、フミちゃんを、助けに……」


 焦り、つっかえながら、アサキが口を開く。

 こうして焦りや不安を引き出すことが目的、というのならば、やはりわざとなのだろう。至垂のこの態度は。


「どうでもいいよ、そんなこと。それよりさあ、まだ、思い出さないのかい? 本当の、記憶を」


 なんでも吸着しそうなくらいの、粘液質な笑み。

 ねたあっ、と音が聞こえてきそうなほどの。


「そんなことこそ、どうでもいい! い、いま大事なことは……」


 声を荒らげるアサキに対し、グレースーツの男は、待っていましたとばかり、笑みの粘度をさらに強めた。

 その粘度で絡めとるように、アサキの言葉を遮って、


「先ほど、きみらが見た部屋ね、わたし個人の実験室なんだけどね。描かれた魔法陣は、超魔法による攻撃力を疑似的に再現出来るんだ。耐性テストに使うんだけど、ほとんどが、耐えられずボロボロの消し炭になってしまうんだよなあ。あんな精魂込めて作ってやってるのに、人の苦労も知らないでなあ」

「な、なにを……いって……」

「試験管に入っている時からして、みんないつも恨めしそうに、ぎょろぎょろしてて。眼球だけなのに、恨めしくぎょろぎょろってのも、変な話ではあるけどさあ」


 どんどんフランクな話し方になるだれとくゆうが、はははっ、と乾いた笑い声を立てるのと、


 アサキの肩が、びくっと大きく震えるのは、同時だった。


「あ……ああ……」


 ふらり、

 力を失って、アサキの身体がよろける。


 その顔からは、完全に血の気が引いていた。


 両腕で、赤毛の頭を抱えた。

 抱えた腕の中、頬が、口が、目元が、引きつっていた。


 ぶるぶる、震える身体。

 見開かれた目。

 焦点の合っていない開いた瞳孔が、微かに震えている。


「アサキちゃん! アサキちゃん! どがいしたんじゃ!」


 治奈が、必死に呼び掛ける。


 だが、アサキの目には、心配する友人も、ニヤニヤ笑みを浮かべているリヒト所長の姿も、なんにも映ってはいなかった。

 ただ、恐怖に震えているばかりであった。

 ただ、衝撃に震えているばかりであった。


「わ、わたし……そ、そんな、そんな!」


 また、後ろへよろけると、赤毛の頭を、さらにぎゅっと強く抱えた。


 どっと押し寄せていたのである。

 大量の記憶が……

 怒涛の激流となって、

 神経を食い破り、

 頭蓋骨を砕いて、内から、外から……


 悲鳴を上げていた。

 建物が倒壊するのではないか、というくらいに、それは凄まじい悲鳴を張り上げていた。

 この世の呪詛をすべて引き受けたかのような、断末魔にも似た絶叫であった。

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