第10話 起死回生の巨大パンチ

 白スカートに茶色ラインの入った魔道着、さいとう

 彼女の、ずっと浮かべ続けていた笑みの、質が少し変わっていた。

 おそらくは、勝利を確信したことで。

 僅かながらあった緊張感が、完全に消え去っていた。


 確信は当然だろう。

 獲物を散々ズタボロに痛めつけた挙げ句、槍で腹を突いて、壁へ串刺しにしてやったのだから。


「はーい、勝負あったねえ。さーあ、さーあ、どおやってブッ殺そおかなあ。ねえりようどうさきい、令堂あさん、どうやってブッ殺されたあい? わたし、いまちょっと上機嫌だからさあ、ちょー特別にい、リクエストに応えてあああげるうううううう」

「あうぐっ」


 口から大量の血液を流し、呻き、そして自分の血にげほごほむせているアサキ。

 むせながらも顔を上げ、意識朦朧の中、強く鋭い眼光を、白スカートの魔法使い、斉藤衡々菜へと向けた。


「あぎゃーじゃなくて質問に答えてよう。意地悪だなあ」


 からかう斉藤衡々菜。


 その顔を、睨んだまま、アサキのまぶたが、とろんと落ち掛ける。


 意識が……

 身体がもう……動かない。


 どくどく、どくどく、

 口から、貫かれた腹部から、血液が流れ、伝い、床を染めている。

 いくら魔力があろうとも、この怪我であり、出血である。気力も体力も、生命力も、もう限界をむかえていた。ほぼ完全に、尽きていた。


 目の前で笑っている、白魔道着の魔法使いの顔が、揺れ、姿が薄れていく。


 もう、痛みも、感じない。

 こんな、酷い怪我をしちゃったというのに。

 きっと、このまま死ぬんだな。

 わたしは。

 守れなかったな。

 みんなのことを。

 フミちゃんを、救えなかった。

 ごめんね。

 みんな。

 本当に、ごめん。

 しゆういちくん、すぐさん。

 二人の赤ちゃん、見たかったなあ。

 元気に生まれてくると、いい、な……


 薄れる意識。

 完全なる闇が、落ちようとしていた。


 だが、まだ、終わっていなかった。

 アサキは。

 生命力が、ほとんど朽ち掛けているというのに。

 心の中で、自分を叱咤する、自分の声を聞いたのである。


 いや……

 違うだろう。


 と。


 わたしが死ぬだけなら、それは構わない。仕方がない。

 修一くん、直美さんの、

 それだけじゃない、

 たくさんの子が、生き物が生まれ、平和に暮らして行く、この世界を、わたしは、守りたい。

 笑顔を、守りたいんだ。

 守らなきゃ……いけないんだ。

 フミちゃんのことだって、絶対に助けると自分に誓ったじゃないか。

 笑顔で帰る。ぐろ先生とだって、そう約束したじゃないか。


 そうだ。

 こんなところで、倒れて、たまるか。

 死んだ時に死ねばいい。


 そうだ。

 まだ、

 まだだ。

 わたしは……


「終わっていない。……終われない!」


 叫び、かっと目を見開いた。

 目の前には、白スカートの魔法使い、斉藤衡々菜が槍状にした三節棍で、アサキを貫いている。その顔には、驚きが浮かんでいる。


 アサキは、ぐっと足に力を込めた。

 気力も体力も尽き果てているが、なにか別の、なんとも形容しがたい力が、アサキの身体を押していた。


 ぎゅう、っと右手の剣を握り締め、

 腹を槍に貫かれたまま、自ら、前へ、前へと進んでいく。

 ぶちゅり、ぶちゅり、自ら槍を腹の中に埋めながら、斉藤衡々菜へと、距離を詰めていく。

 戻った意識による激痛に、顔をぐちゃぐちゃに、醜く歪めながら。

 白い魔法使いへと。


「な、なにを!」


 斉藤衡々菜が、

 ずっと人を小馬鹿にした笑みを崩さなかった白い魔法使いが、いま初めて、狼狽していた。

 畏怖の表情が浮かんでいた。


 目の前の死にかけの獲物が、刺さった槍を抜き取ろうともがくどころか、自ら深く深く突き刺しながら、向かってくる、その必死の顔、執念に。


「あなたとは、覚悟が、違うんだ!」


 アサキの叫び、その小癪に斉藤衡々菜は舌打ちした。

 意識的にか、無意識にか、一歩を退いた。

 いや、

 退けなかった。

 斉藤衡々菜の、槍状の三節棍を握った両手が、指の先まで凍っていたのである。


 アサキの、非詠唱魔法だ。

 その、槍状三節棍に貫かれたアサキの腹部も、完全に凍りついている。

 その、腹部に突き刺さり凍りついている槍を、自らの筋肉や、臓器から、引き剥がしながら、一歩、一歩、進む、白い魔道着へと迫っていた。

 発狂しそうなほどの激痛に、ぐちゃぐちゃと顔面を歪めながら。


 ゆっくりと、ぶるぶる震わせながら、右手の剣を、振り上げた。


「うあああああああああっ!」


 アサキの絶叫、しんとした部屋に響き、

 同時に、斉藤衡々菜の身体が、飛ばされて、床を転がっていた。


 一体、どれだけの力が、その攻撃に込められていたのか。

 怪我と出血に、意識が消失し掛かっていたほどだというのに。

 剣の先が、折れていた。

 折れた先端が、くるくる回って、壁に突き立った。


 どろり、防具ごと斜めに切り裂かれたのは白魔道着、斉藤衡々菜である。

 胸からは、血がどくどく大量に流れて、白い魔道着を、足元の床を、真っ赤に染めている。


「ぐああああうう」


 しばらく、苦痛に顔を歪め、のたうち回っていた彼女であるが、やがて、床を叩き、床に手を付き、ゆっくりと、起き上がった。

 痛みと怒りに、身体をぶるぶると震わせながら。

 半分赤く染まった、白い魔道着、斉藤衡々菜。

 また、くっ、と呻き、顔をしかめた。

 視線を落とし、自分の手のひらを見る。


 手のひらの皮が、完全に剥がれていた。

 赤黒く、それどころか指の骨までが一部見えていた。

 突き刺さり固定された三節棍を、握ったまま凍り付かされたのだが、そこへ剣の打撃で吹き飛ばされ、その時に手のひらの皮が引き剥がされたのである。


 白スカートの魔法使い、斉藤衡々菜は、顔を上げた。

 目の前にいる赤毛の魔法使いを、牙を剥くかの険しい表情で、睨み付けた。

 赤毛の魔法使い、まだ身体を貫かれ、壁に打ち付けられたまま、折れた剣の柄を持って、力なくはあはあと息を切らせているアサキを。


「くそおおおおおおおおお!」


 斉藤衡々菜の笑みは、もう、完全にどこかへ消えていた。

 生まれた時からそうだったのでは、というくらい、醜く歪んだ、皺だらけの顔になっていた。


 天井を見上げ、怒鳴る。


とくゆう! おい! 話が違うだろお! 改良して、もっと強くなった存在がわたし。そういっただろお!」


 改良?

 誰を? なにを?


 朦朧とした中、アサキが疑問に思っていると、


「肉体能力と……」


 二人しかいないはずのこの部屋に、どちらでもない、低い声が響いていた。


「魔力の、潜在量だけならね。きみも、やすながやすも、現状この世で最強の少女たちだよ。でも、なんだろうかね、心がクズだとその最強を生かせない、ってことなのかなあ」


 至垂徳柳の声である。

 空間スピーカーでも、どこかに仕掛けられているのか。

 しんとした部屋に、リヒト所長の声が反響している。


「会心の出来と思ってただけに残念だけど、きみは失敗作ってことが分かった。処分するのも面倒っちいから、こっち戻ってこなくていいよ。さあ、令堂くんにい、無に還してもらいなさああい」

「はあああああ? こんなカスよりい、わたしが弱いはずがないだろおおおおおっ!」


 白スカートの魔法使い、斉藤衡々菜は、怒鳴りながらぐるり身体を回転させて、まだ串刺し状態のままうつろな目をしているアサキを、怒りの形相で指差した。


「身動き取れないところお、臓物いたぶってえええ殺してやるるああああああ!」


 にやり凶悪に笑むと、床を蹴った。

 串刺しで身動きの取れないアサキへと、飛び込みながら、ボロボロの手に握っている短剣を、振り上げた。


「覚悟が違うといった!」


 まだ幼くも見えるアサキの、どこにそこまで、という程の、凄まじい絶叫。

 魂の震え、激動。


 手にしていた柄の折れた剣を振りかざすと、躊躇いなく、


 自分の前腕を、切り落としていた。


 骨と肉とが、断たれる音。

 激痛に歪む、アサキの顔。


 だが、それ以上、白の魔法使い斉藤衡々菜の、その顔の方こそが、驚きと、原初的な恐怖とに、歪んでいた。

 目が、これまでない大きさに見開かれていた。


「巨大パアアアアアンチ!」


 切り落とされたアサキの前腕が、拳が、血飛沫を噴き上げながら、発射された。

 瞬きの間に、直径二メートルはあろうかという、とてつもない大きさに巨大化。

 短剣を振り上げ飛び込んでくる、白い魔法使いの全身を、掴んでいた。


 白い魔法使い、斉藤衡々菜は、太ももほどもある巨大な五本の指に、ぐしゃり押し潰されていた。

 ぐぅあああ、っと苦痛の声を漏らす彼女と共に、そのまま超巨大な拳は飛んで、部屋の反対側の壁へと激突した。


 爆音。

 轟音。

 低い音と共に、床がぐらぐらと激しく揺れる。


 砕かれた壁に、巨大な拳が、めり込んでいる。

 その拳の中で、ぐしゃり潰れている白い魔法使い、斉藤衡々菜は、頭を壁に強打したようで、呻き声を発したきり、動かなかくなった。

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